08 意外な申し出
数日後、ニュスライン伯爵家は大騒ぎになっていた。
突然ロナルド・シュルト公爵その人が、屋敷を訪れたいと言って来たのだ。
ニュスライン家は名家と名乗れる歴史を持つ家だ。
歴史だけで言えば、シュルト公爵家は極めて最近、非公式には約二十年前に。公式にはたった二年ほど前に出来た家だ。
それでも軽んじれる訳がない。
シュルト公爵夫人は現国王の第二王子の長女、ジャスミン王女その人だ。そしてその配偶者として名家ウィマーから婿入りしたシュルト公爵は継承権こそ持たないが王族の親族という立場にある。
ニュスライン家からすれば、殿上人であった。
「突然訪れてしまい、全く失礼だとは思う。公務が忙しく、その合間をぬった結果こうなってしまったのだ。どうか許して欲しい」
そういって、シュルト公爵は謝罪と共に様々な品をニュスライン家に持ちこんだ。
公爵本人とそれらの品を運ぶ馬車は流石王族の夫となった人物の乗るものであると称えられそうなほど豪華な馬車だった。これは後日絶対に噂になるなと思いながら、ニュスライン家は彼を歓待した。
最初に対応をしたのは父ローデリヒだ。流石の父も緊張を隠せない顔でシュルト公爵を受け入れている。
ガブリエラとブリギッテも呼ばれ、ローデリヒからシュルト公爵に紹介された。その時にシュルト公爵がブリギッテを見てほう、と呟いていたのがブリギッテは気になった。
ガブリエラは残ったもののブリギッテは父から退出して良いと言われ、大人しく退出する。突然だったのでちゃんとしていないドレスを着ていた。普段着のものだ。アンにせかされながら自室に移動して、しっかりとしたドレスに着替える。
侍女たちに着替えさせられながら、ブリギッテの思考は公爵に飛んでいた。
シュルト公爵は先日お会いしたラリッサ王女の義理の兄にあたる人物だ。そして二年前、妖怪に操られてジャスミン王女に婚約を破棄して欲しいなどと突然言い出した人物でもある。
そんな事件はあったものの、シュルト公爵夫妻の仲は極めて良好であるという事は南部の貴族の耳にはよく届いていた。婚約を破棄しようとしたのは妖怪に操られながらも妻を助けようとした苦肉の策であり、むしろあれほど強烈な洗脳を受けながら抗ったその精神力は素晴らしいと王女の父である第二王子から絶賛されたのだ。現在では南部領主を務める第二王子の側近として働いている人物でもある。
着替え終わった所でブリギッテがアンを連れて部屋を出ると、固い顔をしたゲラルトと青ざめたエリッヒが出てきた。
「どうかしたの」
「実はお嬢様。今回の突然の公爵の来訪、エリッヒのせいかもしれんのです」
「なんですって?」
ブリギッテが視線でエリッヒに話せと促すと、エリッヒは先日、アデャータ紳士院でジャックに決闘を申し込まれた事、木製の剣で模擬戦をした事、その後にシュルト公爵の護衛だという騎士に一戦望まれて戦い、負けた事を告げた。
「そ、その戦いはシュルト公爵も見に来ておられました。公爵ご本人がどうしてアデャータ紳士院に来られていたのかも何もかも謎ですが、僕と護衛騎士のヴェンツェル・レデラー様との戦いを見届けた後すぐに帰られてしまいました」
「エリッヒ、本当に何か失礼な事をしたのではないだろうな」
ゲラルトが咎めるように言えば、エリッヒは震えながら答える。
「も、勿論ですお師匠様……! 僕は公爵様にはお近づきにもなっていませんし、お話もしていません!」
確かに突然の来訪の原因はその、エリッヒの戦いぶりを見ていたという行動にあるかもしれない。だがブリギッテにすればもう一つの可能性もあった。
先日、ブリギッテとアンとエリッヒはラリッサ王女殿下の元を訪れた。その時にブリギッテに調査の報告をしてくれたのは第二王子殿下の侍従だという狐の妖怪だ。第二王子殿下の侍従であれば、第二王子の側近として働いているシュルト公爵本人も関わりがあるだろう。
確かあの時も、あの妖狐はエリッヒを褒めていた。人間にしては、という気にかかる言い方ではあったが、妖怪という人知を超えた存在からすれば平均値の考え方も人間とだいぶ違うのだろう。そんな妖怪が、褒めたのだ。エリッヒの事を。エリッヒの、身体能力を。
それを、あの妖狐の侍従からシュルト公爵が聞いたとしたら、どうだろうか。
シュルト公爵はまだ若い。確かまだ二十代。
公爵で王族の夫とはいえ、いやだからこそ、敵対する貴族は多いだろう。
更に妻であるジャスミン王女は妖怪の力は継いでいないらしいが、流石に王族であるので普段から妖怪の護衛が付いているという。それと比べればただの人間でしかない彼は殺しやすい。第二王子の下にいる部下の中ではもっとも価値が高く、狙いやすい恰好のターゲットだ。
自分の身を守るためにも、強い人間は欲しい筈。だが同時に、同年代ばかりの人間ばかりをそろえる訳にはいかない。人間はいつか老いて行く。将来を見越して若い人材も自分の周りに連れて来なければならないだろう。
その、都合の良い人材としてエリッヒが目を付けられたとしたら?
