新婚旅行編 9
「今回の選抜者はーーイラリヤ・プロトニコヴァ」
ラファイルさんが発表する。
わあ、とホールが歓声に包まれ、続いて拍手が起こった。
やっぱりと思ったが、イラリヤ嬢が今回の国王陛下のサロンで演奏する学生枠に抜擢された。
それもそうだと十分納得できる発表だったし。
ほんと、この人の後に演奏する私ってヤバいでしょ……ラファイルさんハードルどんどん上げるんだから……
ラファイルさんは、イラリヤ嬢の演奏の講評を述べて、続いて印象に残った他の学生さんたちの講評もしていった。
イラリヤ嬢はもちろん、嬉しそうだ。隣の学生さんと始終喜び合っている。
さて、これで今年の夏季講義は終了だ。
あとは数日後の、陛下のサロンに向けて私も詰めないと。
ラファイルさんが最後の挨拶をして、講義は夕方が来る前に終了、私たちは教員室に引き上げた。
クルィシャエフ教授からも挨拶を受けて、ついでに教授がつかんだ情報も教えてもらった。
私に絡んできた女性二人は、在学生ではないが義務教育の方の卒業生で、イラリヤ嬢の姉の友人だった。
姉に頼まれて嫌がらせをしてきたという、もう何の意味があるのか分からない。
講義に出入りして、私が一人になる機会を窺っていたというからどれだけ暇なんだ。
大人数の講義なんて部外者が紛れてもわからないものだが、来年以降ラファイルさんの講義においては入室者のチェックはした方がよさそうですなぁ、と教授は言った。
イラリヤ嬢自身はそういったことは何も知らず、姉の行動を教授にも詫びたとのこと。
確かに姉や親が婚約をというから、憧れている先生だしちょっと舞い上がって話を合わせてしまったことは否定しないが、ラファイルさんの意向は確認できていなかったことも分かっているし、本気で結婚するつもりにはなっていなかった、という。
私の存在をきいてショックは受けたが、そして仲のいいヴィタリー君にもショックだとかこぼしてしまったが、それは憧れの騎士団長とか(私の世界でいう好きなアイドルみたいな立ち位置の人物)が結婚したのと同じ感覚であって、それ以上のことではない、とのことだ。
まぁね……そういうことなら私も分かる。
16歳前後のときなんて憧れのアーティストにキャーキャーいって、彼女の存在とか報道されたらそれはもう盛大な失恋気分だったよ。
イラリヤ嬢はその憧れの対象と接点があるだけに、余計そうかもしれない。
また彼女は、姉は以前からしゃしゃり出て余計なことをしてしまうことがあり、困っているとのことだった。
憧れの先生に迷惑をかけてしまったと、結構気にしていた様子だったようだ。
それでもそんなことを感じさせない彼女の演奏は、本当にすごかったな、と思う。
技術は十分にあるけれど、その芯の強さが、もうプロのものだと感じる。
ラファイルさんにそっと聞いたら、
「陛下の御前にふさわしい技術と演奏態度があるから」
とだけ言っていたが、多分心の持ちようのことも含んでいる。
イラリヤは心配いらないだろ、と軽く流していて、そこのところは信用できるというラファイルさんのお墨付きだ。
本当に、将来有望な素晴らしい演奏家だと思う。
私はクルィシャエフ教授に、イラリヤ嬢に非はないので気にしないように伝えてほしい、とお願いしておいた。
***
さてここからは私たちの詰め作業。
一日屋敷で、二人であるいは一人ずつ、練習を重ねていく。
といってもラファイルさんは『マルーセニカ』に集中せずとも余裕だから、他のプロと合わせる練習をひと通りして、あとはいつも通りに自分のしたい練習をしている。
私は『マルーセニカ』の、音が決まっているところの集中特訓で、ラファイルさんからも指導を受けながら完成させていく。
下町のデビュー戦と我が家でのお披露目会で成功はさせているから、そこまで神経質にならなくてもいいのかもしれないが、やってもやっても完成度に不安があって、やり込んでいるとラファイルさんからついにストップがかかった。
どうも私はプロとしての自信に欠けていて、ラファイルさんから大丈夫だと言われないとすぐ自信をなくす。
「あんたはすぐ俺以外から影響を受けるんだな。俺のことだけ考えて」
イラリヤ嬢の凄さに影響されてるから、全て忘れろと言う。
そうだね……ラファイルさんの音だけ聞いておけばいいんだけど、つい。
俺のことしか考えられなくなるまで離さないと言われて、じっくりと愛されました……
音楽をなによりも優先するラファイルさんが、世間一般でいう良き夫になるとはそんなに期待していなかったが、こんなにも私に固執するなんて、とこちらに来てから少々驚いている。
あ、新婚だからか。
でもこの人のことだから、落ち着いてくれば、私を放って延々と練習する日々に戻るだろう。
