04 ニュスライン伯爵家の家族会議
ニュスライン伯爵ローデリヒとガブリエラ夫人は普段から、ブリーカ王国南部の領地で暮らしている。
エリッヒが転がり帰って来たその日、二人は旧友のサロンに招かれており、屋敷にはいなかった。よって二人は家に帰ってきた後に夕食の席で、娘から事の次第を聞くに至った。
ちなみにエリッヒの師であるゲラルトは二人に付き添っていたため、帰って来た段階で弟子から話を聞いていたらしい。その場にはいたけれど、話が始まった時点で苦い顔をしていた。
――ちなみに、ブリギッテとアンは情報を持ち帰って来た事に免じて、エリッヒが屋敷に大騒ぎで帰って居た事もまた転んだりした事もゲラルトには言わないでやった。
最初は不思議そうに聞いていた二人だったが、「婚約破棄を宣言されました」と言った瞬間顔色を変える。そこから、ブリギッテはエリッヒから聞いた事件の一部始終をジャックの下り以外をとても要約し、ジャックの所だけを重点的に説明した。
その場には両親だけでなく、ゲラルトや古くから働いてくれている家令たちなど、父が信頼していて家族同然の人々も同席している。彼らもまた、ブリギッテの口から語られる事態にある者は怒り、ある者は絶句していた。
ブリギッテが話を終えた所で、父ローデリヒは口を開いた。
「その話は、もう広まっているのか」
「淑女院の友人数人に聞きまわってみましたが、耳の早い子はもう聞き及んでいました。兄弟や使用人が通っている子であれば猶更でしょう」
ブリギッテの言葉にローデリヒは頭を押さえ、ガブリエラは娘に醜聞が纏わりついてしまったと扇で顔を隠しながら悲嘆にくれた。
貴族令嬢にとって、この手の醜聞は命取りになる。それこそ、若い頃に悪い噂が回ったせいで結婚する事が出来ずに生家で穀潰しとなっている令嬢は実際に存在しているのだ。
本当にブリギッテが悪くても、本当は悪くなくても、関係ないのだ。噂、それは周り回って真実扱いされてしまう事だってある。
ブリギッテはガブリエラが年を召してから産んだ、一人娘だった。今この場にはいない兄との年の差は十二もある。
貴族が前妻を亡くしてから若い後妻を迎えて子供を産ませた事で年の離れた異母兄弟が出来る事は往々にしてあるが、一組の夫婦でそれほどまでに年の離れた子が生まれるのはあまりない例だ。それほどまでに両親の仲が良好だという証明だとブリギッテは思っている。
「その場に居合わせたのはエリッヒだったな」
「は、はい!」
ローデリヒに呼ばれて、壁際でゲラルトと並んで立っていたエリッヒは前に進み出た。
「もう一度、実際に目撃したお前の視点で、話しなさい。ジャック以外の事についても、全部だ」
一瞬、エリッヒがブリギッテを見た。ブリギッテも話してと促すように手を動かす。
ローデリヒは恐らく、ブリギッテが何かしら改ざんしてしまっていないかが気になるのだろ。悪意がなくても、人は自分の記憶を簡単に改ざんしてしまう。その点ではエリッヒの記憶も真実から変わってしまっている可能性もあるけれど、違う人間であれば裏で示し合わせている訳でもなければ、全く同じ点を変えてしまうという事はそうないだろう。
エリッヒは話し始めた。
なお今回は声真似はしないようにしたらしく、緊張から声を震わせ、たびたび裏声になりながら棒読みでそれぞれの婚約破棄の宣言の言葉を紡いでいる。
ブリギッテが今回婚約を破棄されたんだろう令嬢たちと少なかれ関係を持っていたのと同じように、ガブリエラもその令嬢の母親や親族と関わりがあるのだろう。名前が出て来る度に「ああ」「そんな」「夫人の所も」と体を震わせている。
全てを聞き終えたローデリヒは椅子に深く持たれかかり、溜息を一つついた。
それからすぐ近くに立っていた家令に命じて手紙を用意させた。一旦退出した家令が戻って来た時、手に持っていたのはニュスライン伯爵の家紋や名が薄く入った特別製の用紙だった、作るのに手間も金もかかるため重要な事を記す際にしか使われないものだ。
家令が戻ってくるまで何も言わず天を仰いでいたローデリヒだったが、家令が戻ってきて紙を机におき、ペンとインクをその横に置くと背筋を正してスラスラスラと文字を記していく。迷いはない。書き損じをするという心配などまるで無いようだ。
全て書き終えてから、ローデリヒはペンを置いて文章の確認をした。問題はなかったようで、綺麗に真ん中で折ると用意されていた封筒にいれ、シーリングワックスでしっかりと封をして家令に渡した。
「ガイスラー子爵へ」
さて、何を書いたのだろうか。ブリギッテは表情には出さずに思った。
当然、宣言への文句とその真意を問いただす抗議の手紙ではあるだろうが、父がどのような態度を文章で取ったかまでは分からない。例えどれだけ怒って居ようとも手紙では下手に出る事はあるだろう。逆に内心震えながらも手紙では直接会わないという利点があるのだから、強気に出る事だってある筈だ。
父がどんな風に手紙を書いたのか、ブリギッテには分からない。
「ブリギッテ」
「はい」
「暫く、出掛ける事は控えなさい。社交界の誘いがあったなら、体調不良で構わない、欠席をするように」
「分かりました」
結果が出るまでは、下手な所で下手な事は言えない。誤魔化して曖昧な態度をとったりすれば、余計に人は勝手に感情を想像して読み取って、それが事実のように噂をするのだから。
父の言いたい事はブリギッテもよく分かるので、すぐに了解した。元々、アデャータ淑女院も休暇に入り、まだどこからも誘いは受けていない。先んじて、親しい友人には少し引き籠る事を告げてもいいか父に確認を取り、ブリギッテは下がった。ブリギッテが下がるのに合わせて壁際に待機していたアンも退出し、ゲラルトに背中を押されたエリッヒもついて来た。
残ったのはローデリヒとガブリエラ、ゲラルトに家令たちだ。
「部屋に戻ります」
アンとエリッヒにそう告げてからブリギッテは歩く。使用人の数人が、同情だったり、奇異の目を向けている事に気が付く。家で雇っている使用人と言っても、全員が全員ニュスライン家に絶対の忠誠を誓っている訳ではない。恐らく家の中で見た光景、聞いた話を外で話してしまうだろう。家の中に閉じこもると言っても、ブリギッテは気を抜く訳にはいかないのだ。
廊下を歩いていると、背後でエリッヒが情けない声を出した。
「お嬢様、どうなるのでしょう……」
婚約破棄された当人でもないのに苦しそうな声を出すエリッヒに、ブリギッテは首を傾げた。
「さあ、どうなるのでしょう」
エリッヒは意外に思って顔を上げた。
分からないわ。そう囁いた主人の声は、エリッヒにはなぜか楽し気に聞こえた。