第024話 世界の点描
次の日、おれとネイは麓の村にいた。
山を降りる時はアリシアと一緒だったが、酒場のところで別れている。
おれ一人ならアリシアの家に泊まればよかったのかもしれないが、ネイがいるので、村にある旅人向けの民宿に泊まることになっていた。
「話ってなんだろうね」
「分かんない」
イーリからは「ゲオルグと話があるから、麓の宿に泊まっておいで」と言われていた。話す内容には察しがついていたが、どうしてもネイに喋る気になれなかった。
中身のない会話をしながら、民宿までたどり着く。
「二部屋お願いします」
フロントでネイが言ったので、
「ネイ、一部屋にしたいんだけど、駄目?」
「えっ?」
「ベッドが二つある部屋ありますか?」
おれが言うと、
「ええ、空いてるけれど……」
と、宿の女主人は別々の主張をするおれたち二人を見比べた。
「ちょっとやりたいことがあるから、一部屋がいい。ネイが嫌ならいいけど」
「えっと……別にいいよ」
「それじゃ、その部屋お願いできますか? 一泊で」
「はい、いいですよ」
女主人は快諾すると、すぐに部屋を案内した。
◇ ◇ ◇
「で、何をするの?」
木取りした材を組んだだけの、ニスも塗っていないベッドに腰掛けながらネイは言った。
「霊体を体から抜いて、空の高くに行く実験をしたい」
おれがそう言うと、ネイは難しそうな顔をした。
「それって、ヴァラデウムの究理塔で昔やってたって話の?」
「あ、知ってるんだ。そうそれ」
「そうそれ、じゃないわよ」ネイは怪訝そうな顔をした。「あれって究理塔の設備があるからできたことでしょ。それに、危なすぎるから禁止されたって」
「うん。イーリから聞いた」
究理塔というのは、ゲオルグが持っている聖剣と同じく神族が作ったとされる遺物の一つで、霊体を体から抜き宇宙に向けてカタパルトのように弾き出す巨大な装置だ。
だが、心神喪失者が何人も出たので現在は使用禁止になっている。
「たぶん、あれは装置が故障したから霊体を壊すようになったんだ。おれは何も使わないから大丈夫」
「駄目だよ。危なすぎる」
「大丈夫だって。霊体を抜くところまでは一度やったけど、ちゃんと戻ってこれたから。今度は一晩くらい出ていくけど、ネイはちょっとだけ体を見張っていてくれたらいい」
霊体が抜けても、体というのはすぐに死ぬことはない。ただ、なんというか精神とか魂といったようなものが消え失せ、心がなくなってしまう。
しかしながら、心がなくなっても体は植物人間のようにはならない。意識が消え、会話を一切しなくなり、生存欲求のようなものもなくなる。傷をつけても痛がらないし食事も自ら摂ろうとはしなくなる。
つまり攻撃性のないゾンビのようになってしまい、飲まず食わずなのでそのうち死んでしまう。
今回は一晩だけなので飲まず食わずの部分は大丈夫だが、問題なのはその状態のふるまいに個人差があって、勝手に立ったり歩いたりする場合がある、というところだ。
イーリの場合はずっとぼけーっとしているだけだったので都合が良かったようだが、おれがそうとは限らない。勝手にドアを開けて出ていったりするケースがあるのかまでは分からないが、宿から出て村をうろつき回りでもしたら大変な騒ぎになってしまう。
「ロープも持ってきた。これで体をベッドに縛り付けてもらえれば起き上がることもない。無理に暴れたりはしないんだって」
「駄目」
「駄目じゃない」
「じゃあ、嫌」
「嫌じゃない。面倒なら、縛り付けたあと明日の昼過ぎまで放っておいてくれればいいよ」
「ルシェ、あなたは知らないかもしれないけど、体から出た霊体って簡単に壊れるんだよ。絶対に危ない。やめたほうがいい」
「何も危ないことはしないよ。約束する」
実際危ないことをするわけではないのだ。少なくとも魔獣と戦うよりは格段に安全である。
「じゃあ、何をしようとしてるのか説明して。説明できないなら協力できない」
「……うーん、簡単に説明すると、宇宙を見てくるんだよ。元々、究理塔っていうのはそういう研究をするための施設だったんだ」
「宇宙に? 宇宙に行ってなにをするの」
