第037話 枢機の都
第一部の話を忘れてしまってついていけないという方は、
第36話 第一部キャラクター紹介・用語集
を参考にしてください。
それでは、続きをどうぞ。
枢機の都ヴァラデウムのある地域は、山というほど険しくはない、低い丘陵が連々と続いているような土地だった。
丘陵と丘陵の間に抱かれるようにして盆地が広がり、山に遮られることのない陽の光が、豊かな田園地帯をさんさんと照らしていた。
盆地には点々と、人々が集まって暮らす農村が散らばっている。丘陵の南に面した斜面には、決まってぶどうのような果物を栽培する果樹園があって、お酒を作るのが地場の産業らしい――そんな牧歌的な土地で、峠と呼ぶほどでもない上り坂を登ってゆくと、頂点に差し掛かる前からそれが見えてきた。
丘の稜線の向こうに、白い陶器でできた楊枝のような物体が青い空を突き刺すように伸びている。登るにつれ、その針は長さを増していった。
そして、稜線に立って盆地を見下ろすと、その全貌が見えた。
広々としたおにぎり型をした盆地の中央に、遠近感がおかしくなるような白亜の塔が伸びている。今立っている丘も地面から測ればそれなりに高いはずだが、塔の高さがそれを越えているものだから、頂点を見るには目線を少し上げなければならなかった。
塔といっても、そのシルエットはものすごく細い。居住用のビルのような施設ではないことは知っていたが、先端につれて細くなっているので、遠くから見ると刺剣が屹立しているように見える。
究理塔――たしかに、これが街のシンボルでなかったら、なにがシンボルになるのだというくらい、印象的な建造物だ。
塔の周りには円状に緑が配され、塔をドーナツのように取り囲んでいる。市街地はその外側に広がり、外周はやはり真円の形状をした城壁で囲われている。
つまり、塔を中心として何重にも円を描くように、森、市街地、城壁……と構造物が広がっていた。なんらかの美学にもとづいているのか、枢機の都ヴァラデウムは歪さのまるでない、綺麗に整えられた計画都市だった。
大都市というものは、水利を考えて川の近くで発展し、流れや地形の都合に合わせていびつな形になっているものだが、ヴァラデウムにはそもそも川がなかった。
川はずっと西の方に流れていて、ヴァラデウムには山の方から水道橋が接続されている。三本の水道橋から供給された水は、都市内にいくつかある溜め池に貯水され、最後は生活排水として西の川に棄てられているようだ。
なんにせよ、おれはイーリの不死業を解く術をあの都市で見出さなければならない。
あそこは、少なくとも人間種の領域では、この世で最も進んだ魔術の研究都市なのだ。
◇ ◇ ◇
道なりに市門をくぐってみると、すぐに他の都市と毛色が違うことに気づいた。
ここまで来るまでに通ったいくつかの都市では、市門の通行を管理しているのは鎧を着た物々しい兵士だった。しかし、ここでは役人然とした入国管理官のような人たちが案内している。
イーリの紹介状を見せると、いくらかやりとりがあり、手荷物検査などをされて、正直には説明し難い物品ばかりだったので言葉を濁したけれども、紹介状の信用があるからか、わりとすんなりと通してくれた。
市内に入ると、まずは馬を預かってくれる宿を探した。市門のそばに旅商人向けの宿があったので交渉をはじめると、二言目には馬を手放すことを勧められた。
どうやら、こういった宿の馬房というのは仮に馬を繋いでおくためにあって、長期宿泊の間繋いだままにしておくものではないらしい。
旅の途中の一日か二日の投宿で繋いでおくのは構わないが、馬をろくに運動もさせず一ヶ月も繋ぎっぱなしにしておくのは虐待と一緒なので、郊外にある馬場を備えた牧場に預けて管理してもらう必要がある。しかしそれだと当然、その間の世話代や餌代がかかるので、長期滞在するつもりなのであれば、一度手放して必要になったときに新しい馬を買ったほうが安く上がるそうだ。
ごもっともな正論に思えたので、おれはその宿に荷物を下ろすと、馬商人のところに行って馬を手放した。
宿に戻って作戦を考える。
まずはイーリとゲオルグの戦友だという学長のところに行くのが最短経路なのだけれども、彼と会う方法が問題だ。
