85:私はマリーナ・オストロフスカヤ……
前の世界の自分とあまり変わらないと思っていた私。
だが時を経て、なんだか思わぬ逞しくなってしまったようだーー
「こらっユーリャ!カーラにいたずらしないっ!
カーラも仕返しやめなさいっ、もうなんで喧嘩するくせに一緒にくっついてんの別々に遊びなさいよ!!」
私は毎日のように、喧嘩の絶えない我が子たちに火を吹いている……
私もラファイルさんも子どもを急ぐつもりは特になかったのだが、結婚して翌年には長男ユーリが生まれ、二歳差で長女カリーナが生まれた。
驚いたのは、黒髪同士の子なのに、二人ともきれいな栗色の髪をしていて、ラファイルさん譲りの美形だったことだ。ラファイルさんの実家が元々金髪揃いで、変異みたいにラファイルさんが黒なだけで、金髪の遺伝が出やすいようなのだ。この世界ではそんなことがあるんだなぁと思った。
ラファイルさんの提案で、こちらの言葉の名前でも、日本でも通じそうな名前にしよう、となったのだ、日本に行くことは決してないにも関わらず。
私のアイデンティティを大事にしてくれたことは嬉しかったから、私はそれぞれ、「佑理」、「香理那」と漢字を当てた。
それがもう5歳と3歳になるのだが、貴族の子でこれは駄目だろうと思うくらい活発でやんちゃで自我がしっかりしていて、それを怒る私はまさに怪獣と化している。本人たちは怒られているのに意に介さず、そういう反応を楽しんでいるものだから、怒り損なのは分かっているのだが。
21でパパになってしまったラファイルさんは意外に子どもの扱いがうまく、あの音楽バカが子どもの面倒を見るのかとちょっとだけ心配したのは最初だけだった。
大体はアーリャさんを始め使用人さんたちがお世話してくれるのだが、ラファイルさんは赤ちゃんの頃からずっと、よく子どもと遊ぶし、音楽を強要することもない。
ユーリは楽器より断然剣が好きで、私がよく相手をしているが、
カリーナの方は立ち始めた頃からピアノに手を伸ばしては遊んでいて、3歳にして何やら曲を弾くようになってきたし、ドラムでしょっちゅう遊んでいる。でも私もラファイルさんも、英才教育をするつもりはなく、ただ楽しんでくれたら一番、とだけ思っている。
…………
…………
「おーマーニャ、今日もやってるな、ほんとにあの大人しいマーニャが嘘のようだ」
「いらっしゃい、お姉様。もういい加減にしてほしいんですけどこの人たち……ほんと言っても聞かなくて。
やっぱりこのくらいが一番可愛いんですよねぇ」
私はお姉様ーープローシャさんの義妹になったのでーーに抱えられていた、もうすぐ1歳になる義理の姪っ子ちゃんを抱っこさせてもらった。
「お邪魔します、マリーナさん。今日はラファイル君は?」
「朝子どもたちの相手をしてくれたから、今は練習時間ですよ」
お姉様と一緒に来たご主人は、以前お姉様と王宮の仕事でチームを組んでいた年下男子だった。なんと私よりも二つ下。お姉様の5つも下になる。
背の高いお姉様と身長があまり変わらないが、第一騎士団の一隊を率いる実力者で、頼もしいのだがとても優しい男性である。
一般的に夫が年上のこの社会で、私の周囲では年下男子が流行っている気がしている。
「プローシャ伯母さん、勝負!」
「おう、やるか?よしかかってこい」
戦いごっこの大好きなユーリが、元プロのお姉様に勝負を挑んでいる。
お姉様は今は騎士団を引退しているが、それは家庭に入るためではなくて、侯爵家当主となったからだった。
数年前、国境警備隊にずっと所属し続けていたお兄様が、警備隊隊長さんの下で仕事を続けるから今後こちらには戻らないと表明し、プローシャさんをオストロフスキー家の後継に指名したのだ。
