表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/110

61:ドラムセットに夢中です


翌日ラファイルさんに、昨日会った山形氏のことを話そうと思ったのだが、ヴァシリーさんとの練習がいつまでも終わらず話しかけるタイミングを失ってしまった。

そしてこの日、楽器店からドラムセットの一部が届いたのだ。


ラファイルさんもヴァシリーさんも、初めて見るドラムセットというものに興奮が止まらず、私にやって見せてくれとせがんできて、みんなで夢中になってやった。


届いたセットはひとまず、バスドラムとペダル、シンバルスタンド、そしてハイハットスタンドとハイハットだ。

最低限のセットだがこれで基本ビートはできる。


私がジャズからロック系からいろいろパターンをやってみて、ラファイルさんとヴァシリーさんの顔が面白いように輝いている。

男は何歳になっても少年というのはこういうことか。


ハイハットの使い方が特に面白いらしく、ハーフオープン(ハイハットが上下離れない程度に開いた状態)で叩いたり、踏んだ瞬間に緩めてサスティンを残す(音が伸びる)やり方に、ラファイルさんはすっかり心を奪われてしまったようだった。


「すごい、マリーナ、すごい。こんなにいろんな音の出し方があるのか。もう俺は死んでもいい」


ラファイルさんには珍しい、大仰な感情表現だ。それほど感動したということだ。

一応プロに習ったこともあるから、種類はそれなりに知ってるんですよー。


「これはすごいねぇ。いやほんと感動した、素晴らしい。

このドラムセットってのはこの世界の音楽界に衝撃を与えるだろうね」


ヴァシリーさんも驚嘆している様子。

本当に初めて見ると、プロ中のプロであってもそう感じるようだ。


ラファイルさんが垂涎の勢いでドラムセットを見つめるので、代わってあげた。

まずはハイハットを何やらいろいろ試したそうだ。


「ハイハットは、かかとは上げたままで、つま先で踏み込むのが通常のやり方ですよ。

緩まないようがっちり踏み込んでくださいね」


この世でハイハットとバスドラムを知るのは私だけなわけで、今回は私は堂々とこの超絶プロにハイハットの使い方を教えて差し上げるのだった。


「ストロークの練習のときの基本ビートは、バスドラム4つでハイハットを2、4拍目で踏みます。でも1、3拍目も、音は出さないでかかとだけ下ろしてカウントするんですよ」


そう言って私も実演してみせる。ラファイルさんがうんうんと素直に聞いているのがかわいい。


それをマスターしたら、ハーフオープン状態で叩くとか(ヘヴィな曲でよく使われる)、アクセントとしてほしいときだけ一瞬ハーフオープンにするとか、いろんな音の出し方を試していく。


見るしかなかったヴァシリーさんは、ここで退散した。

もうこうなったらラファイルさんは周りのことをすっかり忘れ去っているのをよく分かっているのだ。


「じゃねマーニャちゃん、また明日」

「お疲れ様でした」


ヴァシリーさんを玄関まで送って、私は再び音楽室へ戻った。

ラファイルさんはいつ、私に何かを尋ねてくるか分からないので、今日はサックスの音出しをしながら同じ部屋にいることにする。


案の定、30分もしないうちに、

「マリーナ、ちょっと2ビートのさわりをハイハットでやってくれ」

「さっきのハーフオープン、もう一回やって」

「ハーフオープンってどこで入れてもいいのか」

といった具合にご要望・ご質問がちょくちょくやってきたので、何回か実演して後はずっとラファイルさんが探求して、の繰り返しだった。


今日は多分バスドラムまでも到達しないだろう。


打楽器でビートを刻むという概念がクラシックにおいては基本ないと思う。

だからドラムとビートという部分においては、多分数日くらいは私はラファイルさんの上でいられるだろう。数日くらいは。


それにハイハットは2、4以外で踏むことだってあるんだよ〜。

いつもラファイルさんには驚嘆させられてばかりだから、ちょっとくらい私も驚かせてみたかったりする。

といってもこの人のことだから、私の経験にないことをサラッと思いついてやってみせてくれたとしても驚かない。そういう人だ。


…………

…………


そして時間が過ぎ、私はさすがに明日の仕事に備えて寝ないと、と思ってラファイルさんに告げて音楽室を出た。


ラファイルさんに、山形氏のこと、それと誕生日に何かほしいものがあるか聞こうと思って、今日はそんな余地がなかった。

まぁもう数日後でもいいか、と思ったものの、翌日以降も結局話しかける隙が見出せなかったーー

徹夜しそうな勢いでドラムをあれこれ試しているらしいラファイルさんは、行きも帰りも馬車で居眠りしてしまうし、帰ってからもすぐに練習に向かうから、話らしい話をしばらくできなかったのだった。