学長ということは、この都市は学校そのものが都市なわけだから、市長を兼任しているのだろう。それってつまり、大統領とか総理大臣みたいな人と会うということになりはしないだろうか。
イーリの添え書きがあるにしても、アポイントメントを取るのも難しそうだ。仕事場になっている個室や家を調べて乗り込むのが最短だが、なるべくならイリーガルな手段はとりたくない。気分を害されて非協力的になられると、逆にこれからの調査がやりにくくなってしまう。
どうするかなぁ……と考えながら、その日は眠りについた。
◇ ◇ ◇
翌日の朝、食堂でお金を払って朝食を食べていると、開いた窓からぱたぱたとコウモリが入ってきて、朝食の皿が置いてある横に立った。
普通、野生のコウモリはこんなふうにヒトに近づいてこない。それ以前に、足に小さな封筒を掴んでいた。前に本を届けに来ていた大鴉と同じく、誰かに操られている動物なのだろう。
コウモリは感染症をたくさん持っている怖い動物という認識があったので、料理に近寄られるのはすごく嫌だった。おれが皿を遠ざけると、コウモリは封筒の上に座ったまま皿を見ている。どうやら小鳥のように両足ですっくと立つことはできないようで、へにゃっと潰れていた。
目がつぶらだ。けっこうかわいい。
さっさと飛び立たないということは、報酬に餌をあげる必要があるのだろうか。皿を見ると、ベーコンエッグが半分乗っていた。
塩からい肉を食べさせてもいい種類なのだろうか。たぶん、卵白なら無難だろう。おれはナイフで白身の部分を少し切りとると、コウモリの前に落としてやった。
コウモリは身を乗り出して白身をぱくりと咥えると、口に対してやや大きめの白身をはぐはぐと飲み込んだ。
かわいい……。
コウモリは食べ終わると満足したのか、封筒を置いたまま、ぱたぱたと飛び立っていった。
食事を済ませると、おれは封筒を開いた。昨日の入国管理官から連絡がいっていたのだろう。封筒は学長からの呼び出しだった。
◇ ◇ ◇
指定された朝十時に学長室に案内されると、そこには物がたくさん置かれたデスクの上に足をのっけている中年男性がいた。
見た感じ四十歳を少し過ぎたくらいで、ゲオルグよりは歳下に見える。おれの姿を目に留めると、気だるそうな顔でデスクから足を下ろした。
「よう、よく来たな。ルシェ・ネル」
ルシェ・ネル? 聞き慣れない名前に、一体誰のことだ。と疑問符が過ぎる。
おれのことか。
「おれの名前ですか」
「名乗ったことがなかったのか。なら、これからはそう名乗れ。姓がないのでは不便だろう」
これまでおれは特に姓を書いてこなかったが、たしかにそうかもしれない。入市の際には姓をどう書けばよいのかで少し迷った。
ゲオルグの名を借りてルシェ・オーウェインでもいいのだろうが、イーリは生きているのだから、どうせならちゃんと許可を取れる方を名乗るべきだろう。
「嫌なら自分で家を興すつもりで、勝手に考えた家名を名乗るか?」
「いいえ、ルシェ・ネルと名乗ります。イーリも嫌とは言わないと思いますし」
「ま、それが無難だな。ネル家を名乗れば通りがいい。信用もされる」
そう言うと、おっさんは気だるげにうつむいた。
調子が悪そうだ。
「……あいにく、寝起きの時間しか空いていなくてな。朝飯を抜けば集中できるんだが、秘書がどうしても食えと煩い。いつもは午後まで予定を入れないようにしている」
なんとも不健康な生活だ。朝十時前が寝起きの時間なのか。
見れば、髪はぼさぼさで髭も剃っていない。体も細っている。とてもではないが、苛烈な戦争の最前線で魔王と戦った人間とは思えない。
だが、おれが騙されているのでなければ、この人はこの世界でも有数の英傑であり、最高の魔術師の一人だ。
名を、エレミア・アシュケナージという。
「お忙しい中、時間を作っていただき感謝します」
おれは敬意を表して、慇懃に頭を下げた。
「ところで、この街でのお前の身の振り方だが――ああ、いや。その前に術を見せてみろ」
「術? ですか」
術と言われても、魔術のことなんだろうが、何をすればいいのだろう。
破壊的な魔術をこの場で使って建物ごとぶっ壊したら怒るだろうし。
「そこから分からんのだな。こういう場合は、分かりやすく魔術の腕前を見せればいい。同業の魔術師が感心して、これは難しいことをやっているぞと拍手したくなるようなものがいいだろう。酒場の宴会芸のような、素人が驚くだけの魔術はよくない」
