第033話 死を孕む糸
「ルシェ、戦うなら、私にも戦わせてっ!」
ネイの悲痛な声が後ろから響いた。
「駄目だ! 絶対に近くにくるな。ネイを庇いながらじゃおれが戦えない」
「足手まといだっていいたいの!?」
「師匠の汚辱を雪ぐのは弟子の役目だ。ここはおれ一人でやる!」
そう言うと、背後から息が詰まるような沈黙が聞こえてきた。
「はっ、この期に及んでおままごとか? おい、北の魔女。なんなんだ、そのガキは?」
バルザックは聖剣にたどり着き、手に取った。
「”最強”だよ」
イーリの声が聞こえた。
「は? 血迷ったか?」
「私は、魔王を斃すため、高次元の世界隙に潜る方法を編み出した。隣接する他の世界に検索をかけ、他の世界から最強の存在を喚んで魔王にぶつけようしたのだ。だが、そうして現れたのは魔法を扱う術すら知らない、ただの無力な少年だった」
「北の魔女ともあろうものが、ははっ、そのせいで不死業を背負ったのか。間抜けな話だな」
「失敗ではないさ。その子は確かになんの力も持っていなかったが、最強たりえる資質を秘めていた。私たちはあの家で、北の魔女の魔導と、標の剣の剣術を教え込んだ。そして今、師を卑劣な手で殺したお前の前に立っている」
イーリはこちらを見た。
「ルシェ、存分にやりなさい」
「絶対にネイが出てこないよう、見張ってて」
「おい、やってしまえ! 死竜も飛ばせ!」
バルザックが号令をかけると、おれに向かって一斉に攻撃が来た。
一人が氷の槍を連続で放ち、もう一人は先ほど岩に防がれた炎の連弾を放とうとした。三人目は片膝で両手を地面についていつでも防御壁を出せるようにし、四人目はおれが飛び上がった際いつでも撃ち落とせるよう、圧縮空気の塊をいつでも放てるよう準備をはじめた。
精鋭を称するだけあって、高度に分担された軍隊的なチームワークができている。黒服を着た二人は、二匹の屍傀亜竜を操作しようと飛び乗った。
「死ね――”絶対殺意”」
おれは手元で小さな空気の炸裂を起こし、ついで背後から吹くように大きな風を起こした。
氷の槍を避けるべく飛翔したおれを、圧縮空気の解放で撃ち落とすはずだった魔族は、目に疑問符を浮かべた。おれが飛び上がらず、風にもなんの魔力も見えなかったからだ。
風系の魔法は、殺傷力を付与するために例外なく魔力を注ぎ続けなければならない。風の刃であれば薄い刃や大気の断裂を維持する術をかけつづけなければならず、圧縮空気であれば高圧を維持するための術が必要になる。それは魔力を扱う者にとって視覚的に見えるから、目視するのになんの苦労も必要ない。
だが、おれが放った風にはなんの魔力も見えなかった。
四人は”ただ強い風を起こす”というおれの不可思議な行動に瞬きするほどの動揺を見せたあと、すぐさまそれを無視して攻撃に移った。
その時には全てが終わっていた。
殺意の風に触れたものが切れてゆく。
一番先に風に触れたのは、空中を飛翔する六本の氷の槍だった。風が通り抜けると、槍は空中でするりと割れて二十四個の氷の塊になった。
次に変化が起きたのは、先頭に立って手元で圧縮空気を練っていた魔族だった。手袋に覆われていた五本の指がなんの前触れもなくぱらりと落ちると、次いで腕がするすると切断されていき、血が吹き出る間もなく体全部がモザイク模様のようにずれていった。魔力場が消えたことで圧縮空気が解放されると、空気の破裂に弾かれ、細切れになった血肉が周囲にばらまかれた。
次の犠牲者となったのは、炎の連弾を構えていた魔族だった。彼は体の前に高熱の火球を張っていたため、隣にいる戦友が突然はじけて血を撒き散らすのを目の当たりにした。だが血しぶきがかかる前に、足がすぱりと切断されていた。体勢が崩れると、続いてふりかかった目に見えない糸にやはり体を寸刻みに切り分けられた。
