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88:連絡をくれたのは


今日は仕事終わりにカラオケボックスに行って、「ブラック・コンダクター」を撮るためのサックスの練習をした。

ついでにストレス解消として、スマホに入っている自作動画を流してカラオケのマイクで歌ったりした。


こうでもしなきゃ仕事なんてやってらんない。

仕事は前よりもできるようになってきて評価も上がって、やりがいもまぁ、あるけれど、しなくていいのならやりたくない。

そりゃそうでしょう、多分内心働きたくないと思っている人は少なくない、いや絶対多いと思う。

みんな生活のために頑張ってる。すごいよ。私も、体感()()()()()()()()()()()()()なれたかな。


私は、ラファイルさんを見つけるまでは今の仕事を続けると決めた。

兎にも角にも自力で稼ぐため。

あれだけ愚痴った職場ではあったが、どこで働いたって嫌なことはあるものだし、転職してまた一からスタートよりは少しでも勝手の分かった職場で続ける方が、生活にゆとりもできやすく音楽に費やせる時間も増すというものだ。

それに今の会社は(空気を読むことさえしなければ)残業しなくたっていいのだ、これは私にとって重要な条件だった。

今の私は、“マリーナ・オストロフスカヤ”であれる時間を軸に物事を考えているのである。


ロシア語ができることがわかったから翻訳や通訳の仕事も考えたが、如何せん言葉が分かっても文化や歴史がわかっていないと、あるいは翻訳ジャンルの専門知識がないと、仕事として成り立たない。

新しいことを始めるより、今のところで勤め続けるのが手っ取り早い。

ちなみにロシア語をひと通り勉強してみて、男女で名字が違うこととか、結婚指輪は右手にするとかがロシアのことであると初めて知った。

あの世界はロシア文化と結びついてはいるらしい。建物はロシアっぽくなかったけど……


お金をある程度貯めたら、実家を出るつもりだ。


ラファイルさんに出会えたとき、ちゃんと独立しといた方がいい。

私たちの結婚のためにラファイルさんがお父様にしてくれたように、今度は私が父に言わないといけない。

ラファイルさんのためだったら言えるし、実家よりラファイルさんを選ぶと、今度は迷いなく言える。



家に帰り着く前、スマホにメッセージが来ていた。


何気なく開くと。


元カレの、名前があった。

『久しぶり。動画見たよ。すごいことやってるね。元気?』


…………

…………


あんたかよとがっかりしてしまった私は、性格悪くなったかもしれない。

でも彼のことは、私にとってはもはや8年近く前の話。彼にとっては半年くらい前のことだけど。

ただ本当に、ラファイルさん以外はもう興味のかけらもない。

ていうかこっちからは彼の連絡先削除してたんだけど。向こうは削除してなかったみたい……


返信めんどいし後でいいか、と思っていたら。


『やっぱり満里那の音楽いいなって、再確認したんだ。あのときのことは本当に謝る。俺も未熟だったし。セッションとかでいいからまた満里那と音楽できたらって思う』

『あれからずっとこれでよかったのか考えてたけど、やっぱり満里那が大事だって思った』


えーと。

なんだこれは?なメッセージが立て続けに来たんですけど。


彼とは卒業前、ジャズのセッションで出会って、意気投合した。彼はサックスの人。

社会人だが社畜が無理といってフリーターをやっていて、その自由さが当時は羨ましいと思った。

うん私超絶世間知らずだったな。


楽器の腕はアマチュアとしてはかなりよくて、彼に絡んでプレイするのは楽しかった。

何回も音を合わせるうちに、なんとなく付き合おうか、になった。


私が就職して、毎日仕事が嫌で不満に思っていたのを、彼に愚痴っていた。

今だからわかるけど、彼はそれに疲れていたと思う。

私が音楽もだんだんしなくなっていって、私たちの仲は微妙になっていった。


そんな折、一緒にご飯に行って、彼が家まで送ってくれる途中、父と鉢合わせしたのだ。


その場で父が、娘に近づくなと怒り、家に連れて帰られ、私は酷く怒られて別れろと迫られた。


別れたいわけでは決してなかったけど、家を飛び出して彼のところに行くほどの勇気はなかった。

酷く怒られたことで思考が停止し、何も考えられなくなったのだ。

仮に彼のところに行っても、私は早く仕事をやめたかったから、私が大黒柱になって頑張るとはとても思えなかった。そんな自分は棚に上げて、彼では生活が不安定という、安心できなさを感じていた。