その隊長さんは、その周辺の地を代々治める辺境候のなんと女性当主で、隊長さんがお兄様を躾け直したんだろうとプローシャさんは言う。意外だがこの世界には、プローシャさんもそうだが女性当主という存在がときどき見られるのだ。
プローシャさんによると、その隊長さんは黒髪の小柄な方なのだが、その地方に伝わる独特な剣術を操り、国内で剣の腕を争う大会で優勝する猛者だそうだ。
……なんか聞いた感じ、異邦人(江戸とか戦国とかから来た日本人)の剣術家とかがその剣術を伝えたんじゃなかろうかと私は密かに思っている。
次期侯爵の座を捨てて辺境の地へ身を落ち着けたお兄様と、プローシャさんとの手紙のやり取りの中には、ラファイルさんに対する謝罪もちょっとだけだが書かれていた。
お兄様はさらに、お父様に家督をプローシャさんに譲るよう進言していた。
お父様は期待していていた息子が戻ってこないことに気落ちしたのか素直に受け入れ、リタイアして領地で過ごすことになった。
社交好きの後妻さんはそれを不満にして出て行ってしまったのだが、急にいろんなものを失って領地で寂しく暮らすお父様の元に、プローシャさんはちょくちょく顔を出している。
なにかと面倒を見ていることで、少しずつ、お父様はご自身を見つめ直している最中だそうだ。
長く続いたオストロフスキー家の溝が、少しずつ埋まってきているようだとプローシャさんは言う。
家督を継ぐため騎士団を引退するときついてきたのが、部下だったご主人である。
プローシャさんにその気はなかったそうだがついて行かせてくれと追いすがり、さすがのプローシャさんも根負けしたそうだ……
彼はプローシャさんの尻に敷かれながらも喜んでプローシャさんをサポートしている。
プローシャさんは侯爵家当主の仕事の他、武術指導の顧問として定期的に王宮にも通っている。
いつでもカッコいい女性だ。
「ほら、もっと鋭く打ち込んでこい!」
「うおおおお、おりゃー」
子ども相手にガチなお姉様と、奇声を上げてかかる息子……
おバカ男子を地でいく様子に毎度ため息が出る。こんなん周りにいないぞ。日本なら普通かもしれないけど。
でも元平民の私だけではなく、侯爵でいらっしゃるお姉様とか、次期公爵のノンナさんとヴァシリーさんも、元気がよくていいと褒めてくれるばかりで、何一つ咎め立てしない。
その上子どもを怒って怪獣と化す私にラファイルさんが何とも言えない視線を向けてきて、子どもたちと一緒になって怪獣だ逃げろとか悪ノリしてくるので一層イラッとする。
デカい長男かあんたは。
こうして私はなぜかザ・日本の口うるさい母ちゃんになってしまうのである。うちの親そんなんじゃなかったのにおかしいな。
でも、貴族の家とはありがたいもので、母親が育児をすべきという概念がそもそもほぼない(主に使用人さんがするから)ので、育児が大変と思うことはあまりなかった。
二度の妊娠、出産を挟みながらも私はブラック・コンダクターのドラマーとして活動しているし、ノンナさんのご実家のサロンでノンナさんとデュオもして、今では定期的にサロンに呼ばれている。
メインのブラック・コンダクターは、デビューから徐々に下町で支持者を増やし、月一でライブをしていたら毎回ソールドアウトするようになった。
広いところでやってほしいとの要望もかなりあったのだが、音響がないためにどうしても野外での演奏が難しく、ホールでやるとしても音圧がなくて迫力に欠けるため、本拠地はずっとあのライブハウスだ。
新曲も入れながら、ライブ回数も増やして、平民なら十分食っていけるくらいの成功は納めた。
次第に、同様にバンドや楽器をやりたいという声があちこちで聞かれるようになり、ラファイルさんの買った敷地の一画を一般人用の音楽スタジオにした。
そこでは山形氏が代表者となって、楽器教室を開いている。
私も月に二回ほど、クラス単位でドラムを教えるようになった。
