表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/110

17:謝ってはみましたが

本日2話目です。


もう夜中に近いが、音楽室からはピアノの音が聞こえてくる。


扉の前まできて、一度決心をつけるために立ち止まった。



ーー中から聞こえる音は、私が教えたジャズのスケールの数々。


様々なスケールを使って、ラファイルさんは途切れることなく練習を続けている。


あの男性が言ったような、汚い音なんて何もしなかった。


ラファイルさんの音は、どんな音階を弾こうとも、どんなリズムに乗ろうとも、

どこまでも、綺麗だ。


ラファイルさんの音を聞いていると、まとわりついていた不快感が消えていくような気がした。

いつまでも、ここで聴いていたい。



でも、それでも、プロにしかわからないタッチの崩れなんかもきっと、あるから。


ラファイルさんの音楽の世界は、私が入り込んでいっていいところでは、なかったのだ。



一瞬音が途切れたところで、大きめにノックをして、ドアを開けるなり、言い放った。


「……っ、ラファイルさんっ、お邪魔してごめんなさい、でもお願いですから聞いてください!

あのっ、ジャズをやると、タッチが崩れてクラシックをきちんと弾けなくなるって……

謝っても謝りきれないのは分かってます、でもっ、これだけは言わなきゃって……

だから、えっと……」


ひと息でぶちまけて、支離滅裂になった上にそれ以上言葉が続かなくなってしまった。

あと何を言えばいいのか。謝ったらどうすればいいのか。


ラファイルさんの顔も見ずに、視線を逸らせてまくし立てていたから、

ラファイルさんがどんな状態なのかも分からないままだった。

拒絶されるのが怖かったから。


緊張と恐怖で思考はほぼ停止してしまい、今どうしたらいいのかもはや考えられなくなってしまった。


だが、ラファイルさんから返ってきたのは、拍子抜けするほど穏やかな声。


「マリーナ。調子が悪いのにまだ起きてたのか、ほら、座れ、体が震えてる」


気づくと、私はラファイルさんに肩を支えられ、連れて歩かれていた。


なんだか意識が混乱してきた。何がどうなってるの。


ラファイルさんのなすがまま、隣の部屋のソファーに座らされた。

ラファイルさんが部屋の隅から膝掛けを持ってきて、羽織らせてくれた、いや、寒いわけじゃ……


「風邪でもひきかけてるのか?震えがすごい」


ラファイルさんに言われて初めて、私は腕が本当に震えているのに気づいた。

腕だけではなかった、足も、背中も、肩も、本当に全身、震えていたのだ。


「早く部屋に戻ったほうがいい。

というか調子が悪かったんなら、我慢せずに言え、俺が仕事なんか代わったのに」


違う。

恐怖と緊張のあまり、震えが止まらないだけだ。

風邪のような悪寒ではない。


「違います、風邪じゃない……」

「そんなの分からないだろ。とにかく早く寝て……」

「違う、違うんです、あの、私が変なことお伝えしたから、ちゃんとした演奏ができなくなったら取り返しがつかないから、とにかくもうジャズはやめてください」


「……なんの話をしてるんだ?」

「だから……」


隣に座っているラファイルさんが、近い。

体をこちらに向けて、目を合わせない私をじっと見つめてきている気がする。


「……マリーナ、今日、何があった?」


ラファイルさんに言われるがまま、私は今日あったことを答えた。


***


ラファイルさんは、軽くため息をついた。


そして、少しの間、黙った。



私は息を殺していた。


いつ怒りが降ってくるかと。


「ーーマリーナ」


「……はい……」


「あんたの教えてくれた曲」

「……はい」


「あんたは汚い音だと思うのか」


「……いいえ」


「ならなぜ卑屈になる」


「……クラシックは繊細だから……下町とか呑み屋の要素なんか、入っちゃいけないでしょう?」


ジャズが低俗と言いたいのではない。

でも文化的背景として、ジャズは大衆音楽で、酒場とか下町メインで演奏されるもので。

そういった要素を、このリアル貴族社会に持ち込むのは、やっぱり許されないのではないか、と思ってしまったのだ。


「あんたのところで、ジャズはそういう下の位置付けか?」


「いえ……世界的な音大でも、学ばれています」


「なら、ここの学校に持ち込んで何が悪い」


え。

それあの人に真っ向から喧嘩売ってませんか。


「……でも、ラファイルさんの演奏家生命が……」


「そんなもの、ない。


それより俺はいろんな音楽に出会いたい。


出会うもの全部、俺のものにしたい。


クラシックももちろん好きだが、それだけにとらわれるつもりなんかこれっぽっちもない。


……あんたがその灯火を消しちゃ、困るぜ。


俺の道を照らしてくれてるようなものなのに」


待って。

私がこの天才の道を照らすですって。

空恐ろしいこと言わないで……!


