第012話 競争
「……………」
ネイは森の近くの木の裏でわかりやすく落ち込んでいた。
ゲオルグは声をかけるべきかも分からず、家の裏にある薪を割るための台に座った。
やることもないのに座っていても不自然なので、ネイに気付いていないふりをして、聖剣を抜いて調べた。
何度調べても変わるところがない。
斬れないものがない剣だったので、竜人の胴に思い切り打ち込んだせいで刀身が反れたりしていないかと心配だったのだが、そういう使い方も想定されていたのか全く反っていない。誰が作ったのか、本当によくできた剣だ。
ずっと剣を見ていても仕方がないので、暇つぶしに厨房から包丁を持ってきて研ぐことにした。
砥石は外に転がっているのを前に見かけていたので、バケツに入れた水と一緒に持ってくる。しゃりしゃりと研いでいった。民家にあるものなので、刀剣の研ぎに使われるような質の良い砥石ではない。研いでも刃が鏡面にならず曇ったままだが、料理に使う分にはこれで十分だ。
「あの」
ちょうど研ぎ終わった頃、近づいてきたネイが声をかけてきた。
「食べ物に鉄の臭いが移りますよ……まあ、いいですけど」
「もう終わってしまった」
「いえ、いいです。別に」
包丁に文句をつけに来たわけではないだろう。そもそも晩の料理を作り始めるまで時間が空くので金気は消える。
ネイはゲオルグの近くで膝を折ってしゃがんだ。
「ルシェのことで苛立ってるのか」
「……いえ、そんなことは」
「まあ、気持ちは分からんでもない」
ゲオルグはネイの発言を無視して続けた。
「俺も道場に通っていたころ、客人として来た剣士に叩きのめされたことがある。何度挑戦しても勝てなくて、今のお前のように落ち込んだもんだ」
「え、そうなんですか……?」
「ああ。天狗になってた俺を叩きのめすために師範が呼んだんだ。もっと強くなりたいなら、むくれるのを止めて頭を下げて教えを請いに行け、なんて言われてな。誰が教わるもんかと思った」
あれは十六歳の頃だった。
呼ばれたのは二十二歳の、やたら長い腕を器用に扱う剣士だった。リーチの有利を効果的に使い、刃圏の内側に入られない戦法も工夫していた敵に、当時は為す術もなく叩き伏せられた。
「それで、どうしたんですか?」
「どうもしない。自分でなんとかしたさ。勝つ方法を考えて、正々堂々と戦って腕の骨を折ってやった」
今考えればとんでもないガキだが、当時はそれが当たり前だと思っていた。痛々しい過去である。
「……でも、私は」
ネイは不安げな面持ちだった。
「恐ろしいです。十年以上も魔導を学んできたのに、それを一ヶ月も経たずに追い抜かれたら……どうしようって」
「一ヶ月は……どうだろうな」
剣の話であれば、そもそも年齢なりの体の大きさや心肺の持久力、鍛え上げた筋力といった面が影響してくるので一ヶ月で抜かれるというのはありえないが、魔術の場合はどうなのだろう。
「でも、言葉だって普通、あんなにすぐ喋れるようになったりしないでしょ……魔法も、本を読んだだけですぐに使えちゃうって……」
「まあ、確かにな」
「亀が十年歩こうが、駿馬が走ったら一ヶ月もかからず追いつかれてしまうでしょう?」
「亀は馬と競おうとは思わない。別の動物だからな。お前がもしルシェのことを生きる世界の違う動物だと思うなら、競うのは止めたほうがいい」
「……諦めろ、ってことですか?」
「違うさ。才能があって努力も厭わない人間と競おうと思ったら、誰だろうが何かを犠牲にして努力しなければならないんだ。本当の世界の頂点ってのは、魔術だろうが戦闘だろうがそういう世界だからな。ただ、世の中の凡人の大半はそんな努力はできない。その結果、努力もしないで気持ちも割り切れず、ただ醜い嫉妬だけして他人の足を引っ張るだけの存在になる。そういう人間になるくらいなら、ルシェは自分とは違う人種なんだと割り切ってしまったほうがいい」
「……もしルシェが追いついてきたら、どうしたらいいんでしょう。諦めて黙って追い抜かれればいいんでしょうか。割り切るのが正解でも、それができる自信がないです」
