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37:ラファイルさんの決断


「マーニャちゃん!お帰り、お疲れさま!

みんな楽器と衣装運んで!」

「よし!任せろ」


楽団員のみなさんが、馬車から楽器を次々運び出す。

私は荷物の入った手提げ鞄を握りしめて、ノンナさんに支えられるようにして事務所に戻ってきた。


「お疲れ、マーニャちゃん。

大丈夫、大丈夫だよ。自分を責めないで、ね」


ノンナさんがそう言って、肩を抱いてくれるから、死にそうな気持ちがちょっとだけ緩む。


「マーニャちゃん!お疲れ。こっちで休んで」


ヴァシリーさんがノンナさんから私を受け取り、事務所のソファーに座らせてくれた。


私は、みなさんがしてくれることを、ただ受け止めるしかできない状態だった。


完全にものが考えられなくなって、指示を聞くロボットのようにしか動けなかった。

感情が全く途切れている感じで、それこそ泣くことすらできていない。


「マーニャちゃん。大丈夫。ラーファに任せておけば、大丈夫」


ヴァシリーさんが、私の頭をなでる。


とても心配してくれているのだろう。ありがたい。


「マーニャちゃんのミスじゃないよ。オレも見てなかったことだ。

きみはまだ完全に文章が読める状態じゃなかったのに、きみが責を負うことはない」


そう言ってくれるが、そもそも書類の仕分けはヴァシリーさんの担当じゃない。

私が、追加があるという一文を、正しく読めていないことに気づいていなかったからだ。


あんな大事な通達を、その場で全部解決しなかったのは、私だ。


読み違える可能性だってあると分かっていたのだから、誰かに再度読んでもらっておけばよかっただけなのだ。

ひと通り言葉も分かると思い上がって油断してしまって、それに気づいていなかった。


そして追加の通達にも、それと気づくことなく迅速な処理をしないままで、書類はヴァシリーさんの机にいつの間にか紛れ込んでしまっていたのだ。



そう、最後まで詰めずに気を緩めて、よく失敗していた。


それがこんなところで起こるなんて。


よりによって一番大事なところでのミス。

もう自分が信じられない。

罪悪感に押し潰されて、死にたい、とまで思った。


…………

…………



ラファイルさんは、全てのパートをカバーすると宣言した。


みなさんがざわめいて、多分誰も何が起こるのかわかっていなかったのだ。



ラファイルさんは、しばらく予定曲の譜面をめくり続け、なにか書き出していた。


その作業が終わると、私を呼んだ。


ひどい叱責を覚悟していた私の肩に、ラファイルさんはそっと手を置いて、


「マリーナ。

今から言うことをよく聞いて。


家に戻って、俺の楽器を持ってきてほしい。


いるものは全てここに書いてある。


それと、アーリャに言って、俺の部屋から演奏用の衣装を準備してもらってくれ。

衣装と同じとこに、……カツラも、あるから。


あんたにしか、頼めない。


いいな?」


どこまでも、優しく、そう告げた。



私は思考が抜け落ちた状態のまま、ラファイルさんの必要リストを手に、家まで戻った。


ラファイルさんから預かった鍵で、楽器の戸棚を開け、メモにあるものを片っ端から運び出す。

もちろん、家のみなさん総出で手伝ってくださった。


弦楽器の弓や、管楽器のマウスピースとリード、サーニャさんお手製の見事な各種楽器スタンドも忘れずに。


旅行トランクのようなハードケースに詰め込んで、次々馬車に乗せて、


その間にアーリャさんがラファイルさんの衣装を準備してくださっていた。


何か大変なことが起こったらしいことしかみなさんにはわかっていなかったが、

アーリャさんは、カツラの入った袋を私に持たせるとき、


「坊っちゃまを、頼みます、マリーナさん」


覚悟のこもった声で、言った。


そして私は、振動吸収のためのクッションと楽器に埋もれながら、王宮に戻ってきたのだった。


***


ヴァシリーさんに話をきくと、

ラファイルさんは、私が家に戻っているその二時間ほど、ずっと練習室にこもっていたらしい。


曲を全て把握しているラファイルさんは、絶対に音が必要なところを、必要な楽器で入れようとしている。

その必要な音をピックアップする作業を音楽室でしていたのだ。


弦楽隊と管楽隊の中央後方へ楽器と共に座り、壁を背にして、余り人目につかないようにして、

楽器を適宜持ち替えてカバーしようというのだ。


全員が演奏するところなら一人くらい不在でも、踊り手に影響するようなことはないが、

弦だけのパートや金管メインの場面など、音が欠けていると目立つであろう箇所は多く存在する。

それでも演奏会のように静寂の中ではないから、こうした部分的なカバー作業でまだなんとかなるのだ。



本番まで二時間。


