19:準備が度を超えています
……あれ。私、寝ちゃったのか……
今何時……
窓からの光の感じ、いつもの起床時間くらいだろう。
やば、昨日そのままラファイルさんの前で寝ちゃったのか。
朝の支度をしないと、と思って体を起こしたとき。
ひいぃぃ!!
ラファイルさんがなんでここで寝てるの!!
声を実際に上げなかった自分を褒めてあげたい。
私の方に頭を向けた状態で、ラファイルさんが隣のソファーで寝ていたのだ……
ご丁寧に私に毛布をかけてくれていて、ラファイルさんも毛布をかぶっている。
どこかから持ってきてくれたのか。
うんまぁ、大丈夫だよ私は。
サークルの合宿で男女雑魚寝をしたこともあるし、女友達の家でサークルの男友達も混じった状態で飲みやってそのまま泊まったこともある。
そうだそういうノリだ。騒ぐことじゃないし特別な何かでもない。
時計を見ると、ラファイルさんと朝ごはんをいただく時間が迫っていた。
びっくりされるかもしれないが起こすしかないか。
毛布越しに、肩を叩いて呼びかけた。
だが寝息の感じから、かなり深く寝入っていそうだ、そのくらいではぴくりともしなかった。
「ラファイルさん!起きてください!時間ですよ!!」
尚も呼びかけて体まで揺すってみたが、彼は一向に起きる気配がなかった。
どうしよう。
アーリャさんを呼んでこようか。
ピアノでも弾いたら起きるかな。
私はこの部屋のピアノに向かって、音量大きめの曲をぶつけてみた。
「うおぉ!」
「あ、やっと起きた」
見事にラファイルさんは飛び起きてくれた。
「っあ〜……びっくりした……」
「すみません。でも時間が」
「あぁ、だな……ありがとう」
寝起きでバサバサの髪を気にする仕草がちょっとかわいい。
「すみません私、ここで寝ちゃって、毛布ありがとうございました」
「ん、あぁ、俺がしょっちゅう仮眠に使うから。
……言っとくけど何もしてないから」
「大丈夫ですよ、そんな疑い持ってませんから。二人はさすがに初めてでしたけど、複数なら友達の家に男女混じって泊まったり、ありましたしね」
「……あんたの世界ではそんなこと普通にあるのか」
「はい?まぁ普通にあると思いますよ」
ラファイルさんが急に顔をしかめて何やらぶつぶつ言うのを聞き返してみると、どうやら私がそういうとき男性に触れられてないか気になったらしい。何がどうして気になるのかよくわからない。
「俺以外でするなよ」
「はぁ……そりゃしませんけど……」
そんな無用心に他人のところなんか泊まりませんよ。
ラファイルさんはもうほぼひと月、同じお屋敷に暮らして人柄も分かってきて信用しているから、できたことであって。
あぁ、お貴族さまからするとこんな状況あり得ないか。未婚の男女が云々とかありそう。まぁ私平民だし。
…………
…………
一旦自室で、顔を洗ったりと身支度を整えて、朝ごはんをいただきに行った。
だが、先に来ていたラファイルさんが、アーリャさんに怒られているのが耳に入ったのだ。
どうも私を一緒の部屋で寝かせたのがダメらしい。
いや怒られるべきは私なのに。
私は部屋に入って、アーリャさんに弁明した。
だってラファイルさんのせいでは絶対にないのだ。
「そうでしたか、てっきり坊っちゃまが練習に無理やりマリーナさんを付き合わせて、まともに寝かせてくださらなかったのかと」
「違うんです、私がどうしても仕事のことで話があってお邪魔してしまっただけなんです」
アーリャさんもそうは言ってもラファイルさんのことをよく分かっていらっしゃる。
部屋に連れ込んでいかがわしいことをしたとかいう心配ではなく、練習に夜通し付き合わせたのかという心配をしていた。
ちなみに私もラファイルさんを襲うとか疑われてはいなかった。
よかったよかった。
いつものようにそろって食事をいただき、
今日は王宮に行くラファイルさんを玄関先でお見送りする。
「行ってらっしゃいませ」
「行ってくる。
……マリーナ」
おや。
名前が加わったのは今日が初めてだ。
たまたまかな。
特に深くは考えず、私は自分に当てられた仕事にとりかかるべく、閉められた扉に背を向けた。
***
ラファイルさんが王宮に仕事に行く日の私の仕事は様々になっている。
語学の勉強、私の知っている曲の譜面起こし(ジャズから何から全て)に加え、教材の作成、楽団の譜面の写し作業などいつの間にかてんこ盛りである。
それに加え、少し前から、王宮に上がるためのマナーの勉強もしている。
しかも家庭教師に来てもらうというガチなやつである。
そりゃあね。王宮でラファイルさんに恥をかかせてはいけないから、真剣にやりますよ。
だがなぜか、使用人以上のマナーをどうやら教えられている気がする。
だって使用人がお茶のマナーなんて学ばないでしょ!給仕のやり方なら分かるけど、お茶をいただくマナーとかテーブルマナーとか、エスコートされるときの作法。
さらに、なんとダンスまで!
