第042話 聖剣解析
「キェルさん、ちょっとお聞きしたいんですが」
おれは図書のカウンターに行くと、まだ残っていたキェルに声をかけた。
「どうしましたか?」
「本を探しているんです。ちょっとややこしい条件があって、自分で探すより司書さんに聞いたほうが早いのではないかと思いまして」
「なんでしょう?」
「一七五二年以降に著された不死化に関する本ってありませんか? 不死業でもいいんですが」
一七五二年は、セプリグスが霊魂学部長を退任した――つまりは、学者を引退した年だ。
もし一七五二年以降にその研究をした者がいたとすれば、著された本は自然とセプリグスの研究を踏襲したものになるだろう。もしそんな本があれば、本人の研究を読むより手っ取り早く成果の全体像を掴むことができる。
「……申し訳ありませんが、そういった調査は有償での提供になってます。別館や書庫を含めると百万冊以上の蔵書があって、調べると司書が丸一日以上拘束されることになってしまうので」
あ、そうか。蔵書検索でパッと、ってわけにはいかないんだ。
蔵書の一覧ファイルや要覧みたいなものを捲って人間の目で調べていくしかないわけか……。
「有償って、いくらです?」
「基軸金貨一枚です」
円に直すと二万円ってところか。
昔だったら超びっくりして逃げるように立ち去っていた価格だけども、払えないことはない。
「ちなみに、研究点での支払いってできないんですか?」
「研究点だと三点です」
「えっ」
たった?
「それでも結構するでしょう? だから、お勧めはできかねます」
二万円がたった三点なの?
研究点での支払いのほうがレート的に有利になってるんだろうけど。
じゃあ一万六千点だと相当な金額になる。言いふらしたら間違いなくトラブルが舞い込んでくる額だ。
しかし、あんな短い論文一本でそんなに稼げるのか。意外と夢のあるところだな。
「研究点で支払いたいんですが、明日からしか使えないみたいなんですよ。金貨で払わないとダメですか?」
おれは研究証を見せた。
「えっ、その歳で三級魔導司なんですか。あっ、有効期限が……そうですか……」
キェルは少し悩んでいる様子だった。
「まあ、いいでしょう。どうせ私が担当しますし、後払いの処理にすれば問題ありませんから」
「それじゃ、明日来ればいいですか?」
「そうですね……なら、午後四時以降に来てください。運が良ければ、その頃には終わっていると思います」
「分かりました。どうもありがとうございます。よろしくお願いしますね」
お礼を言って立ち去った。
普通だったら、研究点で払うにしても担保として金貨一枚は置いていけというところだ。
その発想が頭をよぎらなかったわけでもないだろうに、人がいいというか……親切な人だな。
◇ ◇ ◇
翌日、キェルさんの調査が終わるまで図書館で調べ物をしてもいいのだけれど、どうしても興味のあることがあったので、少し寄り道をしてそっちを調べることにした。
付呪学部の学部までに歩いてゆくと、おれはカウンターにいたお姉さんに、
「すみません、研究点で設備を借りることができるって聞いたんですが、そういうのってできますか?」
と尋ねた。
お姉さんは、
「きみが借りるの?」
と、ニッコリとした笑みを浮かべて尋ね返してきた。
あー、子供好きなタイプか。
「はい。やっぱりそういうのって、研究室長と個人的に友達にならないとだめだったりします?」
「そんなことはないよ。でも、結構かかるから」
「百点以上ですか?」
「まさか。そんなにはしないよ」
「それなら払えるので、えーっと、呪紋解析台を使わせてください」
「じゅもん、かいせきだい、ね」お姉さんは復唱しながらメモ用紙に書いていった。「じゃあ、貸してくれる研究室を探してくるね。ちょっと待っていて」
ああ、そういう仕組みなのか。
今から忙しくないような研究室を探すのね。
二十分ほどすると、お姉さんが帰ってきて、オッケーとハンドサインを出してきた。
おいでおいで、してきたので、ついていく。
そのまま三階までついていくと、たどり着いたのは学校の教室のように区切られた一室だった。中はあんまり整理されておらず、ごちゃごちゃしている。
あんまりよくないと思うが、モノづくりの研究室が多少ごちゃごちゃするのは仕方ない部分もあるのだろう。
中に入ると、白髪のおじいさんが現れた。
「エミールさん、こちらの子です」
「きみかい。若いね」
と、おじいさんは侮る様子もなく言った。
「はい。ちょっと調べたいものがありまして。呪紋解析台を使わせてください」
「ああ、いいよ。壊さんようにしてくれれば」
「おいくらになります?」
「無料でもいいが……まあ、じゃあ一点だけ貰おうかね。払えるかい」
「これでも三級魔導司なので、三点くらい支払わせてください。その代わり、研究内容は共有できません。秘密にさせてください」
「三級……?」
おじいさんは訝しむような顔をした。
「もしかして、きみはルシェという名前かね」
