41:ラファイルさんのために生きます
ヴァシリーさんはラファイルさんの着るものと濡れタオルを持ってきてくれたが、その後なかなか戻って来なかった。
ラファイルさんからは、すぅすぅと寝息が聞こえてきている。
感情が振り切れて、寝落ちしてしまったようだ。
私ももう寝落ちしそうだ、と思ったとき、ヴァシリーさんは戻ってきた。
「マーニャちゃん、ごめん、遅くなった。
……もう今日帰るのは大変だから、ゲストルームを一部屋押さえてきた。
今晩はそこで休んで、明日の朝帰ったらいい。
ラーファも、眠っちゃったみたいだね」
ええぇ。
泊まれと。ラファイルさんと。
ちょっとスキャンダラスじゃないですか。何もないけど人から見たら。
「移動しよう、ここは冷えるからこのままじゃ風邪ひくよ。
ラーファはオレが担いでくから、マーニャちゃん、歩ける?」
「あ……っと、はい」
「大丈夫?よろよろしてる……今日はそりゃヘトヘトだよね」
「もう体に力が入らないです……」
ヴァシリーさんはラファイルさんを肩に担ぎ上げた。
さすが、体格はいいから力持ちではあるのだ、頼りになる。
「公爵家で使うゲストルームだから、心配いらないよ。オレもついとく。
ラーファがまた暴れないとは限らない」
ヴァシリーさんの配慮が素晴らしすぎる、
こういうことには気がすごく回って、仕事が早い。
ラファイルさんに欠かせないのも、よくわかる。
ラファイルさんの楽器は、みなさん手分けして片付け、オストロフスキー家の馬車に乗せて、屋敷へ戻らせてくれたそうだ。
楽器はケースのまま音楽室に置いておくように、伝言までしてくれているらしい。
一部積みきれなかった楽器は、明日私たちで持って帰ることにする。
…………
…………
王宮をやっとのことで歩いて、庭に面した小綺麗な部屋へと入った。
大きくふかふかのベッドが二台。
ソファーやテーブルがあって、ホテルのスイートルームみたいな、さすが公爵家の使う部屋である。
暖炉には火が入っていて、部屋はありがたいことに温かい。
「オレはこっちのソファーにいるから、心配しないで寝なね」
ヴァシリーさんにそんな心配はしていないが、心遣いが素晴らしくてありがたい。
バスルームで化粧だけは落としーー今日は散々泣いたので、それすら既にかなり落ちていたーー、片方のベッドに上がろうとすると、既に寝かされていたラファイルさんが私を呼んだ。
目は開いていない、寝言、なんだろうか。
寝顔を見れば、苦しそうに歪み、また無意識になのか腕や体を引っ掻き始めている。
「ラファイルさん、大丈夫ですか」
「……マリーナ……マリーナ、どこに……」
「ラファイルさん……ここに、いますよ。
大丈夫、安心して」
呼びかけて手を握ってみれば、私の手から腕をたどり、また抱きつくようにしてきた、
仕方がないのでラファイルさんのベッドに上がって、横になる。
ラファイルさんが、胸の下あたりに顔を埋めてきて、私の体にまた腕を回した。
私も、ラファイルさんの頭をきゅっと抱きしめるように、腕を回した。
ラファイルさんの呼吸が、次第に落ち着いてくる。
それに安心して、私はあっという間に眠りに落ちたのだった。
***
話し声がする気がして、私の頭は覚醒してきた。
複数の人の話し声。
えっと、昨日はパレードと夜会……
あ、ラファイルさんがあの後すごいことになって……
あれ。
一緒に寝た気がする……?
目を開けると、見覚えのない部屋だった。
ここ、どこ!?
