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40:金髪の反動


ようやくダンスの時間が終了し、私はもうすっかりヘトヘトになって、ヴァシリーさんの腕を借りてやっと歩いている状態だった。


団員のみなさんは楽屋に戻っていっているところだ。


だが、BGMとしてノンナさん始め弦楽隊が5人ほど残って、歓談の時間に花を添える。


私は自分も限界だが、それ以上にラファイルさんの様子が気になって、楽屋へと頑張って歩いた。



楽屋の方から、何か声がする。


ーー?


「何だ……騒いでるな」


ヴァシリーさんが訝しげに呟いた。


楽屋の前の廊下まで来ると、男子用の楽屋の前に楽器が片付けられないまま残っていて、団員さんたちが部屋にも入らず狼狽えている。


オレーシャさんが、私とヴァシリーさんに気づいた。


「マーニャ、ヴァーシャ……

あのね、ちょっと問題なのよ」


楽屋に近づいて、中の声が分かった。


「ラーファが……楽屋に帰るなり、暴れ出したのよ。

今男メンバーで押さえようとしてるところ。

この通り、男組は楽器も片付けられずじまい。

医者を呼びに行っているわ」


そう。

ラファイルさんの、叫び声だったのだ。


言葉ではないのか、喚いているのが聞こえる。


あまりに苦しそうで、胸を滅多刺しにされるかのように響いていて、私は思わず楽屋から顔を背けた。

本当は、この叫び声に耳を塞ぎたかった。


「何でそんなことが……」

「分からないけど、あれだけ拒否してた金髪をかぶったからかもしれないわ」


それは、十分に考えられる。

本番3時間、あれで何事もないかのように演奏に徹していたのだ。

反動がきていることは想像に難くない。


こんなに。


こんなにラファイルさんが苦しむことを、私は引き起こしてしまったのだ。


誰も私を責めないけれど、私はどうしても自分を許せなかった。


「マーニャちゃん。事務所で待ってよう。

医者がくれば鎮まるかもしれない」


ヴァシリーさんがそう言ったが、私はその場を動きたくなかった。


私にできることがあるなんて思っていないが、一人だけ安全な場所にいるなんて。


「私、入ります」

「マーニャ!?」

「危ないよマーニャちゃん」


みなさんが驚く、当然だろう。

私に殴りかかってくるかもしれない勢いなのだ。


それでも、ラファイルさんの苦しみを私も受けたいと思ったのだ。


意味のあることかどうかもわからない。


自己満足に過ぎないのかもしれない。


それでも……



私は、扉に手をかけた。


***


部屋の中は、酷い有様だ。


椅子やテーブルが激しく移動していて、テーブルの上にあったらしい食器やコップが割れて床に散乱している。


「ラーファ、落ち着け!正気に戻れ!」

指揮のエフレムさんが必死で呼びかけている。


部屋には団員さんが3人。


みんな着衣が乱れ、息が上がっているところを見ると、既に何度もラファイルさんと格闘を繰り広げたのか。


脳のストッパーが外れた人間は、男複数でやっと押さえられるとか聞いたことがあるが……


「マリーナさん!

