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竜亡き星のルシェ・ネル  作者: 不手折家
第三章 枢機の都、ヴァラデウム
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第043話 夜帳書庫


 ――というわけで、バルザックの聖剣の解析は不首尾に終わりました。

 物質透過性の高い、波長の短い放射線を使えば隠匿技術を突破できる可能性はありますが、そういった放射線は高いエネルギー量を持っているので、回路自体が反応して自壊する仕組みが存在するかもしれません。(少なくとも、聖剣を作った人々は可視光域外の放射線について十分な知識を持っていたはずなので、対策を講じている可能性は十分に考えられます)


 この方法には健康被害が生じる危険が常につきまとうので、現状あまりおすすめできません。放射線を安全に取り扱う方法を開発するのは時間がかかりすぎるので、おれもやりませんでした。


 今回の解析結果による成果としては、鉛による秘匿技術は現在の技術に流用できる可能性があります。一度方法を確立すれば、接着樹脂に工夫を凝らすより遥かに安上がりでしょう。なにせ材料はただの鉛なので。


 今回使用した試料は手紙に添付します。

 滞在用に短期貸しの部屋を借りたので住所を書いておきます。返信の手紙はここに送ってください。


 ルシェ・ネル


 ◇ ◇ ◇


 手紙を書き終え、糊で厳重に留めると、それを内ポケットに入れた。

 帰りに郵便屋に行って出そう。


 さて、さっきからカウンターから見える位置で手紙を書きながら暇をつぶしているのだが、まだ調査は終わらないようだ。

 どのみち最低限の基礎知識を得る必要はあるので、しばらく霊侵術(サイコマンシー)の鉄板入門本を読んでいた。

 おそらく霊能ゼロでこれを熱心に読むやつなんておれくらいだろうな、と思いながら知識と理屈をインプットしていると、”現在セプリグス式プロトコルと呼ばれる、霊体侵入とマッピングにおける形式化された手順法は、現在でも改良の必要性が一つも見られないほど成熟した方法論である”という文章が出てきた。


 どうやら、セプリグスという人は霊体侵入とマッピングという二大技術に対して、現在にまで通じる鉄板の手法を確立した人物らしい。続きを読んでいくと、Aから始めてBをして、DをしてからEをする、みたいな分かりやすい一連の流れが定式化されている。

 感情野の施術をする場合、隣接している感情部がつながってしまう恐れがあるので、BとDの間に混ざり合いを防止するCというプロセスを必ず挟むこと、というような注意書きもある。それを省くと、例えば恋愛感情と憎悪感情を司る部分が隣接していた場合、それが癒着のような現象を起こし、恋愛感情を抱くと同時に憎悪も発露する、というようなことが起こってしまうらしい。

 さらっと怖いことが書いてある。

 わざとCのプロセスを挟まなければ、意図的に事故を起こせるわけだ。つまり、親とか恋人に会った際に感じる親愛の情を、甘いケーキに泥水をぶっかけるように、ぐしゃぐしゃにしてしまえる。

 やっぱ霊侵術(サイコマンシー)って怖いな……。


 そのとき、とんとん、と肩を叩かれた。


「もう夜中ですよ?」


 キェルがいた。


「そうですか……なにか成果はありましたか?」

「ええ、一つだけ論文を見つけました。これです」


 キェルはぺらりと調査報告書と書いてある用紙を差し出した。印刷された用紙の空欄に、手書きで一つだけ番号と論文名が書かれている。


「これは夜帳(とばり)書庫に入っている論文なので、私は読むことができません。要約に書いてあった内容を見る限り、関連はあるはずですが」

「そうですか……分かりました。では、このカードから研究点を支払っておいてください。午前中に一度使ったので、問題はないと思います」


 おれは研究証を手渡した。


「では、お預かりしますね」


 キェルは研究証を持ってカウンターに向かうと、番号を控えてすぐに戻ってきた。


「ご利用ありがとうございました」ぺこりとお辞儀をしたキェルさんから、返された研究証を受け取る。「またお手伝いすることがありましたら、声をかけてください。資料調査の他にも、歴史調査や文章の代筆などもやってますから」