「まあ……そうなったら、その時の自分の心に聞いてみるしかないな。俺はべつに、諦めるのが悪いって言ってるわけじゃない。イーリも別に、怒ったりしないだろう」
むしろ、イーリはネイには今のままでいてほしいと思っているのではないだろうか。
少なくとも、対抗意識などは燃やさず仲良くやってほしいとは思っているだろう。
「要するに、自分の中で納得できるまでやるか、諦めて折り合いをつけるしかないってことだ。おれは諦められなかったクチだが、中途半端だけはやめておけ」
「諦められなかったって……だってあなたは剣聖でしょう? ルシェと同じで、何も犠牲にせずに全てを手に入れた天才じゃないんですか?」
「……馬鹿なことをいうな」
笑えない冗談だ。
「そりゃ、才能があったのは否定しない。腕前の伸びは他人より早かったろうさ。だがな、世界の頂に挑む者にとっては、才能なんてのは山の裾野を踏むための資格みたいなものなんだ。俺は剣神に本気で勝とうとしたんだ。今はのんびりしているように見えるだろうが、剣神を追いかけていた頃は毎日全てを犠牲にして気が狂ったように修行をしていた。俺の強さに憧れて勝手についてきた弟子志願は大勢いたが、誰もついてこれなかったくらいだ」
言い切ってから、思わず言葉に怒気が篭もっていたことに気づいた。
大人げない。
「……すみません、失言でした。そうですよね」
「まあ、手の届かないものを手に入れようとするということは、そういうことなんだ。諦めるのは悪いことじゃない。俺だって、そうしていたら今頃は妻も子も持って街暮らしに落ち着いていたかもしれない。それが今はこのザマだ」
「そんなことは……」
「とにかく、諦めきれないなら、自分にできる精一杯で頑張ってみることだな」
ゲオルグがそう言って黙ると、ネイは少し悩むように口をつぐんだ。
「ちょっと、考えてみます」
◇ ◇ ◇
翌日、日課として課した登山道の上り下りで山裾の村に向かうと、大分歩いたところでルシェが声をかけてきた。
「あのさぁ……ゲオルグ」
「なんだ?」
「魔術の勉強、辞めてもいいかなぁ……」
なんだか今日は妙に辛気臭いと思っていたが、一体どうしたのだろう。
「なんだ? 気に入らなかったのか」
普通、才能がある分野というのはやっていて楽しいものだ。
ここはどこぞの魔術学院ではないので、他人に勝つ、他者を上回る喜びというのは感じられないだろうが、優れた教師に学びトントン拍子に理解が進んでいくのはそれ自体楽しいことだろう。
「いや、ネイがなんだか……ちょっと嫌そうな顔をしてたから」
ネイのことが引っかかっているようだ。
「だからどうした。ネイが嫌がったら止めるのか?」
「辞めるよ。だって命の恩人だもん」
命の恩人?
はて……と一瞬考えて、励起の時のことを言っているのだと気づいた。
直接救ったわけではないが、ルシェとしてはあの地獄の苦しみから逃れる端緒となったのはネイと考えているのだろう。
まあ、命の恩人というのは少し大げさなような気がするが、間違いというわけでもない。
「そんなこと、気にするな」
「ネイ、おれのこと嫌いになるかな」
しょぼくれている。
「お前には言ってなかったが、これから家事手伝いを雇いに行く。ネイはお前に触発されて、魔術の修行に本腰を入れるつもりのようだ。そうなったら日に三度飯を作る時間はないからな」
「えっ、聞いてない」
「お前は気にしなくていいことだ。とにかく、お前はネイを気にせず全力で学べ。それが礼儀ってもんだ」
「………うーん」
「何かあるのか?」
「いや、まあ、分かったよ……」
ルシェは煮えきらないような返事をした。
分かったような分かっていないような声色だ。少なくとも心から納得をしていないのは伝わってくる。
「どうした? なにか心配なことがあるなら話してみろ」
「……だって、どうせ上手くいかないもん」
「なぜそんなことが言える」
「ずっとそうだったから分かるよ」
なにか経験者のような口ぶりだ。
「昔なにかあったのか?」
ゲオルグがそう言うと、ルシェは元気なくうつむきながら頷いた。
「ほら、おれってあたまがいいでしょ」
