31:貴族令嬢に絡まれました
「マーニャさーん。今回はこの曲目だけなの?」
「はい、そうです」
「去年と同じだね。了解」
パレードの日の夜会の演奏を担当するビオラの団員さんに聞かれて、私は王室からきた通知の通りに伝えた。
この夜会は年間行事としてかなり大規模なもので、団員のうち何人も踊る方に出席する予定をしていて、演奏側の人数はギリギリだった。
オーケストラのコンマス、ハリトンさんが踊る方に出られるので、今回のコンマスはノンナさんだ。
ノンナさんは年頃の公爵令嬢なのに演奏側に入っていて大丈夫なのかと思ったが、ノンナさんは奏者としてしか夜会に出ないそうだ。
曰く、表面だけ着飾る典型的な場だし、ダンスに誘われるのが鬱陶しいからと。
そりゃあノンナさんなら次々にダンスを申し込まれるだろうなぁ。
演奏しているところに声をかけてくる男ならまだ視界に入れる余地もあるけど、男のアクセサリーのように見定められるのが嫌いだから、そう言う場でドレスは着たくないらしい。
「マーニャちゃんもダンス習ったんでしょ?ラーファと踊ればいいじゃん。
ラーファのとこにも招待状行ってるはずだよ」
本当に当たり前のように言われたのだが、私は仰天した。
助手とはいえ平民が、名だたる貴族の出席する夜会の場に立てるわけないじゃん……!
そしてラファイルさんは絶対出席しないと思う。
だってウィッグがいるから。
でも明らかに、ノンナさんはラファイルさんと友達というか仲間という親しみでいるのかな、という感じがしてきていた。
一緒に住み出勤・退勤も全て一緒に行動しているから、ラファイルさんの生活を私は全て把握しているわけで、そこに誰かと二人で会うなんて余地がないのだ。
ラファイルさん、家から一歩も出ないし。
そしてノンナさんも、私とラファイルさんが一緒にいるのを当たり前のように言う。
どんなに寛容な女性でも、恋人に対してそんなことできないと思う。
ついにノンナさんに聞いてみたのだ。
「ノンナさん、彼氏とかいるんですか」
返ってきた答えは。
「んー、今はいないなぁ。学生の頃は何人か付き合ったことはあるけどねぇ。
あたしはこんなだから普通の貴族の人ってほんと合わないんだ。そこまで懐の深い人ってそうそういないよねー、いても既婚者とか。
でも不倫は嫌だから、どんなに素敵でも絶対行かない」
公爵令嬢が付き合った経験があるって大丈夫なのかと思ったが、自由なノンナさんらしくていいなとも思った。
この国では、女性の結婚適齢期と言われるのがちょうど私やノンナさんの23歳前後なのだそう。ひと昔前の日本みたいだ。
貴族となるとイメージ通り大体家同士の政略結婚らしいが、ノンナさんのご実家はわりと自由な家風で、結婚を迫られるようなこともないという。
王立楽団は女性が3分の1ほどの割合でおり、騎士団よりはかなり女性率が高い。
芸術を愛する家だと娘に楽器を習わせることもよくあり、そうした中からプロが生まれてくるのだ。
ただ、結婚したら非常勤になったり、引退したりすることが多数派だ。
そこは時代のイメージ通りの、女性は結婚したら家庭に入るという風潮のためである。それでも、家庭内や友人のサロンといった場で演奏活動を続ける人も少なくないそう。
ノンナさんは結婚はどうでもいいから生涯現役、を宣言している。
さすがラーファ支部、音楽バカである。
ラーファ支部もう一人の女性メンバー、オレーシャさんも、交際しつつ結婚の話をのらりくらり躱しているそうだ……
彼女も生涯現役宣言しており、それで彼氏が引くようなら追わないとキッパリ言い切っている。
というかそれで一度別れたこともあるそうで(音楽と僕どっちが大事なの!?という典型的な二択を迫られたらしい)、彼氏さんはそれでも音楽バカを貫くオレーシャさんに、ついていくと腹を括ったんだそうな……
うーん献身的。そういう男性もいるんだね。
私は評価されない黒髪だし、そういうのは縁ないかなと思っていたが、ノンナさんたちから気をつけるように言われた、
異邦人の女性は、端的に言えばレア物なため、特に身分の高い男性に選ばれる傾向にあるらしい。
何だよそれって物珍しいだけじゃん。
そんな感想を持ったところ、ノンナさんたちは皆同意してくれた。
それなのにラファイルさんみたいな黒髪の人が評価されないなんておかしすぎる。
もっともラファイルさんのファンとしては、他の女性に言い寄られないのは嬉しいけど。
ラファイルさんが、王宮が安全じゃないと言った意味がちょっと分かった。
それに注意すべきは男性のみではなかった。
一人で王宮内を歩くなと言われていたので、ちょっと用事ができたとき、ノンナさんに付き合ってもらったときのことだった。
王宮の中心に近い、広くて豪華な回廊を歩いていたとき。
前から、貴族令嬢3人が歩いてきた。
こちらは平民のため、端に寄って道を譲るべく、ノンナさんから少し離れる。
ノンナさんは、ええーそんなことしなくてもとおっしゃるが、それを忘れてはいけないのだ。
だが彼女たちは、端に寄った私に向かってやってきたのだった。
「ちょっとあなた」
きた。
これは中学校くらいで、先輩に囲まれる後輩の図だ。されたことないけど。
でもなんで?
