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81:準備は大詰めです


私はその後、しばらく学校の仕事を一日減らすことになった。

私は半日は出勤すると言ったのだが、ラファイルさんは、もともと自分でやっていたことだから大丈夫という。

それより、私が無理なくできる方が大事だから、と言ってくれた。


過呼吸症状がちょっとだけ気がかりだったが、ラファイルさんの受け持ちの学生さんが一人、アシスタントとしてバイトをしてくれることが決まり、授業のサポートは彼がしてくれることになった。


この学生さんはーーエゴール君といったーーほんわか系男子で顔も綺麗だったのだが、さすがラファイルさんの受け持ちである、音楽のクセは強かった。

ヴァシリーさんと似た方向性で、クラシックからはみ出してしまって普通に就職できないーー王立楽団や貴族のお抱え演奏家などが難しいーールートに入りつつある。

というのは、クラシックにとっての「変な和音」が好きで仕方がない学生だったのだ。


「変な和音」を作って遊ぶのが趣味で、私も聞かせてもらったが、理論をマスターしていない私にはさっぱりわからなかった。

多分元の世界のジャズのプロなら分かると思う。多分。


雰囲気的には、よく聴いていたジャズピアニストがこういう感じの音遣いをしていたような……

だから私にとっては、こういう音遣い分かるよ、いい感じ!という感想。


おかしい音遣いをすると同級生から言われていたそうで、私の評価をとても嬉しがってくれた。


いわゆる一般に知られるジャズというより、70年代以降の、もっと現代的で複雑な種類のジャズに相当しそうだ。

これはジャズを教えてあげたら開花すると思う。

ラファイルさんもそう思っているらしく、私たちのライブがひと段落したら彼にも教えてあげようということになった。


ただ、私にも分かる超基本の、9th(ナインス)や13th(サーティーンス)などや、その他いくつかのコードなど、こういう理論は(私の世界では)実在するよ、と教えてあげたところ、ものすごい感動された。

彼は感覚でそういう音遣いをするのだが、そういう音遣いをする実例があると分かって、自分は間違っていなかったと証明できたのだ。

彼はきっとこれから、自力でいろんな理論を導き出すと思う。

ちなみに彼の将来の目標は、クラシックにない理論を導き出す音楽博士になることだそうだ。

目がキラキラしていて、ラファイルさんと同類だと実感した。ここにもいた音楽バカ、ぜひ頑張ってほしい。


…………

…………


もうまもなく、私たちのバンド、ブラック・コンダクターのデビューだ。


衣装も揃い、私はいよいよ髪を切って、ノンナさんのウィッグを作ってもらった。

ノンナさんは、私のいろんな髪型の提案のうち、イメチェンのためにショートにしたいと言い、私はセミロングくらいの長さに収まった。

私はショートがどうも苦手だからちょうどよかった。


みんなで衣装合わせもしてみた。


見事に衣装も髪も黒い集団が出来上がったが、それはもう、カッコいいと私は思っている。


女性陣も含めて黒のパンツに黒のトップス。


ラファイルさんはお気に入りの、裾の長いジャケットスタイル。

ヴァシリーさんは黒のカッターシャツ、山形氏はいつも厨房で着ているバーテンダー風の、黒バージョン。

私とノンナさんは、キャミタイプのドレスの、裾をアシンメトリーにしてボトムスをさらにはいたもの。私はペダルを踏むのに足を開くし、ノンナさんはステージで動き回るのと、脚は見せるなとそれぞれラファイルさんとヴァシリーさんが注文をつけたためだ。


いや私は見せるつもりは毛頭ありませんけど。


ここの女性は、夜会のドレスで肩とか鎖骨とか、さらには胸元まで見せるのはむしろ当たり前なので、ノンナさんはそういうタイプのトップスだが、私は胸元なんか見せたくないのとそもそも胸元というものが存在しないため、鎖骨がのぞくくらいにとどめてもらった……さらに、絶対胸元が開かないよう後ろで締めるように私自身が注文をつけた。


だってお胸がないと前屈みになったら胸元がいろいろと危ないのである。

谷間ができる人にはこの大変さは分からない……


女性陣にはクリスタルや真珠などを衣装につけてあって、ちょっとキラキラしてある。

私の外出用のドレスにもついているから、実はラファイルさんの趣味なんじゃないかと密かに思っている。

私はキラキラするのが好きだからいいんだけど。



この衣装で、リハーサルもする。

ドレスの裾は、長いところで膝下丈くらいで、ドラムに支障はなかった。

動いても上下ともに問題なし。


黒いウィッグのノンナさんがかっこかわいくて、リハ後にノンナさんと戯れていたら、ラファイルさんとヴァシリーさんに引き離された。

うーん、やっぱりノンナさんとヴァシリーさん、そういう仲なんじゃないかなぁ……

あえてつっこまないけど……



山形氏の勤めるバーの移転も完了した。いろんな作業や準備のついでにバーに立ち寄ることも多く、私たちと顔見知りになってきた常連さんたちはライブを楽しみにしてくれている。

