10:働くことになりました
この世界にきて一週間なのに、私はもう仕事を得て出勤することになってしまった。
目まぐるしいが、うだうだ言っている暇はない。
とりあえずしばらくはラファイルさんの元で安心して生活ができるので、毎日を頑張らねば、と心に決めた。
朝起きて身支度を整え、ラファイルさんと一緒に朝食をいただく。
使用人のみなさんに見送られて、家の馬車で学校に向かった。
初出勤が、この世界での初外出だ。
何もかもが初めての景色で、私はひたすら窓の外を見て驚いていた。
ふと隣のラファイルさんを見ると、なんと眠っていた。
きっといつも遅くまで練習していて、出勤時間が睡眠時間になっているのだろう。
私はそれ以上ラファイルさんの方は見ず、再び窓の外に目を向けた。
…………
…………
お仕事場の学校までは、馬車で30分ほど。
もう少し遠くに見える立派な建物が王宮だった。
学校も大層な広さで、いくつも学舎が建っている。
しかも宮殿みたいで、ものすごく素敵だった。
ラファイルさんの職場はそのうちの一棟にあり、演奏会用のホールまである建物だった。
音楽教育に力を入れているのだろうか。
もう学内には人がたくさんいて、中にはラファイルさんを知っている人もいるようだ、ラファイルさんと会釈を交わしていく。
奥まった廊下の端の一室が、ラファイルさんの部屋だった。
……と思ったらここも結構広かった、そして、
かなり、散らかっていた。
うん、わかるよ、大学教授ってこういう人いるよね。
楽譜や本が所狭しと置かれ、雑に積み上げられている。
部屋にはさすがピアノもあったのだが、その上も書類だらけだ。
今日はこれの片付けかな、と思っていた。
「まだ字が読めないんじゃ片付けもできないだろ。
いずれは頼みたいが」
「はい」
何となく、ラファイルさんが気まずげだった。
「……なかなか、片付ける暇がなくてな」
顔を逸らして言い訳のように、そんなことを言う。
「いえ、お気になさらず。大学教授ってそんな人多いですから」
「あんた、平民で女なのに大学なんか出てんのか。道理で博識だと思った」
「ああ、私の国では、大学を出る人は多いし、男女同じ教育を受けますよ」
「そうなのか……」
「ここでは、どうなんですか?」
「高等教育を受けるのは貴族がほとんどだ。まれに、特別優秀な平民もいるにはいるけどな。女は大体半数くらいか。
特に音楽をやるのは、それなりの名のある貴族ばかりだ。
貴族でもないと楽器なんか触れることもないからな」
「そうですね、楽器、高いですし」
「あんたのところは、よほど音楽が根付いているんだな。平民でプロでもないのにあれだけ音楽を嗜む者は、まずいない。
……ま、だから今回も、仕事を任せようと思えたんだ。
貴族は下働きなんか絶対しないしな」
「ラファイルさんの元で音楽が身に付けられるなら、私なら喜んで下働きしますけどね……」
自分で言って気づいたのだが、私は今この下働きが嫌だとは思っていなかった。
居候だから役に立たないと、という思いも強かったし、ラファイルさんは私の得意な部分を見た上で、助手をしてほしいと言ってくださったから。
対人がなく机に向かう種類の仕事な上に、音楽に携われるから、むしろ楽しみにさえ思えている。
「今日は、とりあえずここに慣れてくれたらいい。
勉強道具は持ってきたか?」
「はい」
「今日はこの部屋で勉強しててくれ。授業が終われば戻ってくる」
「はい。
あ、先生とお呼びしたらいいですか?」
「あー、まぁ、そうな。仕事中は、それでいい」
今日はラファイルさんに言われて、語学の本を持ってきていた。
勉強するスペースがどこにあるのかと思ったのだが、来客用のソファーはかろうじてスペースがあった。
授業前に、教室やコンサートホールを案内してもらって、ラファイルさんは授業に、私は部屋で勉強にと分かれた。
***
個別レッスンと、全体の授業を受け持っているというラファイルさんは、ほぼ一日研究室を空けていた。相当多忙だ。
昼休憩に一度戻ってきて、ついでに私のお昼にサンドイッチを買ってきてくれ、紅茶も淹れてくれた。
ラファイルさんはサンドイッチ片手に机で何か書いている、休む暇もなさそうだった。
何もできないのが居心地が悪い。
掃除くらいすれば気が利くのだろうが、ラファイルさんが頼まないのに勝手にしては逆に嫌かな、と何となく思った。
私も、片付けは上手くない。でも勝手にされると、置いていたはずのものがそこになくなっていたりするから、嫌なのだ。
父の言いつけで母にときどき勝手に片付けられて、嫌だなと思っていた、
片付けないのが悪いと言われて終わるから、我慢するしかなかったのだけど。
ラファイルさんも、確かこの辺に……という感じで置き場所を把握しているのかなと思っている。
一応、ラファイルさんに告げておいた、
「私、気が利かないので、言われたことだけしかできないので、必要なことはおっしゃってくださいね」
「気なんか回すな。頼んだことだけやってくれたらいい」
「建前とかなしですよ?ほんとに私、言葉通りに受け取っちゃう人なんで」
「俺だってそんな面倒な言い回しなんかしない」
よし、言質は取った。
お貴族さまって言外の意味を含ませてくるって小説とかで見たから、もしラファイルさんが本音と建前が違ったら私には無理だと思ったのだ。
だがやっぱり、まだ一週間だが彼の様子を見ていて、ストレートに言ってくれる人なんだろうなと感じていた。それも思いつくまま。
同じお貴族さま同士ならそういった会話術も使うのかもしれないけれど、私相手に家で建前を使ったって彼がしんどいだけだ。
言葉通りに受け取るからと説明もしたことだし、ラファイルさんの本音がどうであれ、
私は言われたことだけやることに決めた。
日本人だが私は空気を読むのが苦手だし、好きではない。
だから決めてしまうと、ストンと楽になった。
…………
…………
ラファイルさんは、意外だが残業をしない人だった。
仕事人間だと思っていたのに、就業時間が終わると同時に研究室を出ていく。
そういえば先週も、いつも夕方に帰ってきていたと思い出した。
そっか、自分の練習時間が絶対に必要だからだ。
「ちょっと寄るところがある。
もう一人の助手だ、あんたを紹介しておく」
「はい」
それなら、顔を合わせる必要があるだろう。
ラファイルさんの研究室から何部屋か先まで行って、ラファイルさんは一室の扉を叩いた。
「ヴァーシャ、入るぞ」
「あー、ラーファか?どうぞー」
作者も片付け下手で嫌いです。。
片付けを考える前に練習に行きたくなる。またはこうやってストーリーを書きたくなるんです。




