第026話 襲撃
「ここで終わりだ」
ゲオルグは稽古中に、急に剣を下げた。
「なにが終わりなの?」
「剣神との戦いだ。ここで剣神は剣を下ろして、終わりにしようと言った。それで戦いは終わった」
ここで終わりなのか。
「……そうなんだ。なんか……」
中途半端なところだ。特になにかしらの契機があったわけでもなく、どちらかが大怪我を負ったわけでもない。
ボクシングあたりで例えるなら、ゴングが鳴ったわけでもなければ、ダウンしたわけでもない。試合の最中に突然相手が拳を下ろしたような感じだろうか。
「剣神は、おれの集中力が切れかけていたのを察したんだろう」
「ゲオルグに大怪我を負わせる前に終わりにした、みたいな話?」
「そうだな」
魔法には時を巻き戻す魔法とか、大怪我を直す魔法というのは存在しない。もちろん、死者を生き返らせる魔法もない。
できるのは、せいぜいが血を止めたりとか、姑息的に骨折をくっつける程度だ。
剣神からしてみれば、集中力を欠いたゲオルグと戦って殺してしまったり、腕や足を切り落とす怪我を負わせるのを避けたかったのかもしれない。
「そのあと剣神は……筋がいい、また後で戦おう、みたいなことを言ってな。持っていた縦長の袋からこの剣を取りだして、地面に突き刺して、そのまま行ってしまった」
「なんか、ちょっと上から目線だね。ゲオルグは戦いを続けようとは思わなかったの?」
「思わなかった。なんというか……自分の技量の全てを絞り尽くすほどに出し切って、それでも通じなかったわけだからな。いくら絞っても一滴も出ないってところで、丁度剣を引かれた。あれ以上やっても、集中力が切れたところで無様な負け方をしただけだっただろう」
「そうなんだ……」
残酷な話だ。
なぜ剣神は「後で戦おう」などと言ったのだろう。
ゲオルグはその言葉を、約束を信じた。だから更に技を練り上げ、再戦するべく剣神を探し回った。そのためにミールーンにも行ったし、そこら中で剣名を上げて呼び寄せようとした。
だが、剣神は二度と再び現れることはなかった。ゲオルグは年老い、四十も半ばになって体の衰えを感じ、剣神と会いたくなくなった……。
たぶんそれは、老い衰えた体で戦って失望されたくなかったからだ。
ゲオルグという剣豪が挫折を経験し、その後の人生をかけて研ぎ上げた剣は、振るう相手の現れないまま最盛期を過ぎ、そして老化で錆びていった。
なんて残酷な話なのだろう……。
「まあ、お前ならもうちょっと上手くやるかもな。俺には剣しかないが、お前には魔術がある。幾らでも工夫の余地があるだろうさ」
「……そうかな」
「だが、あまり期待はするなよ。剣神が再び人界に現れるとは限らない。どこかで野垂れ死んでるのかもしれないしな」
「……うん」
剣神の動向については、ミールーンの密偵が山神を探す手がかりにするため、かなり詳細な調査をしている。
ゲオルグが戦ったあと、剣神は少なくとも二度の勝負をした。二度とも立会人の前で相手を斬り殺し、聖剣を与えることなく立ち去っている。ゲオルグの時のように、立会人がおらず森の中で二人きりで戦って、相手を斬り殺した場合はケース自体が表に出ないわけだから、実際にはいくらか数は多いだろう。
だが、ゲオルグが戦った時から一年八ヶ月後の戦いを最後にして――逆に言えば、一年と八ヶ月の間に二度も発見例があったのに、それから二十年以上、剣神が現れたという情報は一切ない。もちろん、新たに聖剣を貰った者もいない。
どこかで死んでしまったのだろう、と考えるのは自然なことだ。
「さて。じゃあ、今日は柔軟をやって終わりにするか」
「おっけー。分かった」
白髪の混じったゲオルグの顔には、もう悔恨の色はない。過去に慟哭した夜があったとしても、それはもう諦めの彼方に消えてしまったのだろう。
◇ ◇ ◇
翌日の夜、目が覚めた。視界がまだ暗い……。
眠りの途中で起こされ、ぼーっとした頭が冴えてくると、キィィ――――ン、と、高い音叉が鳴っているような音が、余韻のように耳に響いているのに気づいた。
バタン、と勢いよくドアが開く音がした。
おれの気のせいではなかったようだ。とっさに、ベッド脇に立てかけてある魔法剣を掴んだ。
すぐにドアを開けて廊下に出ると、抜き身の聖剣を片手に持ったゲオルグがいた。魔力を通さない限り何も切れないという性質は、こういう時に便利だ。
「起きたか。お前は家の中にいろ」
「いや、おれも」
「お前は、家の中を守っていろ」
ゲオルグはそう言い直すと、翔ぶようにして外に駆け出していった。
寝間着の上にコートを羽織ったイーリが寝室から出てくる。
「イーリ」
「”木の声”だな」
「うん。今、ゲオルグが外に出ていった」
”木の声”が鳴ったのは今日が初めてではない。幻子鬼というクモザルのような格好をした魔獣が、過去に山道の”木の声”を引っ掛けたことがある。
行っても何もおらず、地面に足跡すらなかったので、その後山中の木々の上にトラップを仕掛けて回って仕留めた。
「そうか」
しばらくすると、ネイの部屋のドアがゆっくりと開いた。
「ネイ」
「どうしたんですか?」