「そりゃ、色々だよ。この星は第三惑星だけど、他の惑星にも星竜がいるだろうっていう説は知ってるでしょ? でも、調べたくてもこの星の自然魔力が他の天体からの魔力を弾いてるから、地上からじゃどうやっても観測できないんだ」
「……ううん」
ネイは頭を抱えるように目を強く瞑った。よく分からなかったらしい。
「でも、究理塔がそのための設備なら、それがないと飛べないから建てたんでしょ? ルシェが今この場でそんなことができるなら、そもそも作る意味がないじゃない」
「それは、みんながこの星で産まれたからだよ。霊体格子は生まれた時から変わらないから、重力みたいに星に引っ張られることになる。おれはこの星産まれじゃないから引っ張られない可能性がある。まあ、駄目だったらすぐ帰ってくるし」
「………うーーーーん」
「まあ……ネイが嫌なら一人でやるよ。ちょっとおかしな人に思われるかもしれないけど」
この村は平和だし、個室をもう一部屋借りて、部屋に鍵をかけておけば体の方が勝手に出ていくこともないだろう。
見守っていてくれる人がいたほうがいいというだけで、片手を難しい結び方で縛り付けておけば解いて逃げることはないだろうし。
「……そこまで言うなら、別に見張っているのはいいけど、本当に安全なんでしょうね」
「絶対に安全だよ。ちょっと行ってくるだけだから」
「分かった。じゃあ、見ててあげる」
「じゃあ、早速はじめるね」
おれは奥のベッドに横になって、予め考えておいた発現素子を組み始めた。
◇ ◇ ◇
ぷつぷつと体と霊体の癒着が切れてゆく。そのうち、霊体が体から離れ、空中に浮遊していった。
自己の霊体と体は特別な親和性があるが、魂の緒のような何かで繋がっているわけではない。これでおれは二つに分かれてしまった。
物理的な器官としての眼球が存在しないので、視界からはカラフルな色相が消えた。霊体に備わっている魔力を見る機能だけが残り、世界を濃淡で意識に伝える。
それでも、大気中に存在する希薄な魔力と、石や木、土に固定されている魔力は組成や密度が異なる。建物の輪郭を捉えることは容易だった。
この姿だと、ネイの体に流れている霊体もよく見えた。周りとは明らかに違う高密度の魔力が複雑極まる構造体を為し、絶えず流動している。
ベッドに横たわるおれの体をロープで縛ろうと作業をはじめていた。慣れていないからか、手間取っているようだ。
おれはそんなネイを尻目に窓から外に出て、体から魔力を放出していった。星には、自分の生み出した魔力を逃すまいと引き寄せる力がある。地上で吸収した魔力を霊体に貯めていると、重力のような形で地面に引っ張られ、宇宙に出ることができない。それは熱気球がバラストを捨てるような作業だった。
それが進むにつれ、おれはするすると天高く登っていった。
想定通り、大気密度と同じく、高度が上がるとともに自然魔力は少なくなっていった。
眼下に大陸を確認しながら、成層圏を抜けてゆく。大気の存在が感じられなくなると同時に、星からの魔力が限りなく稀薄になってゆくのを感じた。
そのまましばらくすると、案外と簡単に宇宙と呼べるほどの高度に辿り着くことができた。
眼下の星からの魔力が無視できるほど薄くなる。すると、代わりに満天の星空がその姿を表し始めた。
今いる銀河を構成する星々が、天上を横断するように密度の濃い星の大河を作っている。それらは、一つ一つが色相の違う魔力を放ちながら煌めいていた。
銀河は色鮮やかな点描のような美しさで、世界を彩っている……。
おれは、恐ろしいほど大きなスケールの風景を目の当たりにしながら、しばらくの間呆然としていた。
そして、ふと我に返ると、霊体を変化させて遠くを見るための望遠鏡のような構造を作った。
第四惑星は太陽の関係で見えない位置にあるので、遥か遠く……この星系の外惑星である第五惑星のあるべき場所を観察する。
それはしばらくして見つかった。
第五惑星は巨大なガス惑星だ。その表面を、ありえないような太さの大蛇が泳いでいる……。
……星竜だ。
金属水素の海に泳ぐ星竜は、表層のアンモニアの雲海の上を、浮き上がったり潜ったりしながら、ゆっくりと周遊していた。
やはり、この星が特別だったわけではないのだ。竜はどの星にもいる……。