ラファイルさんは基本的に私を側に置きたがるから、私は結局学校の仕事も王宮の仕事もやっているし、バンドもやるしで、当然プライベートの時間もいるから、個人レッスンとして教える時間が取れないのだ。
ラファイルさんはプロに指導するレベルだから基本素人の指導はしないが、3年ほどかけて学校に「現代音楽課程」を新設した。ジャズもロックもやるコースで、ヴァシリーさんももちろん加わっている。
貴族の間でも密かに話題になっていた私たちのバンドやジャズなんかのジャンルは、クラシックにどうしてもはまれないという貴族の子弟の注目の的となった。
今まで音楽の学部に進むのを諦めていた学生たちが、競って入試にやってくるようになったのだ。
そういう中にはやっぱり天才肌もいて、ラファイルさんやヴァシリーさんの指導のもと、私たちの後に続いて音楽を生み出してくれるだろうと期待している。
クラシックでもバンドでも変わらずバリバリの現役であるノンナさんは、もうすぐ二人目が生まれる予定なのだが、それでも仕事にいっている。ヴァシリーさんがサポート役に徹し、次期公爵としての仕事も覚えながら、子育てもしながら、学校もバンドもしながらで活躍中である。書類仕事は相変わらずできないから、執事さんの全面バックアップを受けてやっているらしい。
「ほらマリーナさん、お飲み物をどうぞ」
ひとしきり庭で遊び相手をして、疲れてソファーで休む私に、アーリャさんがジュースを持ってきてくれた。
アーリャさんは一般的には引退していい年頃だけど、まだまだ元気だし老け込みたくないといって、ご主人のサーニャさんと共に家の仕事を変わらずやってくれている。
子育て経験のある使用人さんが新しくオストロフスキー家に加わったが、ほかは変わらない(家にいてもラファイルさんが大丈夫という、稀少な使用人さんである)。
もう7年。
毎日、幸せに過ごしているなぁと思う。
不意に、手を握られた気がして、目を開けた。
「疲れたのか?」
「ああ、うとうとしちゃった。さっきユーリャについて走り回ったの」
「ほら、俺にもたれかかって」
「お姉様の前で……」
「いいだろ姉上なら」
ラファイルさんが、練習を珍しく中断してこっちまで出てきたのだ。
「練習は?」
「まだするよ。ちょっとあんたに触れたくなっただけ」
「それでわざわざこっちまで?」
「そう」
ラファイルさんに肩を抱かれ、私はラファイルさんに体を預けた。
額や頬周りに、ラファイルさんのキスが落ちてくる。
私はもともとファンだから、いつでもラファイルさんをかっこいいと思っているけど、
ラファイルさんもモテたことのなかった私に未だにぞっこんでいてくれる。
いまだに王立楽団員のみなさんにからかわれるほどだ。
最高に幸せだ。
二人で庭の子どもたちを眺めながら、心からそう思う。
「マルーセニカ。愛してる」
ラファイルさんのささやきを感じながら、私は眠りに落ちていったーー
…………
…………
…………
…………
「…………!」
「…………ですか!」
なんなの。
急に騒がしい。
「……ますか!」
「救急車、来ましたからね!」
「大丈夫ですか!」
ーーえ。
何。
固いところに、横たわっている感覚。
空気が、重い。
「もしもし、聞こえますか!大丈夫ですか!」
誰か、複数に囲まれてる?
「ああ、意識はありますね。お名前、言えますか?」
目が開いて、飛び込んできたものは。
ビルの上に広がる空と。
救急隊員っぽい人たちの顔。
私は?
何、これ?
私は。
マリーナ・オストロフスカヤ……
なのに、どう見ても日本人に囲まれて、その名前はついに私の口から出ることはなかった。
私は事態をまったく理解できないまま、名前も何も言えないまま、担架で運ばれるままになっていた。