「なるほど」
つまり、おれがどのレベルにいる魔術師なのか手っ取り早く証明してみろ、ということか。
これが学力という尺度であれば、テストをやらせて成績を見るのだろうが、魔術ならさっくりとその場で証明できる。
「じゃあ……」
おれはその場で室内に風を巻き起こした。
扇風機の強くらいの風が部屋の中をかけめぐる。書類は舞い散らないが、服と髪がばたばたと揺れた。
そして、風がおさまった。
「……? なにをやった?」
事が終わると、エレミアは疑問げな顔をした。
視覚的におれがなにか複雑なことをしていたのは理解できたはずだが、具体的な現象までは理解できなかったのだろう。
「ほら」
おれは自分の足もとを指さした。
そこには一箇所に集まった部屋のホコリが、こんもりと小さな山になっている。
「部屋中のホコリを集めました」
「それは……難しいのか?」
「空気からホコリを分離するのは、やってみるとなかなか難しいですよ。たぶん、あなたでもすぐにはできません。仕組みを説明したら、イーリも相当びっくりしていましたから」
これは家事に使っていた多種多様な魔術の中でも、一番最後に成功したものだ。
見た目の現象と結果だけを見ると簡単なように思えるが、やってみると相当難しい。使える材料が空気しかないので、フィルターのような構造は作れない。気圧差を利用してサイクロン掃除機の仕組みを再現する必要がある。
掃除をする度に毎回数分だけ試行錯誤していたものだが、上手くできるようになるまでに半年以上かかった。
本来は床ではなくごみ箱に直接に入れるものなので、これができると本当に便利だ。本棚の間からタンスの裏まで、十秒で掃除できる。ありとあらゆる掃除機を過去にする、風系魔術の傑作だと自負している。
「……まあいいか。人並み以上に使えることは確かなようだ」
エレミアはあんまり興味がなさそうだった。
家事したことないのかよ。
「ところで、ここには何をしにきた? 学生になりにきたんじゃないだろう。研究をしたいのか?」
「いいえ。イーリの不死業を癒やす方法を調べるためにきました」
そう言うと、エレミアは眉間に皺を作って、難しそうな顔でおれを見た。
「……その答えを見つけにきたのなら、方法はここにはない。それは理解しているんだろうな」
不死業というのは、不死を目指した人間が背負う業という意味の言葉だ。
おれが以前やったように、魔術に長じて霊体の操作ができるようになった魔術師は、自らの霊体を肉体と切り離すことができる。
おれはそれを観測に利用したわけだが、過去の偉大な魔術士の多くは、まったく別の利用法を実践した。
その人たちは、老化や死病によって自らの肉体が死を迎えようとしたとき、自らの肉体を棄て、別人の肉体に入ることで精神を延命しようと考えたのだ。
それはコペルニクス的転回と表現されるような驚きの発想ではなく、誰しもが自然に考えることらしい。
現に、最初にそれを行ったのは魔導の開祖として最初の魔術体系を作った魔神帝という人で、この人は天才的な魔術の才能と溢れんばかりの野心で魔術戦団を率い、世界全部を支配する大帝国を築いたといわれているのだけれども、末期の際に死を恐れて息子の肉体に乗り換えようとした。
つまり、魔術師はのっけの最初、創始者といえるような人から不死を目指していたことになる。
しかし、魔神帝氏が現在生きていないことからも分かる通り、その不死化の方法には致命的な問題があった。他人の肉体に入ること自体はできるのだが、そうすると霊体が傷ついていき、その損傷は不可逆的で治すことができない。しかも魔術を使おうとすると、つまり霊体内の魔力をなんらかの形で活用しようとすると、急速に症状が進行してしまう。
そして最終的には霊体が滅び、精神の死を迎える。不死どころか、たいした延命にもならないのだ。
それでも人間という生き物はどこまでも死を厭うものらしく、魔術師たちは現在に至るまでこの問題に立ち向かってきた。
解決策がないと分かっても、自分だけは違うのではないかという発想、あるいはちょっとしたアレンジを加えることで快刀乱麻の解決策になるのではいかという安直な考えのもと、死ぬ前にワンチャンスのチャレンジに挑んできたわけだ。
