03 思い出した事
「以上です」
眉間に皺を寄せ、顔を歪めて、エリッヒはそう話を締めくくった。
アンはエリッヒによるとてつもなく似ているジャックの声真似による言葉を聞いて額に青筋を浮かべた。ピクピクと眉を動かしていて、手に持っている銀のお盆が先ほどから歪んでいる。こんな場でなければエリッヒの新しい特技が見つかったと褒めてあげたくなるぐらい、声真似は似ていた。恐らく声だけ聴いていたならば、ブリギッテも聞き間違えてしまうだろう。
一番怒るべきブリギッテは、全く狼狽えていなかった。
それだけ自分の無実と冤罪を確信していたからだ。よくもまあ、そんな話の流れで言えたなとは思ったが。
まず平民を虐げていたとかいうが、そんな事実は全くない。
だがジャックがそう誤解しただろう原因は想像が付く。
ブリギッテは貴族の義務である下の者への施しの形として、死を見届ける場を与えている。
元は祖母が開いていた場所だ。数か月前、祖母が亡くなったのに合わせて、その場がガイスラー家の領地に近い事もありブリギッテが引き継いだ。
死期が近づいた者が、身内からも見捨てられてしまい、実際にはまだ死んで居ないのに野ざらしにされて餓死したりする事は、悲しいかな、ある。悪意がある時は動けないようにして、人に見つからない場所に放置されてしまう事だってある。
家の口減らしのためでもあるし、死者をちゃんと弔えない家もあるからだ。
ひと昔前、酷い飢饉があって、とくにそうした死体が多かった時期があったという。
様々な場所に死体が転がっている事に胸を痛めた祖母は、死期が近くなったものが最期の時を過ごせる場を開いた。どんな身分のものであれ、死期が近い者――老人や病人――は受け入れられる。そして死ぬまでの間、しっかりと食事をとる事が出来て、暖かいベッドでなくなる事が出来る。
今では子供に世話を掛けたくないからと自分からこの場に来たがる老人も多いし、末期の病気だが病院にもかかれず最期の場所が欲しいと来る人もいる。
そういう場なので、当然ながら毎日、とまでいかずとも結構な頻度で誰かが命を落とす。
余命僅かであった者。寿命を迎えた者。行き場を失い、死ぬ場すらないような人々がここで看取られ、丁寧に埋葬されていく。
……のだが。
確かに何も事情を知らず傍から見れば平民が次から次へと死んでいく場所でもあるだろう。
その持ち主はブリギッテだ。
そういえばこの場所についてはブリギッテから、ジャックにちゃんとは説明していなかったなと思い至る。
しかし、そうとは言えそんな勘違いするものだろうか。祖母の代からやっている死を見届ける場の存在は地元だけでなく南部の広い地域でも知られていて、祖母を真似した貴族が似たような場所をいくつか提供していたりする。
それなのにも関わらず誤解しているらしいジャックの脳みそを、ブリギッテは大丈夫だろうかと思った。
息子が、次期当主が愚かで苦労するのは親と周囲で仕えている者たちである。
その点、ブリギッテの実家であるニュスライン伯爵家にはブリギッテの兄という、王都で要職につくほどに優秀な跡取りがあるので、現状心配はない。
しかし同時に今の話を聞いてブリギッテ的には気になった事が一つある。
「それで、エリッヒ」
「はい」
「ちなみに聞くのだけれど、お前はそれを聞いて、とりあえず急いで帰って来たのよね? 何も、何もしてないのよね? 紳士院のパーティーは随分と無礼講らしいけれど、まさか、あなたも紳士らしからぬ振舞いをしたのではないわよね? まさか、ね?」
ブリギッテが念押しするように言うと、エリッヒは先ほどまでちゃんとブリギッテの方を見ていたというのに、静かに視線を逸らす。
ブリギッテは目の前の青年を軽く睨んだ。
「ちょっと?」
「……」
ブリギッテは手に持っていた扇の先でエリッヒの顔を、彼の視線がしっかりと自分を向くように戻した。しかしエリッヒは顔は正面に戻って来たが、必死に視線を逸らし、だらだらと冷や汗を流している。
「エリッヒ。主である私に、嘘をつくのかしら」
この一言は効いた。ウッとエリッヒは言葉を詰まらせて、肩を落とした。
そして静かに自分の所業を白状した。
「トマスを床に下ろした後、そのまま檀上に飛び上がってジャック様の顎を蹴りあげてそのまま寝技を決めてきました。ジャック様は気絶しました」
「よくやったわエリッヒ!」
「アン! 褒めないで!」
ブリギッテは鋭い声でエリッヒを褒めたアンを咎める。
褒める事ではない。
言葉で堂々と言い返すのならともかく、暴力に訴えるなど全くもって紳士的ではないではないか。
そのパーティーそのものが無礼講な場であった上にその前段階で四回も騒ぎがあったからまだマシだろうが……。
しかしそこまで大事になってしまったのならば、パーティーの内容は大なり小なり、表に出て来る。いくら紳士院の生徒たちが無礼講なパーティーの存在を表に出さないようにしていても、婚約破棄が問題になればパーティーで何が起きたのかを隠しておく事など出来る訳もない。
その時にエリッヒが暴行が公然の事実であれば、ニュスライン家にも一定の非がある事になってしまうではないか。
ブリギッテがそう咎めれば、エリッヒは可哀そうなぐらいに顔を真っ青にした。カッとなってした行動が、むしろ主に不利に働くかもしれない事実をやっと理解したのだろう。アンも申し訳なさげに後ろに控え直した。
「も、申し訳ありません……!」
ちゃんと反省している相手を、なお責める性癖などブリギッテにはない。ブリギッテは、優しく微笑んだ。
「分かってくれたならいいのよエリッヒ。やってしまった事は仕方がないわ。次からは気を付けて頂戴ね? それよりも、すぐに報告に帰ってきてくれてありがとう。お蔭でお父様やお母様、王都のお兄様にも早くにご連絡できるわ」
そう話をした所で、ブリギッテは思い出した。
一番最初にエリッヒから婚約を破棄すると言われたと聞いた時に何か、聞いたことがある話のような気がしたのを。
――婚約破棄。
――パーティー。
――突然。
この三つのキーワードが、全て繋がった。
「思い出したわ。ラリッサ殿下のティーパーティーでお聞きしたのだった」
ぽんと手を打ったブリギッテは立ち上がるとアンに指示を出す。
「ラリッサ殿下にお手紙を書きます。アン、紙とペンを。エリッヒには途中まで手紙を届けてもらうから、馬の準備を」
「かしこまりました」
「お任せください!」
アンが静かに、エリッヒがどたどたと部屋を出ていった。対照的な二人の姿に、ブリギッテは微笑んだ。




