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36:ここにいていいと思った矢先


私は顔を上げて、ラファイルさんを振り返った。


「すみません、収まりました。

なんでもないんです、もう大丈夫です」


「またそうやって、何も言わない」


ラファイルさんは近づいてきて、私の隣に腰を下ろした。


「気になさらないでください、なんか勝手にこうなっちゃって。

ラファイルさんが何かおっしゃったからとかじゃないです」


「いや……あんたがそうなって、逆に俺が落ち着いた。

あんたが俺の嫌な気分を代わりに背負った気がしてさ」


ラファイルさんが、私と同じような感覚を持っていたことに驚いた。


私は、さっき感じた、自分に自分が責められて辛くなったことを話した。


「……そうだ。そんな感覚。

小さいとき、ずっと兄上にされてきた感覚……」


ラファイルさんは少しだけ、お兄様に感じていた劣等感を話してくれた。


オストロフスキー家全員の期待を向けられ、いつもかっこよく見えていたこと。

小さい頃、憧れていたけれど、いつからか冷たく当たられていたこと。

体が小さいままで、一向に体力もつかず、音楽などくだらないと事あるごとに嘲笑われたこと……


目の前で、楽器を壊されたこともあったそうだ。


お兄様の行動は意味が分からないし、お兄様の心の内は分からない。


でも。


「お兄様と一緒になって、ご自身を責めちゃだめですよ……

そのお兄様は、ラファイルさんの記憶が作り出した、亡霊みたいなものです。

今のラファイルさんをなじったのは、お兄様ご本人じゃなくて、お兄様の記憶にとらわれたラファイルさんご自身でしょう?」


物理的に会話をしたわけではないから、お兄様が今どう思っていたとしても、それはお兄様本体のしたことではないのだ。


「私は最初からラファイルさんをカッコいいと思ってますし、いつでも憧れてますよ。

楽団のみなさんだって、そうじゃないですか。

ヴァシリーさんも。学生さんたちも。

“音楽”気に溢れて慕われてるじゃないですか。

私最初に、何も知らずに綺麗って言ったでしょ?本当に、そう思ってますから。

は?って言われたから、失言したのかと不安になりました」


「……うん。そうだった」


「怖くて言えないですけど、楽器を壊すなんて人間のクズですよ」


ぶっ!とラファイルさんが吹き出して、笑いを堪えて悶絶し出した。


この人がこんな笑い方をするのは初めて見た。


「あっ、内緒ですよ!?巡り巡ってお兄様の耳に入ったら吊し上げられそうです」

「っはっはっは……!ヤベェわあんた……!

クッソ受ける……」


ラファイルさんがソファーに突っ伏してヒーヒー言っているではないか!

つられて一緒に笑いが出てきてしまう。


「だって音楽バカの敵じゃないですか?」

「その通りだな……!いやあの兄上をそう評したの、あんただけだよ、すげぇわ……!」

ラファイルさんはそのまま、ソファーに仰向けになった。

割とかっちりしているラファイルさんが寝そべる姿は珍しい。


「……ありがとな、マリーナ。

確かに、俺は兄上のスペックは必要なかった。

それに音楽しか能がなくても……あんたがこうして俺に目を向けてくれる。

十分だったな、うん」


寝そべったまま微笑みかけてきて、これはちょっと破壊力強めである……


「あんたは?何で自分を責めてたんだ?」


おっと私の話ですか。

私のは……情けないよ。

やりたいことが分からないなんていうモラトリアムぶりを人に話すのは、すごく恥ずかしい。

特にこんなすごい人を前にして。


ソフトに、かいつまんで、仕事が嫌だったことを話した。

特別にできることもなく、替のきく社会の駒の一つでしかないと、自分を卑下して辛くなったこと。


「俺は、あんたの仕事ぶりは買ってんだけどな」


それは大変にありがたい。

でもそれも、ラファイルさんのお側にいたいから頑張れることだ。

ラファイルさんに頼まれる仕事だから、頑張れている気がしてしまう。


「今この世界にいて、俺に必要とされてんだから、それでよくね?」


なんと嬉しいことをおっしゃるんだこの人は。

それでいいです。ええ、それで。


「ヴァーシャ一人より、随分楽になって、リハや練習に回せる時間が増えてる。

あいつもあれで必要な助手なんだけど、今やあんたは学校にも王宮にも、欠かせねぇよ。

それに例え同じような事務仕事ができる人間がいるにしても、家で楽器の相手までする人間はほかには頼めない。

なんとなく誰かから聞いてるか?俺は他人と長時間共に過ごせない。


だから、あんたは替えがきかない」


「……ヤバいです」


ひぃ変な返事してしまった……

なんですかその重要度ヤバいんですけど。ほんとにヤバいんですけど。


「……ちょっと光栄すぎてどうしたらいいか分かんないです」

「光栄?」

「そりゃそうですよ、憧れの人にそんなこと言われて平常心でいられるわけないじゃないですか」


舞い上がりますよ変な期待しますよ。

……それは半分冗談ですが。


さっきので涙腺が緩んでいたのか、また泣きそうになってしまっていた。

ラファイルさんの方はもう見れなくて、なんとか嗚咽をやり過ごしていた。


私はここにいていいんだ。


ようやく、そう思えて、一安心した部分もある。


「マリーナ、おい」

「嬉しいだけです」


私は顔を伏せて、また感情が過ぎ去るのを待った。

起き上がったらしいラファイルさんが、背中に手を置いてくれる。


もーそんな優しいことされたら余計泣けてくるじゃん!

