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君への手紙 ~LAST.WORLD~

君を追ってのその先へ4

作者: まさかす
掲載日:2020/04/10

「おー、帰ったぞー。風呂沸いてるかぁ」

「いつ帰るか分かんないから湧いてないよ」

「何だよ、気ぃきかねぇな。ならすぐ湧かせよ」


 今の女と同棲を始めてから既に5年。同棲を始めた当初はそれなりに充実していた日々も、ここ最近……いやここ数年といった所だろうか、単なる同居人としてしか見れなくなってきていた。


 俺は内装屋として安月給ながらも毎日働き、女も近くのスーパーで以ってバイトしている。家賃や光熱費は俺が出してはいるが、飯に関する金は女が出してくれている。金の事もあるが、掃除洗濯炊事といった家事全般を女がやってくれているのは非常に楽であり、同居人という間柄とはいえ、1人で暮らしているよりはかなり楽だと言えよう。


 お陰で男友達との飲み会も週1で行けている。それも女性がいる場所での飲み会だ。女はそれに対して特に文句も言わない。以前に小言を言われた気もするが、最近では殆ど聞く事は無い。稀に飲みだけでは無く、それ以外のイイ事もする。そして今夜もそういった場所での飲み会だった。そこにいる女達からすれば「それが仕事」だと言うだろうが、俺を持て囃してくれるので気分も良く楽しいというものだ。同居人のその女もそういった事が出来れば俺の見る目も変わるだろうに。だがそういった気遣いが一切出来ない女である。


 フローリング8畳と言ったワンルーム。部屋の壁際に置かれたベットに寄りかかるようにして俺は床に座り込み、何を見るでもなく反対側の壁際に置かれたテレビに目をやり、風呂が出来るのをボケっとしながらひらすら待っていた。


「お風呂沸いたよ」

「おお」


 俺は20代後半と若いが、湯船に浸かれば思わず「う"ぅぅぅ」と唸り声を上げてしまう。やはり風呂は良い。潔癖症という訳では無いが、風呂やシャワーに入らないままに布団に入る事は出来ず、どんなに遅い時間であったとしても最低シャワーは浴びる。それは風呂に入る事が1日の終わりであるという、俺の数少ない拘りの1つでもある。そして汗が流れる程に風呂に入っての30分後、風呂からあがるとトランクスだけを履き、首にバスタオルを巻いたままに部屋へと戻る。部屋の中央に置かれた1メートル四方のガラステーブル。女はそのテーブルを前に床に座り、何の気なしにテレビを眺めていた。俺は汗も引かないままに、女のはす向かいへと胡坐をかいた。


「おい、ビール」


 女は無言のままに立ちあがると冷蔵庫へと向かった。そして中から350ml入りの缶ビール2本を取り出すと無言のままに戻り、テーブルの上に「ゴン」と置いた。そして無表情のままに俺のはす向かいに腰を下ろすと、1本の缶ビールに手を伸ばした。


「何か軽くで良いから食いもんねぇか?」


 女は伸ばした手を引っ込めると気だるそうにして立ち上がり、無言のままに再び冷蔵庫へと向かった。そして冷蔵庫の中からラップがされた小鉢を1つ取り出し、冷蔵庫の上の電子レンジの中へと入れた。2分程電子レンジを前に立ったままで待ち、「チン」と鳴った所で容器を取り出した。余程小鉢が熱かったのか、女は顔を顰め、放り投げるようにして小鉢を流し台へと置き、恐る恐るラップを指で剥がし始めた。


 ちまちまとラップを剥がし終えるとそれを手に部屋へと戻り、ビールを飲みながらテレビを眺める俺の前、ガラステーブルの上に無言のまま「ゴンッ!」と小鉢を置いた。恐らくは無言で不快感を示したのであろうが、俺はそんな事一切気にしない。