氷の槍を放った術者は、放った槍がバラバラに割れて狙いが逸れたのを見て動揺を露わにする時間があった。とっさに風に何かがあると察知し、風と反対の方向に飛び跳ねたが、間に合いはしなかった。足先から切断されてゆき、地面に落ちる頃には一陣の風が通り抜けていた。着地した地面に、赤い水の入った袋をぶちまけるように、臓物と肉の混じった血溜まりをつくりあげた。
しゃがみ込んで遮蔽物を作ろうとしていた術者は、氷の槍に異変が起こったのを見て、即座に自分の前に遮蔽物を作った。なんとか間に合って隆起した人一人分の岩の板は、しかし何の用もなさなかった。風に撫でられると、岩の板は紙一枚ほどの抵抗も見せず、するりと切れてばたばたと地面に落ちていった。壁が消えた頃には、その向こうに人影はなく、岩と並行に切断された足が二本立っていた。
高周波振動を纏って広範囲に舞い散った炭素分子繊維の糸は、そのまま焼き焦げた木を切断し、岩を切断し、この世の全てを切断しながら現代美術に描かれるような超現実な光景を産み出していった。
だが、その物理的切断に唯一神秘的な抵抗力を示したのは、二体の屍傀亜竜だった。風に乗って二体の上にヴェールのように降り注いだ炭素分子繊維は二体を切断するが、なぜか生体由来の鱗や骨肉ではありえない抵抗力を示し、明らかに切断の勢いが鈍った。
だが、既に死したゆえ痛みを感じたりはしないのか、吼えるでもなく激痛に暴れるでもなく、上部に乗った魔族が切り分けられ転がり落ちたあとも、二体の竜はなすがまま切断を受け入れていた。
爪の先から数キロ伸びる炭素分子繊維の一部は、その頃には丘陵を切断しながら地下奥深く潜っていた。二つの切断面が繋がって山体構造から切り離されてしまった岩塊が、強く傾斜がついた部分から切り欠きのような形になって、向こう側の斜面に地すべりを起こし始めた。
おれはそこでようやく高周波振動を止めた。
左手の四本の指先から接合を解いて糸を切り離す。原料となる炭素を提供した爪は、1mmほど後退していた。
一陣の死の風が吹き抜け、それに触れた者たち皆死んだ。
バルザックの方を見る。狙い通りゲオルグの聖剣を起動し、防御の姿勢を取っている。
ナノスケールの炭素分子繊維の糸は、ごく薄く魔力を纏っても髪の毛の一万分の一程度の太さにしか目に映らない。それが、この技の強みであり、同時に最も使いにくい点だった。手元から離れた瞬間、自分でもどこを飛んでいるのか把握できなくなる。風向きによって大雑把に方向を定めて散らせることしかできず、例えば頭の上にばらまいたら、自分の近くだけ綺麗に効果範囲外にすることはできない。
だが、糸はゲオルグの聖剣だけは切れない。ゲオルグの聖剣を微視的に見ると、ブラックボックスの内部で形成されたごく小さい魔力の刃が、極超音速で動いて相手を分子レベルで削り取る、つまりチェーンソーのような仕組みになっている。風程度の速度で繊維が衝突しても、本体まで届く前に必ず刃に切断される。原理的に本体を損傷することはない。
バルザックに聖剣を持たせたのは、精度に難のある魔術に、ゲオルグを万一にも巻き込まない措置だった。
「終わったね。次はあんたの番だ」
おれは右手に持っている魔法剣を構えた。
「―――っ」
目の前で起きた破壊が夢の中の悲劇であることを願っているような顔で、バルザックは息を呑んで破壊のあとを見つめていた。
「なぜ――なぜ、さっきの戦いでその超魔を使わなかった。それを使っていれば、ゲオルグ・オーウェインが死ぬこともなかっただろう」
「あの技は強力だけど弱点が多いし、用意に時間がかかる。五体満足のお前だったら避けていただろう」
ゲオルグは、おれと二人だけだったら決闘に応じなかったに違いない。普通に戦えば勝てたからだ。
ただ、今回はイーリとネイがいた。ゲオルグの中には、純粋なスピードではバルザックに及ばないという考えがあったのだろう。
ネイはかなり魔術を使うけれども、戦闘訓練を積んではいないのでバルザックの超高速戦闘に対応できない。接近されればイーリもろとも瞬く間に惨殺されてしまう。
