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01 ブリギッテ・ニュスラインの穏やかじゃなくなった昼下がり

※この物語はフィクションであり、登場人物、団体名等は全て架空のものです。

 ブリーカ王国南部に領地を持つニュスライン伯爵家の屋敷。

 その庭で美しく整えられた景色を眺めながら、一人の令嬢がハンカチーフに刺繍を施していた。

 令嬢の名はブリギッテ。この屋敷の主であるニュスライン伯爵の娘だ。横には彼女に専属で仕えている侍女のアンが付き添っている。

 風が二人の女性の白い頬を撫でる。

 庭に植えられている桐の木の無数の枝では小鳥たちが休んでいる。


 穏やかな昼下がり、屋敷に無粋な大声が響き渡った。


「お、お嬢様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!! た、大変でございますううう!!!!!!」


 大声に驚いた小鳥が次から次へと飛び立っていく。その羽ばたきの音は令嬢に不安を抱かせるには十分だった。

 ブリギッテは刺繍をする手を止め、横に控えているアンにやりかけの刺繍を手渡した。アンは慣れた手つきで刺繍道具を片付けるとすぐ横の部屋に仕舞うべく、屋敷の中に入っていく。

 そこに、入れ替わるように大声の主が文字通り転がり込んで現れた。恐らく屋敷の中にいた他の使用人からブリギッテが庭だと聞いたのだろう。茶髪の青年だ。彼は急ぎ過ぎて足をもつれさせて、庭の芝生に顔から突っ込んだ。

 いつも通りの様子にブリギッテは呆れて、青年に声をかける。


「まあまあ、エリッヒ。そんな大声を出して。ゲラルトが今日家にいたら貴方、怒られてたわよ。しかもまた転んで」

「も、申し訳ありません……ど、どうかお師匠様には内密に……」

「さあ、どうしようかしらねえ」


 ブリギッテが首を傾げていじわるを言ってやると、大声の主である青年エリッヒは目に涙を浮かべた。


 彼はこのニュスライン家で働く人間の一人だった。といっても平民ではなく、階級としてはブリギッテと同じ貴族だ。


 エリッヒはフンガー子爵という小さな貴族の四男として生まれた。

 大きな家ならともかく、地方の弱小貴族の三男以降は家を継ぐ事などとてもではないが出来ない。エリッヒも当然そうで、彼が両親が死んだ時に引き継げるのはエリッヒのために親が用意してやった牛の番だけだ。何故牛かと言えばとりあえず、乳は飲めるし乳が出なくなっても肉に出来る。領地もお金も殆ど渡してやれない三男以降に牛や羊やヤギ、馬といった動物をせめてもで用意してやる親はこの南部では多い。風習の一つといった所か。

 そんなエリッヒは将来路頭に迷わないように、上位貴族の家に行儀見習いとして差し出された。よくある話だ。上位貴族の家であれば実家で育つよりもマナーも学べるし、一人前になるまでは少ないながらも給料としてお金も貰える。そんな訳で七歳の頃からエリッヒはニュスライン伯爵家で使用人として働いており、同時に年の近いブリギッテの遊び相手をしていた。


 ところが。当初はただの使用人として扱われる筈だったエリッヒは天性のドジっ子だった。料理を運べばひっくり返す、空いた皿を回収すれば手を滑らせて落として割る。こんな調子で、多くの使用人もブリギッテも、エリッヒはすぐ実家に戻されてしまうだろうと思っていた。

 だが運命とは不思議なもので、ニュスライン伯爵家で護衛騎士として働いているゲラルトは何を思ったか、エリッヒに剣を渡した。こんなドジっ子にそんな危ないものを持たせてどうするのだと誰もが思ったのだが、驚いた事にエリッヒは剣の才能を持っていた。剣を振るっている間は普段のドジが嘘のようにしっかりと動き、気配にも聡く、良くない存在が忍び込んだ時は捕まえて見せた事もある。どうにも剣を持つと緊張感が出るらしく、緊張感が出るとしっかり出来るらしい。

 この才能をゲラルトに見いだされたお蔭でエリッヒは後にどこかに嫁ぐ事になるブリギッテの専属護衛となる事になった。


 それはそれとして、普段のドジは変わらない。

 屋敷に来た初期よりは皿を割る事などは減ったが、剣を取り上げると何もない所で転ぶ、足をもつれさせる、冷静さを欠いて慌てて騒ぐ。護衛は場合によっては剣を持ちこめない場にも付き添わなければならないしそうでなくても情けない姿を見せるのは護衛失格であると、ゲラルトはエリッヒがドジをする度に叱っている。クビにならなかった恩人でもあるゲラルトにエリッヒは頭が上がらないのだ。


「お、お願いしますお嬢様! 本日は本当に大事(おおごと)なのです、大変な事なのです! 僕が転んだのもさもありなんとなるぐらいに一大事なのです!」

「そう。なら言ってみなさい」

「ほ、本日アデャータ紳士院で、大騒ぎが起きたのです! ご、五人の貴族子息が己の婚約者は悪い所があるからと、婚約を破棄すると騒いだのです。そ、その中に、お嬢様の婚約者であるジャ、ジャ、ジャック様が! しかもお嬢様は悪人だと!」

