第027話 尋問
「――吐け」
聞き慣れないアクセントの男の声が聞こえた。
二階への階段は、店内からは見えないように酒が並んでいる棚の裏、厨房の部分にある。
階段の上から様子を窺うと、浅黒い……というかグレーがかった肌の色をした男がいた。耳が尖っている。見た目は人間とほぼ変わらない。
噂に聞く魔王族というやつか。
「こんなことで片腕を失いたくあるまい?」
「いやっ――」
階段の下にいる魔人族の男は、剣をアリシアの軽く上げた左腕、脇の下に入れていた。
状況がわからない。吐け、というのは、嘔吐しろという意味ではないだろう。なにかを喋らそうとしている。となると、これは尋問だ。
しかし、アリシアを? ただの町民の少女を、なぜ?
「いいのか? 片腕を飛ばしたあとは、血の吹き出る断面を焼いて……そうだな、次はこの足にするか」
体を撫でるように剣を動かして、アリシアの足に切っ先を触れさせた。
「ヒ――ッ!」
「この足を切断する……四本の手足がなくなっても、まだ黙っていられる自信があるのか? 今喋れば、なにも損なうことなく逃がしてやると言っている。腕一本失った後、足一本失った後に喋っても、手足は元通りにはならない。どうせ喋ることになるのだ。今喋ったほうが得だとは思わないか?」
「や、やだ―――」
アリシアは顔を絶望に染めながら、カタカタと歯の根を鳴らして震えていた。
「とぼけようとしているのなら、無駄だ。既に他の者から情報を得ている。お前が詳しいとな。イーリ・サリー・ネルとゲオルグ・オーウェインの居場所を言え」
えっ――と、頭が一瞬動揺する。
二人を探しているのか。
「いやっ! ゆ、ゆるして。おねがい」
アリシアはパニックで頭が回っていないようだ。
相手はこちらに気づいていないから、不意打ちをかけて倒すのは簡単だ。だが……剣が体の近くにあるのはよくない。魔法剣だと、アリシアの細腕くらいなら豆腐を切るような手応えで飛んでしまう。そうしたらもうくっつけることはできない。
こいつが右利きで、おれがいる階段が左側にあるのも厄介な位置関係だった。つまり、剣はアリシアを挟んで向こう側にある。
手前側にある位置関係なら、おれが魔族語で声をかけ、こちらに体を向ければ剣はすいっとアリシアから遠ざかることになるが、向こう側にあるのでは剣はアリシアを横切ってこちらに向けられることになる。
敵が何か動きを起こしてくれないと、こちらも動けない……。
「仕方ない。なら……あと五つ数えたら腕を切断することにしよう」
魔王族の男は、ニヤリと嗜虐的な笑みを浮かべると、ゆるく開いたアリシアの脇の下に剣を差し込んだ。
「腕か喋るか……どちらかを選べ」
「やめて、喋らないわ!」
「五」
数を数え始めた。
こいつが今までアリシアに酷いことをしなかったのは、拷問を行わず自主的に話された情報のほうが正確だからだろう。人間は、苦痛を与えられると知らなくても情報を喋る。口を割ったことにしておけば、少なくともそれが確かめられている間は痛みから逃れられるからだ。
だが、埒が明かない尋問から拷問への移行を決めたのであれば、腕を切り飛ばすのにためらいはないだろう。
「四」
おれは階段の曲がり角から音もなく体を全部出し、魔法剣を構えた。
精度を上げるためにその場にゆっくりとしゃがみ込み、左手を剣の腹に添える。絶対に外せない。
「三」
アリシアを見ないようにする。動揺するのが一番いけない。
こいつは一体どうする。わざわざ数えているのは、要するに最後の脅しをかけているのだろう。
それなら、腕を切断する前に恐怖心を煽ろうと、分かりやすく刃を振り上げるという行動が挟まるかもしれない。そうしたら安全に撃つことができる。
「二」
だが、それを決めてかかるわけにはいかない、まずは手始めにと、あっさりと剣を横に動かし腕を切断するかもしれない。
どう転ぶか、絶対に間違えられない一瞬の判断が求められる。
「一……」
「待って!」
アリシアの声が響いた。
「しゃべる。しゃべるから……ゆるして……」
アリシアは蒼白の顔色をしながら顔の筋肉を痙攣させていた。
「やっと口がなめらかになったな。さっさと話せ」
「近くの……山の中よ」
「山の中のどこだ?」
「………」
「――腕が要らないのか?」
魔人族の男が脅すように剣を上下に動かした。剣の腹がアリシアの左腕に触れた。
「ヒ―――ッ、そ、そこの出口から出て、右に曲がって村と森の境界までいって、ひ、左に曲がって……青い郵便箱のところから、山に登るの……」
おれは心が大きく動揺するのを感じ、すぐに押さえつけるようにして心を殺した。
「そこに二人の住処があるんだな」
確かめるように言う。アリシアは首を何度も縦に振って同意を示した。
「も、もういいでしょ?」
「ふん、ご苦労だったな」
魔王族の男はようやく剣を離すと、横から首を刎ねようと、剣を振りかぶってわずかに担いだ。
「キャアアア!!!!」
剣が動き出し、アリシアが驚愕に目を見開いて金切り声を上げた瞬間、おれの魔法剣に開けられた穴から、派手に火花が吹き出した
パンッ、と音速を破る音がして、次の瞬間には奥の壁に大きな丸い穴が空いた。魔王族の剣はスッポ抜けたように放物線を描き、すとんと壁に刺さる。
剣には腕が柄を握ったままくっついていた。
「なっ――!」
男がわずかな衝撃と、唐突に右腕が消滅したことにうろたえた時には、おれは階段を駆け下りて五段目からジャンプしていた。
体ごとぶつかるような蹴りを胸板に食らわせ、地面に転がす。