「おい、箸は? 俺に素手で食えってのか?」


 腰を下ろしかけた女はジロっと俺を一瞥して再びキッチンへと戻り、箸を一膳手に直ぐ戻り、「バチッ!」とテーブルの上に置いた。俺はそんな振る舞いも一切気にせず箸を手に、小鉢へと箸を突っ込んだ。小鉢に入っていたのは昨晩の残り物である肉じゃが。正直この女の料理の腕は悪くない。どちらかと言えば好きな味付けである。まあそれも当然。俺と同棲を始めて直ぐに作った料理に対し、俺は遠慮なく「味が悪い」と文句を言った。その甲斐もあって、今では俺好みの味付けになっている訳である。故に美味いというのも当然と言えば当然である。そして俺はそれを肴にビールを飲む。とはいえ俺が飲んでいるのは発泡酒。ちゃんとしたビールは店で飲み、家で飲むのは発泡酒と決めている。いくら2人共に収入があるとはいっても、俺も女も経済的にそれほど余裕がある訳では無い。それなりに節約もしなければ電気やガスが止まってしまう。店のビールよりも水っぽい感じは否めないが沢山飲む訳でも無い。これ位は我慢できるさ。


 俺のはす向かいに座り、俺と一緒に缶ビールを飲んでる女。何食わぬ顔して俺の傍にいるこの女。こいつは俺がアノ事を知っているとは夢にも思わないのだろう。俺はこの女が俺の悪口をネットに書き込んでいたのを知っている。澄ました顔して、俺に対する文句をネットに書き込んでいるのを知っている。俺が暴力を振るうだの暴言を吐くだの亭主関白過ぎるだのと書いていたのを知っている。女は俺のノートパソコンを使って時折何かしていたが、その際、俺の文句を書き込んでいたそのサイトを閉じる事無く、スリープ状態にしたままに閉じていた事があった。何も知らない俺がノートパソコンを開くと、書きかけのそれが目に入った。直ぐにでも女を殴ってやろうかと思ったが、取り敢えずは女が使用していたユーザIDでもって、過去に何を書き込んでいたのかを検索した。俺の名前が書いてあった訳ではないが、そこには俺に対する罵詈雑言が並んでいた。書かれている事が俺の記憶と合致する事もあった事で、間違いなく俺の事を書いている。その場で殴り倒して家から追い出しても良かったが、家事全般をやってくれるお手伝いさんと思ってそのままにしておいた。そう、俺にとってこの女は同居人にも当たらない。単なる家政婦だ。


 10分程が経過すると酔いを感じた。元々店でそれなりに飲んだ事もあり、更には風呂で体が温まっていた事もあり、発泡酒といえども酔いが回ったらしい。目が回り頭がクラクラする。しかし発泡酒でこれ程酔うとは、店で以って飲み過ぎたかもしれない。まあ自分で稼いだ金で酒を飲んでいるのだ。誰に文句を言われる筋合いでも無いが。


「あぁぁ、酔った酔ったぁ。もう寝るぞ」


 そう言って立ち上がると足がもつれてドタンと床に膝をついた。そしてそのままうつ伏せに倒れ込んだ。


「イテテ……。そんなに飲み過ぎたか……」


 自分ではそんなに酔っていたとは思わなかったが、今日の俺は随分と酔っていたようだ。それも再び立ち上がろうとするも立ちあがれない程に。いや、酔っているというよりは体に力が入らない。腕にも足にも力が入らない。気付けば指すらも動かない。そんな俺を傍にいる女はただ黙って見ている。


「アウ……ア、ア、アアア……」


 手を貸せよと言ったつもりだが、何故か上手く言葉に出来ない。そしてうつ伏せに倒れる俺が動かす事が出来るのは目だけ。その目すらも徐々に視野が狭まり暗くなり始めた。そして全て見えなくなるその刹那、女の顔が見えた。


『ん? お前は何を笑ってるんだ? 何が可笑しいんだ?』


     ◇


 俺は不意に目を覚ました。寝ぼけ眼に映るのは、雲1つ無い真っ青な空だった。俺はどこぞの硬い地面に横になっていたようで、おもむろに上半身を起こすと、目の前に広がる不思議な光景に目を奪われた。


 視界に入るその世界には何も無かった。いや、頭上には文字通り雲一つない真っ青な空と燦々と輝く太陽があった。その太陽は眩しいだけで熱さも暖かさも一切感じない。そして大地と呼べる地面には建物等は一切見当たらず、大理石と見紛う艶のある白くて硬い地面が果てしなく続き、それは地平線が見える程に広がっていた。


