15:管楽器もやります
ラファイルさんは、見事にトランペットを吹いていらっしゃった。
もちろん、本当に澄んだ、綺麗な音だ。
何でこの人はこんなにも見事に楽器を操れるのか。
マジでガチで神。
ただ、私の好きなジャズのトランペットの音というのは、ギュインギュイン鳴るパワフルなタイプである。
ハイノートってクラシックの人やるのかな。
ハイノートとは、文字通り、高音のことである。
音圧で楽器が膨れるんじゃないかというイメージだ。
それもソロより、ジャズのアンサンブルであるビッグバンドで使われることが多いと思う。
「音の立ち上がりがですね、最初からガツーンとほしいです」
私はプロに対してまたもや注文をつけている。
なんかこう、イメージでしか伝えられないのだが、クラシックの音は柔らかく、細い。
角のない音というか。
私の好きな音は、むき出しの音という感じだ。角がバリバリの。そして太い。
その昔サークルで、地元では名の知れたジャズプレイヤーであったサックスの先輩に教えてもらった吹き方で、私の欲しい音を掴んでいただこうと思った。
「アンブシュアがおかしい」
私が音出しを始めた瞬間、指摘された。
サックスのアンブシュア(口の締め方)まで分かるんですか。
「ジャズのアンブシュアです。セミプロの先輩に教わったから間違いではないです」
半年ぶりくらいにサックスを触ったのだ、最初につけたリードがハズレで、うまく音が出るまでに数回リードを変えた。
だんだんと感覚を取り戻し、音が出るようになってきた、ジャズらしい音であるサブトーンもでるようになった。楽器の音と共に息の音もでるのがサブトーンである。
初めて聴く音色に、ラファイルさんの目がまたギラギラしていた。
クラシックを好む人は、こういう音は耳障りに思う人もいるだろうが、ラファイルさんはそうではないようだ。
戯れで嗜んだだけのサックスなので、音程が危ういのは目を瞑っていただいて、
ビッグバンドでやったことのある、ジャズらしい引っ張ったフレーズをいくつか吹いてみた。
するとラファイルさんは、トランペットでそのニュアンスを再現してみせる。
メトロノームを鳴らしながら、4拍ずつ交代で、いろんなフレーズを試した。
おおぉフォーバースみたいで楽しい!!
フォーバースは、セッションでドラムの見せ場としてよく使われるのだが、
ドラムと他の楽器が4小節ずつ交代してソロを取ることである。
今は4小節は長すぎるので、1小節ずつ交代している。
私のフレーズもいつしかアドリブになり、ラファイルさんが同じフレーズを繰り返してくれる、
きっとこれでジャズのニュアンスを掴んでくださるだろう。
ラファイルさんの音は最初より太くなっている気がする。私の欲しい音に近づいている。
さすが、習得が人外レベルである。
私の鍛えていない唇が限界になるまで、管楽器セッションは続いたのだった。
…………
…………
字がだいぶ読めるようになってきたので、ラファイルさんの研究室を少しずつ、分かるものから片付けをしたり、簡単なお使いに行ったりし始めた。
たまにヴァシリーさんが仕事の報告などの用事にやってくるが、彼はラファイルさんがいないときは、後にすると言って帰っていく。
初対面のときと同様、陽気な調子なので、てっきり研究室に入り浸ってお喋りに昂じるおばちゃんみたいなイメージだったのだが、
彼は意外にも要件だけラファイルさんに伝えるとすぐに帰っていくのだ。
まぁ、勤務時間だし、おしゃべりはダメか。
一度ラファイルさんのお使いでヴァシリーさんの研究室に行ったとき、その理由が分かった気がした。
それは受け持ちの授業がない時間帯だったのだが、ヴァシリーさんはあのおちゃらけた様子が嘘のように、鬼気迫る形相で速弾きの練習をしていたのだった。
伝言があったので申し訳ないながら声をかけると、いつもの明るい顔に戻って、多重人格じゃなかろうかと疑ってしまったほどである。
だが演奏技術はそれはもう、パガニーニに例えたいくらいだった。
これで曲が弾けないってほんとかなぁ。
だが用件を済まして部屋を出るとき、ヴァシリーさんが声をかけてきた。
「マーニャちゃん、いつも、変わった音階の練習してるよね?こんなの」
そういっておもむろにバイオリンで弾き出したのは、なんとジャズのスケールだ。
私が空き時間にラファイルさんの研究室で弾いていたものだ。
「これ、おもしろいよねぇ。ほら、こうやって組み合わせたら永遠に弾いてられるよ」
「……循環コードじゃないですか」
「なにそれ?」
「ご自分で発見されたんですか?」
「んー、なんとなく。マーニャちゃんそれっぽいの弾いてたし」
循環コード、とは、4種類のコードがどれも次につながり、曲が途切れない進行である。
