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竜亡き星のルシェ・ネル  作者: 不手折家
第一章 ゲオルグ・オーウェイン
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第001話 始まり

 人里から少し離れた山の中腹に、趣味のよい一軒の家があった。


「ここが今の住まいなのか」


 今年で四十六歳になるゲオルグ・オーウェインは、出迎えに来た女主人に言った。


「仮住まいだよ」


 と、この家の女主人、イーリ・サリー・ネルが言った。

「儀式に丁度よい地下室があったからね。さあ、入ってくれ」

 玄関のドアを開くと、家の中にゲオルグを招く。


 入ってみると、元は貴族の別荘かなにかだったのだろう。やはり家の中もいい拵えになっていた。


「報酬はどのくらいを払おう?」

「ユグノール金貨で百枚くらいにしておくか。戦いがなかったら二十枚でいいぞ」

「交渉成立だな」


 かつてミールーンで会った時のイーリは大富豪だった。そこそこの金額を言っても値切りしなかったということは、国を喪った今でも金に困ってはいないのだろう。

 金を取りに行く素振りを見せたので、


「後払いでいい。おれが死んだら払う必要はないからな」

「そうか。なら、早速儀式を始めていいか?」

「……別に構わんが、そんなに急いでいるのか」

「それほど急ぐわけではないが、なんというか……遅れれば遅れるほど難しくなる術なのだ。早いに越したことはない」


 イーリはそう言うと、近くにあったドアを開けて一階から更に下がっていった。先程言っていた地下室に入るのだろう。

 ゲオルグは玄関で脱いだ靴を拾ってから後を追った。


 その地下室は、儀式の用意で奇妙な有様になっていた。

 食料の保存庫として使われていたであろう地下室は、今は全ての棚が運び出されており、家具調度の類いがなんにもないがらんどうの空間になっていた。

 天井がアーチ状になっている平凡な作りの地下室なのだが、壁と天井は漆喰が厚く塗り込められて真っ白になっている。その漆喰に直接、赤い線でびっしりと奇妙な模様が描かれていた。


「なんともまあ、とんでもない大魔術のようだな」


 ゲオルグも魔法を使うが、専門に勉強をした魔術師ではないので、魔導回路と文様を見てもまったく理解できなかった。

 部屋は、天井の真ん中から吊るされた魔術灯火(ルーセルナ)のおかげでとても明るい。板が張ってあるのであろう地面には、漆喰のようにそのまま描くわけにいかなかったのか、大判の紙が一面に張られており、その上から文様が描いてある。

 魔導回路というのは本来人間の脳みそで行う演算を代行するものだが、普通は紙一枚の中に収まるものだ。部屋中全部に書き込むなどという話は聞いたことがない。


「まあな。扉を閉めてくれ、ゲオルグ」

 イーリが言った。

「ああ」

 ゲオルグは、ぱたんと扉を締めた。扉の裏には白い紙が張られ、そこにも模様が描かれている。扉を締めたことで部屋に出口がなくなり、完全に異様な部屋になってしまった。


「それで、そちらの子は?」

 部屋の中にはイーリの他にもう一人いた。年端も行かない少女だ。

「ネイという。私の娘だ」


「娘!? 子供ができたのか?」

 ショックだった。まあ、子供がいてもおかしくはない年齢ではあるのだが。

「フフ、そうびっくりするな。養子だよ」

「……なんだ、そうか」

 内心で少しホッとした。


「魔術の素養がある。今日は少し手伝ってもらうことになっている」

 ゲオルグはその少女を見た。見目麗しいルーミ族の少女で、ルーミ族の特徴である緑色の髪をしていた。

「よろしく、おねがいします」

 ネイはぺこりと頭を下げてきた。

「ああ、よろしく」

「ゲオルグはそこに立っていてくれ」

 イーリは部屋の奥の一部分を指差した。そこには丸く白い円が描かれている。内側にはなにも模様がない。人間が待機していられるよう、そこだけ空間を空けてあるようだ。

「分かった。あそこの部分の紙は、靴で破ってもいいんだな」

「ああ」


 ゲオルグの靴は高速戦闘をする剣士用のもので、滑らないよう靴裏に鋲が打ってある。戦いの際には便利な代物だが、板張りの屋内では一歩ごとに床を傷つけてしまうので、家に招かれた時などには配慮が必要だった。