 時計といった時間を示す物が無い為に、正確な時間までは分からなかったが、感覚的に10分程の間、俺は目の前に広がる景色を呆然と見ていた。


「こんにちは、お兄さん」


 不意に後ろからそんな言葉を掛けられた。首だけを後ろへ捻った視線の先には、何処かの野球チームと思しきマークの付いた帽子をかぶり、半袖半ズボンという出で立ちの小学生らしきガキが立っていた。


「あ? 誰だお前?」

「僕は琢磨」


「ふ~ん。で、その琢磨君が俺に何か用か?」

「僕がお兄さんに用があるというよりは、お兄さんが僕に用があるんじゃないのかな?」


「はあ? 何の用もねぇよ。つうかお前なんか知らねぇし」

「ほんとに?」

「ねぇよ」

「じゃあさ、お兄さんは此処が何処だか分かってるの?」


「は? ならテメェは此処が何処だか知ってんのか?」


 俺はそう言って、地面に座ったままに体を後ろへと向けた。すると、振り向いた先にはガキの他に見知った女の顔があった。その女は俺の顔を見ると落胆した様子で俯き、目線だけを上にしながら口を開いた。


「やっぱりタケシだったんだ……」

「お、ユカリじゃねぇか」


「あれ? お兄さんとお姉さんは知り合いだったんだ。それは良かったね。ここで知り合いと会えるなんてとても幸運な事だよ」


「全然幸運なんかじゃ無いわよ……」

「何だユカリ、このガキ知ってんのか?」

「知ってるというか、さっき知り合って色々教えて貰ってただけよ……。つうかほんっと、ツイてないわ……」


 理由は分からないがユカリは明らかに不機嫌で、それを隠そうともしなかった。


「で、ユカリ、ここ何処だよ」

「何? アンタまだ知らないの?」

「知るかよこんな場所」

「あっそ……」


「お兄さん」

「あ? 何だよガキ。大人の話に割って入るんじゃねぇよ。とっとと親の所に戻れよ」


「お兄さんはまだ気付いてないんだね」

「は? 何がだよ」


「お兄さんはさ、もう死んでるんだよ?」

「は? 何言ってんだお前は? どこぞのアニメのセリフかよ」


「お兄さんはもう死んでるの。そして此処は『死後の世界』なんだよ」

「死後……は? 何言ってんだよお前は、つうかもう黙ってろよ。おいユカリ、このガキ何なんだよ」


「その子が言った通りよ」

「は?」


「タケシ、アンタはもう死んでんのよ」

「はあ? 何言ってんだお前まで。じゃあ何でお前は此処にいんだよ。お前まで死んでるとでも言うつもりかよ?」


「そうよっ!」


 理由はよく分からないが、ユカリはマジギレしている様に見えた。


「お兄さんはさ、自分が死んだ時の事は覚えて無いの?」

「はあ? 俺が死んだ時だぁ?」


 未だに俺が死んでいるとは露程にも思わないが、目の前のガキに言われて此処に来る直前の事を思い出してみる。確か自分の部屋で以ってビールを飲んでいた。その後は……確か酔っ払って床に倒れた気がする。その辺りからの記憶は曖昧……というよりも無い。という事は、俺はあの時に死んだという事なのだろうか。ひょっとして急性アルコール中毒とかいう奴で死んだという事だろうか。話に聞いた事のあるその病気。それが俺を死に追いやったとでも言うのだろうか。十代後半から飲み続けてきた俺がアルコール中毒?


「いやいや、やっぱり俺は死んでねぇよ。おいガキ、いい加減にしろよ」

「お兄さんが気付いてないだけで、死んでるのは確かだよ」

「だったらガキ、お前も死んでるとでも言うつもりかよ」

「そうだよ」


 目の前の子供が何を言っているのか未だに理解できない。ユカリと目の前のガキの2人して何の冗談なのだろうか。それの何処が面白いのか俺には全く分からない。


「は~あ……」


 ユカリは俯きながらに深いため息をついた。未だに理由は不明なれど酷く落胆していた。先程からキレたり落ち込んだりと、情緒が不安定な女だ。


「ユカリ、さっきから何だよ。どうかしたのかよ」

「どうかしたって……。アンタ馬鹿じゃないの? ほんと嫌になるわ……」


「はあ? 何だそりゃ?」

「私もちょっと浮かれてたのよ。自分でも馬鹿らしい位にね」

「一体何の話をしてんだよ」


「まさか私も死ぬとは思わなかったのよ」

「だから何の話だよ。つうかまだ俺らは死んでいるとでも言うのかよ」


「ほんとバカね、アンタ」

「ああ? テメェいい加減にしろよ?」


「タケシさ、私がアンタの悪口をネットに書き込んでたの知ってるんでしょ? 私知ってるのよ? それなのに何食わぬ顔して私を放っておいてさ、いずれ私に仕返しでもするつもりだったんでしょ?」


