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27:頑張りすぎてたみたいです


……疲れた……


最近、あまり練習できていない。

仕事は思いの外多種多様になっていて、出勤中はあまり練習する時間はなかった。


帰ってくると結構疲れていて、夕食をいただくともう眠くなってしまう。

練習しなきゃ、と思うのに、体が重くてやる気が出ない。


「仕事に慣れれば余裕もできる。そんなに、頑張らなくていい」


ラファイルさんはそう言ってくださったのだが、気を楽にという意味なのか、一人で練習させてくれという意思表示なのか、読めなかった。


だが仕事に慣れて余裕なんてできるんだろうか。

ずっとこの疲れた状態のままなんじゃないだろうか。

そんな不安がよぎる。


前の仕事で、そうなったから。

半年経つ頃だったのに、毎日しんどくて、休日は体を休めるので精一杯。

それなのにもう日曜日が過ぎてしまって何もできないまま、また仕事に行かなければならない。


そんなサイクルに閉じ込められていて、それが嫌で嫌で。

そういうことになるから仕事って嫌なんだ。


仕事のために体力削られて、気力を削られて、そうして人生を削られていく。

そんな状態で、仕事をしないと生きていけない人生なんて、何の意味があるのか分からなかった。


今、そう思っていたときと似た感覚を覚えている。

ラファイルさんのお役に立てるように、と頑張るつもりだったはずだ。


学校へ勤め始めてひと月、王宮へ行くようになって半月。

あのときの元気さは何だったのかと思うほど。


仕事、やだなぁ。行きたくない。

練習も……だるい。


こうなってしまうからプロは無理だととっくに分かっていたけれど、

ラファイルさんと音楽をやるために技術はキープしておきたい気持ちだけあるのに、元気が出ないのがものすごくしんどかった。


そして、ラファイルさんに頂いた仕事なのに、嫌だと思ってしまっている自分が本当に嫌だ。


どうしたらいいんだろう。

音楽まで嫌になんかなりたくないのに。


憂鬱な気分で窓から外を見ると、庭師のサーニャさんが庭の手入れをしているのが目に入った。


あ、なんか、楽しそう。

ふとそう感じて、私は部屋を出て庭に降りていった。


***


ちゃんと庭に出て歩いたことは今までなかったのだが、さすがお貴族さまのお屋敷、庭も結構広さがある上に、植木が少なくさらにだだっ広く見えてしまう。


サーニャさんに、手伝うと申し出た。

なんとなく、土や草に触りたい気分になったのだ。


若い女性が庭いじりなんて、と驚かれたが、こっちは平民だし何も気になることはない。

サーニャさんは咎め立てすることもなく、私は無心で草取りをした。


「悪いねぇ、手伝ってもらっちゃって、わたしの仕事なのに」

「え?いいえ、私こそ、お仕事を取るようなことしてごめんなさい」

「いやいや、マリーナさんがやりたいなら、いいんだよ」


サーニャさんは、物静かで穏やかな、もうちょっとでおじいさんという感じだ。

貴族用の家具を扱う職人として長く働いていて、オストロフスキー家が得意先でラファイルさんとも面識があり、ラファイルさんの独立の折、奥様のアーリャさんと共に一緒に来て欲しいと言われて今ここで住み込みで暮らしている。

仮のシンバルスタンドも作ってくださったのだ。


ここの前は勤続30年くらいかぁ。すごいなぁ。

社会の感じから、男ならまず働くことが前提で、自分のやりたいことが云々いう人なんていなさそうだ。奉公先への忠誠とかも強そう。


現代日本の就職の感覚とは違うだろうけれど、働く心得について参考にしようと思って、聞いてみた。


「うん?働かなければ生きていけないしねぇ。

手先が器用だったもんで、職人としてやってきたんだ。

それにわたしは坊っちゃまのもとで働けて、今とても充実しているよ。趣味だった庭仕事ができるのも、やりがいがあるしね。

マリーナさんのところは、そうじゃなかったのかい?」

「いえ……悪くはなかったですが……

私は……そこで時間を過ごすのが、苦痛だったんですかね……」

「わたしも最初に働いた店は、ちょっと合わなかったようでねぇ。うまくいかなくて、店を変わった。

まぁそういうこともあるさ、合えば案外居続けられるものだよ」


サーニャさんはおっとりしているからか、考え方も割と緩いなぁと思った。

でも私の気は楽になった。

サーニャさんも辞めた経験があるんだと思うと、私も前の仕事は合わなかったのかもしれないと思えてきた。

最低3年は辛抱して勤めないといいも悪いも分からないって言われて、入って数ヶ月でもう仕事が苦痛な自分はダメなんだと思っていた。


「マリーナさんはちょっと頑張り過ぎじゃないかねぇ。ここに来たばかりなのに、坊っちゃまの練習にあんなに長い時間付き合って、学校と王宮に仕事にも行ってるんだもの。ゆっくり休む暇がないでしょう。

