第010話 剣術
ルシェは翌日には痛みを堪えて歩けるようになり、使っていたベッドをイーリに返したが、激烈な体験で脳がショックを受けてしまったのか、三日ほどボーッとした様子で何をするでもなく休んでいた。
四日目、朝食をすませたゲオルグが暇つぶしに庭で薪を作っていると、
「ゲオルグ」
と、声をかけてきた。
「どうした?」
「剣を教えてほしい」
まったく興味がなかったものだと思ったが、どういう心変わりなのだろう。
「前にも言ったが、別に戦うつもりがないなら無理に覚える必要はないんだ。戦い以外ではなんの役にも立たない技術だからな。せっかく頭がいいんだから、魔法を習ったほうが得だろう」
「戦ってたゲオルグがカッコよかったから、剣をやってみたい。ダメかな?」
カッコよかったから……。
思わず笑いそうになってしまうほど単純明快な理由だった。
だが、男子が物事に興味を持つきっかけなど、大抵はそんなものかもしれない。別に悪いことではない。
「ダメってことはない。ただ、俺並に戦えるようになりたいなら、修行も生易しくはないぞ。辛い思いもするし痛い思いもする」
「おっけー。だいじょうぶだよ」
まあ、痛い思いはさんざんした後なわけだしな。
「じゃあ、まあ、やるだけやってみるか」
「でもね、一つだけ約束してほしいの」
約束?
普通、こういう時の約束というのは教える方が求めるものだと思うが。
「わたしに才能がなかったら言ってね」
才能がなかったら……。
「ああ、分かった。才能がないのに時間を投じるのは無駄だからな」
「うん」
「あと、自分のことを”私”と言うのはやめろ。男は”俺”のほうがいい」
イーリとネイという多数派につられて使っているのだろうが、違和感がある。
「おれ? うん、分かった」
「さて……なら、まずは基礎体力からだな。山を駆け上るところから始めるか。最初はついていってやる」
ゲオルグは手に持っていた薪を丸太の上に置くと、立ち上がった。
◇ ◇ ◇
ルシェは半ば攣ったような足で山道を登り切ると、
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
その場に両手両膝をついて息を荒げた。
どうも、元から体力が全然ないようだ。体つきを見れば分かるが、まるで深窓の令嬢のような細い体つきをしているし、あまり体を動かしてこなかったのかもしれない。
「まあ、最低でもこれくらいの山は一息で登れるようにならないとな。まずは足腰を鍛えないことには、俺が使っているような靴を使ったらすぐに膝がダメになるぞ」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
「どうする? やめとくか?」
「はぁ、はぁ、いや、やるよ」
根性はあるようだ。
「さっきも注意したが、膝が痛くなったら絶対に言えよ。回復するまで修行を止めればいいだけの話だ。たまに無理をして壊すやつがいるが、それこそ一番馬鹿らしいからな」
「はぁ、はぁ、だいじょぶ。いたくない」
「そうか。まあ、しばらく休憩しよう。木刀も弓もまだないから大した修行もできんし、急ぐ必要もない」
ゲオルグは下ったついでに、硬木から数本、木刀を作るよう麓の大工に頼んでおいていた。
前のような角材でもいいのだが、最低でも握りの部分は楕円にしておいたほうがいい。急いで角材で稽古することもないだろう。
弓は大工が作れるようなものではないので、行商人に頼んである。
「ふぅ……弓ってさ、なんに使うの?」
「遠くの敵に魔法を当てる練習に使うんだよ。氷の矢を出しても、当たらなければ意味がないだろ」
弓と杖では勝手が違うのだが、遠くの的に当てる勘のような部分は意外なほど共通している。
「ゲオルグは戦いには弓を使わないんだよね? 杖で練習すればいいんじゃないの?」