 もちろん、紙の上に立ったら一発で破けてしまう。

 ゲオルグは定位置までいくと、玄関で履いた内履きを脱いで靴を履き替えた。


「戦闘になったときの段取りはどうなっているんだ?」ゲオルグは靴紐を縛りながら話した。「そこの子はすぐにドアを開けて一目散に逃げるってことでいいのか」

「ネイ」

「……イーリ様からは、逃げるように指示を受けています」


 ゲオルグは部屋の奥にいるが、ネイが立っている円はドアのすぐ近くにある。おそらくイーリが予め計算してそうしたのだろう。


「この子に戦闘は期待しないでおくれ」

 ゲオルグは、その会話からネイが不承不承に応じている気配を感じ取った。

「戦闘になったときにイーリが動けない状態だったら、おれがなんとかする。指示に従って迅速に逃げろ」

「……分かりました」


 魔術というのは何でもできるようで、意外とできないことが多い。重量物を浮遊させて運ぶというのは難しいことの一つで、魔術の玄人の中には息をするようにできる者もいるが、大抵の場合は人力で運んだほうが早い。ネイは見るからに華奢な体つきをしているので、もちろんイーリを軽々と持ち上げて素早く運ぶなんて芸当は不可能だ。

 それらは、戦闘になった時にイーリが大魔術発動で体力を使い果たし、逃げる元気もなくなっていたらというケースの話ではあるが、ゲオルグにとっては予めはっきりさせておきたい問題であった。

 靴紐が結び終わった。


「では、早速始めるとしよう」

 イーリはそう言うと、腰まで伸ばした黒髪を頭の後ろで団子にして、花の彫刻が入った質素な木製の櫛を二本刺した。

 イーリらしからぬ気負い方だ。

 そして、部屋の中央にあるぽっかり開いた円にあぐらをかいて座った。その目の前には、人の片手が入るかどうかという大きさの円が空けられている。

「一度始めたら途中でやめることはできない。ネイ、いいね」

「はい」

 イーリはネイのほうを見て頷くと、顔を俯いて目の前の空の円に手を置いた。


 すると、ぱあっ、と模様が光り、赤い光が模様を辿りながら壁を走っていった。

 パキ、パキ、という針を折るような鉱物的な音が細かく響き、光を放つ流路が断続的に切り替わり模様が変化していく。

 そして音がなくなったとき、イーリが手を置いていた円が奇妙なことになっていた。

 黒い穴になっている。ただ、その黒はゲオルグが今まで見てきたいかなる黒とも違った。立体感や反射がまったくない、深い穴とも新月の夜とも違う、全ての光を吸い込むような底知れない黒をしていた。

 イーリはその穴に手を置いている。

 そして、穴の中に手がずぶりと入っていった。


 何が起きるのかと見守っていると、イーリに変化が起きた。体から力が抜け、かくんと頭が下がった。

 脱力して腕だけを穴に突っ込んでいる。


「どうなっているんだ? 死んだのか?」


 ゲオルグは率直な印象を言った。

「……イーリ様は、今霊体だけの姿で時空の隙間に潜っています。イーリ様は世界隙(せかいげき)と呼んでいましたが」

 ネイが答えた。

「隙間……?」

「世界と世界の隙間らしいです。詳しいことは私にもよく分かりません。あの先は高次元の世界で、なんだか我々の肉体は紙ぺらの表面のような概念に置き換えることができるらしいです」


 ゲオルグにはまったく理解できなかったが、つまりは想像もつかないようなろくでもない世界に行っているということらしい。


「そうなのか」

「私はイーリ様の霊体が不在の間、あの門を維持する役目を担っています。ただ魔力を一定量流し続けているだけですが」

「そうか。じゃあ、待っていることにしよう」


 次に何事かが起きるまでゲオルグは待っていることしかできない。



 ◇ ◇ ◇



 ゲオルグは長くても一時間くらいで終わると聞いていたのだが、三時間経っても何も起こらなかった。

 ゲオルグの立っている円には椅子がない。突然戦いが始まった際に支障があるので地べたに座り込むわけにもいかず、本当はよくないのだが愛剣の鞘を腰から外し、収めたまま杖にして体重を少し預けていた。