ネイは”木の声”ではなく、廊下でバタバタした音で起きたようだ。
「”木の声”が鳴ったけど、この家じゃないみたい。近くならゲオルグの戦闘音がもう聞こえてきてるはずだし」
「そう。イーリ様、一応、隠れていたほうが」
「いや。この家が敵の目的でないなら、ゲオルグはすぐ戻ってくるはずだ」
イーリがそう言ったときには、ゲオルグは既に玄関に立っていた。
「麓の村だな。数が多いらしい。今は傭兵が戦っている」
上空から見たのだろう。この家は麓から一目で発見されないよう、景観を犠牲にして伸びた樹冠をそのままにしてあるが、屋根に上がれば麓の村をよく観察することができる。
「そうか……」
「どうする?」
ゲオルグはイーリに訊いた。
言うまでもなく、麓の村にはアリシアがいる。そして、イーリは麓の村を防衛する義務を負っているわけではない。
「ルシェ。どうしたい?」
イーリはそのままおれに問いかけを投げた。
「助けに行きたい」
「なら、ゲオルグと一緒に行きなさい」
イーリはすぐに言った。
「おい。俺はお前を守るためにいるんだぞ」
ゲオルグが返す。この家をゲオルグとおれが留守にしてしまったら、かろうじて戦闘できるのはネイしかいなくなる。
おれが戦えるようになってからは、二人ともが家を外す時間はできるだけ減らすようにしてきた。
「連中が私を狙っているのなら、とっくにこの家は包囲されている。あんな地方の村とは比較にならない価値が私にはあるのだから、悠長に村を襲っている暇はない。今包囲されていないということは、連中は私の存在に気づいていないということだ。それに、もし一部がこちらに来たとしても、地下に隠れていればお前が飛んで来るまでの時間くらいは稼げるだろう?」
この家の地下室には、今は別の術式が張ってあり、強力な防楯に使われている対象の結合を強化し堅牢化する仕掛けが全面に施されている。
ネイが魔力を篭めて閉じこもれば、どれだけ強力な敵が来ても二時間は保つだろう。麓の村から急行するには十分な時間稼ぎになる。
だが、最悪の最悪を考えれば、魔王が直接ここに来る事も可能性としては考えられる。それでもさすがに十五分くらいは保つと思うが……。
「早く行け。こうして話しているうちに、手遅れにならないとも限らない」
「分かった。行くぞ」
ゲオルグはおれに目配せをした。
「……いいの?」
おれはイーリを見た。
「いい。助けに行きたいんだろう? なら迷うな。二人で手早く終わらせて、帰ってきておくれ」
「……わかった。行こう」
おれは自前の魔法剣を腰に差すと、ゲオルグの後を追って駆け出した。
◇ ◇ ◇
空を半ば翔ぶようにして麓の村まで降りると、そこは既に戦場になっていた。
家々が燃えている。
ゲオルグは山裾の一際高い木の太い枝に降りると、そこで一度止まった。
おれも同じ木の別の枝に降りる。ぎしっと太い枝がしなり、大きく揺れた。
眼下の村を見る。傭兵たちは村長の屋敷を背にして戦っているようだ。一人だけいる魔術師が二階のバルコニーから火の矢を放って迎撃しているが、辛うじて家に踏み込まれるのを防いでいるにすぎない。家の前では既に三人が死体になっていて、見覚えのある一際体の大きい男が既に破壊された玄関ドアの向こうで侵入を阻もうとしている。
魔王軍は既に傭兵たちを脅威とは見なしていないようで、ほとんどの連中がめいめい勝手に略奪に移っているようだ。村長が中心となって防衛を指揮しているわけでもないので、特に優先して攻略する必要もないのだろう。
要するに、村は既に抵抗しておらず、されるがままになっている状態だった。
敵はパッと見ただけで十はいるので、建物の陰になって見えなかったり、中に入っているのを含めれば三十はいそうだ。
「魔王軍の騎行部隊だな……敵領土の奥深くに浸透して、国力を削いで回るやつらだ。この辺りに来ている情報はなかったはずだが……」
ゲオルグは焦る様子もなく、冷静に分析をした。
「ルシェ、お前はアリシアのいる酒場に行け。おれは陰から数を減らして回る」
「分かった」
「脇目をふらず、まっすぐに酒場に向かえよ」
そう言うと、ゲオルグは枝を大きく揺らして飛び去っていった。
おれもすぐに翔んで、大きく空中に躍り出る。途中で二回加速をつけながら百メートルほど飛翔し、速度を殺して酒場の屋根にすとんと立った。
アリシアの部屋は二階にある。
おれは屋根の縁を踏み外すように落ちると、アリシアの部屋の窓脇にある柱に、横にした魔法剣を突き刺した。
硬化した魔法剣がビンッ、と僅かにしなりながらおれの体重を受け止める。そのまま、少し開いた窓からゆっくりと中を覗いた。
いない。
アリシアは部屋にいなかった。魔法剣を抜き、猫が滑り込むように窓から侵入すると、外で飛び交っている争いの音とは別に、一階からなにやら騒がしい音がした。
剣を片手に構えながらこっそりと歩いていくと、それは話し声だった。
「――吐け」
聞き慣れないアクセントの男の声が聞こえた。
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