23:ファン心は複雑です
ノンナさんがアンサンブルに戻り、私は端で見学していた。
初見でみなさんどんどん弾いていく、プロの凄さを目の当たりにするばかりである。
昼過ぎまでそうして過ごし、今日はみんなでここでお昼ご飯を食べて解散だった。
話題はもっぱら次のパレードと式典の演奏、夜会の演奏のことだ。
ランチオンミーティングか。
みなさん休日なのに仕事熱心すぎる。
とはいえ仕事でも音楽だから、完全な仕事とも捉えてないのかな。
私はまだ全貌が分からないから、なんとなく聞き流すことしかできない。
ラファイルさんは私といるときは無口だが、今は本当によく喋る。
音楽のことになると口にすることがいくらでも出てくるようだ。
私は自分からあんまり喋りかけないしな。ラファイルさんつまらないかも。
でも、ラファイルさんの考え事とか邪魔してはいけないと思うから、必要なとき以外は私からは何も言わないようにしている、
用があればラファイルさんが声をかけてくださるはずだから。
ラファイルさんは総監督だが、みなさんそれぞれ音楽性を持ち、担当楽器の個性を知り尽くしているから、積極的に意見を出して、ラファイルさんの表現したいことと擦り合わせている。
指揮者によって一方的に演奏が変わるものだと思っていたけど、こんな風にみんなで作り上げていっている感じがすごくいい。
というのも、ラファイルさんはあくまで裏方だからだ。
本番で指揮をとる人が、オーケストラと吹奏楽団さらにマーチングバンドにそれぞれにいる。
ラファイルさんは、作曲者としての関わり及び、技術指導での関わり、楽団の演出家としての関わりであって、楽団全体の音作りは指揮者が行う。
なんだろう脚本家、ディレクター、プロデューサー、監督を兼ねてる感じかな。
室内楽の場合は、リハーサルをラファイルさんが受け持ち、本番ではそのとき演奏する団体のリーダーが指揮をとる。
ノンナさんはもう何度もそのリーダーになっているそうだ。
道理で、さっきの3人のアンサンブルのとき、音頭を取り慣れていると思った。
ラファイルさんは指揮の人とも曲のイメージをすり合わせるけれど、最終的な音作りは指揮者に一任される。
もちろん指揮者もプロなのだから、プライドもスタイルもあるだろうし、ラファイルさんの傘下にあるわけではなさそうだ。
ていうかプロがいくら天才とはいえ19歳の若造の言うことを聞くとはとても思えない。
ラファイルさん、苦労してるんじゃなかろうか……
心配などおこがましいのだがついそんなことを思ってしまった。
それにしても、本当に、表に出なくて、ラファイルさんはそれでいいんだろうか。
こんなに才能に溢れ、それにこんなに優秀な人材に囲まれて。
リハーサルを見ていても、音作りの楽しそうなこと。
音楽についてこんなに喋り倒すほどの情熱があるのに。
ラファイルさん自身が決めたことに、私なんかが異を唱えられるはずもないが。
だって、楽器が好きなら、人前で披露して賞賛を浴びたいというのは自然な欲求だ。
一人だけでやって面白い場合ももちろんあるだろうけれど、
少なからず誰かに観てもらいたい思いはプロアマ問わず大半の人にあるはずだ。
プロっていうのは人前でやるためになるわけだし。
表に出ないということは、そういう面で、相当の忍耐を強いられるのではないだろうか。
しかも、自分の曲を、他人が指揮し演奏するのだ、
自分が存分に演奏する力があるにも関わらず。
私が入り込んでいく余地なんかないけれど、少しだけ。
ラファイルさんの心の奥底が、気になった。
***
昼間に解散してしまうのは意外だったが、みなさんそれぞれ用事もあるらしく、
休日だしそんなに根詰めてやることはないそうだ。
エリクさんは家族持ちということで、帰ったら子どもを遊びに連れていくんだーと言っている。
オレーシャさんはこの後彼氏とデートがあるそう。
時間を作っていただいてありがとうございます。
つまり休日朝から夜中まで一日中練習しているラファイルさんは、本当に規格外ということだ。
みなさんを送りに、玄関先まで出て行く。
来週からよろしく、という挨拶を交わして、私はみなさんに日本式の礼をして、お見送りした。
ノンナさんがいない、と思って辺りを見渡すと、
まだ玄関手前の廊下にいたノンナさんが、ラファイルさんに体を寄せて何やら囁いていた。
どきっ、と胸が不快な音を立てる。
ノンナさんはすぐラファイルさんから離れて、私の方に来ると、肩を抱いてきた。
「来週からよろしくね、マーニャちゃん。
ラーファと練習、頑張ってね。
じゃーねーラーファ」
「おう」
「……お気をつけて」
ノンナさんは、とびっきりの笑顔で玄関を出て行き、先に行っていた楽団員に走って追いついていった。
「なんだ?」
「……いいえ。なんでも」
「さて、日課の練習するか」
ラファイルさんはそう言って踵を返したが、独り言なのか私にも声をかけているのか分からず、私はすぐに後を追えないでいた。
ノンナさんとラファイルさんの親しそうな様子が、頭の中をちらついて離れない。
すごく、親密に見えたけれど。
どういう……関係なんだろう。
気になるが、はっきりした答えを知るのは怖い。
「マリーナ。やるぞ」
「……はい」
ラファイルさんが声をかけてくれて、私はようやくその場から足を踏み出した。
***
私は完全に集中力を欠いてしまっていた。
いつもなら心地いいはずのラファイルさんの音にも、さっきの光景が邪魔してうまく乗れないでいた。
ラファイルさんはいきなり演奏を止めて私に言い放った、
「今日はやめだ。足を引っ張ってしょうがない。一人で練習する」
「……申し訳ありません」
ラファイルさんはさっさと別の部屋に行ってしまった。
取り残された私は、やっぱりなと思いながら、ため息をついてピアノに突っ伏した。
……ダメだ、私も。今日は練習を諦めよう。楽しめない。
私は部屋を後にして、力なく自室へ戻った。
だが仕事以外にすることがあるわけでもなく、ソファーに座って悶々とするしかなかった。
ノンナさんの行動が気になる。
いやでも、付き合ってるとかじゃないと……思う。だって彼氏が他の女と同じ屋敷に住むなんてありえないし。
うーんでもメイドさんとかなら同じ屋敷に住んでてもおかしくはないから、ただの助手ならそういう感じで気にならないのかも……でも彼女の前で他のひとの手は引かないよな……
いや慰めてくれたりお茶に誘ってくれたのはマウンティングとか?でも敵意みたいなのはなかったと思う……多分……
ってラファイルさんのお出かけのお供を私がすることになってるらしいけどいいんだろうか。あ、あれは仕事上でって意味か。だよね?
