第030話 決闘
追って飛び出ると、ゲオルグは突っ込むでもなく、剣をぶら下げたまま立っていた。
「――お前だったのか」
どうも知り合いのようだ。
辺りを見ると、林のようだった周囲は焼け焦げて木々が全て倒れ、平地のようになっている。
倒れた木々は燃えてはおらず、炭化した肌からブスブスと白い煙をあげていた。降りる際の強い風で火が消えたのかもしれない。
天然の風がゆるく吹いていて、焦げ臭くはあるものの息をするのも辛いというほどではない。地面の熱も、氷を投げつけたことで冷えたのか、さほどの熱さは感じなかった。
そこに赤と黒の亜竜が二匹いた。見るのは初めてだが、めちゃくちゃデカい。
死体を利用しているということだったので、ぐちゃぐちゃに腐乱して蛆が湧いているような姿を想像していたのだが、特にそういうことはないらしい。
防腐処理をしているのか、あるいは最初から腐らない性質のものなのかもしれない。
そして、ゲオルグが話している男の後ろには、紫色をした豪奢なマントを羽織った謎の手下が四人と、その後ろに縮織のような立体感のある真っ黒いローブを纏った手下が二人、横に並んで控えていた。
こういう任務に駆り出されるということは、こいつらも何かしらの精鋭部隊なのだろう。とにかく只者ではなさそうだ。
「久しいな。ゲオルグ・オーウェイン。いつぞやの借りを返しにきた」
謎の男は抜き身の剣をぶら下げながら言った。
剣は銀色でのっぺりしていて、魔法剣特有の縞模様も焼入れの刃紋もない。向こう側の技術で作られた魔法剣だろうか?
刃幅がやや大きく、長さもあるので重量系の剣のように見える。
薄板のような感じで薄くして軽量化してあるのかもしれないが、どのみち魔術を主体に戦う者が副武器として持つような大きさではないので、こいつは確実にゲオルグと同じような接近戦専門の剣士だろう。
「来るならお前一人で来ればよかったろうに」
「最初から、あんな攻撃でお前を殺せるとは思っていない。戦いの前に、北の魔女イーリの魔力を少しでも削いでおこうとしたまでのことだ。しかし……ふん、不死業を背負ったか。くだらんことをしたな」
謎の男はおれの背中のほうにいるイーリを見ながら言った。
不死業?
何の話だろう。おれも本を何百冊も読んで魔術界隈については多少詳しくなった自信があるが、初めて聞くワードだ。
「バルザック。狙いは私か? ならば、討ち取るがよい。その代わり、他の三人は逃してくれ」
イーリがわけのわからないことを言い出した。
「馬鹿なことをぬかすな!」
ゲオルグが声を荒らげた。
「――ふんっ」バルザックと呼ばれた男は、鼻で笑った。「壊れかけのゴミに、それほどの価値があると? 随分と過大な自己評価だな」
壊れかけのゴミ……?
イーリのことを言ったのか?