何で入ってきた!危険だぞ」

「ここはいいから、すぐ出るんだ」


団員さんたちが、庇ってくださる。

嬉しいことだ。


団員さんの向こうに、ラファイルさんの姿が見えた。


何!?あれは……

上半身は服を着ていなくて、そして、全体が赤く腫れ上がって、血が滲んでいた。


ラファイルさんが、こちらを向く。私を認識したのか。


その顔に、小さく「ひっ」と声が漏れてしまった。


顔も同じように、赤く腫れ上がり。


血が滲むのは、あれは激しく掻きむしった痕だ。


いつもの端正なラファイルさんの姿はそこになく。


……顔も体も発疹だらけで、私にも鳥肌が立ってしまった。



「……マリーナ……」


ラファイルさんが、私を呼んだ。


私は、おぞましいとも思えるその姿に、背中に激しい悪寒を感じながらも、必死で踏みとどまっていた。


落ち着け、逃げるな。絶対。


プローシャさんに教わった、丹田という体内の下腹のあたりに意識を向けて、呼吸を落ち着ける。


「……ラファイルさん」


私に呼ばれたラファイルさんが、急に私に向かってきた。


目が異様にギラついていて、正気ではない状態なのか。


思わず、身がすくむ。


「ラーファ、やめろ!」


エフレムさんたちが遮ろうとするが、ラファイルさんは信じられないような力で暴れ、みなさんを引き離して突き飛ばしてしまった。

そしてそのまま私に近づき、私の上着を掴んだ。


オーケストラメンバーには騎士団員はおらず、体術の心得があるのはプローシャさんに教わった私だけ。

いざとなれば私がラファイルさんを取り押さえるしかない。


でも、もし、そうなる前に、正気を取り戻してくれたら。

あれだけ私を信頼してくれたのなら、万が一にでも、私を見て我に返ってくれたら。


そんな望みを込めて、絶対にラファイルさんから目は逸らさずに、力を込めて見返した。


そしてーー


ラファイルさんの頬に、涙が溢れてくるのを認めた。



「ラファイルさん……お疲れ様でした。


無事に終わりましたよ。


だから、帰って、休みましょう?」



はっきり、ゆっくり、ラファイルさんに告げた。


「……っ……


マリーナ……」


突然、がばっと抱きつかれて、バランスを崩してかっこ悪くも尻もちをついてしまった。


「ひゃっ!

ラ、ラファイルさん!?」


ラファイルさんは私のお腹の辺りに抱きついたまま、一緒に倒れ込んでしまったが、そのまま顔を上げようとはしなかった。


そして、そのまま、激しく慟哭していたのだ。


「マリーナさん、大丈夫か」

「はい……」


お尻を打って痛いけど、微々たるものだ。


「皆さん、多分、大丈夫だと思うので、申し訳ないんですが女子の楽屋か事務所で片付けていただけませんか。

落ち着いたら、連れて帰ります」


私はエフレムさんたちにそう頼み、みなさん言う通りにしてくださった。


床に座ったままではきついだろうと、エフレムさんが一人がけ用のソファーを持ってきて私を座らせてくださったが、ラファイルさんは私から少し離そうとしただけで激しく抵抗する。


なんとかソファーに座り、ラファイルさんはそのまま私の腰に抱きついて、私の膝の上で尚も泣き続けていた。


そんな中、男性の団員さんたちが楽器ケースを運び出し、荷物や着替えも運び出し、楽屋はやがて私とラファイルさんだけになった。


…………

…………


私はラファイルさんの頭を、ずっと撫で続けていた。


腕や、背中に広がる発疹を見て思う、


エフレムさんたちは何か病気かと言っていたが、これは蕁麻疹だ。


私も出たことがあるから。


強いストレスがかかっていたときだった。


医学の心得はないが、ラファイルさんの状況から、それが一番考えられる。


今まで絶対にしなかった金髪を身につけたことで、強いストレスと、激しい拒絶感が体に出た、と思われる。


この世界の医療事情はまだ知らないのだが、アレルギーを抑える薬は、流石にないか。


私に抱きつきながらも、ラファイルさんは尚も体のどこかを引っ掻いていたのだ。


冷やしてあげたいけど、身動きが取れない……



ノックの音がした。


「マーニャちゃん。入ってもいい?

先生が来られた」


ヴァシリーさんだ。


「どうぞ。

でもすみません、先生とヴァシリーさんだけにしてもらえますか」


ヴァシリーさんの手助けはほしかった、

ラファイルさんのこんな姿を見せても、ヴァシリーさんなら大丈夫だろう。

先生を連れて入ってきたヴァシリーさんは、さすがに驚きを隠せていなかった。



王宮の医師だから相当地位もある先生だろう、

すぐ、ストレスによる蕁麻疹で、日が経てば腫れは引くと診断された。


この国は、私の想像より医学が進んでいた。

アレルギーという概念も通じて、ヴァシリーさんに驚かれた。


医学の心得のある異邦人が伝えたのかもしれない。


ただ抗アレルギー薬はさすがにないらしく、ラファイルさんにはしばらく耐えてもらうしかなさそうだった。


ラファイルさんは先生にまでも触れられるのを拒否した。

だが、最初と違って、弱々しく。

ひとまず精神的な衝動は落ち着いて危険性はなくなったと判断し、先生は変わったことがあったら知らせるようおっしゃって、部屋を出た。


私はヴァシリーさんに、ラファイルさんの着るものと、冷やした布をお願いした。



だいぶ落ち着いてきたのか、ラファイルさんの声は収まり、呼吸も静まってきたようだ。

ただ私のボトムスはラファイルさんに泣かれてまあまあ濡れて冷たい。


そろそろ、帰ることはできるだろうか。


私も朝からリハーサルに出てきて、パレードのときの一件があり、

その後あのミスが発覚して楽器を取りに帰宅し、大泣きして寝落ち、

夜会ではただでさえ緊張したのにかのお兄様に遭遇して生きた心地がしなくて、

それで戻ってきたらラファイルさんの乱心である、


今日一日でなんだか1ヶ月分くらいの濃い時間を過ごした気がしている。


私も心身共に限界を迎え、いや限界を超えていると思う、早く休みたくて仕方がなかった。


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