本来そうだったのだし、私がとやかく言うことではない、抱き枕でも十分幸せだ。
ただ初めて知った肌を合わせる感覚も、私はとても好きで。
結婚前まで我慢していたのが解放されたからだろうか。
年月がたっても、イチャイチャできる夫婦でありたいなと密かに思っている。
「ーーマルーセニカ。好き、愛してる」
余裕のない態度でそんなことを言ってくるラファイルさんが、愛しくてかわいくてしょうがない。
こんな甘々は新婚期間だけかもしれないから、なら私も溺れてしまおう。
私は思考を放棄して、ただラファイルさんだけを感じることにした。
…………
…………
陛下のサロン開催までの間、ラファイルさんは私を連れて、こちらの王立音楽隊の拠点へリハーサルをしに行った。
共演する数人のみなさんと挨拶を交わし、早速リハーサルに取り掛かる。
そして私はそれを見ていて、やっぱりプロたちを前にして頑張らなきゃと思ってしまう。
帰ってからまたラファイルさんにそれを指摘されて、また他の演奏家の音を忘れるまでといってねちっこく愛される羽目になったのだった……
私は屋敷に置いておけばと言ってもみたのだが、
「いきなり本番で他のやつの音を聴いて自信なくされたら困る。上手いのを聴いても気にしないか、開き直れるように慣れておいたほうがいい」
とのこと。
うん、それはそうなんですけどね。
その理由に十分納得はいくが、何となく、確証はないが何となく、
この人は私に外界を見せてからの、閉じ込めて自分色に染めていく過程を楽しんでいるのでは??
……なんて考えが頭をよぎった。
自惚れかなぁ。自惚れだよね。……だよね?
試しに、女性の演奏家さんの演奏がとても素敵でした、と言ってみたところ、
ええ、また執拗に愛されました……
「俺の音と彼女の音どっちが好き?」
なんて事実上一択の質問をされたり。
なんだこれは。あなたは音で嫉妬する人ですか。
なんだかムキになっているようにも見えるラファイルさんに、私は向き合って伝えた、
「ラーファシュカ、あのね。
あなたの音が一番に決まってるでしょ。
私を誰だと思ってるの、あなたの一番のファンだよ?
凄い演奏家はいくらでもいるけど、好きなのはあなたの音。
あなたの音じゃなきゃ満足できないから。
大体あなたの演奏も世界一だと思ってるのに、他の人の音が入り込む隙があると思ってんの」
凄い演奏家は本当に、いくらでもいる。プロなら誰でもすごいと思う。
だが心惹かれるかというのはまた別で、もちろんいろんな人の演奏をいいなと思うことはあっても、ああこの音!とはまって感じるのはやっぱりラファイルさんの音だ。
ラファイルさんが私のだけが知る音楽に強烈に興味を引かれたのと同じように、私もラファイルさんの演奏に強く惹かれたのだ。
「マルーセニカ」
私をまた抱きしめて、すりすりしてくる夫がほんとにかわいい。
「練習しよう?マルーセニカ」
「今からぁ?夜中の2時だけど!」
「まだ2時だ」
「……しょうがないなぁ……」
ラファイルさんに言われると、つい付き合ってしまう。
明日(既に今日)の朝、またソファーで寝落ちして使用人さんに発見されるのだろう。
だがそれが楽しくもある。
服を着て広間に降りた私たちは、楽器を手にして音を重ね合わせる。
肌を合わせた後の音の重なりは、なんとも心地がよくて好きだ。
ラファイルさんが黙々と演奏し続けるということは、自分の音を私の伴奏に委ねているということだ。
ファンとして仕事仲間として妻として、この上なく嬉しい時間である。
「あれ、そういえば、私たちが最初に演奏すれば、ラーファも私の心配しなくていいじゃん。
アンコール扱いなんだろうけど、最後がクラシックじゃなくていいの?」
「いや、俺たちは、最後だ。
みんな驚くだろうからな」
「驚くだろうけど、それ大丈夫?」
「問題ない」
「わかりました」
もうこの人の大丈夫は現実の大丈夫と思わないといけない。
デビュー前もそう悟ったっけ。
明日(今日)は朝からの予定はないから、私たちは気がすむまで合わせて、なんと使用人さんが出勤してくる時間までやってしまった。
だが、オールとか夜中までとかして昼まで寝るというのは、貴族の生活習慣としてはちょくちょくあることらしい。夜会で朝帰りする人も少なくないんだって。
朝方の涼しい風と、白い朝日の光がいっぱいに差し込むベッドで抱き合って、私たちはあっという間に眠りに落ちた。
好きなだけ好きな音楽をやり切って朝から寝落ち、最高に幸せだ。
いろいろあったけど、いい新婚旅行だ。
こうして数日間で完全にラファイルさん仕様になった私は、いよいよ国王陛下のサロンに赴く日を迎えた。
マリーナとラファイルさんは夜型人間。