「あら、まあ」


 ブリギッテは頬に手を当てて目と口を丸くして、首を傾げた。ブリギッテの後ろでは庭に戻って来たアンが丁度のタイミングで戻ってきており、エリッヒの言葉を聞いて眉間に皺を寄せている。勿論エリッヒにではなく、聞こえてきた内容に不満を抱いての表情だ。


「ジャック様が、そんな事を? 本当に?」


 アンが問い詰めるように言うとエリッヒは何度も何度も頷いた。

 二人が驚き、混乱しているらしい様子なのに対して、ブリギッテは落ち着いている。淑女とはいついかなる時も落ち着いて、という学びの成果でもあるけれど、彼女が注目している点はアンやエリッヒとはいささか異なった。

 アンやエリッヒは、ブリギッテが悪人などと冤罪をかけられた上に婚約破棄を宣言されたという事への怒りと困惑がある。けれど、ブリギッテの関心事は……。



(一方的な婚約破棄、なんてどこかで聞いたことある出来事ね。なんだったかしら)


 少し考えてみたがすぐには答えは出なかったので、ブリギッテは一旦考えるのを止めた。

 ともかくブリギッテにとっても寝耳に水の話だ。エリッヒから詳しく話を聞かねばならない。同時に、此処から先はあまり大声でするべき話でもない。

 ブリギッテは、アンとエリッヒを連れて屋敷の中に入った。


 話は変わるが、ブリーカ王国の国土は広大だ。その多くの土地に沢山の貴族が暮らしており、その何倍もの平民が暮らしている。


 当然、その国民たちを教育する教育機関が複数建つのは当たり前の事だった。


 教育機関として一番名高いのは間違いなく、王都にある『学院』だろう。ただ学院、とだけ呼ばれている教育機関は王国全土から多くの貴族子弟が子供を通わせようとしており人気は高い。生徒の数や敷地も恐らくトップレベルだが、それでも全ての貴族子弟をカバーは出来ない。

 国内にはその他多くの教育機関が存在している。

 王立のものもあれば力のある貴族が建てたものなど、様々だ。果ては平民がやっている私塾もそこかしこも町にある。

 そして、その教育機関によって学校の制度も違う。


 南部の教育機関の特徴の一つに、男女別で学ばせる傾向が強いというものがある。

 かの『学院』は男女共学であるが、南部では男は男らしく、女は女らしく、の傾向が強いのだ。主な理由として、南部は古くから戦争が多かった事があげられる。領地を取ったり取られたりはよくおこっていたのだ。現在では戦争こそそう起きていないが、国境では現在でも小競り合いは起きているらしい。南部と言っても中腹に領地を持つニュスライン伯爵家にはそこまで直接的には関わりのない事だが。

 ともかくそうした背景もあり、長く南部では男には戦争で強くある事が求められ、女には男が留守の間家を守る強さが求められた。


 その意思が強く反映された、南部一の教育機関がアデャータ学院だ。


 この学院は先の言葉通り、二つに分かれている。

 貴族令嬢しか通えないアデャータ淑女院。

 貴族令息しか通えないアデャータ紳士院。


 ブリギッテはアデャータ淑女院に通っている。

 そして一方で、ブリギッテの護衛であるエリッヒも、箔をつけるためという名目で、アデャータ紳士院に通っている。学費の殆どがニュスライン家が出しており、彼の実家のフンガー子爵家でアデャータ紳士院に通ったのは長男と末っ子のエリッヒだけだ。入学の話がブリギッテの父からもたらされた時、エリッヒもエリッヒの両親も大泣きしながら感謝をしていた。その分の仕事は、これから先ブリギッテに仕えてもらってする事になるだろう。


 そしてもう一人、ブリギッテの重要な関係者で紳士院に通っている人物がいる。

 それが、先ほどから話に上がっているブリギッテの婚約者であるジャック・ガイスラー。ガイスラー子爵家の嫡男だ。


 エリッヒと同じ子爵家の令息だが、ガイスラー家はフンガー家の数倍の領地を持ち、その領地で牧場を営んでいる。その裕福さで言えば、伯爵ともそん色ない。

 その嫡男であるジャックは、貴族としての爵位こそエリッヒと同じでも、実際の立場は全く違い、名家であるニュスライン伯爵家の令嬢であるブリギッテの嫁入り先としても申し分ない。

 エリッヒからすれば主人であるブリギッテの未来の夫なのであるから、彼自身後にお世話になる相手だ。普段から紳士院ではジャックに対して失礼のないように過ごしているらしい。ブリギッテは紳士院での風景を直に見た訳ではないのでエリッヒからそう聞いているだけだが。


「さてエリッヒ。まずは、紳士院で起きたという出来事を最初からしっかりと説明して頂戴」


 エリッヒがアンの出してくれた紅茶を飲んで一息ついた所で、ブリギッテはそう言った。

 ちなみにエリッヒは此処でも入れたての紅茶を飲もうとして「アチッ」と軽いやけどをしてカップを落としかけ、カップこそ落とさなかったが紅茶の中身が膝にこぼれて大騒ぎしたというやり取りがあった、後の話だ。

 エリッヒは緊張した様子で頷いて、アデャータ紳士院で本日あった彼からすればどうしてそうなったのか理解不能な出来事の一部始終を語った。

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