第013話 家事手伝い
麓の村に下りると、まずは村長の屋敷に向かった。
村長というのは行政上の責任者なので、村内の揉め事を仲裁したり、戸数や住民の一覧表を管理して国に報告したりしている。なので村人のことは一人ひとり全員のことを知っているし、そうでなければ職務が務まらない。
とりあえず村内で相談事があれば村長のところに向かうのが正解だ。
ほどなく、村長の屋敷にたどり着いた。
立派な石造りの邸宅だ。こういった類の建物は、徴税や急使などの公務でやってきた貴族を饗すこともあるので、他と比べて良い作りになっているのが普通である。
役人に提出した書類の控えを保管する書庫なども備えなければならないから、普通は村からあがる税を一部使って維持していくことが認められている。
玄関のベルを鳴らすと、現れたメイドに相談事があるので村長に会わせてほしいと伝えた。
すると、すぐに村長が現れた。心労が絶えない職務なのか、単なる遺伝か、頭の禿げ上がった中年男性だった。
「何の用向きですかな」
ゲオルグの身なりはみっともなくはないが、正装とは程遠い、言ってみれば簡易な旅装のような格好だ。そのため初対面の村長の反応はやや冷たかった。
「山の上の別荘風の建物に滞在している者だが」
「あっ、左様でございますか」
村長は一瞬で顔色を変えた。
「どうぞこちらに。用向きをお伺いします」
村人たちはイーリの立場を知らないが、大方、村長とは何かしらの取引をしてあるのだろう。そうでなければこの反応の変化はおかしい。
「いや、すぐに済むからここで構わない。家事を代わりにやってくれる者を、通いで一人雇いたいと思っている。その件で相談をしたく訪ねさせてもらった」
「ああ、なるほど……それなら私の方でご紹介できるかと思います」
「それなら話が早い。まあ、毎日山を登り降りできる体力があれば年齢性別は問わない。ただ、盗みを働くような気性だと困る」
「家事というのは、料理も?」
「ああ。場所が場所だから、食材の運搬などはこちらでするつもりだ」
ルシェが鍛錬ついでにやるだろう。ルシェがやらないなら人夫を雇って運ばせてもいい。どのみち、イーリは金に困るような身分ではない。
「ならば、丁度よろしい町娘がおります。この屋敷で働いているメイドです。元気がよい娘なので山の登り降りも苦にせぬでしょう」
なるほど。村長の屋敷で働いている娘ならば間違いないだろう。
そう簡単に手放していいのかとも思うが、この屋敷なら一人くらい欠けてもなんの問題もないのかもしれない。
「ただし、厨房の担当ではございませんので、今晩の食事を作らせて腕前を見ておきます。まるで使えないようであれば別の者を紹介いたしますので」
「そうか。だが、本物の料理人のような腕前は望んでいない。今も素人が作っているが、特に不満はないしな」
「なるほど。しかし一言に素人といっても、毎日家族の食事を作っている女房と、包丁も触ったことがない小娘とでは大きな差がございます。最低限食べられる料理のいくつかも知らないようでは、やはりお役に立てませんでしょう」
確かに、それは道理だ。
「それはそうだな。では、あとは万事よろしく頼んでよいか。それと……こちらで払っている月の給金は幾らくらいになる?」
「オルメール銀貨九枚でございます」
随分と安い。まあ、田舎ならそんなものかもしれない。
「なら、それよりは多く払えると思う。もしその子の同意が得られるようなら、一度山の上のほうに来させてほしい」
給金を払うのは家主のイーリなので、決める前に一度会わせたほうがいいだろう。
「かしこまりました」
「では、頼んだ」
ゲオルグは軽く一礼すると、玄関を辞して村長の屋敷を後にした。
◇ ◇ ◇
食材を買って木刀を受け取り、山の上に戻ると、ルシェは早速指導を頼んできた。
目の前にはとりあえず色々作らせてみた木刀が並んでいる。長い短い少し重いだとか、ゲオルグが手加減しながら稽古をするために頼んだものだ。
中には一本だけ野太い枝を柄だけ整形したようなものがある。これは素振り用に作った重い木刀だ。
「ルシェ、先にお前に教えておくことがある」
ゲオルグは素振り用の木刀と、普通に整形された木刀を取った。
「この二つの木刀の違いが分かるか?」
「片方は雑に作ってある。素振り用でちゃんと作る必要がないから」
すぐに答えが帰ってきた。
確かに、素振り用の木刀は腕の太さくらいある木の一端を削って柄にしただけのものだ。