なぜおれの名を。
「……どうして知っているんですか? まだ名乗っていないはずですが」
「どうしてもなにも、きみは天文学の有望研究を出した有名な少年だろう。やっとヴァラデウムに来たと噂になっとるよ」
「ああ、そうなんですか」
面倒くさいな。
まあ、多少評判になる研究じゃなかったら、あんな点数がぽんと入ってるのはおかしいか。
「天文学部に行かなくていいのかい。連中、話を聞きたがっているだろう」
「うーん、今は急ぎ、やらなければいけない別の研究があるので」
ていうか停滞した学問を何十年もやっている連中なんて興味がない。
「そうか。まあ、事情があるなら仕方がないな」
「じゃあ、さっそく使わせてもらえますか」
「もちろんだ。入りなさい」
「あっ、案内ありがとうございました」
おれはぺこりとお姉さんに頭を下げると、研究室に入った。
◇ ◇ ◇
「それで、何をするのかね」
「とある魔法剣の呪紋を解析します。まあ、たぶん無理なんですが。かなりの高級品なので」
「ああ、そうなのか」
付呪具というのは魔導回路によって造られているわけだが、それは完成品を丁寧に分解すると中身を見ることができてしまう。この世界には国際的特許制度なんてないので、そしたらよその工房にパクられてしまうわけだ。
なので、高価な付呪具は普通、それを防止するための工夫が施されている。
「じゃあ、ちょっと机を借りますね」
おれは背負い袋から剣の柄を取りだした。
バルザックが持っていた聖剣だ。
「根本から折れてしまっているのか」
「ええ。なので遠慮なく壊せるというわけです」
折れているわけではないが、肝心の流体金属が小瓶に半分も回収できなかったので、どのみち再び実用することはできない。
「解体するなら、こっちにもっといい道具があるよ」
おじいさんは回転刃のついた切断工具のほうを見た。
「いえ、ここでいいんです。自前の魔術のほうがよく切れるので」
おれは、一番伸びている右手の人指し指の爪を変質させ、最初にまとまった数の炭素繊維を毛髪程度の太さで作り出した。
それを左手で摘み、最初だけくるくるとねじりながら融合させていき、あとは限りなく細いナノメートル単位の糸を繰り出してゆく。
不思議な感じだった。目に見えない糸は、そこに存在しないかのように思われるのに、張力だけはちゃんとある。蜘蛛の糸のように儚く千切れてしまいそうな気がするのに、軽く張った程度では切れない。
机の上に寝かせてある剣の柄を右手と左手の間に挟み込むようにし、指の腹で高さを調節してから高周波をかけ、お腹側に引き寄せてゆく。
糸は剣の柄に抵抗なく入り込み、特に異常なく反対側に抜けた。
「それは、何をしたのかね?」
当たり前だが、おじいさんは分かっていないようだ。
「切断しました」
柄の上辺を持って引き上げると、柄がずれてわずかに断面を晒した。
「……素晴らしい技術だな。見当もつかんが、糸でも使ったのかね」
おそらく、ワイヤーで粘土を切るような仕草をおれの動きから連想したのだろう。
「はい、そうです。ちょっと工夫が必要なんですが」
「皆がそれを使えば、今の加工技術に数段の進歩が生まれるだろう。術式は――教えてはもらえんだろうね」
「うーん……というより、他人に説明するのは難しいんです」
そもそも、この人に理解させるには、元素や分子についての知識から説明しなくてはならない。爪の組織の組成を詳細にイメージし、さらに糸の分子構造、原子を構成する素粒子のふるまいについて、ある程度正確にイメージできていないと、この術はできない。
それはつまり、他人に教えるには幾つかの科学大系を丸々……一から伝授しないといけないということだ。ちょっとおれには荷が重い。
「感覚的な部分がかなり大きい技術なので……多くの人ができるようになる類の術ではないと思います」
と、おれは言葉を濁した。
「そうか……残念だが、仕方がないな」
「はい。あと、本当に申し訳ないんですが、ここからは見ないでいただけますか。研究に係わる分析なので」
「分かっとるよ。まあ、論文を楽しみにしておこう」
「ええ。ですがまあ、さっきも言いましたが期待薄なので……なんの収穫も得られないと思います。当然ですが、失敗に終わっても研究点はお支払いしますので」
「ああ。それじゃ、頑張りなさい」
おじいさんはこちらに背を向けて、自分の椅子に戻っていった。
聖剣の内部の構造はさすがに見せたくない。
聖剣をずらして柄を開いてみると、円筒形の空洞の中に細長い四角柱の塊が入っていた。周囲のわずかな隙間には、透明な樹脂が充填されている。
現在の魔法剣と構造的には同じだ。工房によって四角柱のところが六角柱だったりすることはあるが、根本的なところは変わらない。
その周りの半透明の樹脂は、衝撃を吸収するためのものだ。魔法剣は特に乱暴に扱われる道具なので、こういった工夫がないとすぐ壊れてしまう。