「ぐっ――ま、待て!」
その言葉を言った時には、おれの魔法剣は床板を断ちながら首に向かって滑っていた。
一瞬の後には、すぱん、と剣が通り過ぎ、首がゴロッと床に転がった。
ぱぱっ、と周囲を見廻し、死角となっていた場所に他の敵がいないことを確認する。
「………ふう」
緊張が過ぎ去る。
踏みつけている胸板の下では、主を失った体がビクビクと痙攣しながら、首から大量の血をポンプのように吐き出していた。
よかった――ゲオルグと訓練していた時と同じ動きができた。
「あ、あの、ルシェくん……」
「――無事でよかった」
本来なら喜ばしいはずの再会なのに、おれの心は何も明るくならない。
仕方ない。分かっているはずなのに、生のままの一番触れられたくない心に、チクリと棘が刺さったような気分だった。
小さいが鋭い痛みが、心を浮き弾ませるような気分にさせてくれない。
その感覚に、奇妙な懐かしさを覚える。それはむかし何度も経験した、裏切りを受けたときの感覚に似ていた。
「ご、ごめん……私、怖くて」
「いいよ……素直に言ってくれたお陰で、こいつに隙ができた。アリシアは何も悪くない」
アリシアはおれが助けに来ていることなど知らなかったのだから、別に裏切ったわけではない。
そんなことは分かっている。でも、おれの心は正しい理屈をうまく納得してくれなかった。
「ごめん……ごめんなさい……ごめんなさい……」
アリシアはおれを見る事ができず、体育座りした膝に顔をうずめて嗚咽を漏らし始めた。
「いいから。お父さんは?」
「……ぐすっ、わ、わかんない。私に隠れてろって言ったきり、出て行っちゃった……」
「そう。じゃあ、探してくるからもう一度隠れていて。物置きの奥がいいかな」
「う、うん……」
アリシアへの気持ちが冷たくなっているのを感じる。
おれはアリシアを置いて、酒場を出た。
◇ ◇ ◇
アリシアを助けるために時間を掛けすぎたのか、外に出た頃にはほとんど戦いは終わっているようだった。
ゲオルグは村長の家の近くで魔族五人と対峙している。他のところから援軍が来ないところを見ると、孤立した敵を狩り尽くして今は最後の仕上げといったところなのだろう。
おれが背後から氷の矢を放って援護をすると、魔族の気がこちらに逸れた瞬間にゲオルグが飛び込み、あっという間にズタズタに引き裂いた。
てくてくと近寄ってみると、犬人族ばかりだ。見るのは初めてだが、彼らは魔族の一種族である。魔獣と区別されているだけあって、体はやや人間に近い。
顔面は犬のように鼻が大きく伸びていて、全体が毛で覆われているが、首から下は二足歩行に適応した形をしている。人間よりやや背が低く、胴体が短く足が長い。細身の体は毛むくじゃらだが、所々薄い部分は筋肉のすじが見えそうなほど引き締まっていた。
本の知識によると、犬人族は多産にして粗食によく耐え、長駆を苦にしないという特性を持っているらしい。こういった敵中で孤立しながら運動する作戦に用いるには、もってこいの性質なのだろう。
「――どうだった?」
ゲオルグは聖剣についた血油をしごくように拭きながら、アリシアの安否を聞いた。
「うん。なんとか助けられた」
「そうか。良かったな。ちなみに、あいつの父親は無事だったぞ」
「あのね……」
おれはゲオルグに一歩近づき、小さな声で言った。
「アリシアを拷問しようとしてた魔王族は、イーリとゲオルグを探しているみたいだったよ」
小さな声で言ったのは、村人たちに万一にも聞かれないためだ。
「……そうか」
ゲオルグは不思議と、驚いた顔をしなかった。
「驚かないの?」
「連中は昔から俺たちを狙っていた。俺は魔王に一生消えない逃げ傷をつけたし、イーリは一番の敵国の首相で、言ってみれば宿敵だったんだから当たり前だ。名指しで探しに来たのは初めてだがな……まあ、そこらの武芸者でもここまで来れるんだ。なにかの拍子に情報を得ていたとしても不思議じゃない」
「そうなんだ……」
「探っていたということは、まだ俺たちの住処には気づいていないということだ。だが、すぐに家を引き払って、今日中に発たなければならないな」
やっぱり、そうなるのか……。
一年と少しを過ごしただけの家だけれど、物凄く愛着が沸いていた。
できればあの家で皆とずっと一緒に暮らしたかった。
だが、それはできないのだ……。
「この村も限界だ。お前が片っ端から魔獣を狩っていたから持ちこたえていたが、周辺の村は離村を始めている。前線も迫っているし、もう放棄したほうがいい」
人々はいつのまにやら敵が全滅したことに気づいたのか、荒らされた家々から出てきていた。
死人はたくさんいる。見知った顔も。
自然、家族の死体を見て泣き叫んでいる人々もたくさんいた。
傭兵の姿も見えない。
最後に村長の屋敷の入り口を守っていた恰幅のいい戦士は、今は腹に何本も槍を受けてドアの奥で倒れ伏している。
二階に居た魔術師は生きているのか分からないが、どのみち一人だけでは戦力にはならない。
「俺は村長に村を捨てるよう話してから行く。お前は先に家に戻って、さっき俺にした話をイーリにしておけ」
「分かった」
「行け」
ゲオルグに言われると、おれはすぐに走り出した。
大きく飛び跳ねると巻き起こした風に乗り、民家の屋根を足場にして更にもう一段飛び上がった。
その時には、自分でも驚くほど、村に未練がなくなってしまっていた。
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