「まあな」
それは確かな事実だ。これほど賢いなら、自分は馬鹿だと謙遜するのも嫌味だろう。
「だから、施設から出ようとして勉強したんだよ」
「施設? どういう意味だ」
「こっちいうと……なんだろ、親がいない一人ぼっちの子が最後にいくとこ」
要するに孤児院のような場所にいたらしい。
やけに元の世界に対して後腐れがないので、まあそんなところだろうと想像はしていたが、やはりそういった境遇にいたようだ。
「向こうでは、あたまのいい子は無料でいい学校にいける仕組みがあってさ。それを使いたかったから、施設で一番頭の良かった年上の子に勉強を教わったの。あっという間に追い抜いちゃって、自分だけ別の学校に通うことになって、それで嫌われちゃった」
「そんなことがあったのか」
やはりというか、ルシェの頭の良さは向こうの世界でも標準ではなかったようだ。
というか、口ぶりからすると、孤児だろうが全員学校に行ける仕組みがあって、ルシェはその中でも上等の学校に通っていたという感じに聞こえる。だとすれば、随分と先進的な国家である。少なくとも、このあたりを支配しているオルメールという国では孤児は学校になど行かない。
「まー、嫌われたのはその子にだけじゃなくて、施設にいる全員だったんだけど。本当ならいっぱいお金払って通う学校に、お金を貰って通ってたんだから嫌われるのは当たり前だよね。それからは同じ施設の子に殴られてお金を取られたりしてさ」
そういった施設出身なのに、貴族学校のような所に金を貰って通っていたのだろうか?
ルシェは孤児でも能力次第で高い教育を受けられるという先進的な制度の中で、対照的なまでに殺伐とした暮らしをしていたことになる。
「普通、そういう場合は里親が引き取るんじゃないのか?」
普通はどこの国でもそうなる。
養子という制度は世界中どこにでもあるし、ずば抜けて頭が良ければ職員がなにかしら気を利かせて手回しをし、優先的に養い親のところに送られるものだ。
養子を欲しがる親も馬鹿よりは賢いほうが育て甲斐がある。特に年老いて引退した学者などはそういう少年を身近に置いて育てたくなるものだ。官僚の育成に重きを置いている国などは、そういう才能が埋もれてしまうことを惜しんで天才児を集める仕組みを作っていたりもする。
「親がいなかったらね。親がいても殴ったり蹴られたりされてれば縁を切れるんだけど、おれの親はそういうのはなかったから。それだと親が同意しないとどうしてもダメなんだって」
「ああ、なるほどな」
実親がどんなにイカれていても、相応の理由がなければ勝手に里親や養子に出せない仕組みだったのだろう。
しかし、そんな細かい仕組みまでキッチリ守られているとは、やはり随分と進んだ国家にいたようだ。話を聞くと良心的な施設だったとは思えないのだが、制度だけは守っていたのだろうか。
「まー、そんなわけで、おれが頭を使って頑張ると大人以外からは嫌われるんだよ」
「よく分かった」
確かに、そんな状況ならやっかみの一つも受けるだろう。
「だが、ネイは違うかもしれないぞ」
「……でも、違わないかもしれないからさ」
そう言うと、ルシェはひときわ暗い顔をした。
「ネイに嫌われたくないよ……」
万が一にもそうなるのなら、魔術を勉強するのは気がすすまない。といった口ぶりだ。
「お前、それはネイに無礼だぞ」
「……そう?」
ルシェは心配そうにゲオルグを見た。
「少なくとも、今のネイはお前に抜かれるつもりはない。やってもいないうちから、そうやって他人を侮って抜ける前提で話すのは無礼というものだ。それこそネイは怒るだろうな」
「まぁ、それはそうだね」
さすがにそういった常識的な感覚はあるようだ。
「ああ。というか、そもそも始めたばかりなんだから、お前にも壁になる苦手な分野があって伸び悩むかもしれんだろ。そんな心配はまだ早い。まずは精一杯やってからにしろ」
「うん。そっか、まだ上手くいかない可能性もあるんだもんね」
上手くいかないほうが楽しみなのか。
わけのわからないことを言いながら、ルシェはむしろ悩みが晴れたようだった。








