新婚旅行編 6
……やばい。昨日の夜のが祟ったわ……
一瞬意識を飛ばしかけた私は、ちょっとだけとホールを出た。
居眠りなんて見られたらとんでもない。
座ってたらだめだわ。
ラファイルさんは指導の真っ只中、今日は室内楽の講義で、現在午後の実技の授業である。
昨日の個別レッスンを受けた学生さんの他、個別レッスンには選ばれなかったが室内楽では講義を受けられるという学生さんもいて、昨日よりやや人も多い。
イラリヤ嬢は朝から出席していたが、ヴィタリー君は見当たらなかった。
少しロビーをうろうろして、眠気が去ったかなと思ってホールに戻ろうとしたときだ。
二人の女性がロビーにやってきて、学生さんが来たのかな、と思ったのだが。
「ねえ、あなた」
……私ですか?なんかデジャブを感じるんだけど。
「オストロフスキー教授の奥さんってどういうこと?」
……はい?
「あなた、イラリヤから教授を取ったわね」
「プロトニコフ家が教授を迎えることになってたのよ、それをあなたみたいな異邦人が横取りだなんて!恥を知りなさいよ!」
えっとなんでそういう話になってるんですか。
誰ですか一体?
これはさすがに信憑性がなさすぎて、舌戦が苦手な私でもすぐ言うことが思いついた、
「そういったお話は、先生からお聞きしたことはありませんが?
先生がイラリヤさんを望まれたのであれば、最初から私をお側に置いてなどいませんよ」
そして一度でもあのラファイルさんのお兄様に言い返した私は、多分ここにくる前よりは言い返せるくらいにはなったようだ。
貴族令嬢に絡まれた平民だったときと違い、今は正式に、オストロフスカヤ夫人であり貴族の身分なのだし。
「話がまとまりかけてたのをあなたが壊したんでしょう?イラリヤの方が先なのよ!
彼女がどれだけ傷ついたのか、知ってるの?ほんとに図々しい女」
だから知らんちゅうに。
「イラリヤの方が美しいし才能もあるし、誰が見てもお似合いなのに、何なのよあなたは、不細工だし貧相だし音楽なんて知らないでしょ、どうやって取り入ったのよ!」
音楽で取り入ったとは言えるかもねぇ。
うわぁ不細工って言われたわ……
んで一応プロなんだ私……
しかし相手をするのが面倒だ。
ラファイルさんが私を必要としているのを昨晩じっくり感じさせられたばかりなので……
あー、脳内だけど思わず惚気ちゃった。
この人たちがキャンキャン吠える犬のようにしか思えない。
「あなた方はこちらの学生さんでいらっしゃいますか?
こんなところでおしゃべりするなら、違うんでしょうね。
騒ぐ方は先生のご迷惑になりますから、退館なさってください」
私は助手ですから。
ラファイルさんの気に触るようなことは排除しないとね。
「なっ、何ですって、いい気になって!」
一人の女性が、平手打ちでもしようとしているのか、手を振り上げてきた。
お生憎、私は先生のお姉様から剣と体術を教わっているのですよ。
彼女の振り下ろした手を、腕で阻止して払いのけた。
「きゃっ!な、なに、この人……」
「も、もう行きましょ……」
軽く構えたら怖がられた。
やっぱり普通の貴族のお嬢様なんて、怖がるよね、口達者ではあっても。
「あっ、あなたなんか、どうせ可愛くないし乱暴だから、教授に愛想つかされるんだからっ!」
「そうよそうよ!プロトニコフ家を舐めてると痛い目にあうんですからね」
彼女たちは、捨て台詞を吐いて小走りで去っていった。
なんなの、もう、気分わる。
先に手を出したのはそっちでしょうよ。
ていうかほんと、誰。
ため息をついて、ホールに戻って席についた。
ラファイルさんは変わりなく指導中だったのを見て、ほっとする。
講義を見守り始めたのも束の間、誰かに肩を叩かれた。
振り返ると、イケメンのヴィタリー君ではないか。
「ちょっと、話しない?」
「あの、講義中ですし、私は仕事中ですので、致しかねます」
「いいから」
「お話なら講義後、先生と共に伺います、私に学生さんと話す権限はありませんので」
「……君さ教授の奥さんって冗談だろ?」
「冗談じゃありません」
「嘘だろ信じらんねぇ」
あ、今日は私がラファイルさんの妻と知った上での話ですね。
でもそれよりも。
「先生のお話中ですから、私語は慎んでください」
と言ってやった。
ラファイルさんのためだったら、自分のことよりも言い返せるみたい。
「ウッソだろ絶対教授のタイプじゃねぇ」
ヴィタリー君がそんなことを呟いていたが。
何なのみんなして私を引き摺り下ろしたいんですか。
ラファイルさんのタイプって、あなた知らないでしょうが。
しかし人前に来る度に、ラファイルさんには私じゃなくイラリヤ嬢がふさわしい、みたいな話を聞くと、ゲンナリしてくる。
まぁいいんだよ、私は別に嫌われたって。
仕事なんだし、私は私の責務を果たすだけ。
ラファイルさんが快適であればそれでいい。
講義が終わっても、昨日と同様にまたラファイルさんは学生さんに囲まれて質問を受けていた。
「なぁ」
ヴィタリー君がまた話しかけてきた。何ですか馴れ馴れしい。
「君どうやって教授引っ掛けたの?」
「先生に直接聞かれたらどうです?大体引っ掛けるだなんて、先生がつまらない女に引っ掛かったって仰りたいんですか?先生に失礼とは思われないんですかね」
「あの教授だぜ?絶対イラリヤレベルじゃないと興味ねぇだろ。
何、君イラリヤよりできんの?」
「ですから先生にお聞きください、私はお答えすることは許されていませんから」
許されてないというのはちょっと大袈裟だけどね。
でも、私は今でも、仕事の話は全てラファイルさんを通しているし、不必要に他人と関わることのないようにしている、ラファイルさんがそうしてと言うから。
しかしこんな風に絡まれ続けるのは面倒だ。
私はもうラファイルさんのところへスタンバイしようと思って、ヴィタリー君を残して席を立った。
何だって変に絡んでくる人を相手しなくちゃいけないんだ。
言い争いはしんどい。こういう場は逃げるに限る。
「いやマジさぁ納得いかねぇんだけど、イラリヤ可哀想じゃん、教授に憧れて頑張ってきたのに。
音楽分かんない人が教授の妻やったって、教授の時間無駄にするだけだ。
それかイラリヤと張り合えるってんならさ正々堂々勝負しなよ」
意味が分からなすぎて、思わず振り返ってヴィタリー君を睨みつけてしまった。
周囲の人もざわざわしてきている。
何だろうこっちの国は、ラファイルさんの妻だから敵対されてるの?
