インディアン
七十歳の誕生日を迎えたギャングの親玉をそのファミリーは総出で祝福する。しかし懸念すべきことがファミリーの父たる男にある。三男坊の馬鹿息子がパーティに出席していないのだ。鶏肉の塊やホールサイズのケーキ、グリルポテトや茄子サラダを含め、前菜、メインやデザートや食後のコーヒー、ブランデーに至るまで、一人分の料理が余っている。食器はピカピカの磨きたてのまま、この場にいる誰よりも三男坊の帰りを待っているようにも見える。それから昼が過ぎ、夕方になる。心配した長男の娘が探しに行くように諭すがほとんど誰も聞きはしまい。そんなのは日常茶飯事のことであり、また直に帰ってくるだろうとその場にいる人間はそう思っていた。しかしまあ、祝いの席ではある。仕方なしにファミリーの母たる女は用心棒のインディアンに探しに行かせる。ギャングの親玉たる父親は普段からその人を舐めた態度を叱り飛ばしつつも、内心帰ってこないことを寂しがってはいた。なんだかんだ息子を愛してはいるのだ。
インディアンは一人で外に出て、三男坊が行きそうな地を車で回っていった。冬の夜、その手前の紫がかった空の下、三男坊の靴と何かが見つかる。インディアンにはそれが何か一目で理解した。硝子の破片と、タイヤのブレーキ痕と一緒にそれはあった。雪が積もった後にそれらはあり、その先に見えている光景の先に、三男坊もいるはずだった。おそらく、家まで引きずり込まれただろう。でなければ、三男坊をその辺に放ったまま、逃げたか。いやそれはありえないとインディアンは見る。行き先を当てることも、そう難しくはないはずだ。
それから戦争が始まる。ほとんど誰もが、三男坊の失踪は新興ギャングによる策略だと言い出し、事態は想像するまでもなく、展開する。インディアンはその闘いに身を投じながら、彼らとは別のことを考えている。しかしギャングになった人間が誰しも一度は思う理想や夢の手掛かりがそこにはあると見ている。インディアンはいつも通り、狩りに出かける準備をする。向かう先は、紫がかった空が溶け落ちた水が流れ出る河だった。その水にはこれから死にゆく男たちの運命や魂が浮かび上がりまた沈む。インディアンの運命もそこにはあったが、順番や法則からして十五年は先のことだった。その前には、三十人ほどの男たちの顔が浮かんだ。それがわかれば充分だった。何をすべきか理解していた。インディアンはその水を掬い取って飲み干した。インディアンはそれから敵側のギャング一人の喉元を掻っ切った。あとは簡単だった。戦争は単純かつ明快に進んでいった。