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76:焦りとすれ違い


春の各種祭典をこなしながらの練習だった。


前回からラファイルさんは、私を連れて公演を観賞しに行くようになり、前回は奏者として参加した王宮の夜会も、裏方として見に行った。

私は前回のトラウマをちょっと心配したが、あのときのことを思うとちょっと背中がぞわっとするけど大丈夫、と私にひっつきながら言う。

あれから時間も経ったから、当時の感覚が時とともに薄れているのもあるのだと思う。


お兄様には見つからないように、会場からつながる人気のないバルコニーで、漏れ聞こえる音楽に合わせてちょっとだけ踊った。

だが私は前習ったダンスをほぼ忘れてしまっていて、ラファイルさんに引きずられるようにして踊る羽目になった。

この世界に来たばかりの頃、仕事に出る前に習っただけで、仕事が始まってからはダンスまで手が回らなくなったのだ。

ラファイルさんはさすが、生まれながらのお貴族様である、小さい頃から訓練しているから、何年も踊っていないというのにちゃんと踊れるのだ。


次の社交シーズンには、ノーナのとこは出よう、と囁かれた。

アルツィバーシェフ公爵家は、大貴族でありながら意外にもあまり積極的に社交をしないのだが、代わりに気心知れた友人たちを招いてたまに夜会をするそうだ。

ラファイルさんもいつも招かれるのだが辞退していたらしい。


ううダンスを覚え直さないと。いつやろう。でも早くてもライブが終わってからだ。社交なんか考えてる余裕はない。


ラファイルさんのお誘いが本当ならとてもロマンチックだったはずなのだが、私の頭はライブに向けてのことでいっぱいで、浸るどころではなかった。


…………

…………


王宮の夜会は仕事着だったが、劇場に行くときはドレスアップしていた。

春になったからとラファイルさんは春物のドレスを新調してくれて、なんだかいよいよ夫人ぽくなってきたとオーケストラのみなさんにからかわれた。

いや、嬉しいですよそれは。


ジュエリーも用意してくれていて、いかにもセレブなボリュームのあるネックレスに目が飛び出る勢いだった。

なんと今回のジュエリーはプローシャさんが私に譲るとおっしゃってくれたものだった……

プローシャさんは、ジュエリーをつけるような装いはする予定がないから、私に持っていてほしいと言ったのだ。

ほぼ身内扱いである。

光栄だし嬉しい。


でもそれにしても畏れ多いので、せめて借りるという形にさせてもらいたかったのだが、プローシャさんとラファイルさんの希望で、ありがたく受け継がせていただくことにした。


ダイヤとエメラルドのペンダントに、イヤリングのセット。


これほんとウン千万いきませんか。

これを着けるにふさわしい人でありたいと思ったが、どういうのがふさわしいのか悲しいかな分からない。

まさかこんな庶民の私がハイジュエリーを身につけることになるなんて。

誰が想像できるだろうか。


傍から見たら、私は幸福の絶頂にいるようだったかもしれない。


セレブな生活を送り、恋人に愛されて。


本当に夢みたいな、奇跡としか言いようのない状況。


この世界のその辺の貴族たちより、よっぽど素敵で満たされていると思う。



それなのに、私はその状況に浸れないでいた。


頭の隅には常に、バンドデビューのことがあり、帰ったら練習しなきゃ、そのことばかりが気になっていた。


ラファイルさんと過ごすデートのようなコンサート観賞も、どこかで、早く終わらないかなと思っていた。


ラファイルさんに、ちゃんとそうした不安を伝えておけばよかったのだが、

私はラファイルさんに言われるまま、不安を横に置いてついて行っていた。


これもまた、仕事の一部だと思っていたから。


ラファイルさんの仕事の成果を見届けることだと、私が言ったのだ。

だからというわけでもなかったが、ラファイルさんには総監督という立場からも本番を見てほしかったし、ラファイルさんが行くなら私も行かなければ、という義務感みたいなものもあった、なんたって私は助手なのだ。


それにこの世界はこういうとき、エスコート相手を連れて行くのが一般的だから、それも私の役割だと思っていた。


私でさえこのちょっとした焦りに自分で気づいていなかったのに、音楽以外では鈍感なラファイルさんが気づいてくれるわけはなかった。


私の小さな焦りは、デビューの日が近づくにつれて、だんだんと無視できないものになってきたのだった。


***


時間が欲しい。


もっと、もっと練習しなきゃ。


人前でやるのは慣れているとはいえ、今度は同レベルのサークル仲間や、上級レベルといっても地元プロとやるのとは、訳が違う。


国の音楽界の中心にいる人と肩を並べ、同じバンドのメンバーとしてやるのだ。


考えただけで震えがくる夢のような状況が、今現実として私の前にある。

もう何がなんでもやるしかないじゃないか。


気ばかり焦る中、私は最近ひたすらメトロノーム相手に練習をしている。


凡人の私は、ひたすらトレーニングによって上達させるしかない。

しかしトレーニングしたからといって上達しているのか。そこも不安なままである。


デビューしようと計画しているバカンスの頃まで2か月を切った。


でも今までやってきた仕事を疎かにするわけにはいかない。前より要領もよくなってきたし、幾分か仕事のスピードアップもできてきたが、私はあのやらかしたミスを決して忘れてはいない。