目を付けられるようなことは身に覚えがないんですけど。
「まあ、噂よりも随分と貧相ですこと。
ドゥナエフ様を誘おうだなんて身の程知らずにもほどがありますわ。せいぜい勘違いして舞い上がっていればいいんだわ」
「そうですわね、ドゥナエフ様がこんな平民風情に本気でお声などかけられるわけありませんわ」
「ちょっと優しくされたからってあの方があなたみたいな華のない女にお気を回されなどしないこと、覚えておいでなさい」
えと何の話ですか。
何で私がドゥナエフ氏を誘うことになってるんでしょうか。意味不明。
貧相だの華のないだの無遠慮なことだ、だが平民の立場で、口答えはできない。
「ごきげんよう、アリビーナさん?ミラナさんにエミーリヤさん」
令嬢たちがハッと振り返ると、怖いほどの笑みを浮かべたノンナさんが圧を放っている。
「わたくしの親友に何か御用?」
「あ、ノ、ノンナ様、ごきげんよう、まさかこの方がノンナ様のご友人でいらっしゃるなんて、存じ上げませんでしたわ」
「わたくしの友人でなければ罵ってもいいとおっしゃるの?」
ノンナさん、追い詰めっぷり。
「いえっ、そのような……」
「彼女はドゥナエフ様のような、口先だけの言葉を本気にするような弱い頭ではありませんの、ご安心なさって?」
今何気にドゥナエフ氏をディスりましたよね……?
でこの令嬢たちにも、つまり頭弱いって言ってますよね……?
「わたくしたち、用があり急いでおりますの、失礼いたしますわ。
行きましょ、マーニャ」
ノンナさんは私の腕を取って、令嬢たちの後ろから私を連れ出した。
…………
…………
「ありがとうございました、ノンナさん」
「当然よ。あの子たちはドゥナエフのファンクラブを名乗ってるんだ。バッカらしい」
「知り合い……なんですか?」
「あたしは夜会に顔出すことは多いからね。夜会での人間関係はそこそこ把握してるのさっ」
なるほど。
「奏者も、何度も顔出してれば覚えられる。挨拶だってするしね」
「じゃあドゥナエフ様もよく夜会にいるんですか」
「そうだよー。いろんな令嬢と踊っては仲良くなってるね」
最初に会ったときから私に近づきたがった(?)ドゥナエフ氏は、その後夜会やらお茶会やらに誘ってこようとした。
ラファイルさんを通してでないとお返事できませんと伝えたところ、脈なしと判断したのか、しつこく言い寄ることはなかった。
ただ一度はラファイルさんにも話は行ったようで、ドゥナエフの奴と出かけなんかしないよな?と念押しされた。
全くその気はありませんと伝えたら、ラファイルさんは妙に満足げだったが……
それがどこかで例の令嬢たちの耳に入り、事実が捻じ曲げられて私が誘おうとしたとかなんとかいうことになっていたと思われる。
事実の改ざんは勘弁してほしいよ。
「あの子たちが言いがかりをつけるためにそういうことにしただけだよ。誰も信じないから大丈夫。仮に信じる奴がいても、あたしもラーファもそんなの、揉み消してあげるから」
とりあえず、ラファイルさんに報告はしておこう……
「ああいうことってあるんですね……お約束ってやつですかね」
私ヒロインでもなんでもないけど。
「まぁデビューしたての令嬢には、あるあるかもね。
誰と誰が親密とか誰が誰を好きとか情報を持ってないと、知らずにうっかり声をかけられて仲良くしてたら、後でライバルに嫌がらせ受けたとかね……
知るかっつーの。
それにマーニャちゃんの関係ないとこであんなのされてもさ。
気にしないのが一番だし、あたしたちがいれば心配もいらないからね?」
もう本当に、出会う人出会う人が優しくてありがたい。
ラファイルさんはもちろん。
ノンナさんも、プローシャさんも、ヴァシリーさんも、
見事に上流貴族ばかりなのに、貴族にありそうないやらしさが全くない。
本当の上流ってこういうことなのかな。
そのとき、ノンナさんは、思いがけないことを言ってきた。
「マーニャちゃんさ。
ラーファと結婚したらいいと思う」




