color:White「二人の門出」
エクリュたちが卒業式を迎えた日のことです。彼とジェードは帰り道を並んで歩いていました。三月はまだ春と冬が同居しています。上着なしでは寒いのに、頬に当たる日の光はほんのり暖かくて、とても心地よい陽気でした。二人はいつしか手を繋いでいて、空き地の芝生の上に寝転びました。
「……」
エクリュの手が芝生の上を這って移動し、ジェードの手を捕らえます。気付いたジェードが指を絡ませ、二人は手を繋ぎました。エクリュが口を開きます。
「気持ちいいね」
「うん」
見上げた空があまりにも広大で、吸い込まれてしまいそうでした。瞼を閉じると心が澄みわたり、風や小さな物音まで感じます。
「ずっとこうしてたい」
「僕もだよ」
エクリュは体を傾けて、そう言ったジェードの顔を横から覗き込みました。そして彼を挟むように地面に手を突くと、ジェードの唇にキスを落としました。その途端
「クスクス」
「あ、笑った」
ジェードは愉快そうに笑い出しました。エクリュも笑います。幸せな時間が流れました。その間だけは辛いことも忘れます。それが徐々にすすり泣きに変わったことに、エクリュは気付きました。
「ジェード、泣いてるの?」
「……ッ」
ジェードは何も答えません。目元に拳を当てて、何かを必死に堪えています。
「ジェード、我慢しないで? 声を出して泣いてもいいんだよ」
「ぅうッ……」
ジェードが目元から手を下ろし、涙で充血した悲しい目で、エクリュをすがるように見詰めました。エクリュに向かって両腕を伸ばします。その腕の中に身を鎮めると、エクリュはジェードと芝生の上で抱き合いました。横になって互いの顔を見詰め合い、何も語らずに時を過ごします。髪に触れ合い、恍惚と悲しみが混ざり合う瞳と瞳を対峙させ、互いの体を愛撫します。エクリュはジェードの背中に指を伸ばしました。触れてはいけない傷痕。守れなかったその背中。そこにエクリュの指が近付く気配を感じても、ジェードは避けようとはしませんでした。エクリュの手を受け入れます。エクリュは震える指先をそこに這わせ、ジェードの背中を撫でました。
「ごめんッ!」とたまらず嗚咽を洩らします。ジェードを慰めたかったはずなのに、逆にジェードがエクリュの頭を撫でて慰めてくれました。
「助けてあげられなくて、痛い思いをさせてばかりでごめん!」
感情が込み上げて、涙が止まらなくなります。
「泣かないで、エクリュ」
「泣かなくていいよ」とジェードは穏やかな声でいいました。
「悲しい顔のエクリュよりも、笑った顔のエクリュのほうが好きだよ」
「ジェード……」
どうにか泣くのを止めて、エクリュが言いました。
「僕も」としゃっくりを堪えながら続けます。
「僕もジェードの……っ笑った顔のほうが……っ好き。
笑った顔が見たい!」と涙声で言いました。
友情を越えて繋がった二人は、互いの幸福を願っていました。エクリュには温かい家族がいます。ジェードもそうなってほしい。義母の虐待をやめさせて。
それは贅沢なことでしょうか?
それさえ叶えばジェードは幸せになれるのに。
そう願うのは贅沢なことでしょうか?
でもそれだけは叶えられませんでした。
その願いは、神様のもとへ届かなかったのでしょうか?
どんなに願っても、抗っても、変えられない運命があることを二人は知りました。
「じゃあまた」
「うん、また」
二人は家に帰り荷物を置いた後、またそこで会う約束をして別れました。それで「また」なのです。
「話って、なんだろう?」
一人になって歩き始めるとエクリュは、心の中でそう呟き、首を傾げました。自宅で昼食を摂った後、母親に「行ってきまーす!」と元気よく言って食卓のある部屋を出ます。「暗くなる前にちゃんと帰ってくるのよ?」と言う母親の声に「はーい!」と大きな声で返して家を後にしました。
待ち合わせの場所に、ジェードは先に来ていました。芝生の上に座る少年のダークブロンドの頭が見えて、エクリュは駆け出しました。そんなに寒くないのに上着を羽織っています。
「ジェード!」
ジェードが振り向いてにっこりと微笑みます。その隣にエクリュも腰を下ろしました。
「話って何?」
さっそくエクリュが切り出しました。ジェードの眼差しは遠くを見詰めていました。彼の唇がその言葉を紡ぎます。
「僕はいないほうがいんだ 」
言ってジェードは微笑しました。
「何言ってるの?」
エクリュにはわけがわかりません。
「なんでそんなこと言うの? 何を考えてるの? まさか自殺……!?」
その続きを言う前にジェードが「違う」と首を振って否定しました。
「じゃあなんで?」
エクリュは腑に落ちない顔をしました。不安で堪らなくなり、ジェードの肩に手を置いて問いかけます。
ジェードはこう続けました。
「僕は消える。この町から。家族も知り合いもいない場所へ行き、別の人間として生きていく。
だから追いかけてこないで」
そしてさらにこう付け足しました。
「君に僕は救えないから」
君に――僕にはジェードを救えないと。
それを理解してエクリュは絶望しました。
僕が助けようとすればするぼど、ジェードはボロボロになっていった。
これ以上自分が関わったらどうなるか……
あの母親に殺されてしまうかもしれない。
そう考えるとエクリュは怖くなりました。
ごめん、ジェード。僕は君が大好きで、愛しているけど、その気持ちだけでは君を救ってあげることはできないみたい。助けてあげたくてもどうすればいいのかわからない。何をしたら君を救えるのか……もう勇気が出ない。頼りなくて、弱虫でごめんね。
ふとジェードが立ち上がり、エクリュに手を差し伸べました。その手に掴まって、エクリュも立ち上がります。別れの時が来たのだと、瞬時にエクリュは察しました。
「エクリュ、大好きだよ」
ジェードはエクリュを抱き寄せました。
「ジェード、本当にいなくなっちゃうの? やだよ……!」
いざ抱き合うと気持ちが揺らぎます。本当は諦めたくないのです。でも……
「行かないで!?」と言いたくても言えなくて、エクリュはジェードの胸に顔を埋めてすがりました。
「さよなら、エクリュ」
「ジェード……っっ!」
泣き出そうとしたエクリュの唇に「待って」とジェードが人差し指を当てて微笑みました。そこにキスを落とします。
「“愛してるよ”」
そう言うと彼は荷物を肩にかけ、エクリュに背中を向けました。
「待って!?」
エクリュの目から一気に涙が溢れ出し、彼は叫びました。
「僕も!」
震える唇を一度噛みしめてから続けます。
「ジェードのこと、愛してるから!」
そしてもう一言――
「愛してるから……っっ!」と掠れた声で告げました。
足を止め振り返ったジェードは、幸せそうに笑っていました。
……END……
十話のイメージカラーはホワイトです。総てをリセットしてまっさらな状態からの再出発を表しています。