「はあ? 確かにテメェが俺の悪口書き込んでたのは知ってるよ! だからって仕返しなんてするつもりねぇよっ!」


「嘘よっ!」

「何で俺がそんな嘘をつかなきゃならねぇんだよっ! 馬鹿じゃねぇの。つうかそれがどうしたんだよっ!」


「どうしたもこうしたも……」

「んだよ、とっとと言えよっ!」


「まだ気付いてないの?」

「だから何の話だよ」


「だから……」

「っだよっ! とっとと言えよ!」


「私が先にアンタを殺したのよっ!」


「はあ? 何の話だよ」

「アンタが最期に食べた肉じゃがに薬を盛ったのよ」


「肉じゃが? 薬?」


 ビールのつまみに食べた肉じゃがの事を言っているのだろうか。俺は何の疑いも無くそれを食べたが……言われてみればちょっと味に違和感があったような気もするが、前日の残り物と言う事もあって、それほど気にはしなかったが……


「じゃあ何か? テメェは俺を毒殺したとでも言うのか?」

「だからそう言ってるでしょっ! 馬鹿なんじゃないの?」


「テ、テメェ……ふざけんじゃねぇぞっ! そんなに嫌だったんなら家を出ていきゃ良かったじゃねぇかよっ!」

「そんな事したらアンタは私を探して殴るでしょっ!」

「しねぇよそんな事!」

「嘘よ! 私だって直ぐにでも出ていきたかったわよ! けどアンタがそういう人間って知っているから私は家を出ていけなかったのよっ!」


「ふざけんじゃねぇよっ! テメェなんか家政婦としか思ってねぇよ!」

「嘘よっ! 今までの女だって殴ってきたんでしょっ!」


「ユカリ! テメェいい加減にしろよっ!」


 俺は勢いよく立ちあがると同時に拳を握りしめ、ユカリの顔目がけて拳を放った。が、その拳は空振りした。そして勢い余って、俺は地面へと転がる様にして転んだ。いや、空振りと言うか……


「お兄さん」

「……何だよ」


 何故に空振りしたのか分からず、且つ転んだ姿を見られた事に対する恥ずかしさもあり、俺はガキの顔を見ず背中越しに答えた。


「まだ言って無かったけどね、そこのお姉さんには触れないよ」

「は?」


「だって僕らみんな、死んでるんだよ?」

「だから何だよ」


「魂なの」

「は?」


「だからね、僕らは魂だけの存在だから、肉体は無いんだよ」


 通常は耳にしないその言葉。葬儀の場において位しか耳にしないその言葉を、小学校低学年と思しき子供が口にした。


「あーははははっ! 何よ、そう言う事? だったらタケシ、アンタなんて怖くも何とも無いわ」

「ユカリ! テメェっ!」

「殴りたかったら殴ってみなさいよ、ほらほら」


 ユカリは地面に座り込む俺に向かって顔を突きだした。俺は座ったままの姿勢で以って、そのまま拳をユカリの顔へと放った。が、その拳は再びすり抜け、その勢いで以って、俺は地面の上を1回転するようにして転がった。


「あーはっははははは。タケシ、アンタほんとバカね」

「お兄さん、今僕が言ったばかりじゃない。僕を含めてみんな死んでるから魂だけの存在だって。だから直接体に触れる事は出来ないよって」

「……」


「理解出来ない? 別におかしい事でも無いと思うけどね。だって死んでるんだし」


 子供に「理解できないのか」と言われて腹が立つ。死んでる死んでないは取り敢えず置いといて、その事に腹が立つ。


「タケシ、私はアンタの事なんて別に好きでも何でも無かったのよっ! ただただアンタに殴られるのが怖くて従ってただけよっ! アンタみたいな男が本気で女に好かれると思ってんの? 今までだって散々女に逃げられたんでしょ? いい加減自分がクズな事に気付けよっ!」