おれは目線を移して、第六惑星のほうを見た。かなり遠いはずだ。
なんとか探し当ててみると、氷の惑星の表面で、トカゲモドキのような姿をした星竜が背中を見せていた……内惑星側、つまり太陽に背中を向けて日光浴をしているようだ。
のんびりとした雰囲気で、ぷっくりと太った大きな尻尾をときおり動かし、地表をべちんと叩いている……。
ああ、なんということだろう。この広い宇宙の、満天の星々の一つ一つに竜がいる。星は生きているのだ。宇宙は生命に満ち満ちて、煌々と光を放っている。人間の生とは違う形で……。
この宇宙は、質量が物理法則に支配され流転し、素粒子と電磁波が飛び交っているだけの寂しい世界ではなかった。悠久を生きるものたちが叢となって、にぎやかしいきらめきを放っている……。
おれは言いしれぬ知的な驚きとともに、心の底から打ち震えるほどの感動を覚えた。
そして、ああ……耳を澄ますと、微弱な魔力の波が聞こえる。それは星間魔力が発するノイズのような雑音にまぎれているが、確かにメロディのような規則性があった。
遠く離れた星竜の吠え声、恒星のフレアーが乱した魔力風。そんな雑音に混じって、人為的な波長を感じる……。
これは知的生命体が宇宙に発した波なのだろうか。耳を澄ませてできる限り記録する。何を伝えようとしているのだろう……。
背後の星が太陽を遮って夜になると、太陽風の影響が消え、さらに明瞭な観測ができた。
ここでは、様々なことが手にとるように分かる。
それにしても、なんと心地のよい空間だろう。ここには自分が永劫をかけても解き明かせない未知と、探究すべき謎がある。
このまま星から離れれば、さらに星の影響は弱まる。恒星系の外に出れば観測は更に明瞭になり、銀河の中心で何が起きているのかを知ることもできるだろう。
それはあまりにも心惹かれる誘いだった。
ああ、けれど、戻らなければならない……ネイ、イーリ、ゲオルグ。待っている人たちがいる。
おれは宇宙に背を向け、重しとなる魔力を溜め込み、井戸に沈むようにして地上に向かった。
◇ ◇ ◇
地上に戻ると、宿屋の部屋に三人が集まっていた。霊体だけになると顔もわからない。
一人だけ妙な霊体をしていたので、これはイーリだなと思った。なぜイーリがいるのだろう……不安になったネイが呼んできたのだろうか。
するり、と霊体を体に戻すと、親和性によって吸い付くように一体になった。
目を開いて辺りを見回してみると、どうやら夜のようだ。霊体の視界は光を感知する目がないので、昼か夜かもよくわかっていなかった。
三人は椅子に座って神妙な顔をしている。
何か言われるかと思ったのだが、誰も何も言わない。戻ったことに気づいていないようだ。
「……わたしが、私が止めなかったから……」
ネイが消え入るような声で何かを言っている。表情は絶望に染まっている。
「何度も言うが、そんなことはない。あいつは自分の意思で行ったんだ」
ゲオルグが厳しい声で言った。
「でも、まだ子供ですよ。子供が一人で山に入りたいって言って行かせる大人がいるでしょうか。止めるのが私の義務だったのに……」
「お前も子供だ」
「ルシェと比べれば大人です。あの場では私が大人にならなければならなかったんです」
ずいぶんと深刻そうな調子である。口を挟みにくい。
「ネイ、やめておくれ」
きわめて深刻そうな顔をしたイーリが、厳しい声をかけた。
「こうなったのは誰の責任かなど、私は考えたくないんだ……お願いだから、やめてくれないか」
「……すみません、イーリ様……」
「あの……」
おれはたまりかねて声をかけた。
「……戻ったんだけど」
そもそもおれはベッドに縛り付けられているので動くことができない。
首だけを動かして言った。
「ルシェ……」
イーリが信じられないようなものを見る目で、おれを見た。
すぐに近づいてきてベッドの脇に座ると、おれの顔を近くで見ながら頬をさすった。その手はひんやりと冷たかった。
天井にかかる魔術灯火の影になったイーリの顔は、嬉しいような悲しいような……泣きそうな表情をしていた。
「大丈夫か……? ちゃんと戻ってこれたのか……?」