「魔力が尽きるからろくな回数の練習ができない。それに付呪装ってのは、杖も魔法剣も消耗品だからな。何千回と繰り返す基礎訓練に使うようなもんじゃない」
「え、壊れるの?」
ルシェは驚いたような顔をした。
「ああ。モノにも依るがどれも壊れはするな。大抵は壊れる前に調子が悪くなるから分かるが、壊れどころが悪いと急に使えなくなることもある。いいとこの付呪装には耐久回数ってものが設定されてるから、それを守ってれば戦闘中に使えなくなるってことはないがな。もちろん、強く折り曲げて壊れたりした場合は別だ」
「なんで壊れるの?」
「付呪具ってのは中に物凄く細かい回路が刻まれているんだが、その回路に使われているインクが魔力で焼けて劣化するんだ。僅かにしか魔力を流さない、小さな火を出すだけのような付呪具なら半永久的に使えるものもあるが、戦いに使う付呪装はそうはいかない。身につけるものだから軽くて小さい方が使い勝手がいいだろ。すると回路が細かくなるんだが、その細い回路に派手に魔力を流して大きな現象を起こすもんだから、寿命が短いんだよ」
「こないだ使ってた、竜人の腕をぶっとばした奴みたいな? すごい威力だよね」
「ああ、あれは違う」
ゲオルグは腰の杖入れから”割る楔”を取り出した。
先端が潰れたせいで砥石で削るはめになり、今は三角錐のような不格好な形になってしまっている。大きな街にいけば優秀な研師がいるので綺麗な円錐状に仕上げてもらえるのだが、自分だとこんなものである。
「ほら、手に持って魔力を込めてみろ」
「えっ、やったことないし、怖い」
「大丈夫だ。何事も経験だろ」
ゲオルグはルシェに割る楔を渡した。
「……んっ!」
ルシェが妙な掛け声を発すると、割る楔の先端からぴしゃりと六条の魔力が迸った。
ただ、起こったのはそれだけだった。
それにしても、なんの教えもなく付呪装具を使えたというのはちょっとばかり凄いことだ。結構な数の人間がコツを教わったりしないとできない。
「……?」
「今は魔力が見えるだろ。さっきのが見えたか?」
「まあ、ちょっとだけ」
「あれで敵の魔法を破壊するのがこの杖の効果なんだ。例えば、敵の魔術師がこの地面を針の山に変える魔術を使おうとしているとする」
ゲオルグは返された割る楔を受け取ると、軽くしゃがみこんで土を刺した。
「こうやって使うと、その魔術は発動しない。さっきの魔力の迸りが発動しようとする魔術を壊すんだ。直接刺さなきゃならないのと、そもそも使えない場合が多いのが難点だがな」
「使えない場合って?」
「例えば、熱した溶岩を物凄い勢いで投げつけてくる魔術なんかだな。岩を熱して溶かすところまでは妨害できるが、もう投げられて飛んできている溶岩にこれを刺してもなにも起こらない。冷えて元の岩に戻ったりすることはないってことだ。当たり前だがな」
「でも、じゃあ竜人が爆発したのはなんでなの?」
「あいつが出そうとしていた魔法が、腕の中で乱されて暴発したんだろう。この手の杖は長いこと使っているが、あんなことになったのは初めてだ。普通は、敵が何をするか分からない時に用心のために持っておいて、なにかが起きそうな時にとりあえず刺して使ってみるものだからな」
「ふーん……そうなんだ。あと、壊れるって言ったけど、その剣も壊れるの?」
ルシェは興味深そうにゲオルグの聖剣を見ている。
「どうだろうな。これは聖剣だから知らない。まあ、いつか壊れるのかもしれないが、今のところ壊れるそぶりはないな」
「聖剣ってなに?」
「剣神ってやつが世の中にいて、武名を挙げるとそいつがフラリと現れて、腕試しをして認められると剣をくれるんだよ。それが聖剣だ」
自分で言っておいてなんだが、なんという馬鹿馬鹿しい話だろう。
「え、じゃあゲオルグが戦って貰ったの?」
「ああ。まだ二十代の頃の話だがな」
「お金を稼いだら同じような剣を買ったりもできる?」
買う。
まあ、世界で最高の剣とされているものだから、買ってでも求めるものは後を絶たないのだが、そんなに欲しいのだろうか。