たまには町へお茶しに行ったり買い物に行ったりすればいいんだよ。アーリャに案内させるから。

坊っちゃまに言えばお休みだってくれるよ。わたしたちも交代で休暇をいただいて、旅行に行ったりもするし。

そうすればまた仕事を頑張ろうと思えるものだよ」


頑張り過ぎ。


そうなのかな。


「でも、ラファイルさんは、私よりずっと長い時間練習もなさって、お仕事も私よりずっと難しく大変なことをずっとされてるから……

私なんて、言われたことをやるだけで、仕事の合間に勉強も練習もさせていただけて、仕事だって厳しくないんですよ。本当にご厚意に甘えてるばかりです、ほんとは、もっと仕事も練習も頑張らないとって思うのに」


練習量はプロと比較する必要はないとは思うけれど、

でも適当にしかやっていないと、ラファイルさんに見限られてしまいそうな気がして。

ファンでお側にいられるって最高なのだ、本当に。その地位をみすみす手放したくなんかない。

だから必死でついて行っている。


「十分、やりすぎなくらいだよ、マリーナさん。

坊っちゃまは常人じゃないからねぇ。あれだけ長時間練習なさるし、楽器もいくつもなさるし、普通の人がついて行く方が無理だよ。

昔から、遊びにもいらっしゃらないし、演奏家のご友人との食事にさえ行かれないんだからね。

坊っちゃまもご自分の特性には気づいていらっしゃる、きっとマリーナさんに無理なことは言われないし、坊っちゃまと同じペースでできなくて当然なのは分かっていらっしゃるよ、おそらく、それは求めておられないんじゃないかな」


「そう、ですか……」


「マリーナさんとは、楽器を楽しめるとおっしゃっていたよ。今まで経験したことのない音楽ができるって」

「それは、とてもありがたいんです。

でも私のは、今までプロの人たちのものを好きでなぞってきただけで、私自身に新しいものがあるわけじゃないから……」


いつか、ラファイルさんのお側にいる資格を失う。

あとは、プロ同士で楽しむのが一番だ。


「マリーナさん。

坊っちゃまは、どんなに気の合うご友人でも、せいぜい二日間しか泊まり込みでこの屋敷にご一緒にいられないんだ。

そのくらい、もともと人の苦手な方なんだよ。

わたしたち奉公人は、坊っちゃまのお側にいても気にならないとおっしゃる数少ない、精鋭のようなものだ。だから坊っちゃまがここへ住まわせているマリーナさんは、音楽家のご友人よりも貴重なお人だろうねぇ。

確かにマリーナさんに音楽がなければ、ここへ住まわせはしなかったかもしれないが、マリーナさんが音楽が好きなら大丈夫だ、頑張り過ぎなくても、そのままのあなたでいればね」


…………

…………


日が落ちる前まで草取りを続けて、サーニャさんに植木や花壇の相談もした。

久しぶりに頭がスッキリした気がして、大きく息を吸い込んでからお屋敷に戻った。


夕食まで一時間くらいある。


ちょっとだけ、練習しようかな。

自然とそう思えた。


ラファイルさんはいつもの音楽室を使っているから、邪魔にならないよう、サブの練習室に行ってピアノの前に座った。


とりあえず好きな曲を弾いてみる。


おぉ、やっぱ楽しい。


ラファイルさんと合わせるときは、大体ついて行くために必死だから、自分のペースでできるのがこんなに楽だということに初めて気づいた。


ラファイルさんと合わせるのはもちろん楽しいし、嬉しいんだけど、緊張感も結構すごい。

いつの間にか気は張っていると思う。


最近は特に、人と会うことが多かったから、こうして一人で過ごせるのもいい。


頑張らずにぼーっとしながら適当に弾いていた。


曲じゃなくて、単に和音を鳴らすだけ、のようなことも。


作曲なんてレベルじゃないしそんなつもりもないが、知っている曲をなぞったのではなく完全に自分の思うままに生み出した音。


一人のときじゃないとやろうと思わない。

人に聞かれたら、なんだか恥ずかしいのだ。


特に、美しい曲も難解な曲も楽しい曲も、なんでもあっさりと作曲して持ってくるラファイルさんの前で、私の取るに足らない音など恥ずかしくて聞かせられた代物ではない。

もう使う和音でハナから負けてるんだから。


例えるならば他人に絶対見せたくない日記のようなものである。


そうやってしばらく時間を過ごして、夕食の時間が来たので切り上げた。


音楽、気が張って頑張り過ぎてたかもしれない。

それに人疲れもしたのかな。

個性的な人にたくさん会ったし、私も人が苦手な方だし。


…………

…………


練習でこもっているラファイルさんを除いてみんなで夕食をいただき(いつもそうで、もう習慣になっている)、寝る準備に入る。


本当はラファイルさんに、差し入れでも持っていこうかと思ったのだが、

きっと余計なことはしないほうがいい。

ラファイルさんの気を散らすようなことは、止めておこう。


そう思って、自室に引っ込んだ。


でも、ラファイルさんの人嫌いレベルが思いの外高く、そんなラファイルさんが私をここに置いてくださっていると知って、嬉しい気持ちで一杯だった。


明日も、ラファイルさんのために、仕事を頑張ろう。

そう思えたこともまた、嬉しかった。



入職一年目ってしんどいですよね。分かってます。マリーナはまだ半年までの経験しかないんです。

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