一時間半で、ラファイルさんを交えてリハーサル。


もともと練習していた曲はもう仕上がっているから、さわりだけだが、

追加の曲は数人だが初見の団員もいる、ほぼ通しでのリハーサルになった。

そこに、大量の楽器に囲まれたラファイルさんが参加する。

いろんなパートをするから、常に何か演奏し続けている状態だ。


夜会のダンスは約三時間。

ほとんど休憩もなく、弾き続けとなる。


ヴァシリーさんに連れられて、その様子を端で見ていたが、

本当に、違和感なく音が一体化している。


もう、本当に、神の域だ。


音を聞いていて、やっと私に生気が、感情が戻ってきた気がした。

ここで堪えられなくなって、事務所にかけこんで、私は今度こそ大泣きした。


***


そして気づいたとき、私は事務所のソファーで、毛布をかけられていた。


えっ、今、何時!?

寝てた!?


「あ、よかったマーニャちゃん。

気分はどう」


ヴァシリーさんの声だ。


「……ぼーっとします……

今、何時ですか……」

「大丈夫、うたた寝だよ。本番まであと30分。

みんな着替えに入ってる。

無理もないよ、ショックなことがあって、それでも家にとんぼ返りして楽器運んできたんだ、疲れて当然だよ」

「……すみません」

「大丈夫だよ、マーニャちゃん。

目覚ましにコーヒーでも飲んでく?」

「……いただきます」


もう夜の手前で、あの騒動があったのだ、カロリーを摂取しないともたないと思って、砂糖とミルクをたっぷりいれたカフェオレをいただいた。

団員さんの控え室では、軽食も出ているらしく、みなさん軽く腹ごしらえをして本番に向かう。


「……やっと頭まわってきました。今まで何してたのか分からない気がします」

「ん、大丈夫、全てうまく行ってるよ」

「ラファイルさん……大丈夫ですか」

「うん。ちょっと前、きみのこと覗きに来て心配してたよ」

「……ご迷惑、おかけして……どうすればいいのか分かりません」

「マーニャちゃん。もういいから。

自分のこと十分責めたでしょ。いらないよ、それ。

団員のみんなも、そんなこと思ってないから。

オレのミスの方がよっぽどひどいよ。マーニャちゃんもたまにはミスしてくれなきゃ、ほんとオレ、立場なくなるから」


それはだめでしょヴァシリーさん……

ていうかミスのレベルが今回ヤバすぎる。

そう思いながらも、ヴァシリーさんの言葉に少なからず救われている。


でも、みなさんには一度、きちんと謝らなきゃ。


「本番前、みなさんにちゃんと謝ります」

「マーニャちゃんの気が済むなら、そうしよ」


そのとき、事務所の扉が開き。

振り向くと、そこには衣装に着替え、黒髪のままのラファイルさんがいた。


***


私は改めて、まずラファイルさんに謝罪した。

これだけ大きな間違いなのだ、危うく王室に恥をかかせるところだったのだ。


だがラファイルさんは、何一つ、私のせいにしなかった。


「最初の通達を自分の目で確認するのを怠ったのは俺だ。

ヴァーシャのときには必ず全ての書類に目を通していたのに、今回俺はそうしなかった。


あんたがミスするだろうからとかじゃない、

最終責任者として、自ら確認する責任が俺にはあった。


間違いは誰にでもおこるからこそ、そうやって複数回のチェックをしていたんだ。

それを俺がしてなかった。


だから、あんたは何一つ、負うな」


そこまで言われて、反論はできなかった。


それでも、ミスは私自身が引き起こしたという思いはまだあるし、

ラファイルさんに責任を押し付けるなんて嫌だ。


「……マリーナ。頼みがある……」


ラファイルさんの声が、急に弱々しくなった。

ラファイルさんは、私の持ってきていた手提げ鞄を、私に差し出した。


「これを、俺にかぶせてくれないか……」


鞄の中には、金髪のウィッグがあるのを私は知っている。アーリャさんが持たせてくれたから。


「……あんたがしてくれたら……俺は、乗り切れる」


何があろうと絶対にかぶらなかったという、金髪。

今初めて、それを覆そうとしている。

私のしたことの責任を負って……

私に、それを見届けろというのだろうか。

それとも、私の手によるならば、金髪を身につけてもやれると自惚れていいのだろうか。


私は、鞄から金髪を取り出した。

ラファイルさんの顔は、苦痛を堪えるように、険しい。

そういえばちょっとだけ生やしてあったあご髭を、剃ってしまっている。

金髪だと黒い髭は不自然だから、きっと。


ヴァシリーさんは、いつの間にか部屋を出ていた。


私はピンを持ち、ラファイルさんの長めの前髪や横髪をピンで留めていく。

襟足の部分はまとめてリボンでくくっておく。



ラファイルさんが少し頭を下げ、私はそこに金髪をそっとかぶせた。


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