新婚旅行編 10
サロンには国王陛下ご夫妻、イラリヤ嬢も含む演奏するメンバー、陛下が個人的に招待している貴族の方々(多分お偉いさん)がいた。
この国のトップクラス演奏家とラファイルさんとの共演で数曲が披露され、中程でイラリヤ嬢が紹介を受けて演奏する。
ピアノのソロ曲である。
彼女の演奏は、やっぱり格が違う。
この国におけるラファイルさん的存在になるのでは、と思ったりしたが、ラファイルさんの目から見たらどうだろう。
余談だがこの場には、楽団の見習いとイラリヤ嬢の付き添いとして、ヴィタリー君が見学を許可されていた。
イラリヤ嬢の演奏を国王ご夫妻は褒め称え、ゲストの方々も口々に賞賛していた。
イラリヤ嬢は、国王ご夫妻にも国のお偉いさんたちにも、怖気付くことなくしっかり受け答えしている。
有力貴族の令嬢だから成せる技だろうか。やっぱりお貴族さまは住む世界が違うわ……
それと、音楽については絶対的な自信があって、堂々と一プロと言えそうな風格もあるからだろう。
16歳手前の少女になかなか持てる要素ではない。
彼女はやっぱり、選ばれたプロになっていくのだと思う。
ーーああ、だめだめ、雰囲気に飲まれちゃ。
私はただでさえ、こういう場での振る舞い方が身についていなくて気後れしてしまう。それでこんなすごい演奏を見せられては、また自分に足りないものを意識してしまって不安になる。
ラファイルさんだけ。ラファイルさんのことだけ考える。
もういいわ脳内だけだから、昨日までラファイルさんと××(自主規制)のを回想しよう。多分私は無表情でそういう回想ができる。
…………
…………
ラファイルさんとフロントの方たちの、室内楽で前半が終了した。
ここで陛下やゲストはお茶で一服してから、後半の演奏を聞く。
私たち演奏家もお茶菓子をご馳走になったのだが、ラファイルさんは私のところに戻ってくると、私を部屋の外へと連れ出した。
人気のない廊下の影に私を連れてきて、どうしたんだろうと思っていると。
「……思ったより、大丈夫そうだな?」
「何が?」
「……人が心配して来てみれば……」
ラファイルさんはちょっと脱力したように、壁に手をついてため息をついている。
「……いや、だからさ、あんた雰囲気に飲まれてねぇかなって……」
ああ。
その心配してくれたのか。
もう、そこまで気にかけてくれて、人の感情に疎いのが嘘みたいだ。
というか自分の演奏に関わるから、私が大丈夫かどうか気にはしているだろう、この人はそういう見方をする。
「ふふ、昨日までのあれやこれやの効き目がよくて」
ちょっと意地悪げなことを言ってみた。
見るとラファイルさんの方が、なんだか照れているような気がする……わーかわいい。
「……あんたも結構な神経してんな。
まぁ、それならよかった。ーーあんたもなんだかんだで、すげぇよ」
ラファイルさんは、廊下の左右をちらちらと見ると、私に顔を寄せた。
「念のため。もうちょっと俺を感じといて」
そこからちょっとの間、ラファイルさんは私にキスを何度も浴びせてきた。
もうほんとにどれだけあなたのものにしときたいんですか。
私を心配する体で、その実私を独占するためにやってる気がするよ。
心配しなくても、どこにも行きませんから。
ラファイルさんが唇を離した隙を捉えて、私はラファイルさんに囁いた。
「続きは、帰ってからにしましょう?ラーファシュカ」
「ん、でもあと一回」
甘えんぼめ、と思いながらも、私は夫を受け入れた。
***
後半はラファイルさんのソロピアノに始まり、その後も順調に進んだ。
最後の曲ーー私たちの一つ前ーーが終了して、国王陛下が今日の演奏会を賞賛してくださり、ゲストたちも次々に素晴らしさを褒め称える。
ここで、国王陛下から例の話がなされる。
「今日は、オストロフスキー卿が特別な曲を持ってきているそうだね。
ムズィカンスクでも新しい試みだと聴いているが、私も是非耳にしたいと思っている。
オストロフスキー卿、聴かせてもらえるかな?」
「謹んで、演奏させていただきます。
ピアノを私の妻、マリーナ・オストロフスカヤが務めます」