「そうですか。なら、その時はお願いします。あと、この本を借りたいんですが」

「はい。分かりました。ではカウンターのほうで処理します」


 カウンターで本を借りると、その夜は家に帰った。



 ◇ ◇ ◇



 目が覚めると、時刻はもう昼になっていた。

 予習のつもりで読んでいた入門本を読み終えた時、既に朝方になっていたので、少し休んでから出ようと思ったのだが、眠ってしまったようだ……。


 顔を洗って、出かける準備をする。

 夜食に半分食べた堅焼きのパンを掴んで、咀嚼しながら外に出た。


 初めて行く夜帳(とばり)書庫は、究理塔を挟んで向こう側にある。

 そういえば究理塔に近づくのは初めてだ。

 究理塔の周りには、完全な真円を描いてそこそこ広い緑地が整備されている。その緑地に入ってみると、異様な光景が広がっていた。

 木々が地面に植わっていない。全ての木々が、れんがで作られた筒状の花壇に収まっていて、地面より一段高いところから生えている。

 少し歩いていると、れんがを破壊して根っこが伸びている木が多いことに気づいた。ただ、その場合も巨木というほどのサイズにはなっていない。大人が抱きかかえたら、腕で作った輪っかに幹が収まる程度の太さでしかない。


 疑問に思い、ちょっと地面に魔術をかけてめくりあげてみると、地面の五センチほど下には、地層ではないなにか別の、硬い構造物の層があった。

 なるほど、土の層は表面少ししかなくて、その下は根が入れない構造物になっているわけか。だから木の背も伸びないわけだ。


 ということは、円形の緑地の範囲全部にこれが広がっていて、そのもの全てが究理塔の地下構造物になっているのか。

 もしかすると、その構造物に杭を打つことができないから、ここは緑地になっているのかもしれない。建物を建てたとしても、ただ上に乗っかっているだけでは、小さな地震が起きただけで滑ってしまう。

 ……あるいは、杭を打つことで究理塔の構造物が少しでも傷つくのを嫌ったのだろうか。


 知的好奇心が刺激されることしきりで、ひとしきり満たされるまで調べてみたい欲がふつふつと湧いてきたが、今は他にやるべことがある。

 歩みを止めずに天を衝く巨塔に近づいてゆく。自然と頭を見上げ、神々しささえ感じる偉大な建築物に思いを馳せたあと、地面に目を下ろすと、そこには俺と同じように空を見上げている少女がいた。


 魔族だ。


 肌の色は浅い褐色で、魔王族特有の青灰色の肌はほとんど見られない。一見人間のように見えるけれども、髪の毛がクリーム色をしている。濃い肌の色と、薄い髪色の対比が鮮やかだった。