「買ったやつもいるが、持っていると剣神が取り返しに来ることがあるからな。昔、どこぞの王が一本持っていて、回収に来た剣神に渡すのを拒んだが、剣神は阻止しようとする城兵を千人以上斬り殺して、血まみれになった城から聖剣を回収していったそうだ。まあ、素直に返せば何もしてこないんだろうが、剣神は別に買い戻すわけじゃないからな。持っていかれるなら買う金が勿体ないだろ」
「へー……持ってるのも大変なんだねえ」
「まあ、そうだな。欲しかったら真っ当に武名を上げて剣神が試しに来るのを待ったほうがいい。無料で手に入るし、そっちのほうが剣士の真っ当な道ってもんだ」
「分かった」
「じゃあ、そろそろ訓練を再開するか」
ゲオルグは会話を切り上げてそう言うと、
「とりあえず薪割りでもしてみるか。まずは刃物を振るうことに慣れろ」
「うん、分かった」
「薪割り場はあっちだ。ついてこい」
◇ ◇ ◇
「――しょっ」
ルシェが薪に斧を叩きつけた。
体格と比べて斧が大きく重すぎるので、最初は薪に当てることすらできなかったが、慣れてきてからは当たるようになってきた。
教え通り腰を落としながら振っているので、とりあえずは爪先を斧で割るような事故は起こらなそうだ。
ただ、斧に勢いがないので薪を割るまでいかない。薪の断面に食い込んだところで終わっている。
ルシェは斧を左手で支えたまま、地面に立ててあるハンマーを右手を取りあげると、斧の背中を勢いよく叩いた。
カンッ、カンッという金属同士がぶつかり合う音が響き、思い切り何度も叩くと、パコッという小気味よい音がしてようやく薪が割れた。
「ゲオルグ」
「ん? なんだ」
「腕がもうしんどい。斧上がらないかも」
ルシェの腕は細かく震えている。本より重いものを持ったことがないようなひ弱な細腕だ。
何十回も斧を振れば、そりゃ震えもくるだろう。
「そうか。じゃあ今日はもう終わりにしよう。飯を食ったらイーリかネイに魔術を教われ」
最初からこっちはおまけのようなものである。
「魔術を? べつにいいよ。こっちをやりたい」
「は?」
意味がわからない。
この間まで魔術をやりたいと言っていたではないか。
「さっきのは休んでいいのって意味だよ。休んだら続けるよ」
「駄目だ。お前は絶対、魔術師に向いてる。魔術は習え」
頭のいい奴は大抵魔術も得意だ。
ルシェほどの頭脳があるのに、魔術を習いもしないなどということは認めがたい。せっかく天から与えられた天禀を溝に捨てるような行為だ。
「でも、こっちのほうが楽しいんだけど……」
ルシェは物凄く気が進まなそうだ。
うーむ……。
二十代の頃だったら「弟子を気取るなら黙って言うことを聞け」などと怒鳴りつけていたかもしれないが、もう四十を過ぎた大人だ。
やりたくもないことを無理にやらせても続かない。楽しさや目標のない努力というのは不自然だからだ。
「戦いに勝つためには、まずは敵を知れという言葉がある。敵がどんな魔術を使ってくるかってのは、見ただけではパッと分からん。なんとなくでも察しがつくのは知識があるからだ。俺も魔術は使えないが、世の中にどんな魔術があるかについては相当勉強したもんだ」
わざわざ勉強したというのは嘘だが、味方陣営の戦闘魔術師たちと飲みながら話を聞いて研究していたのは本当なので、全くの嘘ではないだろう。
「ふーん……」
「とにかく、魔術は習え。おれだって一度は習ったんだから。才能がなかったから辞めたがな」
「なんで習ったの?」
「そりゃ、風呂場で素っ裸のときに襲われたって反撃できるからだ。素手で殴ることもできるが、顔面に火球を押し当てたほうがずっと効くだろ」
「ああ、なるほど」
ルシェは得心がいったように頷いた。
「わかった。習うよ」
おとなしく勉強するようだ。
「じゃあ、水を浴びて着替えたら食事にしよう。肉をつけるために思いっきり食べろよ」