「うん。いったいぜんたい、何事?」
「よかった……」
イーリは覆いかぶさるようにしておれを抱きしめた。
その温かな感触は、今までの人生で一度も味わったことのないものだった。
しばらくするとイーリは体を離し、そして壁に立てかけてあった杖を持つと、なぜか石突きのほうを握って振りかぶった。
ばこっ、と杖が額に当たる。
「この、馬鹿弟子が! 勝手に危険な真似をして!!」
怒っている。
「……ごめん」
わけがわからないが、ともかく謝っておこう。
どうも、話の感じやテンションからすると生還は絶望的な状況だと思わせてしまったらしい。
ネイは一晩以内に帰ると思っていたはずだから、二人が来ているということは、少なくともそれはオーバーしたのだろう。
「ちょっと分かってないんだけど、何日経ったの?」
「丸々五日と六時間だ」
ゲオルグが言った。
「五日……そう」
戻る際に大陸の外形からこの場所を探さなければならず、その際にかなり手間取ったので丸一日経ってしまったかもとは思っていたが、まさか五日も経っているとは思いもしなかった。
肉体から発する空腹だったり眠気だったりという信号がないので、もともと霊体の状態では時間的な感覚は麻痺するものだと言われている。
しかし、それだけでは説明がつかない。そもそも、太陽が通り過ぎた回数をカウントすれば、日数など簡単に数えられるのだ。
今思えば、おれは数えようとも思っていなかった。
つまり、意思そのものがなかったのだ。それは、間違いなく肉体の脳のはたらきがなくなった影響だろう。主観的には思考の一部が欠落した感覚などなかったが、無自覚的に大きく欠け落ちていて、異常な思考形態になっていたのかもしれない。
かなり危ない状況だったことに、今更ながらにゾッとした。
そもそも、おれは離れる前に刻限を半日と宣言してしまったので、ネイが心配をしだす前に終わらせなければ――という意識を強く持っていた。その焦燥感のような感覚は、意識全体に帯びたまま霊体を切り離したあともずっと続いていた。
だから(自分の中では)早く切り上げて帰ってきたわけで、もしネイに内緒で始めていたら、もっとずっと遅れていたかもしれない。
自由な一人旅の途中のような状況で始めていたら、それこそ五日どころではなく一ヶ月や半年くらい放置してしまい、そのまま死んでいた可能性もある。
「ごめんね。心配かけたみたい」
「まったくだ! やるなら事前に相談くらいしろ」
「うん……ところで、そろそろロープを解いてほしいんだけど」
「ああ」
ゲオルグが近寄ってきて、手に持っていたナイフでロープを手早く切った。
体が解放され、ベッドから体を起こした。体中がギシギシしていて、自分の体ではないみたいだ。
「まず腱を伸ばしてから動け。寝たきりだったんだ。急に動くと痛めるぞ」
「うん」
ストレッチをして腕や肩の関節をゆっくりと伸ばしてゆく。凝り固まっていて、可動域も少し狭くなっているようだ。
五日も寝たきりだったのだ。当然かもしれない。柔軟ですぐに戻るだろうか……。
「ごめんね、ちょっと鍛え直しかも」
「まったくだ。あまり無茶はするな」
ゲオルグに無茶と言われるとは。
あれほど平気で無茶苦茶させるゲオルグにたしなめられるということは、今回はさすがに死んだと思ったのかもしれない。
こちらとしては平気なつもりだったんだけど……。
「ネイ?」
ネイは椅子に座ったまま、おれに背中を向けて縮こまっている。背中は小さく震えていた。
おれはそこに近づくと、前に回ってしゃがみこんだ。
すると、ネイは顔を見せたくないのか、体の向きを変えた。
「……ひっく……ううっ……」
おれは涙を流すネイの背中を手で触れた。嗚咽するたびに震えている。
「心配かけてごめんね。ぜんぜん安全じゃなかったみたい」
「もうっ……、ほんとっばかっ! 死んじゃったかと思った!」
「うん……大丈夫、死んでないから」
「当たり前でしょ!」
それからネイが落ち着くまで少しの間待って、宿の会計を済ませると、おれたちは家に戻った。
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