ラファイルさんの妻とは認識されているが、まさか演奏もするとは、というざわつきと雰囲気を感じた。
だよね。でも気にしない。ラファイルさんの音だけ聞いておく。
私はラファイルさんと共に一礼して、ピアノの前に座った。
ラファイルさんがチェロを準備するのを見守る。
ラファイルさんが私を振り返って、音の入りのタイミングを測る。
夫のわずかな笑みを捉えて、私は音を入れた。
何度も弾いているうちに、ラファイルさんが、この弾き方がいいと言ってくれたところがいくつかあった。
私がラファイルさんの演奏で感じるように、ラファイルさんも私の演奏の中に好きなところを見つけてくれていた。
ここぞというところにその手癖を入れると、ラファイルさんの何かのツボにはまるらしい。
ラファイルさんみたいな超絶プロから、好きと言ってもらえる部分があるなんて、その嬉しさは筆舌に尽くし難い。
頑張らなきゃと躍起になってしまって注意されたことも何度もあるが、そういう過程があって今に至ると思えば、苦しくても頑張ってよかったと改めて思う。
私の演奏は、タッチからしてクラシックのそれとは違うし、アクセントの付け方は言わずもがな。クラシックしか知らない人からは変に思われるだろう。
でも大丈夫。ラファイルさんが大丈夫って言ったから。
ラファイルさんとの××の回想とさっきのキスのおかげで、ラファイルさんの音がしっかり乗ってくるのを感じて、入れる音を選ぶ。
二人でのハモリもいいように決まった。
この高速フレーズを何でもないかのようにチェロでこなすラファイルさんは、何度聴いても本当にすごい。
ラファイルさんに寄り添うように、私の音を探す。
たまに、そこ?っていう音に飛んでいくことがあるが、それにももう慣れたし、
その音についていく時もあればあえてスルーするときもある。
ラファイルさんはどっちでもいいらしい。
私の音を信頼してくれているのだ。
そしてそういう音のやりとりは、一種会話のようでもあって。
アドリブだからこそできる醍醐味だ。
このところ、私のアドリブにラファイルさんが音を重ねてくるようになった。
この人は私の出しそうなフレーズをかなり把握している。私の引き出しが少ないから仕方ないけど。
私はわざと逃げようとしてみたりするが、これが読まれているかのように離れてくれなかったりする、どこまでついてくるんですか。たまには一人で弾かせてー。
練習中は、私のフレーズから離れていかないラファイルさんにイラッとしながら弾いていたこともあるが、その夜は、何で離れるの?と迫られました……
いいじゃんたまには一人になっても。
凡人の私はあなたの神フレーズにはついていけないんだよ。
最近はなんかそういう惚気みたいなというか惚気そのものの会話を繰り返していた。
今はそういうのも踏まえて、音を重ねられたり、いきなり音を切ってみたり、やり取りを楽しむ。
弾きながら、思わず笑みがこぼれていたが、ラファイルさんはどうだろう。
最後にはラファイルさんが少しだけ振り返って、合図で音を入れ、私はハープのように下から上へと音を奏で、ラファイルさんは繊細な一音を重ねる。
私たちの音が消えると、中央にいらっしゃる国王陛下が一番に拍手をくださり、それが徐々に周りの人たちに広がっていく。
「素晴らしい、オストロフスキー卿、オストロフスカヤ夫人。今まで聴いたことのない音使いだが、とても心打たれる一曲だった。
本当に新しい境地に至っているのだな、オストロフスキー卿」
「お褒めに預かり、恐悦至極にございます、陛下。
ですが私にこの音楽を教えてくれたのは、異邦人である我が妻にございます」
ひゃ!
ラファイルさん思いっきり私のこと陛下に、国の要人にお知らせしてる!
「ほう、さすがオストロフスカヤ夫人となられただけのことはあるのだな、ムズィカンスクきっての先鋭音楽家も知らぬものを持っていたとは!是非来年はオストロフスキー卿と共に学生に教えてもらいたいものだ」
うわぁぁいくらお世辞とはいってもなんだか凄いこと言われてる!
ちょっどうしよう!