「まあ、正解といえば正解だな。こっちは、要するに筋力をつけるための道具で、剣とはまた別のものだ」
「うん。そうだね」
「こっちは見るからに剣を模したものだな。訓練用だが、剣の代わりとして扱うものだ」
「うん」
「じゃあ、最初に、腕前を上げるために一番重要なことを教えるからな。これだけは絶対に忘れるな」
「おっけー」
まあ、わざわざ念を押さなくとも普通に覚えていそうだが。
「木刀に限らず、剣を握ったときは一度として漫然と振るな。夜に一人振るときでも何かしら実感しながら振れ」
「……どういうこと?」
ルシェはピンと来なかったようだ。
「町の道場でよくあるのはな」
ゲオルグは木刀を一本掴んで、振りかぶって上段からの素振りを何回か繰り返した。
「門下生がみんな集まって何十回何百回とこれを繰り返すんだ。だが、ただ漫然と振って稽古しているフリをしてるだけでは何万回振ろうが意味がない。全くの時間の無駄だ」
「まんぜんとふるのがダメなのね」
「そうだ。素振りだけじゃないぞ。おれと剣を打ち合ってるときも、筋肉の動かし方、刃の流れ方、一連の動作の疾さ、なにかしらを実感しながらやれ」
「わかった。がんばってみる」
「こっちの素振り用の木刀は別だからな。これを振るのは、腕立てや懸垂をして体を鍛えるのと一緒だ」
「うん」
「じゃあ、早速始めるか」
一通り言い終わると、ゲオルグはルシェに一番細身の木刀を渡した。
「とりあえず、打ちかかってきてみろ」
「どんなのでもいいの?」
「ああ。おれは剣聖だから当たらん」
そう言うと、ルシェは木刀を振りかざして袈裟に斬ってきた。
「えいっ!」
袈裟といっても、身長差があるのでゲオルグの腹のあたりを斜めに斬る格好になる。
ゲオルグは、上から手を振ると木刀の背の部分からぱっと掴んで止めた。
そのまま強く引っ張ると、ルシェは手を離してしまった。
「お前、酷い筋肉痛になってるだろう」
「……うん」
ルシェの剣はあまりに動きがぎこちなかった。
考えてみれば、昨日腕が動かなくなるまで斧を振るったのだから、筋肉痛になるのも当たり前というものである。
「体がまともに動かないうちに稽古をしても仕方がない。ま、しばらくは基礎体力づくりだな」
「……分かった」
ルシェは早く本格的な稽古に入りたいようだ。
「筋肉痛になっている間は柔軟を重点的にやるか。これも立派な稽古だぞ」
「柔軟?」
「ああ。体術の基本だ。痛いが、お前にとっては大した痛みではないかもな。地べたでやるのもなんだから、そっちに上がれ」
ルシェは靴を脱いでウッドデッキに上った。
「股を開いて座れ」
ゲオルグがそう言うと、ルシェはすぐに開脚をして尻を床につけた。
ややこしい体勢なので、もう少し説明が必要かと思ったのだが……。
「向こうの世界にも同じようなのがあったのか?」
「うん。あったよ。背中を押すんでしょ」
「なんだ、どこでも一緒だな」
体の作りが一緒なのだから当たり前か。
ゲオルグも靴を脱いでウッドデッキに上がり、ルシェの肩を掴みながら背中を膝で押して体重をかけた。
「痛いか?」
「うん」
全然平気そうなので、膝に加える体重を増やした。
「ゲオルグ」
息苦しいような硬い声が返ってきた。
「それ以上やったら筋肉が切れるかも」
「めちゃくちゃ痛いのか」
「すごく痛いよ」
「そうか」
ルシェほどの年齢の少年なら、普通は泣き叫んでしまうものなのだが、どうも桁の違う痛みの経験で感覚がおかしくなっているようだ。
反応が薄いのでなんとも加減を読みづらい。少し緩めたほうがいいだろう。
「向こうの世界でもこういうのをやったのか」
「やってる子はいたよ。体操……体操っていっても、普通に運動の前にやるやつじゃなくて、なんていうか体を美しく動かすことを競う競技みたいのがあって、飛んだり跳ねたりするの。それだと足がまっすぐ開くくらいじゃ足りないから、逆反りに開くまで柔らかくするんだよ」
それはまた過酷な世界だ。
逆反りとなると、やられた子供は泣き叫ぶくらいでは済まないだろう。
「やっぱり、どんな世界でもてっぺんを目指すとなると大変なんだな」
「そういうことだね」
「お前は、向こうではどんな勉強をしていたんだ? 魔法はなかったんだろ」
ルシェもその子どもたちと同じで、頂点を極めるために何かを勉強していたのだろうか。
そうやって突出した才能を示さなければ、何千何万といる同世代の子供たちの中で格別の優遇措置など受けられないだろう。