曲のエンディングで、アドリブを続けたいときにこれを使うと好きなだけ曲を延長できる。
ヴァシリーさんは私の練習を耳にして、身につけてしまったようだ。
しかも大変鮮やかなアドリブをしてみせる。
なるほど。
ラファイルさんと同類ということか。
なんだかすごく納得してスッキリした。
確かにジャズとか、フュージョンならガッツリはまりそうだ。
「ラーファが最近なーんか面白そうなことやってるなぁと思ってたんだけど、なかなか教えてくれなくてさぁ。あれマーニャちゃんが教えたの?」
「教えるというかそんな大それたことじゃないですけど、まぁ、はい、
え、私が教えたってご存知だったんですか」
「あんなの誰も知らないもの。異邦人のきみしか知らないでしょ。
オレ人のやったことや考えたことなぞるなんてほんと窮屈でさぁ、課題曲とか無理だったんだよね、卒業のためにラーファがなんとか合格にしてくれたんだけど」
「ラファイルさんが、指導者?」
「そ、オレ留年しててさぁ、飛び級したラーファに追い越されて。ラーファがオレの指導教官になってからやっと卒業できて、今の職も確保してくれたんだよ、だからオレあいつに頭上がんないの」
ラファイルさんに越されたことは全く気にしていないようで、あはははと笑っている。
「ほんとはマーニャちゃんに、ラーファに教えたことオレにも教えてほしいんだけど、多分ラーファが怒るからねぇ。あいつが許可してくれるのを待つよ。
来週から祭典のパレードのリハーサルが増えるから、パレードの後になりそうだね」
「何で、怒るんでしょう?」
「あいつとの付き合いから、なんとなくー。
マーニャちゃんを囲い込んでおきたい気がひしひしとするんだよねぇ」
「えぇ何でですか、そんな貴重品じゃあるまいし、ただの音楽好きな素人ですよ」
「いや貴重品でしょ、なんか楽器いろいろできるんでしょ?それにこの世界にない音楽いろいろ知ってるってだけでそりゃもう、絶対確保しときたい人材だよ」
「あっという間にラファイルさんに抜かされて用済みになりそうです」
自虐が入っているが、しかし実際のところ、ラファイルさんには遠からず、全て追い越されると思っている。そうすればあとはプロ同士でやるのが妥当であり、私が入る余地はなくなるだろう。
最悪、下働きは続けさせてもらえるかもしれないが、あのお屋敷はおいとまして一人暮らしをしなければならなくなるかもしれない、とは、常に頭の隅に置いている。
「いやー、それはないと思うなぁ、全部習得しても側に置き続けると思うけどねぇ」
「必要としてくださるならありがたいですけど」
「それは、大丈夫だよー」
信頼し合ってるっぽいヴァシリーさんがおっしゃるなら、そうなんだろうか。
もちろんそうならありがたいし、そうであってくれたら嬉しい。
何せあのお屋敷で一人で作業していても、ラファイルさんと合わせていても、ひたすらラファイルさんの没頭に付き合っていても、全てが居心地がいいのだ。
しかも家事の類はアーリャさんたちがやってくださるから。
……情けないかな実家で家事を母に任せきりにしていたので、やらなくてホッとしていたのだ……。
正直出て行きたくないと思ってしまうのは仕方がないことだと思う。
一応、最初の段階で、自分のことは自分でやると申し出たことはあるのだが、
家のことはいいから坊っちゃまに言われたことをおやりなさい、と言われた。
結局ここでも自立できていないのは、分かってはいる。分かってはいるのだが。
甘えて申し訳ないと思いつつ、やっぱり甘えてしまっている。
そういうところが私の数ある欠点の一つである。
…………
…………
ヴァシリーさんとの話は、その立ち話だけで終わり、私はラファイルさんの研究室に向かって歩いていた。
ラファイルさんは、今日はこの後二人の個別授業の担当だ。いつどんな授業があるかはもう把握している。
研究室の鍵を開けようとして、靴音が近づいたのに気づいた。
何気なくその方向を見ると、そこには険しい顔の、背の高い初老の男性が立っていて、私をじろじろと見ていた。
サックスは、マウスピースにリードをつけて吹きます。クラリネットも同様。
現代、サックスのリードは一般的に既製品を買いますが、当たり外れがあります。
作者の母はクラシックの好きな人で、ジャズのバキバキいうサックスやフルートは好みに合わないみたいです。人それぞれ。
※追記:ジャズとクラシックの奏法の違いについて、素晴らしい動画がありましたのでTwitterにて紹介してます。
https://mobile.twitter.com/tabatina68691/status/1408821872397996033