 時折、俺はユカリを殴っていた。ユカリだけではなく、それ以前に付き合っていた女を殴っていた。そしてたまに顔を殴っていた。とはいえ余程の事で無い限りは拳では殴らない。男の俺が拳で以って顔を殴ればそれなりの痣などの傷を残し、バイト等に支障が出るであろう事を考えての措置である。それでもユカリは俺の家から出ていかなかった。ユカリが俺を好きだから出ていかなかったのだろうと思っていた。だがそれは単に暴力で支配していただけ。ユカリを精神的に縛り拘束していただけ、暴力に怯えていただけだと言う。そしてそこから逃げる為には俺を殺すしかないと。出ていったとて追う気は更々無かったのに、それなのに俺はこのバカ女に殺されてしまったというのか。何とも理不尽な話だ。そしてこの「死後の世界」に於いては物理的な暴力は存在しない。言葉による暴力、罵声を浴びせる事しか出来ない。だがそんな物は聞き流してしまえばいいだけの話。生前に聞き流すなどすれば、それは暴力への動機にもなるが、ここでは何ら恐怖を感ずる事も無い。そしてそれを感じなくなったユカリがここぞとばかりに俺に言う。何ら憚る事無く全てを口にする。恐れる物など何も無いと。


「お前みたいなクズは死ねっ!」

「ユカリ、テメェいい加減にしろよっ! つうか俺を殺したお前が何で此処にいるんだよ!」


「は?」

「何で俺を殺したお前が此処に居るんだって聞いてんだよ!」


「……浮かれてたのよ」

「あ?」


「だから……浮かれてたのよ……折角アンタを殺せたと思ったのに……」

「あ? 何だそりゃ?」


「だから浮かれてたのよっ!」

「だから何なんだよ! 意味分かんねぇよ!」


「アンタが部屋で死んだ後、お祝いとばかりにコンビニに酒を買いに行ったのよ……。そしたら……途中で車に轢かれたのよ……」

「は? 馬鹿じゃねぇのか? つうか俺を殺したお祝いだぁあ?」


「ええそうよっ! 悔しかったら私を殺せばいいじゃない!」

「てめぇっ!」


 俺は勢いよく立ち上がり、その勢いで以ってユカリの顔めがけて拳を放り込んだ。が、またしてもその拳はユカリをすり抜け、俺は勢い余って地面へと転んだ。


「ほんっと、馬鹿みたい……」


 ユカリは地面に突っ伏する俺を鼻で笑い、蔑んだ目で見つめた。


「もうアンタと一緒に居る必要はないわね」

「……」


「アンタの寿命が明日にでも尽きる事を心から祈ってるわ。死後の世界とはいえ2度と会いたくないし」


 そう言って、ユカリはその場を去って行った。


「おいっ! ユカリ! ちょっと待てっ!」


 俺は直ぐに起き上がってユカリの手を掴もうとしたが、当然その手は掴めず、再び勢いあまってユカリの体をすり抜け、三度地面へと転んだ。そんな俺を再びユカリは見下すようにして見つめた。


「タケシ、アンタってほんっと馬鹿ね」


 そう言ってユカリは去って行った。いや……フワリと浮き上がると、そのまま飛び去って行った。


「と、飛んだ……」


「そうそうお兄さん、まだ教えて無かったけどね、この世界ではね、人は空を飛ぶ事も出来るんだよ。まあ飛ぶと言っても10メートル程の高さまでしか上がれないし、そのスピードも歩く程度の速さだけどね。良かったら飛んで見ると良いよ。まあ何も無い世界だからね、見る物も無くて直ぐに飽きるかも知れないけど、最初は結構楽しいものだよ」


