color:Carmine「入れ替わり」
放課後エクリュとジェードは同じ道を歩いていました。
「なんかドキドキする」
「僕も……クスクス」
「本当に~!? 笑ってるじゃん」
緊張しているとは思えないジェードを、エクリュは「他人事だと思って」とふくれっ面で睨みました。
二人でジェードの家までやって来ると、彼の母親に見付からないようにこっそり物置小屋に入りました。戸を閉め切ると真っ暗になって中が見えなくなるので、光が入るように細く戸を開けておきます。狭いので横に並んで着替え始めました。
『君も早く服を脱いで!』
制服のベストを脱いで、上はシャツ一枚――白と水色が選べてエクリュとは色違いの水色の――になったジェードが、ひそひそ話の声で言います。
『う、うん!』
エクリュも同じく声を潜めます。
「?」
ジェードがシャツも脱いで、その背中を目の当たりにした瞬間、エクリュは目を見張りました。シャツのボタンを外していた手が止まります。
「あ、ぁ……!」
叫びそうになる口を手で塞ぎましたが、溢れてくる涙を止めることはできませんでした。
『どうしたの? 早く着替え……?』
ジェードは自分の背中を見て、エクリュが嗚咽を上げているのだと気付きました。
「酷い!……」
口に手を当てたままエクリュは、涙声で言いました。ジェードの背中には何本もの傷痕がありました。薄暗い小屋の中でもわかるほどそれははっきりと残っています。木の棒で叩かれたと彼は言っていました。それがどれだけ痛かったことでしょう。肩や腕にもあります。子供の身体にこんな痕を。酷い、酷い、酷すぎる! 許せない――――!
嗚咽がどんどん流出するエクリュの肩をジェードが軽く叩きました。
「早く脱いで。服を交換しよう?」と微笑して促します。
「う、うん」
エクリュは涙を拭いて服を脱ぎ、ジェードが脱いだ服と交換しました。
「一旦外に出ようか?」
ジェードに促され物置小屋から出ると、最後の仕上げに取りかかります。
今度は髪型をジェードに近付けます。ジェードはダークブロンドで茶色に近い髪色です。エクリュも色素の薄い髪色なのでじっくり見なければわからないでしょう。伸ばして横分けにしていた前髪をジェードが用意していた櫛で前に梳かし付けます。
「よし、できた!」
これで完成。ジェードがエクリュになり、エクリュがジェードになりました。
「僕にそっくり」
エクリュの肩に手を当てて、向き合った顔を見てジェードは会心の笑みを浮かべました。
ジェードに「おかあさん」への対応の仕方をいくつか指導してもらい、二人は“入れ替わり”を実行しました。今日と明日の二日間二人はそれぞれの家の人間に成り替わって生活します。ジェードはなんだか愉快そうな顔をして、それを楽しんでいるようでした。エクリュの家族に狂暴な人はいませんし、ジェードはニ日ぐらいならばれずに息子になりきれる自信がありました。一方、エクリュには不安しかありませんでした。なにしろ暴力を振るう恐ろしい義母がいるのです。怒らせないようにしないと……そればかり考えていました。
ジェードの部屋には、彼が前もってタンスの脇に用意しておいてくれた部屋着がありました。エクリュはそれに着替えて夕飯の食卓に顔を出します。食卓にはジェードの両親が揃っていました。会話という会話はほとんどありません。緊張しすぎて息苦しい時間でした。無理やり食べ物を喉に流し込んで、早々に席を立ちます。
「ごちそうさま……」
義母も父親も、それについては何も指摘してきませんでした。部屋を出るとエクリュは、逃げるようにジェードの部屋に駆け込みます。ドアを閉めると大きな溜め息が床に落ちました。
窒息しそう! 心の中で悲鳴を上げるエクリュでした。
翌朝ジェードの義母に用事を言いつけられました。まずは掃除です。エクリュはバケツで水を汲みに行き、それとモップを持って部屋に戻りました。腰に手を当てた義母が、その様子を観察するように見ています。
怒らせないように、怒らせないように。エクリュは頭の中でそう自分に言い聞かせながら行動しました。
