260話 帰る世界
伊勢誠の体を使い続ければ、俺はこの世界にとどまることができる。
あっちの世界で生まれた俺だが、こっちの世界に慣れている。
あのハイエースの置き場所も、収納可能だから困ることはないだろう。
伊勢誠の直近の記憶はあるから、そこから過去の情報を遡ることはできるだろう。
問題はなさそうだ。
あるとすれば、この伊勢誠自身だ。
こいつはどうなる?
疑問に浮かんで先輩を見た。
普段どおりのなんとも言えない笑みを浮かべてこっちを見ているだけ。
何か考えているようで、あまり考えてないことを俺は知っている。
先のこともあとのことも、あまり考えていない。
この先輩は、今この場で思いついたことを言っただけだ。
伊勢誠とは先輩後輩であり友達という関係でありながら、彼の体を俺に貸す。
平気でこのまま使い続けてもいいんじゃないかと言う。
切り替えがいいとか言う問題じゃない。
端からそこまで考えてないんだ。
サイコパスってこういうのを言うのかもしれない。
と、怪しい用語を当てはめてみたが、意味はない。
ただ、俺にとって埒外のことを考える存在が、先輩だっただけだ。
友達としての記憶がある先輩だっただけだ。
きっと伊勢誠と先輩は、大学の時の友達であっただけの関係になるだろう。
記憶にある彼が、先輩と付き合っていられる気がしない。
「あっちの世界に戻ります」
「そうか。わかった」
そう答え、先輩もあっさり返事をした。
するとアイがホッと息をついた
「残るって言いだしたらどうしようかと思った」
それは、心底安心し喜んでいるとわかる笑みだった。
先輩の、ただ顔面に貼り付けただけのような笑みとは趣が違う。
そう思うのは、俺が彼女に愛着を持っているからかもしれない。
そういや、俺を生み出したのって彼女だったんだ。
アイが俺を呼び出したから、俺は今、ここにいるんだ。
これってあれか。
インプリンティングだっけか。
伊勢誠の記憶を一部持ちながら、生まれて初めて見たものを親と思う習性というのは発動しうるものなのだろうか。
「残るって意味では、俺は元いた世界に残るよ。俺にとってはこっちが異世界だから。生まれた世界に帰りたいって気持ちの方が強いから」
「……そうか。アイたちと同じ故郷ってことだな」
アイが嬉しそうに笑う。
それが俺にはしっくりきた。
俺は今、俺自身を受け入れることができた。
「結論は出たようだね。それじゃ会計しておこう」
そう言って、先輩が伝票を持って席を立つ。
俺たちはそのあとに続いた。
「セットだけならなんとかなるよ。でも明日からは伊勢くんにお金借りないとな」
さっき、俺に体を貸すと言っていたその口で、友達としてお金を借りる宣言をする先輩。
非日常的な非情さと、友達に金の無心をするという情けなさとの境界線が見えない。
こんなのを相手に、アイたちはやってきたんだ。
自分を受け入れ、元の世界に帰ると決め、現状を受け入れてみると、伊勢誠にとってのニノ神先輩が、ようやく『神』に見えた。
アイたちが『神』という尊称で呼ぶ存在として認識できた。
そしてアイたち『神器』が、『神』に対して持つ感情に共感しはじめた。
『こいつ、腹立つよな』
こんなのに世界を握られていると思うと、恐怖よりむしろイライラする方が先に来た。




