第038話 研究点口座
エレミアの視線は、おれが腰に佩いている、身長に対してやや長すぎる剣に注がれていた。
「それはゲオルグの聖剣だな。一緒に暮らしていたことは聞いているが、なぜ今お前が持っている?」
「ゲオルグはおれの剣の師匠です。譲り受けました」
「ありえん」
エレミアは断言するように言った。
「やつが聖剣を手放すはずがない……貴様、盗んだのか?」
表情が変わってきた。ややこしいことになってきたな。
「譲り受けた、と先ほど申しましたが」
「馬鹿なことを言うな」
エレミアの表情からは猜疑心が滲み出ている。
表情も、友好的に緩んだ顔から、目を細めたきつい表情に変わっている。
「――いや、絶対にない。やつが剣を手放すなど、天地が転んでもありえん」
おれを睨むように見ながらぶつぶつと言っている。
困ったことになった。ゲオルグが死んだことは話したくないし、言ったところで信じないだろう。
「仮におれが盗んだとして、それならイーリの知己であるあなたのところにわざわざ来て、その支配下の都市に長逗留しようとしますかね」
「………」
ずっとおれを睨んでいる。
「少なくとも、イーリはこの件について承知していると考えるべきでしょう。彼女がゲオルグのことを裏切って、彼の意に反することを見逃すとでも?」
言うまでもないが、そんなことは絶対にありえない。
「貴様に言われんでも、そのくらいのことは分かっている。だから、ありえんのだ。やつが貴様のような子供を弟子にするわけがないし、聖剣を譲るなどそれ以上にありえん」
「……うーん、それなら、議論になりませんね」
そもそも、ゲオルグに対する印象がおれとはだいぶ違うようだ。
おれが知り合った時のゲオルグは、すでに剣神に勝つことを諦めて、技量を維持するための修行すら止めていた。現役のころと比べれば、性格もかなり丸くなっていたはずだ。
エレミアの心象の中にいるゲオルグは、おそらく何も諦めていない、強さだけを求める狼のようだった現役時代のゲオルグだろう。
そりゃ、その頃のゲオルグであれば、一年以上も一箇所に逗留してのんびりと弟子に剣術を教えるなんてありえなかっただろうし、ましてや聖剣を他人に譲るなんてことは絶対にありえなかっただろう。剣神と戦う時に使うんだから、手放すはずがない。
「まず、貴様がそれを手に入れた経緯を話してみろ」
「それは嫌です」
「あ? なんでだ」
説明を拒否られて、エレミアは一瞬唖然とした表情をしたあと、また厳しい目で睨んできた。
「やましいことでもあるのか?」
「理由は三つあります。一つ、そもそも他人に話したくないから。二つ、秘密にすべきことが多い話を、あなたが知るべきかどうか分からないから。三つ、それを押して話したとしても、あなたはおれの話を信じないだろうから。以上の理由から、この場で話すのは嫌です。イーリに訊くのが、あなたが最も納得できる回答を得る手段だと思います」
そもそも、おれはエレミアがゲオルグとどの程度の関係だったのか知らない。戦友と一言で言っても色々あるだろう。本当に深い親友のような関係であったのなら、死の真相も知るべきだと思うけれど、その辺りの関係性の知識がないのだから、イーリに決断を委ねたほうがいい。
それに、おれは自分を疑ってかかっている相手に対して、あの日の出来事をつまびらかに説明するのは嫌だった。
「……ならばそうしよう。だが、その剣は一時俺が預かる。ここに置いていけ」
なにをいいだすんだ、この人は。
「嫌です」
「また嫌か」
「あなたはおれを侮辱しているんですか?」
腹がたつ。そもそも、おれがこの剣を譲られた経緯に恥を感じるべき点は少しもない。
「侮辱などしていない。ただ、イーリに連絡をして確証が取れるまで、いっとき剣を預けろと言っているだけだ。別に、この都市に逗留するつもりなら構わないだろうが」