一応チケット制にしてお金もいただくが、いかんせん下町で金銭的に豊かな人は少ない。

プロには相応の金額を払うという認識は前の世界とも違うし貴族とも違う、ラファイルさんたちも、最初はほぼ「やらせてもらう」くらいの感覚でいる。

山形氏のアドバイスに従っての料金設定となった。

ちなみに各々本業があるからできることではある。

このバンド一本で食えるくらいになったら、それがひとまずのゴールだね、とみんなで話した。


***


本番に向けて順調にいっている間、プローシャさんがラファイルさんと私を訪ねてきた。

ときどき顔を合わせてはいたが、ゆっくり家で会うのは久しぶりだった。


プローシャさんにしては珍しく、浮かない顔だった。


「兄上が面倒ごとを起こしたようだな」

「……あー、あれね」

「騎士団はどこもその噂で持ちきりだぞ。私も何やら人に聞かれたが、何分陛下より後に騒動を知ったからな、事情を全く知らないんだ」

「マリーナを取ろうとしたんだよ」

「それだ。……情けない話なんだが、兄上の左遷が決定した後、父上がしゃしゃり出てきてな。息子を庇おうと必死だったのかもしれんが、陛下に直訴なんぞしおったぞ」

「マジか。そこ親子で同類じゃねーか」

「全くだ。……陛下にはご迷惑をおかけしてしまったよ。陛下は、何も気にされていなかったがな」


ということがあったそうだ。

侯爵家のお父様は、陛下に直訴するだけの地位がある人だから、そういうことも起こってしまう。

厄介な人が権力を持つとこうなる、面倒な例である。


しかも、

「せめて息子の希望であるマリーナ嬢を娶りたい、だと。あいにくお前が先手を打ってるから、許可は降りなかったがな」


なんて恐ろしい。

いや冗談じゃなく恐ろしい、上の人の方で話が決まってしまうとは。人権も何もあったもんじゃない。

でもここはそういうこともまかり通る社会というわけだ。

というか、ひと昔前は元の世界の日本だってそうだったんだろう。


私はラファイルさんと出会って運がよかったと思うしかない。


だが同時に、私だけが助かってしまっているような気がして。

世の中にはこうやって、家という上からの力によって人生を左右されてしまう女性が数知れずいるだろうことは想像に難くない、女性だけじゃないかもしれないけど。


……それ以上、考えるのをやめた。



私がどうにかできるものでもない。

考えたら負のループが止まらない。


「しかしお前もちゃっかりしてるな、マーニャをそこまでして囲い込むとは」

「姉上、黙って」

「何だ、黙れとは」

「いいから」


ラファイルさんが私を気にしながら言っている。

プローシャさんが、ふーん、と言って何やら意味深な笑みを浮かべている。


えっと。

なんですかその空気は?


私は多分、きょとんとしていたと思う。


「それは姉上が心配しなくてもちゃんとするから」

「ま、がんばれ」


私には何も教えてくれないままだったが、ラファイルさんは何か考えがあるのだろう。

この人はその時がきたらちゃんと話してくれるはずだから、私は特に突っ込まなかった。


…………

…………


寝る時、ふとさっきの怖さを思い出して、私はラファイルさんにしがみついた。


「ん……マリーナ?」

「ちょっと……怖くて。さっきの話。お父様が私のこと、直訴されたって。

ラファイルさんが手を打ってくれてなかったらと思ったら……」

「兄上がすぐに諦めるとは思ってなかったからな。力を使ってくることも想定した」

「守られるしかないって……歯がゆいです」

「マリーナ、十分戦ってくれたよ。兄上に食ってかかる女性なんか、姉上クラスじゃなきゃそうそういない。

途中で息苦しくなって記憶は曖昧だけど、あんたが俺の前で戦ってくれてたのは、わかったよ。

動けない自分が、悔しかった」

「ラファイルさんだって、私を助けに来てくれたじゃないですか。

……嬉しかったです」

「ドゥナエフから、兄上があんたと話してるって聞いて。……夢中だった。顔を合わせるのも、怖かったはずだったけど。あんたを取られまいと必死で……

俺が兄上に言い返せるなんて、ちょっと自分でも信じられないとこがある」


秋のパレードのときは、お兄様の姿を見るのも避けていたラファイルさんだ。


「うん……初めて、言い返したかも。そうだな、初めてだ」

「私も……多分、初めて人に抗議しました」

「マリーナ、言いそうにないもんな」

「でしょ。

今なら父にも、ちょっとは言い返せるかも、この世界にはいないからいいけど」

「俺がついててやる」

「何言ってんですか、帰れるとしても帰りませんよ」

「うん、俺も帰すつもりない」


笑い合い、抱き合って、キスを交わす。


ちょっとだけ。ちょっとだけ、何か超えられたかもしれない。

ラファイルさんのおかげで。


この人は、いつも私を救ってくれる。


「マリーナは、ほんとに、俺を救ってくれるな」


不意にラファイルさんが言って、ちょっと驚いた。


「ラファイルさんだって。最初から、私のこと救ってくれてます。……今そう感じてたところ」


ほんと?と、ラファイルさんが不思議そうに、でも嬉しそうに見てきた。


二人で同じことを考えていたというのは嬉しい。


また抱き合ってキスを何度も繰り返して。


マリーナ、と切なげに呟くラファイルさんが色気ダダ漏れでちょっとやばかった(ドキドキしたという意味で)が、本番を近く控えている、名残惜しくもお互いに自制した。


あークソ生殺し、と隣で軽く悶えるラファイルさんは、私よりも自制が大変そうだったが、それを私が本当に理解するのはもっと後のことだ。




そしてーー


ついにブラック・コンダクターの、デビューを迎えた。


9th→ハ長調なら、1度(ド)に対し9度(上のドを越えてレ)。

13th→ハ長調なら、13度=上のドを超えてラ。

作者も理論はあんまり理解できていません……すぐ忘れるので……

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