「まずいことになってきたようだな」

 ゲオルグはつぶやいた。

「イーリ様は大丈夫です」

「おまえさんのことだよ。魔力の残量が少ない。あと三十分持つかどうかといったところだろう」


 戦闘において相手の魔力の残量を見極めることは重要なファクターだ。熟練の戦闘者であるゲオルグは、発散している魔力の印象からなんとなく残量を見極めることができる。最初に見た時のネイは活きのいい若馬のように魔力に満ち満ちている感じだったが、今は草の取れなくなった牧場にいる飢えた老馬のような印象に変化している。

 消耗のスピードから見て、限界まで絞ってもあと三十分といったところだろう。


「イーリの人格の中身は穴の向こうに行ってるって話だったな。だとすると、おまえさんの魔力が尽きたら穴が閉じて帰ってこれなくなるんじゃないのか」

「………」


 ネイはまだ若い。ルーミ族は総じて加齢による変化が穏やかだが、まだ十六歳かそこらだろう。穴が閉じたとして、休養してからイーリの行った作業を代行し、もう一度穴を開けて救出するといった仕事は難しそうだ。

 つまり、閉じたが最後イーリは死ぬ、ということだ。


「おれが手伝うことはできないのか? 魔力を流し込むだけなら、少しくらいなら広げたままにできるかもしれん」

 ゲオルグが提案すると、ネイは首を振った。

「無理です。流すだけといっても結構複雑で……とても三十分では説明できません」

「そうか。なら、できることはないな」

「……はい」

 ネイは不安そうな顔で頷いた。


「…………」


 時間だけが過ぎてゆく。


 ゲオルグは黙って状況を見ていた。ネイは見るからに憔悴していて、今にも気を失って倒れそうだ。

 イーリは暗闇に手を突っ込み、目を開けているのにどこも見ていないような顔をしている。表情一つで印象というのはこんなに変わるものだろうか。元が意思の強い女だからか、今のイーリは素人が似せて作った出来の悪い人形のように見えた。


「大声を出すぞ」

「は?」


 ネイは疲れ切った顔で答えた。


「大声を出すから、空いた手で片耳を塞いでおけ」

 ネイが片耳を手で塞いだのを見ると、ゲオルグは、

「おい!!!」

 と大音声を響かせた。


「お前の娘は限界だ!!! 二度の戦争を生き延びたお前が、そんなところで死ぬつもりか!!!」


 心肺を鍛え上げた剣士があらん限りの力で張り上げた声が地下室に響いた。これだけ大声なら、もしかしたら小声でもあの穴の向こうに届いたかもしれない。


「……悪かった。試してみただけだ」

「そうですか。意味ないと思いますけど」

 ネイは耳を痛そうにしている。気付けになったのか、目はしっかりしていた。

「すまんな」

「……いえ」

 ネイがそう言った時、突然何かが落っこちてきた。


 どてん、と落ちてきた少年は、明かりに照らされた地下室の真ん中で上半身を起こすと、ぶつけた背中を痛そうにさすりながら周囲をキョロキョロと見た。


「――っ、はあっ、はあっ」

 一瞬間を置いて、イーリが荒い呼吸をしはじめた。無表情だった先ほどとは打って変わって、顔中から脂汗を出して実に人間らしく苦痛に顔を歪ませている。

「イーリ様!」

 ネイが足元の紙を破りながら小走りに近寄った。もう魔法陣の発光は終わっており、部屋には魔術灯火(ルーセルナ)の明るい光だけが満ちていた。


「――どれくらい、経った」

「三時間から四時間くらいです」


 ネイがそう言うと、イーリは奇妙な現象に出くわしたような顔をした。


「そうか……助かったよ」

 痛みに歪んだ顔でゲオルグを見ながら言う。声が届いたことへの感謝だろうか? ひょっとしたら、イーリの体感時間ではそれほど時が経っていなかったのかもしれない。

「しかし、その坊主……坊主でいいのか」

 落っこちてきた少年らしき人間は、会話の内容がさっぱり解らないようで、緊張した様子で周囲の状況を伺っている。


「現れたのがその坊主じゃ、なんにせよ儀式は失敗みたいだな。とりあえず、休んだらどうだ」


 少年は武器を持っていないし、別の方法で攻撃を仕掛けようとする気配もない。ゲオルグの出番はありそうになかった。

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