「人が空を飛ぶって……じゃあほんとに俺達は……」

「そうだよ、死んでるよ。お兄さんだってお姉さんを殴ろうとして体がすり抜けたでしょ?」


「まあ……そりゃ……そうだが……」

「っていうかお兄さん、フラれちゃったみたいだね」


 ガキは笑顔を交えて言った。そもそもこのガキは何なのだろう。どうにも上から目線が腹が立つ。


「ったく、さっきからよぉ! お前はいちいちうるせぇんだよっ! だいたいガキならガキらしく可愛い事の1つも言えねぇのかよっ!」

「お兄さん、言って無かったけどね、僕、お兄さんより年上だよ?」


「は? 何言ってんだお前は? そんなちっこい体しやがってよ」

「僕ね、ここに80年ほど居るんだよ?」


「は?」

「80年」


「……80年? てめぇ嘘ついてんじゃねぇよっ!」 

「本当だよ。だから僕の本当の年齢は90歳近いの。だからお兄さんより年上なんだよ。僕からすればお兄さんは孫みたいなもんだね」


「孫って……お前は本当にここにそんなに長く居たのか?」

「そうだよ」


「何も無いこんな場所に?」

「そうだよ。お兄さんは30歳位かな? だとしたら後60年程はここにいる事になりそうだね」

「ろ、六十年?」


「そうだよ。終わってしまえば短いかもしれないけど、ここでの60年って果てしなく長く感じると思うよ? なんせここには何の娯楽も無い。僕達は魂だけの存在だからお腹も減らない。そもそも食べ物も存在しないしね。ゲームは勿論、トランプ1つ無い。太陽は昇ったままで沈む事も無い。睡眠も必要無い。眠たくもならない。本当に何も無い。出来る事と言えばさっきのお姉さんみたく空を飛ぶか、果てしなく広がるこの世界をひたすらに歩くか、ひたすらそこに留まり寿命を待つか、誰か話相手を見つけてずっと話し続けるか……それ位かな? そんな所で寿命が尽きるまで居ろなんてさ、それを神様ってのがやってるんだとしたら、ほんとその神様は鬼だよね。ははは」


「いやちょっと待て、寿命を待つ? 俺は死んでるんだろ? 寿命は尽きてるだろ?」


「ああ、そういう事では無くてね、ここは死んだ人が来る『死後の世界』では無くて、本来の寿命よりも先に亡くなった人が来る『死後の世界』なの。そしてここで本来の寿命を全うしたら、此処から消える事が出来るの。此処から消えた後の事は僕も知らなーい」


 実年齢は俺よりも遥かに上だという子供の話を、俺はどう受け止めればいいのか分からない。とりあえず殺されたという恨みは今は無い。殴りかかろうとしてスリ抜けて、あれでどうにも気が抜けた。とりあえず俺は死んでいるというのを受け入れるとしても、何をどうすればいいのか分からない。しかし何とも不思議な感覚だ。目の前の子供といいユカリといい、生きている時と何ら見た目は変わらないのに実体は存在しない。そして睡眠も要らなければ食事も要らないこの世界。目の前の子供よりは短いとはいえ、恐らくは60年近くはここにいる事が予想されるという。ユカリに去られ、知り合いがいる訳でも無いこの場所で、何もする事もなく、話し相手もいないこの世界で60年近くを過ごす……。まあ、とりあえず子供に聞いた話から察するに、まだ見てはいないが俺達以外の人らしき者も存在するようだし、それらを探してみるか。といっても、若くて可愛い女を目当てで。


 しかし周囲を見渡すも本当に何も無い世界。が、目を凝らすと遠くに霞むようにして人らしき影が見えた。とはいえ陽炎のようにして見えるその姿はスカートらしき物を履いている事から、とりあえず女らしい事しか分からない。遠目では70点という所だろうか。とりあえずここに居てもしょうがない。触る事も出来ないというのなら、下心を全開にアタックしてもそれほど警戒される事もないだろう。駄目でも寿命が尽きるまで声を掛けまくるさ。そう考えると案外、「死後の世界」と言うのもバラ色かも知れないな。


「じゃあガキ、俺はお前の言葉に従って、話し相手とやらを探してくるよ」


「頑張ってね、お兄さん」

「ま、頑張る事でもねぇけどな」


「でもどうだろうね」

「あ? 何がだよ」


「僕から見ても、お兄さんは良い人では無さそうだからね」

「はあ?」


「いくらここが死後の世界とはいえ、むしろ死後の世界だからこそ、現世みたいに人付き合いを大切にしなくても良いからさ、お兄さんみたいな人は誰も相手にしてくれないかも知れないよ?」


