color:Raspberry「溜め息」
「はあ……」
エクリュは溜め息を吐く回数が増えました。ジェードと友達になる前の頃のよう憂鬱な。
「はあ……」が
ぽとり。ぽとり。ぽとり。雫のように床に落っこちます。朝起きてから夜ベッドで眠りに就くまで、彼のことばかり考えてしまいます。
ジェード……
彼と手を繋いだこと。
頬にキスしてもらったこと。
唇を奪われたことが頭から離れません。病のような倦怠感と微熱が彼を蝕みます。
なんで好きになってしまったんだろう……
人の声も騒音も耳に入りません。上の空で虚空を眺めていました。
「では次の行をミスター・チャーチ」
その後やけに長い沈黙が続き、同じ声が同じ呼びかけを繰り返します。
「ミスター・チャーチ?」
「あ、えっと……」
授業中に別のことを考えていたエクリュは、先生に指名されたことに二回目でようやく気付き、慌てふためきました。隣の席の男子生徒が教科書を指差して「ここ」と小声で教え、エクリュはそこから教科書を読み始めました。
その授業が終了するとエクリュは、だらんと机に突っ伏して眠りに就きました。四六時中ジェードのことばかり考えていて、ろくに睡眠が取れていません。頭の中からジェードのことが離れないエクリュでしたが、さすがに睡魔が襲ってきました。一旦机に頭を乗せると、そのまま一瞬にして寝息を立てて寝始めました。
「あいつの前髪、気味が悪いから切ってやろうぜ」
そう言ったのはバフでした。彼はカントともう一人の仲間を引き連れて前髪の長い生徒の席に近付きました。
「おはよう」と彼にバフが声をかけます。
前髪の長い生徒が振り向くと――
バフの手に握られた刃物が光を反射して輝きました。鋏です。彼は手を動かして、閉じた刃と刃を広げました。チャッと小気味の良い音が鳴ります。その刃が反射して不気味な光を放ちました。カントともう一人の少年が前髪の長い生徒を押さえつけ、バフが無造作に前髪を掴んでぐいっと上に持ち上げます。
「はい、さようなら~♪」
歌うように言うと、バフは悪ふざけのノリで下品な笑みを浮かべながら、ジョキッと鋏で髪を切り落としました。握っていた髪が手の中に残り、その下の切断された部分がはらはらと、髪を切られた生徒の顔の前を滑り落ちました。隠れていた翠色の瞳が剥き出しになった顔でその生徒は黙っていましたが、すぐに席を立ち、静かに教室から出て行きました。
教室内のざわめきに起こされて、エクリュは目を覚ましました。呑気に欠伸をします。よく寝たぁ。ん? 気のせいかこちらのほうを見て、何やら生徒たちがひそひそ話をしているようです。近くにいる生徒にそれを尋ねると
「バフがジェードの髪を切っちゃったんだ」と教えてくれました。
「さっき教室から出てっちゃったよ」
「嘘っ!?」
ジェードの席にその姿はありませんでした。エクリュは慌ててジェードを探しに教室から出て行きました。
ジェード! どこ行っちゃったんだよ!?
廊下を走るエクリュを、すれ違う生徒たちが何事かと振り返ります。
外に行っちゃったのかな?
エクリュは窓から校庭を眺めましたがそれらしき姿は見当たりません。とりあえず中から探そう。そう思い図書室、トイレも覗きましたがいませんでした。あとは……
科学室は鍵がかかっているので実験で使う時しか入れません。それ以外で入れる場所といったら……職員室? 先生に相談しに? まさかジェードがそんなことをするだろうか? なんでも自分の中に抱え込んでしまうのがジェードです。そんな彼が髪を切られたからといって誰かに弱音を吐くとは思えません。あの痛々しい背中や腕の傷痕を見たエクリュには、そう思えて仕方ありませんでした。でも、じゃあどこへ? 途方に暮れていると――
「あ!?」
思わぬ場所から見覚えのあるダークブロンドの頭が見えました。「ジェード!?」と叫んでエクリュが駆け寄ります。
「エクリュ?」
ジェードはきょとんとした顔でエクリュを見ました。
「髪……」
一方見詰められたエクリュは、ジェードのその頭を見て戸惑いを隠せませんでした。前髪が……
「ジェード? だよね?」
「うん、そうだけど」
「ジェード、かっ……こいい」
ジェードが出てきたのは保健室からでした。なんでも保険の先生に「前髪がこんなことになっちゃったので鋏を貸してください」と言いに来たところ、「じゃあ私が切ってあげるわ」と保険の先生が切ってくれたそうです。その髪型は、以前の前髪が長くて目が隠れていた暗い印象とは全く異なり、前髪が短くなって、眉も目も出てすっきりとした印象です。エクリュはジェードの長い前髪の隙間から見え隠れしている翠色の瞳は見たことがありましたが、顔全体を見るのはこれが初めてでした。実の母親似でからか、継母に忌み嫌われていると言っていた彼の顔は、醜いどころか端正で凛とした眉の美少年でした。もっとか弱い男の子の顔を想像していたのに……
エクリュは驚きを隠せません。かっこいい、かっこよすぎて見れない。新しい髪型になったジェードに慣れるまで、しばらく時間がかかりそうな初心なエクリュでした。
六話のイメージカラーはラズベリーです。甘酸っぱい恋をイメージしてみました。