 人間のような見た目をしているが、身にまとっている魔力は、人間と比べると明らかに異質だ。


 さすがは学究都市だけあって、国籍人種の垣根を越えてグローバルなんだな。

 いやー、まさか魔族までいるとは。


 って、んなわけあるかい。

 とはいえ、じゃあこの場で見咎めてなにかしたほうがいいのかというと、別におれはヴァラデウムの警察官ではないので、そんな義務はない。

 霊魂学部の有様を見るに、どこかで捕虜にした魔族を洗脳して置いているとか、そういう理由で合法的に存在しているのかもしれないし……。

 指名手配中の犯罪者をたまたま見つけたみたいな緊張感はあるが、逮捕権もない一般的な市民としては、この場はやりすごすべきだろう。


 少女を見ていると、ふいに上に向けていた視線を下ろし、こちらと目が合った。

 にこっ、と自然な笑みを見せると、こっちに歩いてきた。


「あのぉ~」


 声までかけてきた。


「……なんですか?」

「わたしぃ、中央図書館っていうところを探してて、迷っちゃったんですけどぉ」


 人懐っこい猫のような、気安い喋り口で近づいてくる。

 よく見るとスカートも短いし、髪はアップに纏めていて容姿に気を使っている。

 テレビに出てたギャルみたいだ。


 右手がピクリと動きかけ、おれはすぐに止めた。


「すみませんが、おれも近頃来たばかりなので、土地に詳しくありません」


 この位置関係で普通に教えようと思ったら、剣を持つ利き手であらぬ方向を指差さなければならない。それが嫌で、とっさに嘘をついた。


「そぉなんだ。じゃ、他の人に聞いてみるね」


 ひらひらと手を振って、少女は体の向きを変えた。


「そんなに身構えなくても、襲いかかったりしないのに……」


 口元にうすく笑みを作りながら、少女はそう言って去っていった。


 ゆるゆると警戒を解いてゆく。

 なんだったんだ。

 なんというか、言葉に言い表せないプレッシャーというか……立ち振る舞いの隙の無さを感じた。

 仮に抜き打ちに斬りかかっても、たやすく斬り伏せられない予感というか……そのまま物凄く厄介な戦闘になだれこんでいきそうな……。


 まあいいか。彼女がここでなにをしようと、どうせおれには関係ないことだ。

 そう思いながら夜帳(とばり)書庫に足を向けるが、体に残った緊迫感の残滓はなかなか消えなかった。



 ◇ ◇ ◇



 夜帳(とばり)書庫は、中央図書館と同じように作られた森の中にひっそりと建っていた。

 中央図書館より背は低いが、相当大きな建物だ。所々スリットのようなものがあるだけで、窓は一切、一つもない。まるで、暗色の箱のような格好をした、異様な建物だった。


 入り口と思しきドアから中に入ってみると、ぴかぴかのタイル貼りでできた部屋に窓口があって、そこには女性が座っていた。

 年齢は三十歳くらいだろうか。おかしなメガネをかけており、右目のレンズは、フレームの中の、つまりレンズの中の顔の形が見るからに小さく見えた。つまり、相当に度の強い近視用の眼鏡ということだ。

 そして、左目には真っ黒な煤ガラスがはめこんである。おそらく、サングラスの目的でそうしているわけではないだろう。


 目を除くと全体的にお姉さんっぽいおっとりした雰囲気で、髪はアップにまとめていた。


「こんにちは。論文を閲覧したいのですが」

「はい。では、こちらで研究証をお預かりします」


 俺が研究証を差し出すと、お姉さんは大きなルーペのついた拡大鏡の下にそれを入れ、番号を見て、それを控えた。

 返却されると、


「論文名などは分かりますか?」

「はい。あの……失礼かもしれませんが、読み上げたほうが都合がいいですか?」

「そうしていただけると、少し助かります」


 お姉さんはわずかな微笑みを浮かべながら言った。


「03の0501、3923。ゲレド・テスラ氏の論文です」

「はい」


 そう言うと、お姉さんはなにやらレバーを上下に操作する奇妙な機械を操作しはじめた。

 五、六回往復させると、機械から無数の穴が空いた紙を取り出した。どうやら、事務用品でよくある、紙に二つの穴を空ける穴あけパンチを複雑にしたような機械らしい。


「では係の者に伝えてまいります。そこの椅子でお待ち下さい」


 お姉さんは奥に進む暗い廊下に入っていき、姿を消した。

 なんともまあ……。


 椅子に座って待っていると、一分ほどしてお姉さんが帰ってきた。


「もうしばらくお待ち下さい。資料の用意ができましたら、鐘の合図があります」

「そうですか。あの……よろしければ、待っている間にいくつか質問をさせていただいても構いませんか?」

「はい。答えられることであれば」

「おれはなにも知らされず、資料があるとだけ言われてここに来たのですが、この施設は目の見えない方々が運営しているのですか?」

「はい。その通りです」


 やはりそうか。でなかったら、あんな穴の空いた奇妙なメモを作るはずがない。

 普通に、文字に番号をメモる……というか、おれの持ってきた用紙をそのまま渡せばいいだけだ。

 穴を開けたのは、点字と似たような機能で、触って分かるようにそうしているのだろう。


「では、あなたも……」

「……はい。私の視力は、徐々に低下しています。左目は五年前から見えておりません。右目もあと数年以内には、ほとんど見えなくなると宣告されています」


 左目だけ黒いレンズをはめているのは、病気が目の見た目に影響を及ぼしているからかもしれない。


「そうなんですか……大変ですね」

「いいえ、私は運がいいほうです。完全に光を失う前に、ここに来られましたから」


 はて?