「いいや、侮辱している。あなたは何も解っていない」
もー頭きた。
「気軽に預かるというが、剣神が回収に現れたら、あなたはこの剣を守るため戦う覚悟はあるのか?」
おれがそう言うと、エレミアは不意を打たれたような顔をした。
剣神が回収しにきたら、という状況を想定していなかったのだろう。
この剣はゲオルグが賜ったものだ。剣神は、あくまで剣を与えた一人、一代限りの所有しか認めない。譲られた経緯など関係なく、ゲオルグが所持していないのなら遠慮なく回収していく。
「おれはその覚悟を持ってこの剣を佩いている。もし剣神が現れたら、その場で戦って勝負を決する。それがゲオルグの一番弟子として、剣を託された者の覚悟だ。それを手放し、預けろだと? どうしてもそうしたいなら、ここであなたの覚悟をみせてもらおう」
自分の頭に血が登り、燃え立つような戦意が湧いてくるのがわかった。
いつでも戦いを始められるよう、左手の中で魔術を組み立てはじめる。
周囲の空間に殺気がみなぎっていく。
「――俺に勝てると思っているのか?」
エレミアはおれを侮っているのか、挑発するように言った。
この距離なら剣士のほうが圧倒的に有利だ。相手がどんな手練だろうが、この距離で勝てないならゲオルグの弟子など名乗るべきではない。
そのとき、コンコン、とノックがされた。
背中に味方がいる。撃てない。
その判断が脳裏に閃光のようによぎった瞬間、おれは一瞬だけ光を乱反射させる膜を展開し、同時に斜め右前に飛び上がった。
右前はエレミアにとっては左前だ。エレミアのペンは右側に置かれている。人間は利き腕ではない側から攻められると反応しにくい。
空中で反転して天井に足をつく。滞空中に畳んでおいた足を弾けるように伸ばし、跳弾のような鋭角を描きながら、机を挟んだエレミアに斬りかかった。
「待て!」
エレミアの声が聞こえたが、剣を止めるのは間に合わなかった。
ガタッ、と音がして部屋のドアが開け放たれる。そこには、先程顔を合わせた秘書の人がいた。
「キャ――」
と、悲鳴が響き渡るかと思った刹那、その音が急に途絶えた。
エレミアの魔術が空気を遮断したのだ。
一通り叫び終わった後、エレミアは魔術を解いた。さすがに本物だ。このくらいのことは息をするようにやってのけるか。
「何事もない。黙って仕事に戻れ」
「でっ、でも」
「俺が大丈夫と言ったら、大丈夫なんだ。警備に通報する必要もない。とにかく戻れ」
「は――はい……。分かりました」
刺客か暗殺者としか思えない人間に学長が襲われ、肩筋に剣を置かれているという状況に戸惑いながらも、物分かりのいい秘書は言われたとおりドアを閉じた。
「降参だ。もうそれを取り上げるなどとは言わん。剣を引いてくれ」
「――そうですか」
おれは肩に軽く沈み込んだ聖剣を引き、鞘に戻した。声が聞こえた瞬間、通していた魔力を切ったお陰で、服一枚切断していない。
「恐ろしい奴だな。本気で俺を殺そうとしたのか」
エレミアは正気を疑うような目でこちらを見ている。
「ゲオルグから、誰かと戦う時は躊躇なく殺せと教わりました。もし手加減をするなら、実力差を見誤るなとも。あなたは手加減をして勝てる相手とは思えませんでしたから」
「ゲオルグの弟子というのは事実なようだな……信じられんが、まあ、信じるほかない」
敵対する感じではないし、今日のところはすぐに立ち去ったほうがいいだろう。
おれは机の上に落ちていた紹介状をさりげなく懐に入れた。
「おい。言い忘れていたが、お前の研究点口座はイーリが既に作っている。それなりの点数が入っているはずだ。自由に使え」
「了解しました。それでは、失礼します」
研究点口座?