強引にでも引き留めるということがどうも私はできないのだ……


しかも次の週末、ラファイルさんはドラムに集中するからとヴァシリーさんも呼ばなかった。


私は今度はバスドラムを教えるのでラファイルさんにつきっきりになり、この週はラファイルさんに言おうと思っていたことをすっかり忘れてしまっていた。

さらにこのとき、フロアタムも届き、フィルイン(曲の合間に入れる飾りみたいな)の幅も広がったことで、ラファイルさんの興味は完全にドラム限定になっていた。


徹夜に近い短時間睡眠が一週間続いたラファイルさんは、この週末ついに限界を迎え、控え室のソファーに倒れ込んで深い眠りに陥った。

はい、強制シャットダウン。

そりゃーいくら10代男子でも限界はありますよ。

私は爆睡するラファイルさんに毛布をかけてあげて、隣のソファーで眠ったのだが、ラファイルさんは次の日昼頃にようやく眠りから覚めたほど眠り続けた。


それでも尚まだドラムセットに向かうラファイルさんに、私は呆れたというか、いっそ微笑ましいというか、音楽バカの究極形態を見た気がした。


しかしさすがにまた一週間仕事が始まるわけで、この日私はやむを得ず日付が変わる前にラファイルさんの練習を中断させ、バスルームに放り込んで、出てきたラファイルさんをベッドに追いやって、寝入る確認までしたのだった。


山形氏の話は、このドラムフィーバーが落ち着いた頃でいいやと思った。


***


「ねぇラーファ最近どうしたの?」

王宮で、ノンナさんたちに聞かれた。

「新しい楽器が手に入ったんですよ、それで今それしか頭にないんです」

「ははぁ」

「あ、ヴァーシャの言ってたやつね」


ラファイルさんは、さすがに仕事に影響を出すようなことはしないが、それでも始終ドラムのことばかり考えている。

ピアノは触っているが、最近メインでない管楽器や弦楽器は置いてけぼりになっている、ラファイルさんがドラムの納期を年明けにした理由がはっきり分かったし、そうでないと確実に仕事に影響が出ていただろう……


ラファイルさんをドラムから引き剥がしてバスルームに放り込んだ話をすると、団員のみなさんに大ウケした。


ちなみに新しい楽器がどういうものかは、一応公開はしていない。

これは音楽界の革命的楽器になる可能性があり、ひょっとして保守的な人が反発したらこちらが困る。

家でやる分には問題はないが、開発中の製品を他社に取られたくないように、ドラムをいつのまにか真似されて公表されてはたまらない。

楽器店ともそこは取り決めていて、ドラムの製作は公表していない。

楽器店だって、ラファイルさんや私と共同で開発したのだから、どこかから情報が出回って他の楽器店にそのノウハウをとられたくはないのだ。

特許という仕組みは整備されていないようで……


今後このドラムセットを使って人前で演奏するときにどうするか、楽器店も含めて要検討、という話がでている。


そういえば、あのドラムセットを誰か演奏者に教えないといけないんじゃないだろうか。

ラーファ支部エリクさんあたりが候補だろうか。

エリクさんは前ドラムセットもどきで演奏したこともあるし。


私は、一緒にやろうとラファイルさんに言われてはいるものの、それはあくまでプライベートでのことだと思っている。

人前でラファイルさんとやるなんて、レベルが違いすぎて釣り合わないことはよくわかっている。

内輪向けならまだ大目に見てもらえるかもしれないが、ラファイルさんはいずれジャズやロックを世間に晒そうと考えているのだから、そうなればプロドラマーでなければ務まらない。


ヴァシリーさんがジャズをマスターし、ラファイルさんがドラムをマスターすれば、多分プロの打楽器奏者にドラムを伝えるんだろうなと予想している。


どういう編成でやるんだろう。

ラファイルさんはピアノなのかな。

フロントに例えばノンナさんとかを迎えて、ピアノトリオ+フロントとかでやるのかな。

あの山形氏と気が合えば、ロックももしかしていくかな。エレキはないけど。


ラファイルさんや、クラシックに馴染めなかったヴァシリーさんが表舞台に立つときが来る。

それは私にもとても嬉しいことだし、応援したい。


裏方でも構わない思いも、あるけれど。


邁進するラファイルさんが、私を振り返ってくれることは、あるのかな、と少し不安になる。


邁進中はそれこそ私のことなど忘れそうだし。


私しかラファイルさんのトラウマに対処はできないという自負はあるけど、

私はこれからもずっと、ラファイルさんの背中を追い続けてしまうことになるのだろうか、

一緒に並んでいくのではなく。



ラファイルさんとの関係性がはっきり定まっていないから、多分不安に感じるんだろうとは思う。

ラファイルさんは、そもそも私を好きなのかどうかも実は分からない。

任せるとは言われて、なんとなく将来的に結婚みたいな雰囲気はあるが、好きとかは言われたことがないし、恋人感はない。


ファンであるだけならそれでもいいが、ファンという気持ちだけでは、あんなに側にいられたものではない、それ以上の気持ちがどうやったって生まれてしまう。


だから私は、自分自身が活動できることを、と意識し始めたのだった。

私の人生を、ラファイルさんに左右されずに済むように。少なくとも揺らぎを少なくするために。

ラファイルさんを想ってばかりいるのは、正直、苦しみも結構あったのだ。


・ハイハットを音は出さず踏むことを、ゴーストノートと言います。(ノート=音符)豆知識。

・かかとは下ろした状態で、つま先側を緩めたり(ハーフオープンで叩きたいときはこれ)、

かかとを下ろした瞬間につま先側を緩め、左足オンリーでハーフオープンにしたり。

実際は出したい音によっていろいろです。

ストローク練習時などの「基本動作」としてはヒールアップ(かかと上げて)でしっかり踏み込み、ハイハットを踏んだ時の音がルーズにならないようにしています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