「どういう意味です? ここなら仕事があって、食べていけるということですか?」


 この図書館が目の見えない人によって運営されているのは、文字を読むことが不可能だからだろう。

 悪い言い方かもしれないが、司書が字を読めなければ、読むこと自体が有償の書籍を管理するには都合がいい。逆によい言い方をすれば、その仕組みはこの人たちに雇用を生み出しているといえる。


「もちろん、それもあります。私が生まれたところでは、目が見えなくなったら……まあ、大変な人生が待っていましたから」

「そうなんですか……それなら、ここに所属できたのは幸運でしたね」

「はい。皆が同じ境遇なので快適ではあります。ですが、私にとってはそれ以上に大事なことがあるのです。ここでは、目の代わりになる魔術が学べるのです」


 目の代わりか。


「音波ですか?」


 おれがそう言うと、お姉さんはガタッと音を立てて立ち上がった。


「……なぜそれを?」

「すみません。この部屋も廊下も、やたらと大理石が使われているようなので……そう思っただけです。わざと音波が反響しやすい素材にしているのかな、と」


 この部屋は、全ての壁がツルツルとした大理石で作られている。床もなめらかな大理石だ。逆に、天井は毛羽立ったような厚みのある壁紙が貼られている。

 天井だけそうしているのは、測位する必要がないからだろう。

 いわゆる、反響定位(エコーロケーション)というやつだ。コウモリがやっていて、熟練を要するが、人間でも口と耳を使って似たようなことができるらしい。


「でも、その手の魔術はかなり難しい――というより、習得に根気と時間を要するはず。誰しもができるものではないでしょう」


 可聴域の音波を使うにしろ、超音波を使うにしろ、人間の常識的な感覚でいうところの聴覚を超越した、新たな感覚を開拓する必要がある。

 もちろん単純に魔術としても難しいし、人間に本来備わっていない感覚なので、従来の五感で生きている脳みそと折り合いをつけなければならない。お勉強というよりは長期にわたる瞑想が必要となり、新たな世界観に自己を馴染ませてゆくような種類の魔術になりそうだ。


「……その通りです。少なくとも数年がかりの習得になりますので、家庭教師の魔術師に教えてもらえるようなものではないのです」

「それはそうでしょうね」


 不可能ではないかもしれないが、お抱えで何年も魔術師を雇える大金持ちでなければ無理だろう。


「でも、本当に習熟した人は、目の見える人と同じように、野外の人混みの中でも正確に歩けるんですよ。そこまで至るのはとても大変なのですが、私も完全に失明する前に、目を閉じて外を歩ける程度にまで習熟したいと思っているんです」


 やはり野外と人混みがネックになるんだな。


「素晴らしい技術ですね。真に人類のためになるような……。是非、頑張ってください」

「はい。そうするつもりです」


 そのとき、カーン、と鐘の鳴る音が聞こえた。


「準備ができたようです。こちらにどうぞ」


 おれは案内をされて、奥に設けられた小部屋に入っていった。


いつもお読みいただきありがとうございます!

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よろしくお願いします<(_ _)>

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― 新着の感想 ―
[良い点] >恋愛感情を抱くと同時に憎悪も発露する 最初から読み返したらベレッタの伏線みたいなの書いてあったことに気付いた
[良い点] しれっと各所におれつえが散りばめられていて、 読んでいて優越感、爽快感がありますわ。 ンギモッヂィイイイイイイイイイイイイ [気になる点] 音波を極めれば風使いになれかな? あるいは飛ぶ剣…
[良い点] 相変わらず世界観の作りこみが素晴らしいです、引き込まれます。
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