「はあ? ガキに何が分かるってんだよ」

「ここでは幾らでも暴言は吐けるけど、物理的な暴力は一切効かないからね。それを以って人を支配する事は出来ないんだよ。それにさっきも言ったけど、僕はお兄さんの先輩だよ? それも何十年もね」


 まったく調子の狂うガキだ。それが本当だとしてもガキにしか見えない。故にガキ扱いしか出来ない。


「ああもう良いから、とっととどっかに行けよ」

「そうするよ。じゃあね、お兄さん。お兄さんにバラ色の終末が来ると良いね」


 そう言って俺より年上の子供は去って行った。それも飛び去って行った。そう言えば飛び方を聞いていなかった。まあ、いい。それを聞くためにも女に声を掛ける口実になるというものだ。とりあえずは遠くに見える70点の女の元へと向かおう。


「よぉ、何処行くの?」


 近くで見ると40歳近くに見えた女。とはいえ綺麗な部類に入るであろう女。艶のある漆黒の髪はサラサラ。夏にでも死んだのだろうか、肩を出した白っぽく落ち着いた色のワンピースと、足元には同色のミュール。まあ甘く見て40点といった所だろうか。とりあえず、この世界でユカリ以外に出会った最初の女だ。このレベルで様子見と行こうじゃないか。しかし自分で言って気付いたが、この世界で「何処行くの?」という質問はナンセンスだっただろうか。まあ、この世界でのギャグとして受け取ってくれれば幸いだ。だが40点の女は俺の言葉にクスリとも笑わず、俺を一瞥してそのまま歩き続けていった。


「おい、テメェ何無視してんだよっ!」


 俺は女の腕を掴もうとした。が、当然その手はスリ抜け、俺はヨロヨロと女の前で転んだ。そんな俺を女は見下すかのようにして一瞥し、「馬鹿じゃないの」と、一言呟くと同時にフワリと浮き上がり、文字通り飛び去って行った。


「……ちっ、クソババアがっ! 自分がイケてるとでも思ってんのかよっ!」


 空に向かって言い放ったその言葉は虚しく宙を舞った。俺は直ぐに気を取り直し、その後も歩き回っては見つけた女に声を掛けまくった。が、無視された。どうみてもオバサンだろうという女にも声をかけたが無視された。話を聞いてくれたオバサンもいたが、「はいはい」といなされた。それなりに若い女もいたが、どうにも俺と相性が合う女がおらず相手にされない。ようやく俺と相性が合いそうなアホっぽい女を見つけるも、そういった女は明らかに年下のくせしてタメ口を聞く奴が多く、それに対し腹が立つと同時に実体が無いのを忘れて殴りかかってしまう。そして1人で勝手に転んでは逃げられる。そういったアホっぽい女も中々見つからず、それでも片っ端から声を掛けるも、やはり殆どの女は俺を無視する。中には俺を見下すようにして見る女もいる。そういう女に思わず殴りかかってしまうが、そのままスリ抜けゴロンと地面に転ぶ。どうにもこうにも、自分も相手も実体の無い魂という存在であるという事を直ぐに忘れてしまう。再び気を取り直し女を探していると、見知った顔の女がいた。


