新婚旅行編 12
数日後には、私たちはムズィカンスクへの帰途についた。
いろいろ特殊な体験をしたから、日常に戻ると思うと、ちょっとほっとする。
元の世界で、休み明けの仕事が苦痛で仕方がなかったのが嘘のようだ。
サロンで演奏した後、プロトニコフ家から使者が来たのだが、ラファイルさんは私の看病を理由にして会わなかった。
謝罪のつもりか言い訳のつもりか知らないが、面倒だから、と。
非のないイラリヤ嬢から既に謝罪を頂いているので(めっちゃ嫌味)これ以上の連絡は一切不要、と執事さんに伝えてもらった。
ヴィタリー君からも謝罪の訪問があったのだが、ラファイルさんはそれも会わなかった、こちらも謝罪は受け取ると執事さんに伝言をしてもらっただけで。
彼からは改めて、謝罪の手紙が来たので、それは私も読ませてもらった。
彼はラファイルさんと私の演奏を聴いて、何か納得したようだ。
また会う機会があり、普通に話してくれるなら、普通に接するつもりと感想を述べたのだが、ラファイルさんはもう話すなという。
「大丈夫だよ別に、悪い人じゃないんでしょ?」
「いや、あんたのこと意識してた」
「いやいやそれはないでしょ」
「あんたに話しかけてただろ、初日」
「あー。……そういえば。でもそんなんじゃないでしょ」
「あんたに絡んだのだって、イラリヤがどうこうってよりあんたと接点持ちたいからだよ、絶対そうだ」
「えー、じゃあなんで私が不快になる言い方したの……」
「俺と喧嘩させて隙を見て取ろうとしたんだろ、もし俺たちが喧嘩にでもなれば、すっげぇあんたに優しくなったと思う」
「やり方下手すぎない?」
「表面的な夫婦なら崩れただろうな。俺とあんたを相手にしたのが下手だったんだよ。
あいつ、留学中にそうやって人妻と付き合ってたんだ」
「……優しくされても無理」
ヴィタリー君、まさかの女たらしだったとは。
馴れ馴れしいのはそういうことだったのか。
「夫は結婚するはずだった女がいたとか言って、妻の方が怒ったかショック受けたかで、そこにつけ込んだって。昔ヴァーシャが解説してくれた。あんたへの話しかけ方と一緒だろ?」
「うん、でも私、ラーファは私以外無理って分かってるからさ、意味不明にしか思えなかったよ」
「俺もあんたが金髪のイケメンになびかないのは分かってたから、あんたのこと心配はしてなかったけど、でももうあんたには会わせたくない」
ラファイルさんはそう言って、また私を腕の中に閉じ込める。
なんかこの人の度量が狭くなっていってる気がしないでもないが、私はこの人に閉じ込められて守られている感が実は結構好きなのだ。
腕っぷしは弱いけど。
私はふと、顔を上げた。
「そうだ、思い出したんですよ」
「何を?」
「プロトニコフ家の使い、確かに来てました。私がまだ勤めに出る前。
執事さんが、出張先の学生さんの家から遣いがきたって言ってて、ラーファが断ってたの。学生の家族とは一切付き合わないって言ったから、プライベートと完全に分ける派なんだー、って思ったの、覚えてますもん」
「あ、そう……覚えてないけど俺言ってそうだな」
「ラーファが私に誤魔化してるとかは全然思わなかったけど、たしかに断ってたの、私が証明できるから。もう必要ないと思うけど」
「ーーマルーセニカ」
ラファイルさんが、再び抱きしめてきた。
「あんたはかわいいんだから……もうちょっと用心してくれ。
ほんと、楽団の連中は別にして、どこで声かけてくる奴がいるか安心してられねぇ」
「もう、何の冗談ですか、そんなの思ってるのあなただけだからほんと。
そんなん言ってちゃブラック・コンダクターできなくなりますよ、人気商売なんだから。
人気が出ればラーファ絶対モテるから、私こそラーファを閉じ込めたくなるかもよ?」
「いや俺よりあんたのほうが」
「いつまで言ってんですか……じゃあ二人で引きこもるしかないじゃない」
「そうしよう」