半透明な樹脂を爪の先で押してみると、硬質でありながらわずかに弾力性のあるポリマーのような感触がした。
やはり飛び抜けて優れた素材だ。
中の四角柱は、呪紋核と呼ばれるもので、細やかな魔導回路が書かれた薄い板が重なって層を為し、層同士が多数の導線で繋がって一つの巨大な回路になったものだ。
構造としてはパイ生地やミルクレープのような形をしている。つまり付呪具の回路を解析するためには、パイ生地の層を一枚一枚剥がして回路を見ていけばいい。
だが、作った側はそれをされたくないので対策が施されている。
それは、層と層を単純に貼り付けるのではなく、魔力を通さない接着剤のような塗料でくっつけてしまうという方法だ。引き剥がそうとすると回路が滅茶苦茶になってしまい、元の姿を確認することはできなくなる。接着剤が透明だと、おれが今やったような方法で丁寧に層の間を切断すれば回路を確認できてしまうので、接着剤は黒い色になっている。
そういうわけで、呪紋核は大抵、真っ黒の樹脂の塊みたいな見た目をしている。
その構造は聖剣でも現在の魔法剣でも同じで――というか、昔聖剣を一個壊して構造を解析した人がいて、それから構造が世に広まったらしいのだが、共通している。
しかしながら、そんな対策を打たれても、なんとか見てやろうと考えるのが人間というものだ。
そこで呪紋解析台の出番になる。
呪紋解析台には強力な照明と拡大鏡がついており、試料を固定することができる。
樹脂が黒いんだから無理なんじゃないの、という話になるのだが、そこは材料の限界があって、表面上は黒く見えても極限まで削って薄くすると透けて見えてくる。特に、煤を混ぜただけのような低品質な樹脂だと、薄くしていくと簡単に透けてしまう。
呪紋解析台は、細かなヤスリで表面を削りながら、強力なライトで照らして、拡大鏡で透け具合を確認しつつ回路を読み取るという、まあ……なんというかちょっとズルをするための台だ。
イーリのところの工房で使われてる樹脂なんかだと、やっぱり高品質なので難しいのだが、それでもとんでもない手間と時間をかければ無理ではないらしい。
おれは聖剣をもう一度、自分の手の感覚で限界ギリギリまで薄くスライスして、板を作った。
それを呪紋解析台に持っていき、顕微鏡のプレパラートを乗せるようなところにセットした。
そして下にある強力な魔術灯火を作動させる。
これで黒く塗った紙程度なら光が漏れてくるのがわかるのだが、やはりというか、案の定完全に光を遮断しており、なにも変わらなかった。
古い本によると、聖剣の樹脂はやはり最高で、過去の研究者たちはどう頑張っても回路を見通すことはできなかったらしい。
おれはそこで、可視光以外の波長域で確認してみた。この樹脂は可視光外については対策がずさんで、イーリの工房の接着剤でも簡単に透けて見えたので、聖剣でも見込みがあるのかと思ったのだ。
すると、意外とザルで、反対側から照射された光が透けて通ってきた。
存外、他愛もない。これで神族の技術を分析できる。
呪紋核の層は、丁字をした柄の鍔と平行になっていたので、今の試料はほぼ層と並行になっている。
今までは端っこに残っていた樹脂の端材のような部分で透過性だけを調べていたのだが、さていよいよ回路を調べてみるかと思い試料を移動させた瞬間、シャッターを下ろしたように光を通さなくなった。
は?
じゃあ、回路が書き込まれている層自体が光を遮ってるのか。それなら、上から見ればいいだけのことだ。
だが、上から光を当てて見てみると、のっぺりとした層があるだけだった。
樹脂は透けて見えているのに、その奥にはなにもない。
ええ……。
拡大して見てみても、回路などまったく見えない。
半導体集積回路みたいな、電子顕微鏡でしか見れないような、原子数十個レベルの細かさでやっているのだろうか?
いや、たしかに細ければ細いほどいいという箇所もあるが、主導通線は大容量の魔力が通るから最低限これという太さがある。この倍率で見てまったく回路が影も形もないなんてことは考えられない。星鱗由来のインクを遥かに凌駕する性能のインクを使っていたとしても、細かい模様があることくらいは分かるはずだ。
それとも、樹脂が真っ黒いのはオマケみたいなもんで、回路表面にメッキみたいな形で金属層を乗せて、回路を隠しているのだろうか。
ありえる。
だが、そうなると魔力を通さない金属でないと回路が全部短絡してしまう。
あー……そうか。
鉛か。
鉛は魔力を通さない。
してやられたのに、心の中では天晴と快哉を上げていた。
一石二鳥の実にいい技術だ。回路表面を完璧に絶縁できるし、鉛には放射線を遮蔽する性質があるから、これ以上ないほど有効な秘匿技術になる。
難点は鉛自体が重いことくらいだが、めっきに使う程度ならせいぜい数グラムの重量増で済むだろう。
あー、お手上げだ。
いやー、すごいな神族。
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