58:気持ちの扱い方がわかりません
翌日の王宮の仕事でも、その次の日の学校の仕事でも、ラファイルさんの蕁麻疹は周りからものすごく驚かれた。
思わず悲鳴を上げる女性団員さんや、学生さんもいたほどだが、当のラファイルさんは気にしていないようだった。
団員さんたちは金髪アレルギーということで分かってくれたが、多分学生さんの方は本当に引いた人も少なくなかったと思う。
例のカザロヴァ嬢もそっち派だった。
あのときラファイルさんに擦り寄ってきたのが嘘のようにドン引きしていたから、いい厄除けになったなとラファイルさんは冗談まで飛ばして見せた。
まったくだ、厄だ厄。
見かけにこだわる人は、本当に見た目で決めてしまうみたいだ。ダイヤモンドに傷が入っていたら評価が落ちるのと同じように。
でも人間相手にそんなことをしても、いくら見かけが完璧でも性格に難ありの人を拾ってしまったらどうするんだと思う。
それにこれから怪我をしないとも限らないのに。傷が残ればそれだけで今度は自分が、評価されない側になると、彼ら彼女らは分からないのだろうか。
まぁ、私には関係ないことだけど……
現学部長にも報告をしておく。
現学部長はラファイルさんの学生時代の担当教官で、ラファイルさんを育て上げてくれよく事情を分かってくれている人だった。
もちろん、金髪をかぶれないということも。
学部長さんもこの前の夜会には出席していて、職業柄オーケストラに目がいってしまう中、ラファイルさんに気づいていたらしい。
ただラファイルさんの金髪なんてよっぽどのことがあったのだと察し、気になりつつも追求はしなかったそうだ。
貴族がほとんどであるこの学部では、学生も教授陣もあの夜会に出席していた人は結構いて、ラファイルさんに気付いていてその話題を持ち出してしまう人がまたいないとも限らない。
ヴァシリーさんは夜会のときにラファイルさんの蕁麻疹を見ていたから驚くこともなく、過呼吸(推定)のことも聞いて、授業が被らないときにはラファイルさんの授業に私と交代でついていくようにしてくれた。
そしてカザロヴァ嬢は今後ラファイルさんが直接教えることは絶対になくなった。
私はひとまず胸を撫で下ろしてしまった。
…………
…………
「あー、カザロヴァさんね。
あの子結構野心強いタイプだよね」
ヴァシリーさんは少人数の授業で彼女を教えたことがあるそう。
「技術はあるしセンスもなかなかいい。
音楽的には王立楽団にも合格はするかもね。
でも多分、一番になれないとふてると思う。あれは絶対ノーナと衝突するね。楽団より、どっかのお抱え演奏家になったほうが本人にも周りにもいいよ」
ラファイルさんに売り込んでくるくらい、結構図太い人っぽい。
「俺ああいうの無理。今回のことがなくても無理。兄上を彷彿とさせる」
「あ、確かに、分かる〜」
ラファイルさんに金髪を勧める辺り、やっぱり見かけにこだわる人なんだと思う。確かにお兄様を思わせる。
ふと、見かけや地位に重きを置くこの国の慣習だが、こうやって人間性を分かりやすくするフィルターのような役割をしているのかな、と思った。
こういう価値観の中でも見かけより内面を大切にする人というのが判別しやすく、人間性を拾いたい王室にとっては好都合だろう。
ただラファイルさんのように、ずっと評価されなくても腐らず己の道を邁進する力が必要になるから、やっぱりこの国出身の黒髪さんには、ハードモードだと思う……
***
一週間もすれば蕁麻疹はだいぶ引いてきて、週末は再びヴァシリーさんを家に招いてジャズの教授を行う。
ノンナさんは今回夜会の仕事があり、来ていない。
私は別室で練習に勤しんでいた。
夜中になる前に、練習を切り上げて自分の部屋に戻るとき、多分徹夜する勢いで練習しているラファイルさんとヴァシリーさんの音が聞こえた。
今日は一週間ぶりに自分の部屋で眠ることになる、ずっとラファイルさんの部屋で眠っていたから。
ラファイルさんはかなり寝付きがよく、プローシャさんが危惧するようなことは起こらなかった。夜中まで練習して朝普通に起きるんだから、普通に寝不足なんだろうと思う。
10代男子はさすが、多少の無茶もきくものだ。
私はまた抱き枕にされているけれど。
そういえば最近、出勤の馬車の中では私にもたれて寝ている。