(――流石に考えすぎかしら)
エリッヒは確かにひいき目に見ても腕の立つ剣士だ。だが、もっと目の肥えた公爵の立場から見ても欲しいといえる人材なのだろうか。
そう思った所で、侍女頭がブリギッテを呼びに来た。
「シュルト公爵様が、お嬢様にお会いしたいそうです。大事な話なので侍女は連れて構いませんが、お嬢様とだけお会いしたい、と」
「分かったわ」
躊躇いなくブリギッテは答えた。
相手はシュルト公爵。このブリーカ王国、南部貴族社会においてトップに近しい存在。
その存在と、今からたった一人で向き合えと言われているというのに、ブリギッテは極めていつも通りだった。
「お待たせいたしました。ニュスライン伯ローデリヒが娘、ブリギッテ・ニュスラインと申します」
シュルト公爵の待つ部屋に入室し、カーテーシーを完璧に済ませた若い淑女は、両親がどこか心配そうに視線を向けるのに微笑んで返事をして、殿上人と向き合った。
いつか、ラリッサ王女を訪ねた時を思い出す。
その時と違うのは目の前にいるのが同い年の同性ではなく、年上の異性であるという点。そして、ブリギッテの背後にはアンと別の侍女がいるという点だった。エリッヒは置いてきた。エリッヒを連れて来いという注文は無かったのだから、連れて行かなくてもいいだろうとブリギッテは判断したのだ。
「はじめまして、だね。私はロナルド・シュルト。ジャスミン王女の夫だ」
一方、ブリギッテとロナルドが向かい合った頃、部屋の外では中に連れて行ってもらえなかったエリッヒがオロオロとしていた。シュルト公爵一行の前でドジをしたりしないようにと剣を下げられていたので転んだりはしていないが、明らかに狼狽える様にゲラルトはエリッヒを扉の前から引き剥がして連れて行った。庭あたりにでも連れて行こうと思ったのだ。
「あ……?」
ゲラルトは途中で立ち止まった。
ニュスライン邸の廊下に、一人の騎士が立っている。見知らぬ男だ。
けれど敵対行動はとらない。その騎士の着ている服に公爵家の紋が書かれているからだ。
ニコリと微笑んだ男――ヴェンツェルにエリッヒは「あっ」と目を丸くする。
「知り合いか」
「あの、その、この前お手合わせをした例の騎士さんです」
ヴェンツェルは進み出て来るとゲラルトとエリッヒを庭に誘った。彼のしたい事をゲラルトは大体察し、面倒な事態を引き起こした弟子の頭を軽く突きながら庭へと歩いて行った。
そしてエリッヒ、ゲラルト、ヴェンツェルの三人が扉から離れた直後、ニュスライン邸の客間ではロベルトが本題を切り出した。
「エリッヒ・フンガー殿をもらい受けられないかな」
「……」
「暁月殿が――君も会ったから知っているだろうが、私の義父ラファエル殿下の従者である妖狐が、君の護衛を随分筋が良いと褒めていてね。気になって、先日アデャータ紳士院に様子を見に行かせてもらった。私の護衛とも軽く打ち合ってもらったのだが、確かにまだまだ甘い所は見られるが悪くない。どうせ継ぐものが何もない立場ならば、是非こちらで引き取って育てたい」
ブリギッテは静かに目を閉じて、僅かに俯いた。
まさか考えすぎだと自分で思った所が、当たるとは思わなかった。というか当たり過ぎていて、若干十六歳の若者が容易く現実を当ててしまった事の方が恐ろしい。
それにしても、こんな事になるのならばアーテム城にエリッヒを連れて行くのではなかった。別にアンだけでも十分だったのにつれて行ったのは、道中の護衛役が必要だったからだ。ゲラルトにしておけば、ゲラルトはもういい年齢であるし新しく引き抜くほどの存在とも見られなかっただろうに。
そんな風に考えている主人の背後で、アンはロナルドの言葉に硬直していた。
公爵当主と伯爵令嬢。
どうあがいても立場はロナルドの方が上だ。
下手に断れば、不敬だと言われかねない。
(お嬢様……!)
アンは緊張しながら、主人たる少女の背中を見つめた。
そんな視線を受けながら、少女はどうするかを決めると、顔を上げてロナルドを見つめ返した。