本当にそういう関係なら、私は助手でいるにしてもここを出たほうがいいだろう。
お邪魔虫になりたくなんかないし、ラファイルさんは至高の存在なんだから、お側で働ければ十分だ。
そうこれはファンとしての気持ちなのだ。
私はラファイルさんのファン。
それはとっくに感じていた。
だってあんな素敵な演奏されたら、ねぇ。
憧れるし、虜になるでしょうよ。
もしゲス男だったらファンにはならなかったかもしれないけれど、
ラファイルさんは最初こそぶっきらぼうな態度がちょっと怖かったが優しくていい人だ。
ちょっとクセはあるが、一ファンならばそういう面も好ましく思える。
そしてファンでいるというのは恋愛感情とそっくりで。
本当にときめくし、それはもう甘酸っぱい気持ちになるものである。
好きな芸能人が電撃結婚しようものなら失恋した気持ちになるのと同じだ。
何もその人の隣に立ちたいわけでもなんでもなくても、味わう気分は失恋なのだ。
だから私も、ラファイルさんのことを知るのが怖いのだ、結果によっては失恋と同じ気持ちを味わうことになるから。
しかもテレビの世界と違って、ご本人が目の前にいて、一緒に仕事をして練習をして、同じ屋敷で暮らしているという、まさに手が届く距離にいらっしゃるのである……
その上実際に自分に目を向けられ声をかけられていて、これで彼女がいますとか言われたら、
そりゃあ凹みますって……!
付き合いたいとかそんなんじゃなくても凹むわ。
まだ決定じゃないけど……
もやもや、もやもやして、一人でソファーにもたれたり突っ伏したりして悶えていた。
あー明日からどうやって顔合わせよう。
これで仕事するの、なんかハードモードだよー。
しばらくそうしてうだうだ脳内会議をして、ふと、疲れた、と思った。
何やってんだろ私。
こうやって事実確認しないままうだうだしてしまうことはよくある、脳のクセな気がする。
そういえば大学卒業後のことを同様にうだうだ悩み、社会人になってからも自分の人生についてずっとうだうだ悩んでいた。
それだけで余計なエネルギーをみすみす費やしていた気がする。
はぁ、とため息を一つついて、私は立ち上がった。
練習しよ。
ドラムやろうっと。
ここではとりあえず人生の心配なんかじゃなくて、ラファイルさんについていかないことには、生きられないも同然だ。
助手としてちゃんと役割を果たさなきゃ。
使用人が主人に恋する報われない恋の話はよくあるわけで、私もそんな脇役の一人だ、ヒロインじゃない。
そりゃあラファイルさんにお相手がいれば残念だと思うけど、どのみち将来貴族のお嫁さんをもらわれるのだろうし、私はそれまでに自分の相手を見つけたり、ここを出てもやっていける準備をそれまでにすればいい。
……あーでも黒髪はNGかなぁ……それに美女ばっかりのこの国で相手が見つかる気はしないな……
うん。
この世界でも将来は明るくなかった。
とりあえず将来のことより目先のことだ。
私の生活がかかっているのだ、今できることはラファイルさんの元で仕事ができる自分であり続けることだ。
私はラファイルさんに頂いたスティックを持って、再び音楽室へ向かった。
…………
…………
ひたすらメトロノームに合わせて、いろんなテンポでライドシンバルでレガート(ジャズのビート)の練習をした。
幸い時間はたっぷりある。
今の私は、音楽をするしかないという大変ありがたい状況である。
それを利用せずしてどうする。
嫌いな仕事に時間を取られなくて済むなんて天国だよ。
私は許される限りここで音楽をやる。
そう割り切ることにした。
そうしたら、少しだけもやもやが抜けた。
ラファイルさんほどではないがそれでもまあまあの時間、シンバルとスネアだけで過ごした私は、いつもの時間に晩ごはんをアーリャさんたちと一緒にいただき、お風呂に入って翌日の仕事に向けてゆっくり休んだのだった。
4千字未満を目指していたんですがついクセで長くなってキリが悪くなってしまいました。
推敲し削った結果です……