そうなると、ゲオルグは常に行く手を遮る形で立ちはだかっていないと阻止できない。一瞬でも位置関係に乱れが起きれば、バルザックは二人を殺しに向かい、自分は追っても間に合わないという構図ができあがる。バルザックほどの剣士を相手にして、常に特定の位置関係を維持するというのは現実的には不可能だ。その間、おれも六人の相手をしなければならないから、二人のことは守りきれない。
だから決闘を受けた。
どのみち、バルザックにはあの針伸ばしの技があった。決闘を受けていなかったら、イーリとネイは高確率であの技の標的となり、犠牲になっていただろう。
ゲオルグにとって一番厄介な敵の武器は、バルザックの速度――つまり、足だったのだ。
「用意に時間がかかる、か。その口ぶりだと、二発は放てないらしいな」
バルザックは聖剣を構えた。
「もう一度使う必要もない」
おれは魔法剣で狙いをつけると、コンデンサーの役割をする巨大な魔導環に溜まった、励起状態の魔力を解放した。魔力は並列三十二層の変換器に奔流のように流れ込み、物理回路に猛烈な電荷の流れをつくる。大電流が二本のレール状の導電体の周囲に超強力な磁界を形成し、その間にある弾体を蹴り飛ばすように加速させた。
魔力によって強靭化された剣身の中を、壁と擦れ合いながら銃弾が加速してゆく。火花と共に銃腔から押し出された空気は、銃口から出た瞬間に衝撃波を形成した。その一部は音波として耳に届き、パンッ、という派手な音が耳を打った。
それが耳に届いた時には、音速の十五倍の速度を秘めた弾体は既に着弾していた。
しかし、弾体はバルザックの肉体に届く前に二つに分かれた。驚いたことに、この状況でバルザックは弾体を切断してみせたのだ。
マッハ十五という速度は、人間の動体視力で捉えられる速さではない。銃口の向きから弾道を正確に読んだのだろう。
二つ分かれた弾体は、片方は背後に外れ、もう片方はバルザックの右の肩口に当たった。
「――今の攻撃も、足さえ無事なら避けられていただろう。ゲオルグに足の深手を負わされた時点で、あんたは負けたんだよ」
「なにをほざく。まだ勝負は終わっていない」
「そうか? さすがに、止血が間に合っていないようだが」
バルザックの肩口からは、血がとめどなく流れていた。
弾体の片割れは、切断されることで速度と質量を大きく失ったが、いびつになった状態で体に侵入した。それは体内で錐揉みしながら瞬間空洞を作り、肉や神経、骨をズタズタに引き裂いたはずだ。
それは、剣で作ったきれいな切創とはわけがちがう。肉を引きちぎるような乱暴な破壊であって、止血の難易度は桁違いに高くなるだろう。
「お前に剣での尋常の決闘を申し込む」
バルザックは聖剣をおれに向けて言った。
「屑の言うことは、本当に理解できないな。一体、どんな面の皮をしてるんだ!」
思わずカッと頭に血が上り、口から罵言が出た。
その瞬間、バルザックが跳ねた。
使えなくなった右足右腕を棒のように振って錐揉みしながら突っ込んでくる。
そこで、先ほどの戯言はバルザックが集中を乱すために放った挑発だったのだと理解した。万が一にも、おれの魔法が不発になることになれば、これで一発逆転もありうる。
おれは杖入れからガラスで出来た杖を引き抜くと、パッと振った。
目を瞑った瞬間、ガラスの杖の内部でフラッシュのような閃光が焚かれ、まぶたの上からでも視界が一瞬明るくなった。
大きく飛んで別の魔術を編みながら、意識的に心を落ち着かせるために、わざと冷静にゆっくりと杖をしまった。
こういった光学的な目眩ましをする術は既にあるので、バルザックは驚くこともなく、少し体を動かして目に見えぬ敵にフェイントをかけたあと、着地すると同時に当てずっぽうの場所を斬りつけた。
その後器用に体を使って周囲を一周撫で斬ると、回復してきた目で周囲の状況を確認した。
そして、全周を二、三回見回すと、戸惑った顔をした。
「――どこにいるっ!?」
おれは音を立てず数歩あるいて刃の圏内に入ろうとしていた。
「逃げたかっ!? 卑怯者!!」