それに付き合って3か月ほど、彼のこともよくわかっているわけでもなく、私は彼を選ぶことができなかった。


彼に連絡できないままでいたところ、彼から、私とは無理だというメッセージが来て、私たちは終わった。


…………

…………


あーあ、変なこと思い出しちゃった。

私はなんだかムシャクシャした気分になって、力任せにピアノを弾いた。

今日はブラック・コンダクターではなく、それこそ7年ぶりに聴いたこっちの世界のプログレバンドの曲だ。


あの世界で変拍子もがっつりやったから、改めてCDを聴いたら、かなり曲の構成がわかるようになっていた。

ダークな気分のときにはダークな曲がぴったりだ。


てかあの人どこから私の動画発見したんだろう。私の音楽友達つながりかな。

写真投稿サイトのフォローはなかったはず。動画の方かな。いつの間に見られてたんだ。


今なら彼が悪いわけじゃないと思うけど、当時は、彼が迎えに来てくれなかったと感じたものだ。

うー悲劇のお姫様みたいな自分に引くわ。


まぁ初めて付き合ったんだし、気持ちの持って行き方も分かんなかった、仕方ない。

そのときはそのときで。



既読スルーはちょっと感じ悪いかなと思って、簡潔に返事だけしようと決めた。


『元気でやってるから気にしないでください

こちらこそご迷惑をおかけしました』

(絵文字とかなし)


突き放してる感満載だがこれで黙ってくれたまえ。


***


『お疲れ様です。週末飲みに行きませんか?』


いつも仕事を教えてくれる先輩(男)から、いきなりショートメールが来た(仕事で電話番号の交換はしているため)。

なんでやねん。

関西人じゃないけどなんでやねん。

週末はいよいよブラック・コンダクターの曲を完成させる予定なのだよ!

あとサックス乗せるだけなんだよ!


『すみません用事があります』(絵文字なし)


そっけない返事をしました。

私は他人に構っている暇なんてないのだ。


忘年会も新年会も行かなくて、上司に注意されたけど、構うもんか。


しかし何だって元カレといい先輩といい個別に連絡が来るんだ。


一番連絡して欲しい夫は、相変わらず見つからないし!


もう半年が近くなってしまった。


仕事がちょっと忙しくなっていて、ときどき残業せざるを得ないときもあり、いよいよ他人と絡む余裕なんかないのだ。


というのが、妊娠した先輩がいるのだ。つわりがちょっと辛そうで、それでも頑張って仕事に出てくる先輩に、私は休むように言った。


わかるんだよ。()()()()()()


つわりの出方は人それぞれだと言うけれど、私は無理して動くとしんどかったから、その時期はひたすら横になっていた。

先輩も家にいるとマシと言っていたから、じゃあ休んでください、と言って上司にも掛け合って仕事を引き受けたのだ。しかし私が全部引き受けたわけではなく、同輩や他の先輩にも割り振った。


妊娠は自己都合みたいに思う人もいるみたいだが、妊娠出産より仕事が優先されてたまるかと言ってやった(もうちょっとかなり穏やかな表現で)。

仕事はプロとしてやらないといけないけど、人間の体は仕事に合わせられるものじゃない。

大体、次世代を産んでくれる人がいないと、出生率がどうとか社会が危ないとか問題にするくせに、その産んでくれる人を無理させるとか有り得ない。

人がいなきゃ仕事も発生しないんだよ。命の営みというのは仕事以前の問題だと私は思っている。



……ユーリの妊娠まで、あと一年もない。


ユーリを、産んであげられるのだろうか。


帰り際、その不安が一気に吹き出して、私はかなり酷く落ち込んだ状態になった。


このまま、ラファイルさんが見つからなかったら。


どこかにラファイルさんがいるはずと、根拠もなく決めているから今までやって来れている。

そうでなければ、辛すぎて生きていけないと思う。


ラファイルさんがいないのなら、生きていても意味なんかーー



ブラック・コンダクターをアップしたところ、評価は上々だった。


それでまた元カレから感想がきて、ちょっとうんざりしてしまっていた。

友達としての連絡であっても勘弁してほしい。

彼が嫌というより、当時の辛かった記憶が付随してくるから、申し訳ないけど関わりたくない。


一人でいることに耐えるのに、私も段々疲れてきていたのだ。

支えはほしくなんかないけど、余計に揺さぶらないでほしい。

私はもともと強くなんかないのに。

ラファイルさんと二人だから、頑張れてきたのに。



ラーファシュカ。


ラーファシュカ、どこ?



その日は家に帰って練習もできず、真っ暗な部屋で、私は泣きながら眠りに落ちた。


***


冬は辛い。


あの世界の冬よりは、随分寒さが緩いけど、それでも寒いものは寒い。


そんな中朝起きるのは、苦痛以外の何物でもない。


でもアラームに起こされて、あと5分……と布団に潜り込もうとした。



アラームを切って、スマホの画面を見たところ。


『rafail ostrovskyさんからメッセージが届きました。』


の、通知が。



「えっ!?」


私は、寒いのも忘れて飛び起きた。


マリーナ退勤後。

「大矢さんあれ何背負ってるの?」

「サックスらしいっすよ」

「楽器やる人なんだ、すげー」

「ジャズのサークル入ってたらしいよ」

「へー、俺の友達そういえば軽音やってて社会人なっても続けてるわ。そっちで忙しいのかぁ」


また別日ーー

「大矢さん今日ギター持ってね!?」

「ロッカーに置いてた置いてた!あれギターじゃなくてベースだって」

「すげぇ」

「いっつも鞄にドラムのスティック入ってますよね」

「え、どんだけ楽器できるん(笑)」

「こないだ倒れる前そんなこと見たことなくね?」

「確かに初めてかも」

「……倒れて何か覚醒したのか……?」


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