「用心ったって私、男の人にいい顔なんてしてるつもりないけど……」
「あんたはそのままでかわいいんだから」
もうこれはキリがない。なんの間違いでラファイルさんが私をかわいいと思っているのかわからないが、ラファイルさんがそう言うならこの人にとってはそうだと結論づけるしかない。
かわいいと言われれば、嬉しくはあるけど。
「俺やべぇわ、前よりだんだんあんたに固執してってる」
「ほんと、そうですね」
「離すつもりないから」
「そうしてください」
「ここが一番落ち着いて、安心できるんだよ」
「だから、ずっといますよ」
ふとしたときに、ラファイルさんの感じてきた孤独のようなものが垣間見える。
生い立ちからくる不安なんかも少なからずあるのは、なんとなく分かる。
すぐにすぐ解消できるものではないだろうし、できることといえばこれから時間をかけてゆっくりお互いに寄り添っていくことだろうか。
「あんただけ、だよ」
不意に、ラファイルさんが呟いた。
「俺の音、好きって言ってくれるの」
「そうなの?」
「賞賛はみんなしてくれるけどな」
「いくらでもいそうだけど……ていうか絶対他にもあなたの音好きな人いるって」
「あんただけが言ってくれたらそれでいい。
どんな賞賛よりも、一番嬉しかったんだ。冷静でいられなかったくらい。初めて、嬉しかった」
「そうだったんだ……」
「いくら賞賛を受けても、俺は公の場ではどうせ演奏できない、って思ってたから。
あんたはそういう結果とは関係ないとこにいたのもあるけど、この音楽が好き、って俺に教えてくれる姿がすごく……よかったんだ。
同じように俺の音楽が好き、って言われたときは、あんたに認められたと思ったよ」
「……アマチュアなのに?」
「あれだけの素晴らしい音楽を知ってるあんたに、俺の音楽も認めてほしいって、
あんたが好きって言った音楽家の中に俺も並びたい、て思った。それが最初、あんたを意識したのは」
「……じゃあ結構最初、から……?」
「今だから言うけどな。
あと、あんたの生活態度とか勤務態度とかが申し分なかったからでもあるけど。
……ずっと、好きだったんだ、あんたのこと」
「ラーファ、シュカ……」
本当に。本当に、私のことを好きでいてくれた。
今のラファイルさんがそうなのは疑っていないけど、私がこの世界に来て間もない頃から、そうだったなんて。
今更だけど、嬉しくて嬉しくて、体中が温かくなるのを感じた。
「最初ラーファ怖かったし、凄すぎて私なんかが側にいていい人じゃないって思ってたけど。
でもなんだかんだ優しくしてくれて、こんなすごい人が私を一番近くに置いてくれて、かっこいいしそりゃあファンにはなるよね。
でもほんとはファンだけじゃ物足りなくて……少しずつ近づけるのが嬉しくて。
私も、ずっと好きだったよ」
「……ほんと、長い間もやもやして損した……」
私の肩に顔を埋めてきたラファイルさんを、ぎゅっと抱きしめる。
「好き、マルーセニカ。愛してる、俺の全てをかけて」
「私も。愛してます、ラーファシュカ、あなたのために生きるってずっと前に決めてる」
キスを交わし、何度も抱き合って。
我が夫の幸せそうな顔が、本当に嬉しい。
「……早くあの曲をバンドでやってみたいな」
「そうだね」
「とりあえずドラムのフルセットでやってくれ。スネアとライドだけでもゾクゾクしたのに、ドラムセットでやったらかなりヤバいと思う」
「うん、やろう。ラーファの低音がセクシーすぎてほんとちょっとヤバいわ、私もうあなたの音で発情しちゃいそう」
「奇遇だな、俺もだ、あんたのドラムで理性飛ぶ」
あの曲とは、別邸滞在中に作り上げた一曲である。
互いに気持ちが盛り上がってできあがった上に、ラファイルさんの音遣いとくれば、もうなんというか聞く媚薬といっても過言ではない、色んな意味でヤバいのである。
音楽バカとは進化したらこうなるものなのだろうか。多分違う。