と内心思いながら、背中に大きく安心できる手を感じていた。


***


私の感情が落ち着いた頃、夜会のオーケストラ組がちらほら出勤し始めた。

ラファイルさんはもうソファーから離れて、ヴァシリーさんの机に散らばる書類を整理していた。


団員さんたちとの話で、ラファイルさんが今年はパレードを見たということでみんなが驚いている。

そんな大ごとだったようだ。


「マーニャさん大手柄だねー」

「ラーファを動かせるのはあなたしかいないよ」

「いろんな意味でラーファに必須になったね」


そんな感じに褒められてしまった。

いろんな意味で必須ってなんですか。

と聞く間もなく、そこ余計なこと言うな!とラファイルさんの声が飛んできて、女性団員さんたちがクスクス笑っている。


パレード見学に行っていた人もいて、ノンナさんとヴァシリーさんも含め、みんな戻ってきてそろそろリハーサルに入ろうとしていた。



だが、ラファイルさんが、妙に厳しい顔で一枚の紙を見つめていると気づいたのはそのときだ。


「マリーナ。

この書類、どこにあった?」


そう言われて書類を確認した。


見覚えが……あれ?


「すみません、覚えが……」


「……なんてこった。

マリーナ、今日の夜会についての通達はいつものところか」


何?

何か起こったの?


急いで演奏会専用のファイルを開けてラファイルさんに差し出した。


ラファイルさんは、これ以上ないほどの険しい顔でその通達を読み、続いてもう一枚の紙に目をやった。


「マリーナ、ヴァーシャ。


追加の通達が来ていたのを、俺たちは見落としていた。


曲目の追加がある」


「……え」


「追加の曲目を後ほど知らせる、とここにはある。

……その追加がここに載ってる……」


事務所にいた団員さんたちが、ざわめき始めた。


え。どういうこと。


最初の通達に目を通して、曲目をリストアップしてみなさんに知らせたのは、私だ。


追加があるという一文を見落としたのか。

それって。


私のミスだ……!


「すっ……すみません!私が見落として……」


どうしよう!?

夜会に使われる曲が、足りないということだ。


どうしようどうしよう。

奏者じゃない私には何もできないのに、どうしようとパニックになりかけている。


「待て、マリーナ。

……落ち着け。

みんな、これから追加の曲目を発表する。ヴァーシャはすぐ倉庫から譜面を探すこと」

「……おう」


ラファイルさんは、追加となっていたはずの曲を次々に読み上げていった。


***


ラファイルさんの決断は素早かった。


呆然とする私をよそに、曲の譜面を揃え、持っていない人に配る。


曲によっては楽器の人数の増減が発生するため、準団員を手配するべく、必要な楽器の種類と人数をみんなでリストアップしていった。

準団員であっても、初見で乗り切れるのが、王立楽団たる層の厚さである。


それにこの国で有名な曲をやるから、学校でやった経験があるということも多いそうだ。


ところが。


「……ダメだよラーファ、この曲だけは……

陛下たってのご所望の曲で、正団員以外には譜面を渡したらダメだったよね?」


ノンナさんが、そんな事実を告げる。

団員のみなさんがハッと思い出したようにノンナさんを見て、その事実を目の当たりにしていた。

そんなことがあるのか。

正団員しか演奏できない曲。

栄えある正団員にだけ許された、名誉なのだ。


その曲が、追加曲目に一曲、入っていた。


「この曲は……陛下と王后陛下のファーストダンスで演奏される。

あと、夜会のトリ、2回の演奏だな……

入ってなかったことに、俺が気づかなきゃならなかった」


ラファイルさんの表情は、どこまでも厳しい。

私は居場所をなくして、隅の方で縮こまっていた。

私にできることは、何もない。

生まれて初めてこんな致命的な失敗をしでかしてしまい、もう生きた心地さえしない。

ラファイルさんに、みなさんにこんなにご迷惑をかけてしまって。

ラファイルさんはどうして、自分の責任のように言うんだろう。

私のせいなのに。

ただ、私を今責めたところで、問題の解決そのものにはならない。

ラファイルさんはそれをわかっていらっしゃるから、きっと何も言わないのだ。


「ラーファ、もう一つ問題がある。

準団員も結構、夜会に出席するようだ。出席予定のない者は、可能な者もいるだろうが、今から一件一件家を回って頼むのはかなり時間的に無理があるぞ」


リストアップ作業に加わっていた、オーケストラ指揮者のエフレムさんが言った。


「……そんな……」

「なんてことだ」

「どうしたらいいんだ」


団員さんたちが、またざわめき始めた。


それが全て、お前のせいだ、という声に聞こえてきて、私は顔を上げていられなかった。



そのとき、ラファイルさんの声が一際大きく響いた。



「分かった。


みんな聞いてくれ、


俺が出る。


足りないパートは俺が全部カバーする」


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