211話 ふたりで行くのは言語道断
月が映える頃合いの静かな夜。
不穏な闘争ムードの中で、ようやく荒事が収まりそうな気配が見え始めた。
なのに、鬼王との交渉成立間際にウルシャが割って入ってきた。
「アイ様、おひとりでは行かせません」
「俺、いるよ?」
ウルシャは剣気を鬼王に向けたまま、俺に殺気を込めたナイフを一瞬で目の前に突きつけてくる。
ゾクッと寒気が走る。
「こんなものに反応もできないイセに、アイ様の護衛を任せられない」
ウルシャの脅しひとつで、俺はうなずいてしまう。
確かに、護衛とか無理。
てか、護衛できるとは思ってません。
「アイちゃん、どうするの?」
鬼王はウルシャの様子を見て、やれやれといった調子で言った。
「そっちの揉め事、さっさと解決してくれ。こっちは別に……いいんだよ」
鬼王のいい、というのは、皆殺しでもいいくらいの意味だ。
ウルシャやクオン、カウフタンら衛兵隊、それにタツコもいて、それでものほほんと言ってのける鬼王は、ほんとにそれでいいのだろう。
「ウルシャ、すまぬ」
アイはそう言って、手を掲げようとした。
だが、俺に向けていたナイフが瞬時に消え、ナイフを握っていたはずの手がアイの手首を掴んでいた。
ナイフを仕舞い、アイの手首を抑えつけていたのだ。
俺もアイも、まったく反応できていない。
「アイ様、私はずっと見てきました。魔法をどう使うのか、私にはわかります」
言われたアイは驚き、そしてふっと力なく笑む。
「だろうな」
アイは、ウルシャを魔法で止めようとする抵抗を止めた。
あれ? それじゃこのままだと、鬼王が力づくでアイを連れていこうとするんじゃないの?
焦っている俺の目の前で、事態は進んでいく。
「鬼王様、お引取りください」
「できない相談だ」
剣呑さをぶつけ合うウルシャと鬼王。
力で相手を排除する気満々すぎて、ついていけない。
鬼王の余裕さもさることながら、ウルシャの決死の覚悟もまた鬼王に負けていないように見える。
この気迫は、とても頼もしく、同時に今、ウルシャが折られたらと思うと気が気でない。
だからこそ、アイと俺はこのまま鬼王とぶつかるような真似は避けたかった。
やはりウルシャは、人間の代表である『神器』アイを支える柱だ。
失うわけにはいかない。
同時に柱であるからこそ、ウルシャが示した気概を止めることもできなかった。
だが、アイは違った。
「ウルシャ、ここは引いてくれ」
「できません」
「できない気持ちはわかる。痛いほどわかる。私がそう望み、応え続けてくれたからこそわかる。でもな、ここからは『神器』の領域なんだ」
アイは、はっきり言った。
「人としてアイを守るという領域の話じゃないんだ、ウルシャ」
「そうとは思えません。明らかに私たちは、公爵領ごと、いえこの帝国ごと、『神器』の争いに巻き込まれています」
ウルシャは、アイのいる領域へと踏み込む。
「アイ様は、我らの希望です。なのにひとりで亜人たちのところへ行こうとしている。言語道断です」
「お、俺もいるよ」
「ふたりで行くのは言語道断です」
俺の勇気を振り絞った、ちょっと空気読めない感のあるツッコミも、ウルシャは返答してくれた。
ウルシャ、優しい。
でも、ちょっとこれはかなりまずい。
しびれを切らした鬼王が、今すぐに実力行使もありうる事態だ。
いくら亜人たちでも、『神器』をいきなり殺すことはない……とは言い切れないのも確か。
実際、俺、あのナノスって子に、いきなりトラックで撥ねられたし。
ウルシャたちの危機感はよくわかる。
しかしな……ここでウルシャたちが全滅になったら……ぐぬぬ……
『おい、どうするんだ?』
このタイミングで心に直接問いかけてくるのは、タツコしかいない。
そして心の声に、俺は応えられない。
正直、どうしようもない。
タツコが、鬼王を蹴散らせることができるなら話は別だが……
『今の我ではアレを殺るのは無理だぞ』
思ったことが筒抜けだった。
『むしろ殺られるかもしれぬ。我は逃げるぞ。イセを連れてな』
なんで俺?
『ハイエースに、ツァルクが入っている』
あ、そうか。
今、俺の中に仕舞っているハイエースに、ツァルクの体が入っている。
……入っている?
「……それだ!」
俺が口に出すと、緊迫ムードのその場にいる全員がこっちを見た。
何がそれなんだ? という風に見られている俺は、その時の気持ちを口にした。
「えっと、ちょっと作戦タイムいい?」
鬼王にか、アイにか、自分でもいったい誰に許可をとっているのかわからなかった。