うちの国では楽団のみなさんも学校のみなさんも、ラファイルさんの雰囲気が柔らかくなってすごく仕事がしやすくなったって言ってくれるのに。
ほんとにイラリヤ嬢をここまで押し出してくるって何なんだろう。
イラリヤ嬢の意思があるから?
それとも彼女は関係なく、周りが言ってるだけ?
「……仮にイラリヤさんがそういう思いをお持ちなら、そんなに所構わず自分の気持ちを喋られたら嫌だと思いますけど」
「だってあんた卑怯だよ、知らないとこで教授に近づいてーー」
そのとき後ろから肩を抱かれて、一瞬ビクッとした。
「ーージェルガーチェフ君。俺の妻に何か用か?」
ラファイルさん。
安心して、ラファイルさんのシャツをそっと掴んでしまった。
「いや……」
戸惑うヴィタリー君を尻目に、ラファイルさんは私にしっかり目線を合わせる。
「マルーシャ。よその男と話していいと言った覚えはないが?」
「えっと……?」
あれ?
ラファイルさんの言葉がちょっと何か、な気がするんですけど……
「ちゃんと俺だけ見てろと言ったろ?
もう少しで終わるから、俺の後ろで待っててくれ」
「……はい」
そんな言い方してたっけ……?
心なしか、学生さんたちが引いてるような……
***
屋敷に帰ってみれば何のことはない、ラファイルさんはつまり、
「マルーセニカがほかの男と話すのは嫌だ」
「ほかの男に目を向けるな。ちゃんと俺を見といてくれないと」
と言うところ、学生さんたちの手前ああいう言い方になったのだった。
「威厳を保つのも大変だね……」
ついそんなことを言ってしまったが、ラファイルさんは反論もせず、私に顔を埋めてすりすりしてくる。
うわーもう、かわいいんだけど!
「でもほんとになんでジェルガーチェフがあんたに話しかけてたんだよ?」
「あー、なんか……イラリヤさん絡みっぽい……」
言うつもりはもともとなかったのだが、その前に女性二人に絡まれたことも伝えておいた。
「私、イラリヤさんからラーファを取ったって思われてるみたいよ。
ラファイルさんの妻っていうのが気に入らない人、結構いるみたいね」
「何でだよ、じゃあ明日俺が表明してーー」
「うーん、ラーファが言っても余計私に反感持つだけな気がする。
ラーファを誑かしたとかきっと言われるんだよ。
でもラーファのことみんなわかってないから、仕方ないんじゃない?
教授は寝る時抱き枕がいる、とか誰も想像だにしてないよ」
「大体どっからそんな話が広まってんだよ?俺がまず何にも知らねーんだけど」
「分かんない。でも、イラリヤさんも嫌じゃないかな?好きな人を取られたみたいな言い方されたら」
「……とりあえずはクルィシャエフ教授に相談だな。何か社交界絡んでそうだ……
去年は全くこんなややこしい話なかったんだけどな」
「顔覚えてないほどですもんね」
…………
…………
私たちは夕食後、先に風呂を済ませて楽な格好になった。
そして一緒に練習をしていたのだが。
今日は、私からラファイルさんにくっついていった。
ラファイルさんは、嬉しそうに応えてくれた。
「……あんたが嫌な思いするのは、嫌だ」
「それは、別に」
「今後も続くようなら、来年からは講義開催を再検討する。あんたを連れてきたくない」
「それは大丈夫だけど。
……でも私も、ラーファが別の人とあれこれ言われるのは、やだな」
「俺だって嫌だ。
だから補充したい」
「うん、私も」
そこから昨晩と同様のイチャイチャが発生し、しっかり互いを確かめ合った私たちはまた広間で練習を続け、さらにまた朝、ソファーで一緒に眠っていたのを発見された。
結局のところ、日に日にラファイルさんとの結びつきが心身ともに強くなっていっているようだから、悪口もある意味ありがとう、である。
こんな風に思えるようになった私は、多少性格悪くなっただろうか。
いや、図太くなっているのか。
でも性格悪くて結構、ラファイルさんにとってよければそれでいいから。
マリーナは言い返してやり込めるタイプではありません。。
スカッとはしないですが、だから何?くらいに聞き流しているので、ムキになって言い返すほどのことでもないというのがマリーナの感覚。本人はそんなに気にしてないけどラファイルさんの方が怒ってます。