どうしても慎重にやることはやめられず、丁寧に手順を踏んでやるから、時間の短縮はなかなかできなかった。スピードと正確さの両立はできないのは自覚している。

ただ前の世界の仕事と違って、スピードが重視されないのは気が楽だったが。


一日仕事をすればそれなりに疲れるのに、それに加えての練習である。気分転換ではなくダブルワークも同然だった。

ラファイルさんはほんとに同じ時間仕事をやってーーしかも学校では長時間教えてーー尚あれだけ楽器を練習できるのが、ほんと人間離れしていると思う。


本当はピアノもしたいし他の楽器も触りたい。

しばらく剣も握っていないままで、やりたい気持ちだけがある状態だ。

でも優先事項は仕事だから。

気分転換する時間も惜しくて、しばらくドラムだけに絞っていた。


私以外の4人は既に音楽の土台があるけれど、私はその土台を作るところから始めているからだ。


一緒の土台に立つことになったというのに、相変わらず見えない壁を感じるのだった。


私は一人で練習することがほとんどになり、ラファイルさんと遊びで合わせることが最近ない。


ラファイルさん以上に練習することは不可能なので、私は先に切り上げて寝るのだが、寝不足続きで寝付きに困らない状況である。

朝起きるとラファイルさんが私を抱き枕にしてはいるが、リラックスして触れ合うことはしばらくしていない。

というか私が気分的に、それどころではない。

むしろそういうやりとりは今は面倒、とさえ思っていて、私は毎朝そっとラファイルさんの腕から抜け出すのだった。


***


今日はバンド練の日のはずだった。

私たちの仕事帰り、ヴァシリーさんも一緒に来るのがいつもなのに、今日は来ないという。


「今日はバンド練休みにした。どっかで食って帰らないか?」


ラファイルさんが、仕事帰りにそう言ってきた。


普段の私なら、ずっとお預けになっていた、多分初めてのデート的なシチュエーションにテンションが上がっただろう、

だが私には今、何もかも、楽しむという余裕がなかったのだ。


「……いえ、帰って練習しないと」

「えっ?今日はいいだろ」

「でもやらないと。サボったら感覚鈍るんで」

「帰ってからやればいいだろ」

「……それどころじゃないんですよ。私はもっとやらないと」


誘ってくるラファイルさんに、ちょっとイラッとしてしまった。

ラファイルさんにとっては本番なんて大したことはないのだ。仕事の延長だ。


でも私にとっては、一世一代の大仕事である。

初めてプロとして立つステージであり、憧れながら遠く手が届かなかった立ち位置に、幾多の奇跡を通って立とうとしているのだ。

そんな余裕ぶっこいてる場合じゃないのにと思った。


「……何だよ。ヴァーシャが飯でも行ってこいっていうから言ってんのに……」


ラファイルさんのトーンが下がってきたが、私はもう気にも留めていなかった。


「とりあえず帰ります。私はラファイルさんと同じ練習じゃ追いつけないんですよ」

「追いつく必要はないだろ。そこまでガチでやらなくていいって言っただろ?」

「追いつけないにしても、少しでも近づかなきゃ。ステージで無様を晒すわけにはいかないんですよ、明らかに私だけ実力差があるじゃないですか!」

「あんたの技量で大丈夫だから、あんたを起用したんだろうが。

無様なんかなんねぇから」

「大丈夫なわけないでしょ?オーディエンス舐めてるんですか?下町だからみんな耳が肥えてないから大丈夫とでも思ってるんですか?」


ラファイルさんの表情が、凍りついた。


私は、思わず後ずさった、そのくらい、凍てついて刺されそうな雰囲気だったのだ。


「……ふざけんなよ」


向けられた怒り。

心臓が、嫌な音を立てた。


「俺が、そんな甘ったれた馴れ合いでステージやるとでも思ってんのか」


でも、私より上手い人はいくらでもいる、って言ったのはラファイルさんだ。

私は引き出しが多いからっていう理由だったはず。


そう思ったが、威圧を感じて言えなかった。


「そういう考え方するんなら、ステージを、オーディエンスを舐めてんのはあんたの方だ。

不十分なのにステージに出て行こうとしてるんだから。

俺が大丈夫って言ってあるのに。

そうじゃないなら、やめてしまえばいい」


やめろと、言うのか。

あなたがやろうって言ってくれたから、頑張ってきたのに。


「……だったら最初から私を選ばなきゃよかったのに」


「だから、大丈夫だからって言ってんのが分かんねぇのか!?

俺は大丈夫だと思ってるしそう言ってる、そうじゃないって思ってんのは()()()だろ!?

あんたができないって言うならやめろっていう話だ!」


自分で、決めろと。

私には、酷な言葉だった。


私は本当は、不十分だと思っている。

当たり前だ、ラファイルさん自身に、私より上手い人がいくらでもいるって言われてるんだから、不十分に決まっている。

ならやめなきゃいけないのか。


それならラファイルさんが、クビにしてくれた方がよっぽど楽だし、

ラファイルさんに言われたのなら諦めもつく。


ラファイルさんの言う「大丈夫」が、分からない。


「……私は大丈夫じゃないから、練習しようって思って……

……なら、やめなきゃいけないですか」


「あんたが決めろ」



もちろんやめたいのではない。

実力さえあれば、やりたいに決まっている。


それに、ずるいと思いながらも、今あるドラマーの座をみすみす捨てて誰かに明け渡したくなんかなかった。

やめてしまえば空席になり、誰かが入るのだろう。

そのときそのバンドを見る気には、なれない。


最初から別のプロドラマーが起用されていたのなら、ともかく。

それでもきっと見ていられない気はするけど。



そんなことがぐるぐる頭の中を回って、私は何も言えなかった。


重い沈黙が少しの間続き。


「先に帰る」


ラファイルさんは、部屋の鍵を机に置いて、出て行ってしまった。

私は、一人取り残された。


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