ラファイルさんに助けを求めたかったがそんな余地もなさそう。
「み、身に余る光栄でございます、ですがわたくしの知る音楽も、元いた世界の素晴らしい音楽家たちが作り上げたのを好きで真似しただけのことで、本当にすごいのは幾多の音楽家そして、わたくしの伝えた音楽を素晴らしいものに仕上げた夫でございます。
夫が国王陛下並びに王侯陛下、要人の皆様の御前でこのように演奏する機会をいただけましたこと、心より御礼申し上げます」
夢中で喋って頭を下げ、やばい勝手に喋りすぎたかと変な汗をかいていた。
でも私自身がすごいと思われてはいけない。私は本当にただ、取り入れてきたものを伝えただけ。もともと一介のアマチュアミュージシャンだったんだから。
「夫人は随分と控えめなことだ。しかし、そなたの世界の音楽はそなたしか知らぬもの、そなた自身の音楽として世に広めることもできたろうに、そうしなかったのは大変立派な心がけであるな。それに己よりも夫の活躍を喜ぶ、か。稀にみる、聖母に準ずると言っても過言ではあるまい」
え、え。ちょっと。
何ですか聖母って……
「オストロフスカヤ夫人、王女ーー私の孫娘の教育係というのはどうかね。欲のなく、己を過大に見せず、先人を敬うことのできる優れた女性というのは決して多くはない。そなたならば適任であろう、のう、王妃よ?」
「よきお考えです、陛下」
ひぇぇぇ。待ってくださいお願いだから……
何でそうなるのー。
根っからの平民が王族の側につけるわけないでしょーが!無茶振りもいいとこだわ!
てか私はさっきそこの席でラファイルさんとの××を回想してた痴女なんですっ!
ほんとに控えめだとか遠慮したわけじゃなく!
断りたい。断りたいけど、どうすればいいの!!??
「ーー恐れながら陛下。私の妻にとっては余りにも光栄の過ぎるお話で。
私を賞賛してくださるのなら、それは妻なしには成し得ないことでありますから、どうか私の手元に離さずにおくことをお許しください。
我々の音楽が陛下のお気に召しましたならば、来年また夫婦共に音楽を献上いたします。
どうか私に免じて、妻をこれで下がらせますこと、お許しを」
ラファイルさんが、私の前に立ってくれた。
もうそれだけで、安心して膝が震えてきている。
あまりにも突拍子もないことを言われて、私の心臓はかなり限界に近かったのだ。
「はは、よいよい、突然無茶を言ったな。だがそれほどオストロフスカヤ夫人を評価していることは、知っておいてくれたまえ。実をいうとオストロフスキー卿、君もこちらにいてくれると嬉しいのだが、ムズィカンスクでの仕事を急に放り出すわけにもいくまい。
だがいずれは、考えてみてほしい。我が国であれば遠からず、金髪でなくても王立劇場での演奏もできるように準備することを、検討しよう」
「ありがたきお言葉、しかと承ってございます」
「では、これにて、本日の会はお開きとしよう。最後に素晴らしいものを聞けて、満足である。
王立音楽隊の諸君、学生諸君も、本日はご苦労であった。
今後も世のため人のために、力を発揮してくれたまえ」
国王陛下ご夫妻が、ようやく退出してくれ、私はもう全身から力が抜けそうだった。
「マルーシャ。大丈夫か」
ラファイルさんがすぐさま私の手を取り、肩を抱く。
安堵のあまり、思わず込み上げるものがあり、私は顔を覆った。
「ごめん、マルーシャ……無理をさせた」
ラファイルさんが私の肩を引き寄せ、私は夫の肩に顔を埋めた。
まだ残っている要人の方たちや演奏家のみなさんからざわめきが聞こえるが、それどころではない、安堵と一緒に夫の心強さと優しさを感じて、私は嗚咽を止められなかった、必死で抑えようとはしたけれど。
ラファイルさんが謝ることなんてないのに、それも伝えられない。
「マルーシャ、一旦控え室に行く。歩けるか?」
「……ぅ、はい……」
頭の中が混乱してぐらぐらしている気がするが、ラファイルさんにしっかりつかまって、肩を抱かれながら足元もおぼつかなく部屋を出る。
廊下の突き当たりの一室に入るなり、私はソファーに倒れ込んだ。