言うまでもないが、イーリは不死になりたくてああなったのではない。
世界隙という特殊な空間に飛び込み、帰ってくる際に無茶をしたせいで傷を帯びた。なので、イーリの状態を不死業と表現するのは語義的に間違っているかもしれない。
しかし、霊体が割れたガラスのようにひび割れ傷ついた状態は不死業に近似した症状であることに間違いない。
実際、イーリはああなった瞬間から不死業による霊体の損傷と同様の状態になってしまったと確信した。そして自分の霊体内の魔力を硬い泥のように停滞させ、およそ魔導に属する一切の術を使うことをやめた。
それで進行は鈍ったが、完全に止まったわけではない。おれの召喚によって生じた損傷は、いつイーリの人格に影響を及ぼすか分からない。
「治療法が現状存在しないことは重々、理解しています」
不死業の治療法を解明するということは、つまり不死として人間が永劫に生きながらえる方法を発見するということだ。
見つかっているなら、広まらないはずはない。しかし現状、神族や竜に属する存在以外、不死と目される存在はいない。それはつまり、成功に至る方法はここにはないということだ。
「方法は自分で研究して探すつもりですが、そのためには先人の研究を調べるのが早道だと思い、ここに来ました。幸いなことに、不死の探究は数多くの偉大な魔術師たちが本気で取り組んだ研究テーマです。その全てが失敗に終わったとしても、足跡を辿ることは無駄にはならないでしょう。失敗に終わったアプローチの方向性が分かれば無駄足を減らせますし、上手くいけばなんらかの糸口を見いだせるかもしれません」
「……なるほどな。まずは文献と論文を漁りたいってわけだ。ま、それならここに来たのは正しい選択だ。不死業についての研究なら山ほどある。俺はまったくの専門外だが、霊魂学部長のヘルミーネなら詳しいだろう。彼女と話してみろ」
霊魂学というのは大きなくくりで、火や氷を操るような実際に現象を起こす魔法とは別の、人間の内的領域を専門にする学問のことを指す。たとえば霊侵術はこの学域に分類されている。魔術の中ではマイナーとされる分野だ。
「紹介状を書いてやる。運が良ければ今日にでも会えるはずだ。天文学部の次に暇な学部だからな」
酷い言い方だ。だが助かる。
エレミアは机に向かい、千枚通しのような太い針にメモ用紙の束を突き刺したようなものから一枚を引きちぎり、ぞんざいに何かをかきつけはじめた。
話をしているうちに目が覚めてきたのか、目を開けるのも億劫そうにしていた最初とは打って変わって、その動きは迅速だった。
「ちなみに、事情を説明するときはイーリの不死業のことは秘密にするな。魔術師という人種は知識を隠すものだが、嘘をつかれるのは嫌う。それに、あれは魔術の達者なら一目で分かる。公の場に戻ったのなら、お前が秘密にしてもすぐに知れ渡ることだ」
「……そうですか」
さっくりとだが、不死業があまりよくない評判を呼ぶのは知っている。それは、他人を犠牲にしてでも自らの生にしがみつこうとした醜態の証拠のようなものだからだ。
イーリの現状がそうだと触れ回ることは、悪評を触れ回るに等しい。
「イーリの名誉のことなら心配するな。そもそも、不死業を背負う者というのは晩年に老醜を晒した魔術師と相場が決まっている。イーリは若くて健康な女なんだから、誰がどう考えたって命を賭けてまで体を交換する理由がない。なにか特別な事情があったことは誰でも察するさ。実際、まるで別種の実験でなったわけだしな」
エレミアはイーリがやった世界隙の実験について、少しは知っているようだ。
「……なるほど、分かりました。秘密にはしないことにします」
それを理解しようとしない人間も一定数はいると思うので、やはり気は進まないが、事情を隠すことで調査が滞ってしまっては本末転倒だ。
「よし、書けた。持っていけ」
エレミアは机の向こうから紙を突き出した。本当にメモ用紙一枚だ。
「ありがとうございます」
おれはそれを受け取りに近づいた。
すると、伸ばしていたエレミアの腕が強張り、わずかに紙が引かれた。
「――お前、その剣はなんだ」
お久しぶりの投稿になります。待たせてしまい申し訳ありませんでした。
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