「そこにいる老いぼれを殺してから、ガキ二人とお前、追いかけて殺すのにさほどの苦労はいらん。お前一人を狩って、他は逃がすなど論外だ。黙ってそこで見ていろ」
腹は立つが、とにかくイーリが殺される流れはなくなったようだ。
「その傲慢ぶりは変わっていないようだな。三年前しっぽを巻いて逃げたことは、都合よく忘れたか」
ゲオルグが言うと、バルザックは無言で自分の鼻筋を撫でた。
よく見ると、そこには浮き出るような縫合痕が残っている。ゲオルグがやったのだろうか。
「あの時の俺と、同じだとは思うな」
「決闘が望みか?」
「ああ。そうするとしよう」
バルザックが肘から手を上げると、後ろに控えていた六人のローブの衆は持っていた杖や剣を引いて、一斉に一歩下がった。
「最後に聞く。村の者はどうした?」
おれもそれが心配だった。
「そういえば集まっていたな。亜竜の炎を撒いて皆殺しにしたが」
バルザックはこともなげに言った。
スッ――と頭が冴えてゆくような感覚がした。
アリシア。せっかく助けたのに、手の届かないところで死んでしまったのか……。
「……そうか」
ゲオルグは鞘から剣を抜いた。
「お前を殺す理由が一つ増えた」
「あのとき貴様に下された屈辱、散った仲間の無念……いまここで晴らさせてもらう。魔王親征軍が一翼、シリを与えられし王、ディー・ド・バルザックは、ゲオルグ・オーウェインに決闘を挑む!」
バルザックはゲオルグに大仰に剣を突きつけた。
「受けよう」
決闘ということは、一対一で剣士として白黒をつける……つまり、どちらかの死が前提の真剣勝負をするということだ。
しかし、後ろに手練と思われる奴らが六人もいて、数的優位を取れているのにそんなことをする理由は、普通に考えて何一つない。
それでも望むということは、やはり決闘でゲオルグを下したという、剣士としてこの世界の頂点であるという栄誉が欲しいのだろう。
「イーリ、どういう相手なの?」
後ろにいるイーリに訊いた。
「魔族の中で最強と言われている剣士だ。三年前の戦争では、軍本体から突出して私の暗殺を狙ってきた。ゲオルグがやっつけたのはその時だ。ネイの母親の敵でもある」
端的な説明だった。
そうか。二度目の戦争でゲオルグにやられたのか。
ネイの母親は、脱出の途中でイーリを守って死んだと聞かされたが、その時のことだったらしい。
「おれはどうしたらいいかな。逃げる? それとも留まる?」
「後ろにいる連中は、ルゲオ紫炎騎士団といって魔王軍の中でも精鋭を集めた親衛隊のような奴らだ。逃げれば決闘は中止ということになり、あいつらが一斉に追ってくるだろう。ゲオルグが勝てば、ゲオルグとルシェ、二人で戦える。それなら全員で生き残れるかもしれない」
「うん」
「まずは決闘の行方を見守ろう。もしもの時は、私も戦う」
イーリも戦うのか……。
実際、イーリが戦うとどうなってしまうのか未だに知らない。当人に尋ねてもはぐらかすし、ゲオルグは見当がつかないようだし、どうもネイだけは知っているようだが、堅く口止めされているようで教えてくれない。
なんらかのリスクがあるから回避していることは分かるが、この状況は簡単にそれを許してはくれないだろう。
二人は何の号令もなしに、一見無防備にも見える自然な歩みで接近した。
剣の間合いに入る直前、バルザックが一瞬、右に小刻みに揺れ、小さくフェイントをかけてから左に動いた。
ゲオルグはフェイントに一瞬も惑わされず、左に動き出した瞬間には進行方向に五本のツララを放っていた。
五本のツララは拡散しながら放たれるため、こういう場面で絶妙な間で放たれると全てを躱すのは非常に難しい。だがバルザックは、大きく宙に躍りながら空中で横ひねりを加え、綺麗に効果半径から外れる形で避けてみせた。
その時にはゲオルグは追撃に移っている。反動靴を使って急接近し、聖剣の迅雷の突きを放つ。
が、バルザックはそれも避けた。
普通、空中に大きく飛んで着地した瞬間というのはバランスが崩れる。訓練すればコンマ一秒にも足らない瞬間で立て直せる程度の間だが、戦闘においては十分に致命的な隙だ。
だが、バルザックはそれを感じさせず、隙をついたゲオルグの攻撃も避けた。それができたのは、いささかもバランスが崩れなかったからだ。地に足をついたその瞬間には、軸足を使ってどの方向にも体捌きをする準備ができていた。