日常に戻れるのか心配になってきてしまったのだが、予想通り、ヴァシリーさんとノンナさんを始め楽団のみなさんに、ラブラブすぎて目のやり場に困ると盛大にからかわれることとなったのだった。
とはいえまもなくヴァシリーさんとノンナさんも結婚して、人のことは言えない状態になっていた。
…………
…………
翌年も、夏期講習と国王陛下のサロンでの演奏依頼が来たが、私たちは夏期講習さえお断りした。
というのも、ちょうど私の出産の時期と重なったからだ。
ラファイルさんは迷うことなく私の出産に立ち会うと決め、むしろ私をあの陛下の前に晒さなくてよくなったなんて言っていた。
「今思えば俺も結婚でちょっと舞い上がってたんだな、あんたを連れて人前に出たくてさ。
でも次があればまた講師だけに戻る。国王の前で演奏するようになったら、なんかいろいろしがらみが発生しそうでさ、あの国。去年あんたもスカウトされそうになったし、危なかったぜ」
「そうだね。イリがこっちに出てきたのは正解だったんだね」
イリーーイラリヤ・プロトニコヴァ嬢が我が国に留学してきたのは、去年の夏期講習から半年後の春のこと。
ちなみにちゃんと正規の手続きと、ラファイルさん以外の教官による選抜試験を経てのことである。
だが、こちらに来てからいろいろ話をイラリヤ嬢から聞くうちに、彼女もまた私たちと同類ーー音楽バカであることが判明した。
彼女は私とラファイルさんが演奏した音楽にすっかり惚れ込んで、それをやりたくてこちらに来たのだという。完全にクラシックを捨てる覚悟でやってきて、それはつまり、タニエツクでクラシックのプロになることを放棄するということだ。
だが家も貴族の身分も捨てることを厭わないと言って、学生寮だが一人暮らしも頑張っているから、彼女は思った以上にバイタリティ溢れる女性であるようだ。
私は当初、彼女がラファイルさんを追ってきたのだろうかと警戒してしまったが、そういうわけではなく、今彼女はむしろ私によく懐いてくれている。
彼女は、ラファイルさんのような囲い込み系男子は無理だそうだ……
うん、そうだろうな、第一線で活躍するだろう彼女には、支えてくれるとか見守ってくれて、彼女を受け止めてくれる男性がいいと思う。
ラファイルさんは彼女を既に一プロとして認めていて、ロックやジャズを志す学生さんと同様に、私が産休に入る前には我が家で行うブラック・コンダクターのライブにも招待した。
こうして私たちの音楽バカ仲間がまた一人増えることとなったのだ。
…………
その後ラファイルさんが学校で課程を新設したり、子育てしながらバンド活動をやったり、プローシャお姉様がオストロフスキー本家を継ぐのにいろいろ巻き込まれたり、何かとバタバタして年月が過ぎた。
夫婦として年月を重ねていくうちに、ちょっとした喧嘩もないとは言わないが、ラファイルさんはずっと私を溺愛してくれているし、私もラファイルさんの一番のファンであり続けている。
というか多分、溺愛のせいでたまに拗れるんだと思う……
それはさておき(さておくなとラファイルさんが言ってる)、
基本的な生活は大きく変わることなく、私たちは日々練習をして、本番を迎えて、学校と王宮で仕事もして、過ごしている。
のちに一旦元の世界に戻ってしまうということがあって、その過程は以前述べた通りだが、世界が違ったってやっぱり私たちは音楽バカだった。
多分私たちは、このまま一生そうなのだ。
それって考えただけで楽しい。
いつだって、音楽バカは最高だ。
番外編、お付き合いいただき、ありがとうございました!
本編でほぼなかった、恋のライバル的存在を投入してみようと思ったのですが、ラファイルさんが相手にしなさすぎて何も引っ掛かりませんでした(笑)
マリーナ視点の話は一旦終了ですが、次回、蛇足とは承知しつつもイラリヤ嬢視点を同時に書いてみたら筆が乗ったので、おまけ投稿しようと思います。