なんで、ダンス!?
あのドレス着て踊る社交ダンス的な。
イメージは完全に宮廷舞踏会だ。
いや待って待って、使用人のやることじゃなくない!?
さすがにおかしいと思ってアーリャさんに聞いてみた。
「おや、お聞きではありませんでしたか?マリーナさんに貴族の社交マナーひと通りを身につけてもらうよう、坊っちゃまがおっしゃったんですよ。
坊っちゃまは社交はほぼなさらないけれど、いずれは、そういう機会もあるでしょうから」
え、待って。どういう方向に話が進んでるの。
「いやっ、あのっ、こんな平民風情には無理ですっ、その、ふさわしい貴族のお嬢さまのお知り合いとか、ラファイルさんならいらっしゃるのでは……?」
「あの通り音楽しか頭にない坊っちゃまですから、他の方に気を遣うのが煩わしいからとお出かけはなさらないのですよ。
マリーナさんは側にいても気にならないから、お出かけの機会があれば、お供はマリーナさんにお願いしたいそうですよ」
えっと?私になにをさせるつもりなんですか……?
それも助手の仕事に入るのかな!?
いやまぁ、仕事でお供をする機会はあるのかもしれない。私で問題ないのであれば務めますとも。
王宮に行くための仕事着はもう採寸済みで、近々届く予定になっている。
仕事着なのに、なぜか家に呉服商って言うんですか、オストロフスキー家お抱えかなんかの業者さんが来て、私は採寸されたのだ。
服の買い方がもちろん初めてだし盛大に戸惑った。
しかもこれじゃ、私のお給金何ヶ月分もがこの仕事着に使われませんか……?
働いたお金は借金返済に回すパターンか!?
と心配したのだがなんと、私のお給金はまったく別物で、この服はラファイルさんが準備してくださった分だという。
ちょっと至れり尽くせり過ぎませんか。私にそんなお金使うってどうなってるの……!
なんか怖くなってきたんですけど……
さらに。
後日、何故だかドレスの採寸が行われた。
いやいやいやそのお金はほんと、どこから。
焦ってアーリャさんたちに聞いたのだが、これもラファイルさんの指示だからと言われた。
お金はラファイルさん持ちだから、……って何でですか。
さすがに意味が分からなくて、おずおずとラファイルさんに聞いてみた……
「王宮に上がるのにドレス一着も持ってないなんてあり得ないだろ」
いや平民の使用人なら持ってないでしょ……!
「仕事上でそういう機会もあるだろうからな。
これは必要経費だ。あんたが気にすることは何もない」
一体いつそんな機会が訪れるんですか。できたら訪れてほしくない。
どんなドレスがいいのかよく分からない私に代わり、ラファイルさんが提案してくださったのだが、デザインも色もいい感じだったのでそのままお願いした。ラファイルさんはその後何やら装飾とか細かいことを相談していた。
どうも結構なお高いドレスになる気がするんですが……
どうしよう、これ。
もう一生奴隷のように働くしかないかも。
とはいえラファイルさんのために働けるなら、嫌ではないなと思っている。ただ気後れは絶対する。
その後王宮へお供するための服も届き、こちらは上はシンプルなドレスっぽくて、下はワイドパンツみたいな感じだった。丈はくるぶしまであり、足を揃えて立てば一見細身のドレスっぽい。
寒がりの私は、秋冬用は襟を詰めて欲しいとお願いしていた。
しかも元いたところよりこちらは涼しい、冬は辛そうだなと思った。
王宮へ行く準備が着々と整っていて、私はだんだん不安になってきた。
こういうとき普通の女子は喜ぶものなんだろうか。
私華やかな世界嫌いなのよ。
あ、いや、ドレスもジュエリーも、素敵なお屋敷や王宮みたいなキラキラしたところは、見るのは好きなんだけど、
社交とかやりたくないのよ。
一介の助手が社交も何もないだろうけど。
とりあえず部屋にこもって練習とか練習とかしていたいのよ。
引きこもり大好きな人種なの。
でも助手としては頑張らなきゃ。
ラファイルさんのお役に立てるように頑張るんだ。
ラファイルさんと一緒なら、怖さも半減する。
ラファイルさんの足手まといにならないようにと、私は気合を入れて勉強に取り掛かるのだった。




