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270話 援軍

 ヌイーズ卿。

 エジン公爵家の家令のひとり。

 家を守る執事の仕事を任されたひとりで、エジン公爵家はそういう仕事をしている複数の家を抱えている。


 オフィリアが頼りにしているひとりで、あのカウフマンの反乱時には彼女を逃がすため、武力もないのに衛兵隊を相手に奮闘したらしい。


 武官に対抗できる、気骨ある文官って感じかな、と俺は解釈した。


 そんな話はあとでウルシャに聞いたわけだが、今現在はそんなことに気を取られている場合ではなく。

 気を取られていたのは、ここに戻るのに3カ月かかっていたという問題だ。


 1週間が3カ月になったという事実。


「亜人領とこっちでは時間の経過が違うわけないから、元の世界じゃなくて異世界での時間経過が違う?」


「いやそうじゃないだろう」


 俺のひとり言をピシャリと否定するアイ。


「もしそうなら、師匠の連絡も3カ月前のものになる。師匠はその話を一切していなかったし、そういう素振りもなかった」


 それはわかる。

 そもそも、ガラケーでの会話もしっかり成立していた。

 だからそういう計算は合わない。


「となると、こっちから異世界への移動で時間経過が違うと考えるのが自然か」


 だがそれも少しおかしい。

 こっちから元の世界へ行く時は、そんな時間経過があったようには思えなかった。

 二ノ神先輩や、シガースがほんとは数十日間の時間を経てきていたことを悟られない演技をしていた可能性もあるが、ふたりともそういうひっかけをするタイプには見えない。


「……原因は、はっきりしてきたなぁ」


 やっぱり、先輩が逃げ出した時に、なんかやられたか……あるいは事故ったのか……


「イセ、今はそっちはいい。こっちに切り替えよう」


 アイの言うこっちとは、今目の前で起こっている戦争のことだ。

 『神器』アイのパトロンとも言うべきエジン公爵の危機ことだ。


 こちらの様子を心配げに見ているヌイーズ卿らを見て、俺も切り替えた。


「ヌイーズ卿、さっそくエジン公爵閣下にお目通りを」


「はい。……本当にアイ様が生きておられて良かった。オフィリア様も大変安堵されてました。早く顔を見せてあげてやってください」


 ヌイーズ卿は心底嬉しそうに言い、こちらにどうぞと案内をし始める。

 彼の従者や護衛たちも同じ様子だ。


 そら夜中も夜中に、亜人たちの王らに強襲され、そのまま攫われた格好だったわけだし。

 そこから3カ月も連絡なし。

 そりゃ心配だっただろう。


 アイはヌイーズ卿をいったんひきとめ、俺の車で入城すると言い出す。

 確かに警護の意味でも安全だろうし、今後の話をしながら移動できるのはおいしいので俺も賛同した。


 車に乗る時にふと、今も行われている戦場の様子が気になった。


 戦いは終わりかけていて、双方撤退中ではあるものの、ぶつかりあっている兵たちも見える。

 そんな中で、退却中の兵たち流れに逆走する軽装の騎馬が数騎見える。


「城へ戻れ! 城へ戻れ!」

「捕虜と負傷者の回収を急げ!」


 そんな声を何度もはりあげながら、騎馬を駆っている。


 口頭で全部伝えないといけない伝令って大変そうだ。

 戦ってても、戦ってなくても、戦場で一番忙しいのってああいう伝令役なんだろうなぁ。


 そんなことを思っていると、退いていく敵軍の中にこちらにやってくる一団が見えた。

 このまま攻めてくるのかと思いきや、撤退する兵たちを守るために出した一団らしいのがわかった。


 目まぐるしく変わる戦場の兵たちの動きが、今ちょっと見ただけでもわかる。

 こんな状況で、カウフタンは動き回っていたのか。

 それも、こちらの軍よりもだいぶ大きな軍隊相手にしていた。


 コンウォル辺境伯の騎士たちも、対亜人の前線基地で戦っていただけに数も多く精強そうだったが、それがこの連合軍の中では一部でしかない。

 公爵討伐軍は、こちらのエジン公爵側の兵の倍以上はいるようにしか見えない。


 今、この瞬間からでも、俺たちが助けに入った方がいいんじゃないのか?


 そんな考えを見透かされたのか、アイに腕を引っ張られた。

 ウルシャも、俺が勝手に動き出すんじゃないかと警戒している様子だった。


「……ごめん。行こうか」


 正直、戦場とか見ても、戦況がどうとかわからんし。

 ここは素直に入城して、俺にどういう手助けができるのか聞いたり考えたりした方が良いだろう。


 アイとウルシャを助手席に乗せ、ハイエースで徐行を始める。


 ヌイーズ卿らが徒歩なので、ほんとにゆっくりとした動きだ。

 彼を乗せた方がいいのではと提案はしてみたものの、ヌイーズ卿の護衛全員を乗せるわけにはいかないとウルシャが言うので断念。

 お祭りのパレードのような徒歩ペースで車を走らせる。


 そして城門をくぐり、その先にあるちょっとした広場に出ると、ざわめきが大きくなっていき、それが歓声に変わった。

 びっくりしてブレーキを踏みそうになった。


「アイ様の戦車が、戻ってきたぞ!」


 という声が聞こえ、皆が一斉に歓迎の声をあげている。


 何? ひょっとしてこれって凱旋って間違えられている?

 でも俺たちを案内しているヌイーズ卿らは、どこか誇らしげに歓声を聞いている。


 丁度運転席の窓際あたりにいるヌイーズ卿に言ってみた。


「すごい歓迎ですね」


 それを聞いてヌイーズ卿は少しびっくりし、苦笑してみせた。


「あなた方は、援軍のない我がエジン公爵領の希望ですよ」


 そんなことを、ほんの少し涙ぐみながら言われてしまった。

 だからこそ、この街の人々が沸きに沸く歓声が響かせている。


 凱旋に間違えられたのではなく、彼らからすればこのハイエースの入城はまさに凱旋だったのだ。


「我々は、負けることも覚悟していたのです」


 ヌイーズ卿のそのひと言は、えらい重かった。


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