「ナナじゃんか!」

「あれ? えっと……タカシ……だっけ?」


「タケシだよ。何だよナナ、お前も死んだの?」

「まあ、そう言う事みたいだね」


 それは俺がよく行くガールズバーの女。俺が狙っていたギャル系の女。今思えばこの女に幾ら金を使った事だろうか。結局はぐらかされ続けて何も出来なかった。


「つうかナナは何で死んだんだ?」

「まあ、男に刺されたのよ……」


「んだよ、結局お前は男がいたのかよ」

「いいでしょ別に。アンタには関係無いでしょ」


「関係無いって事もねぇだろ? さんざん金使ったんだぜ? とりあえずよ、こんな場所であったんだから座って話でもしようぜ?」

「は? 何でアンタなんかと話をしなきゃなんないのよ?」


 明らかに店であった時とは異なる態度。店で会う時はもっと可愛かったはずだが……


「別に話ぐれぇ良いじゃねぇかよ」

「つうか勘違いしてんじゃないの?」

「勘違い?」


「ここは店でも何でもねぇの。アンタなんかに愛想振りまく必要無いでしょ?」

「はぁぁぁあ? テメェふざけんなよ?」


「ふざけてんのはアンタでしょ? 私にとって店に来る男はただの金ヅルなの。金くれるから愛想振りまいてるだけだっつーの。アンタなんて何とも思って無いし、アンタと仲良くしたいなんてこれっぽっちも思ってねぇよ。別にツラが良い訳でもねぇし、話が面白い訳でもねぇしよ。昔の武勇伝ばっかりでこっちはうんざりしてたんだよ。私が笑ってテメェの話を聞いてあげてた事に感謝しろっつーの。つまみだって安い乾き物しか頼まねぇしよぉ。アンタと違って鞄だの時計だのを貢いでくれるスケベ親父の方がよっぽど良いわ。そういう人はテーブルに載り切れない程に頼んでくれるしね。つうか店じゃねぇんだから気安く声掛けんじゃねぇよ、バーカ」


 そう言ってナナは立ち去ろうとして、俺は「待てよ!」とナナの腕を掴もうとした。だがそれは当然すり抜け、俺はバランスを崩してゴロンと地面に転んだ。


「お前アホかよ。ここのルール知らねぇの?」


 どうにも俺は学習しないようだ。ナナにそんな事を言われて返す言葉も見つからない。


「ったくよ、死んでからもテメェみたいな男に付き合いたくねぇの。じゃあね、追ってくんなよ」


 そう言ってナナはフワリと浮き上がり、飛び去って行った。


「ナナァ! 一体テメェを何度指名して幾ら使ったと思ってやがんだよ!」


 その声は虚しく何も無い空間に散り、俺は暫くの間、既に見えなくなったナナを見つめていた。


「は~あ、折角よさそうな女に会えたのによ……」


 俺はそれからも女を探して歩き回ったが、結局俺の相手をしてくれる女は誰一人として現れなかった。時間の感覚が無い為に、どれくらいの時間歩き回ったのかも分からないが、ガキが言っていたように腹は一切減らないし、そもそも食欲も無い。疲れといった物も一切無い物が、流石に飽きてきた。よくよく考えてみれば、仮に俺に興味を持ってくれた女がいたとして、その女が俺と相性の合う女だとしても、肉体という実体が無い以上、話す以外の何が出来る訳でも無い。高齢者であれば話すだけで充分と言える程に、充実した日々を送る事が出来るのかも知れないが、今だ血気盛ん且つ好色一代男に憧れる俺としては、話すだけの関係なんて物は虚しさを覚えるだけ……


「は~あ、何だか面倒臭くなってきたなぁ」


 俺は地面にへたり込み、ずっと同じ位置にある太陽を見上げた。


「つうかマジでこんな何も無い所にずっといるのかよ……地獄過ぎだろ……」


 此処に来てからどれくらい経ったのかも分からないが、自分が思っている程に時間は経ってはいないのだろう。そしてそれはこれからもずっと続く。恐らくはとんでもなく長い時間をここで過ごす。残りの寿命とやらをこんな何も無い世界で過ごす。こんな場所ではガキの言っていたバラ色の人生など到底送れそうもない。俺は本当の寿命とやら迄、無駄に無意味に過ごすだけなのだろう。何と意味不明な人生なのだろうか。まあ、既に死んでいるというなら人生とは言えないか……


 一体俺は何をしたが故に、こんな罰とも言える日々を過ごす事になったのだろうか。俺はそれほど迄に何かをしでかしたというのだろうか。神様ってのがいたとしたらマジ潰したい。まあ、俺はユカリに殺されたんだから、恨むならユカリを恨むのが筋ではあろうが。つうかユカリはこれからどう過ごして行くんだろうか。まあ、あんなアホな女の事はどうでもいいか……


 何も無いこの世界。雑草すらも咲かないこの世界。仮に何かが咲いたとしても、それは決して俺の目には映らない「透明の花」なのだろう。香りも姿も何も無い「無意味」、若しくは「無駄」という名前の、きっとそんな花だろう。

2020年04月11日 2版誤字訂正

2020年04月10日 初版

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