驚いて、飛び起きた。
「あ。マーニャちゃん、起きた」
「ノンナさん!?」
「大丈夫?大変だったって聞いたよ」
窓際のソファーには、ラファイルさんとヴァシリーさんが座っていて、
昨日はいなかったはずのノンナさんがヴァシリーさんの隣にいた。
ラファイルさんが私を振り向く。
その顔はまだ発疹が引いておらず、見るとびっくりしてしまうが、とりあえず意識は普通のようだ。
私は乱れた髪を結び直して、ベッドから降りた。
「まだ、寝ててもいいぞ」
「……いえ。
夢も見ずにぐっすり寝ましたから。
……大丈夫ですか、ラファイルさん」
ラファイルさんは、多分昨日掻きむしったのだろう、乱れた髪に手をやった。
「……かなりの醜態を晒したみたいだな、俺……
あんたに危害は加えてないと聞いたが、大丈夫だったか」
「こんなときまで何、人のことばっかり気になさってるんですか……
私はなんともありません、ご無事で、よかったです……」
「マリーナ。座って、ここ」
ラファイルさんに促されて、私はラファイルさんの隣に失礼した。
ラファイルさんは、顔を伏せながら話し出す。
「……こんなになるなんて俺も思ってなかった。
記憶は断片的なんだが……とりあえずヤバかったことだけはわかってる。
……よく、こんな醜くなった顔で、引かなかったな」
ラファイルさんは、自分の顔に手をやった。
多分バスルームで鏡も見たのだろう。
「私も酷い顔です、昨日泣き過ぎちゃって」
「俺よりよっぽどマシだ」
「引いたりしません。私のミスを肩代わりしてくださったようなものです、
本当に……ここまでなるまでのこと、引き起こしてしまって……申し訳……」
「もう謝るな。
……謝るな、マリーナ。
……ありがとう」
ラファイルさんの畳み掛ける言葉に、昨日散々泣いて腫れぼったくなった目にまた涙が溢れてくるのを抑えられず、私は俯いて嗚咽を噛み殺した。
ラファイルさんが、私に近づいて座り直す。
私にそっと腕を回し、ハグしてくださったのだ。
「多分、あんたが来てくれて、俺は狂気から戻れたんだ。
あれを被ったのが気色悪くて気色悪くて、体内からおぞましいものが立ち昇ってる感じで……
引っ掻いて取り出そうとしてたような覚えがある。
でも、あんたに触れてたら、それが消えていく気がした」
私もラファイルさんの腕に手を添え、ラファイルさんの肩口に顔を埋めた。
「演奏は、俺にしかできなかったと自負してる。
でも俺のフォローは、あんたにしかできなかった。
きっと、今後もそうなんだ。
俺のことは、あんたに任せる。
助手の仕事も、楽器の相手も、俺が何かトラウマにぶち当たったときも……
やってくれるか?」
「はい……
ラファイルさんが、こんな私でも必要としてくださるなら、どこまででも……ついて行きます」
私たちは、しばらくそのまま抱き合った。
私はもう、この人に尽くすと、昨日荒れ狂うラファイルさんに対峙した時、決めていた気がする。
私は、この人ために生きる。
この人がもしまた、昨日のように何かに立ち向かっても、そして昨日のように荒れ狂っても、
私は全身で、それを支えるんだ。
私はそう心に決めて、ラファイルさんをぎゅっと抱きしめた。
***
「イェーイおめでとうっ!お兄さんは嬉しいよラーファにこんな日が来るなんてね!」
「いやーめっちゃ感動したぁ〜」
ヴァシリーさんとノンナさんの前で、流れで私たちはバッチリ抱き合っていたのだった。
すっかり気心知れた仲とはいえこれは恥ずかしい。
ノンナさんは、BGMの仕事を終えて楽屋に戻ってきたところ、片付けをするみなさんから事情を聞いて、私たちを心配して来てくれたのだそう。
「でいつ結婚すんの?」
「えっ、結婚!?気ぃ早すぎだろ……」
ラファイルさんの言葉に、私はどきりとした。
私も今から結婚といわれても現実感がないが、それでも結婚のことをラファイルさんは今、肯定しなかったのだ。
「ちょっ、ラーファ、あの感動は何、ここはプロポーズからの結婚でしょ!?」
「いや待てよ、俺まだ19だぜ?さすがにすぐはちょっと」
感動していたヴァシリーさんとノンナさんの顔が、サーッと青ざめるのが分かるほどだった。
ああ。
ラファイルさん、やらかした。
私の前で現時点で結婚はしないと宣言してしまったのだから。
確かにちょっと残念には思った。
ただラファイルさんに、結婚しようとか好きとかは、何一つ言われていないのだ。
さっきのハグは、男女としてというより、人として信頼し合い心を通じ合わせたという感じで。
お互いの結びつきは強くなったと思うけど、イコール恋人とは言わないんじゃないかな、と思ったのだ。
正直私も、結婚とか家庭とかいうものがいまいち自分ごととして捉えられていなくて、
仮にじゃあ結婚、と言われても、もちろん嬉しいが不安になってしまいそうだ。
それにラファイルさん、19歳なのだ。
日本でも18で法律上結婚はできたから、なくはないのだが、やっぱり一般的な日本社会の感覚としては、19で結婚は早すぎる気がする。
私も、23でさえ結婚できるなんて思ったこともなかったし。
ラファイルさんは、ヴァシリーさんとノンナさんに引きずられ、部屋の外へ出て行った。
きっと二人に説教されているのだろう、あの二人は既に私にラファイルさんとの結婚を勧めていたから。
こっちでは23が適齢期だから尚更か。
でも、ラファイルさんに押し付けることは、したくないな。
私のことを負担に思われる方が嫌だ。
私は部屋の扉を開けた。
「あ、あの、一旦戻ってきてくださいませんか?私からもお話が」