怒られる恐怖はとりあえず消えてきたが、とんでもないことを言われて逆に動揺していた。



「タッチの崩れ?俺には関係ない。

クラシックはクラシックでそう弾くし、ジャズはジャズで、弾き分けるだけだ」


それは……アリなんですか。

うんでもラファイルさんならできる気がしてしまう。



「それに俺は、奏者じゃない。


あんたが気にすることは、何一つない」


今、何て。


「奏者、じゃ、ない……?」


驚いて、私は今初めて、ラファイルさんの顔を見た。


奏者じゃない。


どういうこと。



「俺は、表立っての演奏は、しない」



そういえば、ラファイルさんのスケジュールを見ていて思ったのだ、

先の方まで入っている予定はどれも、講師やリハーサル、作曲編曲依頼や監督の仕事ばかり。


ラファイルさんの演奏会という項目は、一つもなかったのだ。


「……どうして、ですか……?」


つい訊いてしまった。私が入り込んでいいところじゃないと思う間もなく。


ラファイルさんは、目を伏せがちに。


だが、それでも私を見つめながら。


「……この、黒い髪のためだ」


***


意味が分からなかった。


黒髪が、奏者じゃないことと一体何の関係があるのか。


「ここでは、黒髪は少数だ」


金髪さんはもちろんよく見かけるし、茶髪さんも多い。たまに赤髪さんや、プラチナブロンドの人もいる。

確かに黒髪の人は、滅多に見ない。


ヨーロッパ系だからって皆が皆金髪でもないだろうに、とちょっと不思議に思っていたのだ。


「この辺の国々では、どこも金髪が一番美しいとされている。

正装のときは金髪がマナーだ。


……地毛は黒だろうが濃い茶色でもいいんだ、カツラをすればいいわけだからな。現にそういう楽団員もいる」


そうだったの。

カツラと聞いて、モーツァルトやバッハの髪を連想したが、あんな髪型の人はどこにもいない。

ということは自然なカツラをつけている人が実はそこかしこにいるんだろうか。

それってカツラというか、ウィッグと表現した方がいい気がする。


でも、ラファイルさんは、いつも黒髪だった。


「金髪が美しいのは結構だが、それに合わせる義理なんかないだろう、

俺はそう思ってる。


みんな一律に金髪になって、一番美しいもクソもあるかってんだ。


なぜ他人の価値観をかぶって生きなきゃならない」


スーツにメガネのサラリーマンが、日本人の典型であるように、

金髪に正装がこの国の典型像ということか。


もっとも日本人は周りから浮くことを避けて一律の格好になるけど、

ここでは理想像が金髪で、みんなが一つの理想を目指した結果、横並びになった感じで、ちょっと違うか。

でも個性を尊重する感じでは、確かにない。


西洋の文化、詳しくはないからなぁ……

私のいた世界の西洋と同じかどうかも分からないし。


「見た目で判断なんてされたくなかったから、コンクールは全部これ(黒髪)で行った。

周りは当然、点数を稼ぐには金髪をかぶれって言う。


でも自分の色じゃない状態で評価されても、意味がないと思ったんだ。


結果は全て、入賞がいいとこだ。

見た目の評価があるからだ」


ていうか見た目の評価なんてコンクールであるんだ……いいのかその評価法、一体そんなもの測ってどうするんだ。


「世間の目を気にしつつ、それでも俺の音楽をほしがる人間もいたんだ。その妥協策として、俺は今の学校と王宮の職を得てるわけ。


音楽は、俺が作る。


だが、絶対に表に出てはいけない。


それが、ここの掟だからだ。



俺自身の音楽を保つ場を持っておくためには、縁の下に甘んじて稼ぐ必要があるんだよ。


自分を偽ってまで人前に出て演奏するよりも、俺は自分の居場所をまず確保していたかった。


……カツラ一個で済むことなのにな。


でも、俺はやりたくなかった。


俺は表舞台に立たないことを決めた。それでも後悔は一切していない」


なんと金髪が多数派で価値が高い、奇妙な世界でした。

あくまでもここは異世界ですから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