「床を水浸しにしたら許さないからね」と義母はドスの利いた声で言い、エクリュを睨んできました。エクリュは細心の注意を払い、水に浸したモップを絞り機でよーく絞ってから掃除に取りかかります。
「それが終わったら二階の廊下もモップをかけときな」と言って義母は背を向けました。「ついでに二階のゴミ箱に入ってるゴミも捨てときな」と付け足します。すかさずエクリュは叫びました。
「あの、じゃあ朝ご飯は?」
義母が振り返り、怪訝そうに細めた目で言いました。
「掃除が全部終わってからに決まってるだろ」
「そんな……」
エクリュは起床してから水も飲んでいませんでした。無慈悲な言葉に肩を落として項垂れます。
「いいからさっさと終わらせな! 終わらないと飯は食わせないからね」と言い放ち、義母はそこをあとにしました。
「はあ……」
エクリュは落胆しました。朝からなんでこんな目に遭わないといけないのか。大きな溜め息が床に落ちました。
二階もモップ掛けして片付けを済ませる頃には、エクリュはもうくたくたになっていました。でもやっと朝食が食べられると、期待して食卓に向かいます。
「遅かったね」
食卓には義母しかいませんでした。卓上には既に食事を平らげて空になった皿とマグカップが置かれているだけです。父親はまだ寝ているのか、それとも朝早く出かけたのか、姿が見えません。
「“おかあさん”、僕の朝ごはんは?」
“息子”のその問いに、義母はニヤリとしました。
「朝ごはんだって?」
言って義母はギロリトした目でエクリュを見ました。
「……!?」
エクリュは、長い前髪の下を覗かれた気がしてびくっとしました。ふと義母が椅子から立ち上がりました。その動きに警戒したエクリュの身体が一瞬ビクッとし、緊張して強張ります。母親がこちらに近付いてきました。彼女はエクリュと変わらない背丈です。でもその威圧感は、それを遥かに超越していました。
「朝ごはんの時間はもう終わった。お前が遅いのが悪いんだよ」
義母は顎をツンと突き出して、エクリュを嘲笑いました。
「そんな……!」
エクリュは悔しくて顔を歪ませました。あんなにがんばったのに、その努力をこんなにあっさりとないがしろにするなんて。なんて意地悪な人なんだ! と悔しくて泣きたくなりました。
「お前にあげる朝ごはんはないよ」
無慈悲な言葉にエクリュの目から涙の雫が零れました。視界が涙で歪み、そこに義母が肉迫してきたことに気付くのが遅れました。
「?」
服を鷲掴みにされて、引きずるようにどこかへと連れていかれます。
「痛い! やめてよ!?」
エクリュがいくら叫んで抵抗するのも義母は聞いてくれず、家の外に連れていかれました。あの物置小屋の前までやってきます。義母はその戸を開けると、エクリュを中へ押し込みました。エクリュは中に置かれていたがらくたに足を取られ、転んで床に肩をぶつけます。呻きながら床に手を突くと、ひんやりした床の感触に続き、固い床にぶつけた肩に鈍痛が走りました。
「っ!?」
エクリュが恐怖に顔を引き攣らせます。殴られるかもしれない恐怖に。義母の手が動いたのを視界に捕らえて、エクリュはギュッと目を瞑って身構えました。義母が煩わしそうにその手を払いのけ、エクリュの髪を鷲掴みにします。そのまま無理やりエクリュを立ち上がらせました。
「痛いっ!」
エクリュはあまりの痛みで金切り声を上げて、泣きながら訴えます。義母の背中の向こうに平穏な朝の景色が覗いていました。助けて! 誰か助けて……! 視界は歪み、足元をふらつかせながら、エクリュは心の中で懇願します。義母がエクリュの顔を、光が当たる方向にぐいっと引っ張ります。目元を隠していた前髪は今、義母に握られた手の中にあり、その目を隠している物は何もありません。その顔と対面して義母は言いました。
「“お前は誰だ?”」
ばれた!?――
一巻の終わりです。エクリュの身体が恐怖でガクガク震え出します。ジェード……
殺されちゃうよ!?
四話のイメージカラーは「carmine」です。イチゴ味のカクテルっぽい色に見えたので、少し背伸びした行動をイメージしてみました。