バルザックの視線は、右から左へ滑るようによぎって、おれの姿を捉えなかった。
これほどの剣士が、こんなにも荒い光学的迷彩に手を焼くとは。ゲオルグは、戦闘中の脳は情報を極めて単純な記号として捉えているから、この手の偽装は意識を切り替えないと気づけないと言っていた。どうやら真実だったようだ。
そろそろ終わりにしよう。
おれは剣の鞘を抜くと、高く投げた。
バルザックの向こう側に落ちて音を立てると、バルザックは瞬時にそちらを切りつけようと振り返った。
その瞬間、おれの魔法剣はバルザックの左腕を切断していた。
このレベルの剣士になると、血で繋がっているだけでも何をしてくるか分からない。おれは切断したあと、返す刀でバルザックの左腕を強く叩いた。
切断してもくっついていた左腕は、軽い粘着性を感じさせる手応えのあと、それでようやく分断されて地面に落ちた。
「――くそっ!」
バルザックは、透明化に類する魔術を使っていることは察していたのだろう。目をこちらに向けるより早く、右足で蹴りを打ってきた。
剣士の蹴りは、地面を蹴る反動靴を使うため、普通に人を殺せる威力がある。
だが、当てずっぽうのためわずかに狙いがそれていた。おれはゲオルグの教え通り落ち着いてよく見て、体捌きで蹴りを躱しながら、剣を操って下から蹴り足を切断した。
鉄血術というのは、こうして戦ってみると物凄く強力だ。普通の人間であれば、四肢のどれか一つでも切断されれば、その瞬間から出血死へのカウントダウンが始まる。だが、鉄血術の使い手はいつまででも戦える。
幸いなことに、魔導環には既に五割方魔力が充填されていた。おれは剣の向きを変えると、蹴り足を切断した動きのまま、至近距離から弾体をぶっ放した。
「ぐげふっ」
腸から鋭角に侵入した弾体は、肺を押しつぶしながら肩甲骨から抜けた。衝撃で片肺の中身が勢いよく押し出されたバルザックは、口から奇妙な声を出した。
ゼロ距離から弾体をブチ込まれ、軽く宙に浮いてから地面に崩れ落ちたバルザックは、流石にもう何かをする体力は残っていないようだった。
「ぐっ――がぶっ――」
口から大量に吐血して、体中の傷口から血が溢れ出ている。
出血と痛みで鉄血術が維持できなくなってきているのだろう。
早くゲオルグのところに行きたいが、敵が生きたまま背中を向けて行くわけにはいかない。
おれは止めをさすべく剣を振り上げた。
「げほっ――これで勝ったつもりか? ぐっ――勘違いするなっ――ごぼっ」
バルザックの目には、闘志とは別の、抗議のような色が浮かんでいた。
おれに負けたわけではない。おれと戦い始めた時、すでにゲオルグに傷を負わされていた。つまり、フェアーな戦いではなかった。と言いたいのだろう。
この期に及んで勝ち負けを気にしている。
この男は、ちょっと剣術を齧っただけのヤクザ者ではない。生まれ持った天稟があり、過酷な修行を己に課して強くなった剣の達人だ。
その点ではゲオルグと同じだが、強くなった動機は真逆といっていいほどに違う。この男は、戦いに意義など見出していない。欲しいのは勝ちという結果と、それに伴う社会的な称賛、そして類まれな強者であるという評価だけで、過程にある命のやり取りなどどうでもよいのだ。
もし、この男が剣神と戦って聖剣を得たとしたら、ゲオルグとは違い、剣聖の名と聖剣を手に入れたことに満足し、二度と戦いたいとは思わないに違いない。
世の中にはこんなくだらない動機で強くなれる男もいるのかと、おれは少し驚いていた。
「勘違いしてるのはあんたの方だよ」
おれは言葉を遮るように言った。
「あんたはゲオルグに決闘で負けて、その時点で死んでいる。おれはそこで生まれた間違いを正すだけだ。あんたは汚い手を使って、それでもゲオルグに勝てなかった。世間にはそう広めておいてやる」
「なんだっ――とっ」
「さようなら」
おれは剣を深々と首に突き刺し、脊髄を破壊した。
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