そして、地面に足をついて膝を曲げた瞬間にはもう後ろに飛んでいて、ゲオルグの突きの間合いから外れた。
それを見た瞬間、おれの心に不安がよぎった。
この男は、ゲオルグより強いかもしれない。
技量でゲオルグに匹敵するという意味ではない。だけど、操る体のほうに大きな差がある。体に力が漲った若々しい肉体は、今年でもう四十七歳になるゲオルグの体と比べると、やはり性能に格段の差がある。
わずかな溜めで縮めたバネのように跳ねる敏捷性、体重を感じさせないキビキビとしたフットワーク、どれもゲオルグの体からは過ぎ去ってしまったものだ。
「――フッ!」
ゲオルグは小さく息を吐き、続けざまに剣を繰り出した。ピッ、ピッ、と空気を裂くような鋭い剣が踊る。
バルザックはそれを受けずに全て躱しながら、呼応するように剣を繰り出していく。
数度の剣の応酬があり、それを見ただけで、バルザックが対ゲオルグのために対策を練ってきていることが分かった。
見事なまでに剣を合わせない。
真剣で行う剣撃というのは、もともとなるべく刃を合わせないものだ。だが、実際の戦闘ではなかなかそうはいかず、緊急回避のような形で刃で受けざるをえない、あるいは受けるにしても斜めに滑らせるような形で受け流す、といった場面が頻繁に現れる。
だが、ゲオルグの持っている聖剣はそういった受けを一切無効にしてしまう。一方的に切断できてしまうからだ。
そこが厄介なところなのだが、バルザックは相当に対策を練り上げており、剣を合わせることなしに戦っている。
二人は十合ほどやりあうと、すぱっと離れた。
「……なるほど、少しは使うようになったようだ」
「貴様は老いたな」
バルザックが言うと、ゲオルグは眉間を少し不快げに歪めた。
「俺はあの時の貴様に勝つつもりで修行をしてきた。今の貴様の体は、あの時より確実に衰えている。今日、俺は最強の男になる」
「やってみろ」
ゲオルグは構えた。
「行くぞ!」
バルザックが叫び、突進すると、ゲオルグは迎え撃つように軽い突きを放った。
バルザックが事もなげにそれを避け、懐に潜り込んだ時、ゲオルグの左手には五本のツララではない別の杖が握られていた。
ピシッ、と、杖の先から糸のような紫電が走った。
「―――ッ!」
バルザックの軸足が突然痙攣したように止まり、バランスが崩れる。
ゲオルグはその隙を見逃さない。瞬きするほどの間も与えず繰り出された斬撃は、一見して体幹の崩れた体で避けられる一撃ではなかった。
そこで、ついにバルザックは剣を合わせた。
太刀筋に対して斜めに添えられた剣を断ち切りながら、ゲオルグの聖剣が進んでいく。だが、その勢いはわずかに鈍った。よほどの名剣なのだろう。
剣を切断させることで聖剣の勢いを殺し、稼いだわずかな猶予を使って、バルザックはかろうじて太刀筋から体を逃した。そして力の入らない足をガクつかせながら、切断された剣をそのまま振り抜く。
すると、ゲオルグは思いっきり引き下がってその剣を避けた。
はて……?
「ハァハァ……ふぅ」
ゲオルグは自分の体を確かめると、鞘を差していた剣帯を引きちぎった。
剣を破壊して、普通なら追撃してとどめを刺しにいくタイミングだったのに、なぜ過剰なくらい飛び退いて攻撃から逃れたのだろう……と思ったのだが、身につけている剣帯のベルトが半ばまで切断されていたようだ。どうも、ギリギリの回避だったらしい。
バルザックが聖剣を受けた部分は、剣の真ん中くらいの場所だったように見えたが、太刀筋が予想以上に伸びたということか。
「雷撃術か。また厄介なものを作ってくれたな」
バルザックは憎々しげに言う。電気を扱う術というのは高度な領域で、今までは付呪装にできなかった。イーリとおれの共同作業で、低出力レーザーで大気にプラズマの道を作って電気の通り道にする方法を考え、出力が小さいながらも初めて実現できたのだ。
この戦いではバルザックの意表をつく新兵器になったはずだが、惜しくも逃れられてしまった。だが、剣を壊したというのは、交換としては十分に大きな成果といえる。
「お前、剣神に見えたのか」
ゲオルグが言った。