「いろいろだよ。国の仕組みとか外国語とか、歴史とか数学とか科学とか。学費を無料にするには全部の成績がよくないとダメだから。あと、数学が特に得意だったから数学の……世界大会みたいのに出て、それでお金を貰えるようになったの。おれの国で一番のお金持ちが、そういう子たちにお金をあげる活動をしててさ」
「それはいい活動だな」
数学に大会もくそもあるのかと思うが、ルシェの居た世界では何かしら凄い催しだったのだろう。ルシェの年齢で出られること自体、周囲から瞠目されるような快挙だったのではないだろうか。
「まー、実際に一度だけ会ったけど、ものすごく頭のいいおじさんだったから、やっぱり頭のいい子が好きだったんだろうね」
「そういうこともあるだろうな」
自分と同じ才ある者に共感するというのもあるのだろうが、単純に同じ金をやるなら遊びに使って終わりのバカにくれてやるより、身を立てるための金として才はあるが境遇が恵まれない子供に使ってもらいたいと思うのが人情というものだろう。
「それでまあ、あと二年くらい頑張ったら別の国にある世界で一番いい学校に入れそうだったから、それまでの我慢だと思ってたらこうなったわけ」
「そりゃ、災難だったな。呼び出して悪かった」
どうやら、ルシェは施設で暮らしながらも自らの才能を使って這い上がろうとしている最中だったらしい。
「いや、こっちのほうが楽しいから全然いいよ。向こうが楽しかったわけじゃないし……まあ、こっちは治安が悪そうなのが珠に瑕だけどさ」
「向こうでは戦争みたいなのはなかったのか?」
「いっぱいあったよ。でも、おれの国はずいぶんと平和な国だったからさ。軍隊はいらないかもしれないって言ってる人もいたくらいだし」
軍がいらない?
それは徴兵軍が必要ないという意味ではなく、武器を持って外敵と戦う仕組み自体が要らないということだろうか。
だとしたら随分どころではなく、とんでもなく平和な国である。
ゲオルグにはほとんど想像もつかなかった。どの国も相手にしないような離島だったのだろうか?
「なんとも平和なところだったんだな」
「うん。まあでも、施設では普通に蹴られたり殴られたりしてたから、言っちゃなんだけどおれの周りは暴力だらけだったし、こっちもそんなに悪いって気はしないよ」
「……うーむ、それなら、学校ではどうだったんだ?」
「学校でもよくはなかったよ。だって普通の子供の中に一人だけ施設から来てる子がいて、それが一番頭がよくてやたらと教師から褒められるんだから、そりゃ虐められるでしょ」
「それもそうか」
なんとも悲惨な境遇である。
だが、そんな境遇で育ったにも関わらず、ルシェの性格は卑屈ではない。
殴られ虐められ、心根を折られ続けていたのならこうはならないだろう。天性の意思の強さでそこそこやっていたのではないだろうか。
「そんなわけだから、別によびだしたのは悪く思わなくていいんだよ。イーリはきにやんでるみたいだけどさ」
「まあ、あいつは女だからな」
「関係あるの?」
ルシェの顔は見えないが、随分と不思議そうな声だった。
「そりゃ、あるだろう。お前はなんとも思ってなくても、イーリからしたら実の子と引き離された母親のことは気の毒に思うはずだ」
「え、アレを? だってくずだよ?」
屑。
「母親のことを屑なんて呼ぶもんじゃないぞ」
ゲオルグは思わず眉をひそめた。
実の母親のことを屑などと呼ぶもんじゃない。腹を痛めて産んだのだから、いくらなんでも気の毒だ。
「ゲオルグにはわからないよ」
「まあ、確かに知らんが……でもな」
「みんな同じようなことをいうけどさ、ちがうんだよ。だって、アレはおれがお金貰ってることを知ったら寄越せって言ったんだよ? でないと遠くに引っ越させて学校にいけなくしてやるってさ。まあそれはさすがに無理だったみたいだけど、それって親っていえる? 施設料も延滞してろくに払わないからおれが払ってたんだよ。孤児院に放り捨てたまま消えてくれるなら立派な親だとおれも思うよ。でもなんで敵のことを親って呼ばなきゃいけないのさ。まあお金せびるくらいは全然いいけど、一番腹が立つのは名前だよ。思い出すだけですごく気分が悪くなるから、アレのことは二度と話題に出さないでほしい」
物凄く怒っている。
ルシェが怒ったのを見たのは初めてだ。こんなに怒るとは。
「お、おう……」
「もうそろそろいいんじゃない?」
もうずっとルシェの背中を押している。
確かに、十分だろう。
「じゃあ、次は肩だな」
ゲオルグは次の柔軟に移っていった。








