されど、願われるには相応しい
空を見上げる。霞む視界で。ただ目を開け続けていることすら辛いくらいに。
寒い筈なのに、寒くない。もうそれ位に自身は弱っている。それでも、力無くも、頻繁に吐かれる息は白い。そしてそれは、視界を邪魔するモノ。けれども、それが止まったならいよいよ終わり。もう、何も見えなくなる。
わたしは、ひとりぼっちだ。
そして、ここは冬の夜の雪原。街道からもだいぶ外れているから、静か。雪は止んでいるけれども、降り積もっている。
助かろうとは思っていない。助けにきてくれるようなアテはない。それに私は逃亡者だ。契約によって、私は買われて、末路が見えているから、逃げた。
私は助かる為に逃げたんじゃない。
媚びて、身体を売り続ける仕事。私はそれに耐え続けられるほど馬鹿じゃなかったし、場の空気と相手の機嫌の読みの力はその辺の馬鹿の比じゃないくらい劣っている。だから選べたのはせいぜいこんな結末。
ああ、馬鹿だった。賢ぶって、結局私は愚かなんだ。
人攫いたちから妹たちを逃した。時間を稼いだ。そして、私は、足手纏い無しでも、自身を守りきったり逃げ切ったりするだけの力が無いことを分かっていて、諦めが良かったから、殺されはしなかった。けど、こうなった。
人攫いたちに人買いのもとに連れていかれる道中にも、何気ない一言で彼らを怒らせた。短慮で馬鹿で先を考えない彼らに、売り物としての商品価値を大幅に落とされそうになって。更に彼らを煽って、自身を品物と見做した際の売り値は初物としての価値を抜くと大幅に落ちるだろうと、彼らの普段を想像しながら、彼らに分かるような例、彼らが女を買うなら、初物の貴重さと有りがたさは分かるだろう、と言ってやった。
意味の無い先延ばし。そう嘲笑われて、手枷が付いたけど、嬲られることはなかった。逃げる足を私はそうして温存した。手枷も、時間を空けて、先ほどと同じように、傷による価値の低下という理由を納得させ、外させることに成功していた。
そして――その結果がこのざま。
それだけ立ち回って、それでも、私はきっとどこか全力じゃあ無かったんだと思う。
小賢しい、で収まってしまっているのだろう。あれだけ上手く転がせていたのだ。更に上手く丸め込んで、身体を売るような使い方をさせる以外の有用そうで金になる用途を提示して、泥臭く、根気強く立ち回っていたらよかったのかもしれない。
けど、できるビジョンは見えても、それ以上に、無理だ、という言葉が頭に響くから。死んだ両親からの、祝福。
回想は不意に終わる。現実の目に映していた光景があまりに大きく動いたが故に。
っ! 流れ、星……?
線のように二重、三重、もっと……? すごく、ゆっ……くり……?
あぁ……。頭を、使い過ぎたのかもしれない。お星様すら、かすれて、かすれて……。
気づいたら、空高く、半透明な手をかざしていた。見下ろした。多分、腹くらいから下が無かった。けれども、そんなことどうでもよくなる位、光景の迫力に目を奪われたいた。
空? 空? お空の上、なのだろうか?
あまり雲は出て無かった筈だけど、微かにはあったってこと。そんな雲が薄く小さく固まって漂っている。私より下に。ここは、さらに上。
逃げ進んでいたときは絶望的に広く見えた雪原は視界に収まるくらいに小さい。それどころか、ほんのちょっとだ。その外側の森も、その向こうの街道も、視界に収まっているのだから。
更にその向こうまでも見える。豆粒よりも小さく見える、灯りなんて貴族の屋敷みたいにはついてなんて絶対無い地上の家々が少し遠く、としか思えないくらいに。
夜な筈なのに。さっきまで視界はぼやけていたというのに。
頭も鮮明で。
私は死んで、お空にのぼったんだ、と思う。天使たちのお迎えなんて望めない、消極的な自殺みたいな死に方ともいえたけど、悪魔が来た訳でもない。私は信心なんてポーズ以下にしか持ち合わせていなかったけれども。
高さは変わらない。
上にも、下にも、右にも、左にも、行けない。ただ、旋回と、首を動かすことと、手を動かすことくらいしかできない。
ん?
気づけば、私の視界の先、私と同じくらいの高さに、私と同じように浮いている人がいたなにやら、煌めくように白く輝き出した。それで私はその人に気づいた。
ぼやけてしか見えないけど、優しそうなおばあさん、といった感じだった。穏やかな表情をしているのが、ぼやけていながらもわかった。
太陽の光とは違う。空の星を至近距離で見たなら、こんな感じなんだろうって感じ。
そのおばあさんはこちらに気づいていない。それに―ー声が、出ない……。
近づく手段も呼びかける手段もない。
一際大きく輝いたかと思うと、地上へと向かって、眩い光を発しながら、落ちて、いった。落ち切る前に、光にすべて変わってしまったかのように。さながら、燃え尽きていきながら、強い光を発していたかのように。
流れ星。その正体を、私はこのとき、知った。
知らせる相手も、書き残す手段も無い訳だから、唯の自己満足だけれども。
妹たちはこういうのに夢持ってたけど、私はそれほどじゃあなかったし、あの子たち、私のことあまり好きではなかったようだし。
……逃げきって、くれている、の、かしら……。
無事……なの、かしら……。叔母さんの処までどうか、戻れてさえいてくれれば……。
っ!
自分が白く、煌めき始めていた。
もしかして――
そう思った私は、私たちの面倒を見てくれて置いてくれていた叔母さんの家の方角を見た。
見える、だろうか。
森を越えて、街を越えて、更に、先。見え、た。嘘っ……。見え、た。よかっ……た。
見えた。見えてしまった。もうやることは決まっている。
無事を確認したい。
どうか、保って!
おばあさんがやったよりも、下にではなくて、ずっと、水平に。
速度の調整は、できなさ、そう。燃え尽きないような手加減なんて、できっこないし、燃え尽きたって、別にいいの。
馬車の速度よりもずっと、速い。こんなに速く動いているものなんて、空を飛ぶ鳥たちくらいしか、私は知らない。それよりもずっと、速い。
風立てるでもなくて、燃える音を出す訳でもなく。
雪原をものの数秒で越えて、森を越えて、街を越えて。湖畔が見えてくる。
光が弱くなっている。翳してみた手が、更に薄くなっていて、目を凝らさないと見えないくらいに。
あと、ちょっと、だから――どうか――
生まれて初めて、いや、生まれてこのかた終ぞ無かった、消え去る寸前になって漸く初めて、私は、居もしないに決まっている神様に確かに、心の底から縋るように祈った。
叔母さんの家の、私の住まわせてもらっていた家の、窓。湖畔側遥か上空から、見下ろすように――立った三人! 叔母と、二人の妹たち!
手を合わせ、目を瞑り、天を仰ぐさまは、知らずに今の私を遠望している、の、だろうか。……。そんなわけは……ない、か。
私は一際強く煌めいた。
私が空に昇れた理由に、ふと、思い至った。水際でもしかして、私は願ったのかもしれない。最後の最後に――安堵を、きっと。
だから――叶え……られる……の、なら、私……叶える……きっ……と…―
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