聞き覚えのない単語に疑問を抱きながらも、この場で呑気に聞き返すのもはばかられるので、おれは部屋を後にした。あとで調べよう。
◇ ◇ ◇
大きな地図が描いてある案内板で、霊魂学部の学部棟の場所を調べた。
どうも学校施設や研究施設がほぼ網羅されているっぽいのだけれども、やはりというか霊魂学部は相当小さい。
火や氷、風や土を操るような――つまり、魔法と言われたときに最初に思い浮かぶような、現実に現象を起こす魔導分野のことを全部ひっくるめて現象学というのだが、やはり圧倒的に大きいのはそこのようだ。学部長のエレミアが学長を兼任しているのも分かる。広めの実験場などもあり、敷地面積を比べると軽く十倍くらい差がある。
おそらく究理塔を管理している天文学部は話が別なので置いておくとしても、現象学部の次に大きいのは付呪学部だ。言うまでもなく、これは魔導工学など、付呪に関する研究をするところだろう。イーリからは、世界で有数の工房の一つを運営していて、ヴァラデウムでは外貨の稼ぎ頭になっていると聞いた。
ヴァラデウムでは、現象学、付呪学、天文学、霊魂学の四つが主要学問としてあって、その下に細々とした学部が枝分かれしているようだ。歴史学などは、魔導歴史学と少し名を変えて天文学部の下に収まっているが、物理学とか法学みたいな学科はないらしい。そういう慣れ親しんだ学問がないのは寂しいが、ひょっとしたら自由科目として講師が教えたりしているのかもしれない。
先程の件を少し反省しながら、とぼとぼと歩いて霊魂学部の学部棟にたどり着くと、受付係のお姉さんにアポイントメントのお願いをした。そこから人が走っていき、ヘルミーネ氏の秘書と思わしき人が現れた。奇妙なほど無表情な彼女といくつかの会話をし、夜遅くのアポイントメントを取った。
それが済むと、時刻はもう午後二時を回っていた。
さすがにお腹が減ってきたので、軽食を摂れそうなカフェに入り、適当なセットを注文した。
簡単なジャムトーストとお茶のセットをぱくぱくと平らげ、食事を済ませると、すぐに席を立った。のんびりと落ち着いている時間はない。
エレミアの言い方から察するに、この都市には独自の運営制度がある。イーリも、この都市では知識は知識で購う伝統があるとか言っていた。おそらく研究点なんたらというのは、そのための制度ではないだろうか。
そもそも、おれはイーリと別れてから一直線にここに来た。なので事前知識がまったくない。きちんとした入学や卒業の制度があるのかすら知らない。
とにかく、どこか事務局のようなところにいって尋ねてみるべきだろう。
会計を済ませてから店を出ようとすると、カウンターでなにやら一悶着が起こっていた。
「すみません、今から家に戻ってお金を取ってきます」
「そう言われてもねえ」
おばさんが渋面を作って、若い女性客を見ている。
「なら、この本を質に置いていきます」
女性客は手に持っていた本を胸の前で見せたようだ。
本といえば、そう高くはないがそこそこの値段はする。一食分の料金のカタくらいにはなるだろう。本当は貴金属の指輪とかがいいんだろうけど、後ろから見た限りでは飾り気のない三つ編みの女性なので、そういう装飾品は身につけていなさそうだ。
「あんたそれ、図書館の本じゃないか」
じゃあだめだ。
「ああ、そうでした……どうしましょう。めがねを外したら歩けないし」
「あのー」
おれは後ろから声をかけた。
「すみませんね、お客さん。先に会計させていただきます」
「そうでなくて、そちらのお嬢さんはここらで学生をやっていらっしゃるんでしょうか」
お嬢さんと声をかけられた少女は、こっちを振り向き、更に年下の子供であったことに驚いた様子だった。
端整な顔だちに、度の低い眼鏡をかけている。
「はい。たしかに学生もしていますが……」
「家まで戻ってお金を取ってくるって、さっきおっしゃってましたよね。なら、その時間を買わせてくれませんか?」
おれがそう申し出ると、女性はきょとんとした顔をした。
学生をしているのであれば、当然ながら制度に関して最低限の知識は持っているだろう。
「ここの料金はお支払いさせていただきますので、少しの間おれの話につきあって質問に答えていただきたいのです。まあ、三十分もあれば済むかと思います」
事務局などの場所を調べて質問に答えてもらったら、どうせすぐ一時間や二時間は過ぎてしまう。喫茶店の飲食代程度で済むのであれば、そちらのほうが安上がりだ。
「どちらにお住まいなのか存じませんが、家に帰って戻ってくるとなったら、三十分くらいはかかってしまいますよね?」
「……こちらとしては構いませんが。新手のナンパではありませんよね」
ナンパ?
一度辞書で読んだきりの単語だったので、一瞬思い出すのに時間がかかった。いわゆるガールハントの類義語であるところのナンパか。
「違います」
心外だ。
でも状況的にびっくりするほどそのまんまだ。
自分でも驚いた。これが俗に言うナンパか。いやナンパじゃないけど。
「なら、お言葉に甘えさせてください」
「では、会計を一緒に――と、飲み物を、コール茶で構いませんか?」
コール茶は、焼茶というコーヒーの親戚のようなカテゴリのお茶の一つだ。
「ええ、構いません」
「コール茶二杯分、前払いでお支払いします。席をお借りしますね」
おれは改めて席に座り直すと、対面の席を手で示した。