今はそれでいいけど、もし今後本当に結婚、とかなったら、ラファイルさんは私に手を出してくれるんだろうか、と少しだけ不安になる。
プローシャさんは、そそられないなんてごまかしだと言ったけど、ほんとにそうなんだろうか。
お風呂に入って、体があったまっているうちにベッドに入る。
ラファイルさんがいないから、ちょっとだけ落ち着かない。
ベッドが温まるまでが時間がかかって、私は毛布にくるまって体を折り曲げる、
ラファイルさんが抱き枕にしてくれたら温かくて安心するのに。
友達との雑魚寝はやったことがあるが、一人の人とあんなふうに触れ合って眠ったのは、母以外では初めてだった。
もう既にあの心地よさを覚えてしまった、たった数回のことで。
ラファイルさんに側にいてほしい。
抱きしめてほしい。
そんな思いが湧き上がって、胸の奥が苦しくなる。
私も、ラファイルさんを抱きしめたい。
もっと、触れたい。
まだ知らないその先は、今は怖さが勝るけど……
プローシャさん、ごめんなさい、私の方が、辛抱しきれないかも。
結婚とかそんな社会的な立場を放り出して、ラファイルさんを求めてしまいそうだ、私の方が。
早く、私のものにしてしまいたい。
もし、音楽で同等の立場でいられたなら、こんなに焦ることもないんだろうか。
私がプロにはなれない以上、練習相手まででしかいられないから。
プロのメンバーを集めて活動を開始したとき、私から離れてしまうんじゃないか、一緒にはいけないんじゃないか。
ラファイルさんとヴァシリーさんの練習を聞いて、見えない壁を感じてしまったのだ。
別にプロ同士でカップルになるものでもないのだし、アマチュアだからとパートナーシップで不安になることは何もないはずだけど。
でも、私の伝えた音楽なのに、私は携われないのは、分かっていてもちょっと悔しかったのだ。
ラファイルさんと共有するのは楽しくても、それを別の場所で別の人とされるのは、何かを取られたような気になってしまう。
プロでもない私がそんな偉そうなことを言う資格なんてないのだろうけど……
ラファイルさんに憧れる気持ちと、いつも側にいる男性としての気持ちと、プロミュージシャンとアマチュアという立ち位置からくる気持ち、そういったものがすべてごちゃ混ぜになって私の心を覆う。
ラファイルさんを好きで求めているのか、独占したくて求めているのか、それももうよく分からなくなってきた。
それに、どう対処していいのかも。
昔好きになったミュージシャンなんかは、手が届くなんて次元のものじゃないから、ひたすら一方的に恋心を募らせていればよかった。ファンとはそういうものだ。
一方でそのくらい好きと感じる人は、現実にはいなかった。
何となく気が合って、付き合ってみる?みたいな雰囲気で、気持ちが通じ合ったことがその一度しかない。
そんな経験不足甚だしい私には、気持ちの扱い方なんて分かるわけがなかった。
私は結局その後遅くまで、眠れぬ夜を過ごすのだった。
***
私の気持ちとは裏腹に、ラファイルさんは最近音楽にいつも以上に夢中になっている。
コードを組み立ててみたり音づかいを試してみたり、すっかりジャズが板についてきた。
さすが天才、本物を聞かずして本物を再現してしまっている。
一流を聞き分けられる人にはどうか分からないが、それなりの経験者の私の耳には、すっかり本場のジャズに聞こえるようになっていた。
多分夜中までぶっ通しでやって隣の控え室で寝ているのだろう。
そして週末はヴァシリーさんと特訓するというコースがひと月、続いた。
私はというと、日常の練習をした後は、諦めて自分の部屋で寝ている。
ラファイルさんのあの空間にはとてもじゃないが入って行きづらいし、
私はどうせ一緒にやれないのだから、そこまで頑張ってもな、と思うようになっていた。
今週末はまたヴァシリーさんが来るから、私は思い切ってノンナさんに声をかけた。
「ノーナ、私お茶とか外でしたことないんだけど、どこかお店案内してくれない?
買い物も一回行ってみたいんだ」
「嘘でしょお茶したことなかったの?買い物も!?
行こう行こう!連れてったげる!」
たまには音楽から離れてみるのもいいかもしれない。
ラファイルさんのことを考えない時間があったほうが、健全な気がする。
苦しくてどうにもならなくなった私の選択だった。
数日お休みします。




