209話 決死の護衛
鬼王は、アイを連れていくために、邪魔者を片付けると言った。
この場合の邪魔者とは誰か。
……俺のこと?
「そんなことさせませんよ、鬼王様」
ウルシャが剣を閃かせ、鬼王に斬りかかろうとした。
鬼王を斬りつけた、ように見えた。
それほどの殺気が乗っていた。
なのに、ウルシャは元いた位置から半歩前に出ただけだった。
怯んだのか、と錯覚するような身震いをして、剣を構え続けているウルシャ。
「ウルシャ、手を出すな」
「……いえ」
アイの命令を、ウルシャは否定するようなことを言って、鬼王へ敵意を向け続ける。
だが、攻撃しない。
剣を振るう素振りも、あの最初の一度きりだ。
何故、攻撃と止めたのか。
根本的に彼女の剣技が通用する相手ではないからではないか。
剣技とは、言うなればまな板の上の魚をさばく包丁だ。
剣は相手に刃が通ることが前提のもの。
肉を斬り骨を断つ。
その前に、相手をまな板の上に押し付けて斬りやすいようにする。
剣技という技によって、その状態を作る。
剣刃が通る隙をつくるのが剣技。
だから、剣の刃は鬼王に通るのか、という問題があった。
剛術による体の中から発動する魔法のような技に対して、ウルシャの剣技は通用するのか。
拙い剛術であれば通用するかもしれない。
剛術が発動する前に剣で体を切り裂けばいい。
だが相手は剛術の極みに達した鬼王だ。
そんな相手に隙を作ることができるのか?
魔法陣構築が必要な魔法や、『力』を武器の形に変えて使う真力ならば、ウルシャの剣の速さに劣るかもしれない。
だが剛術は別だ。
しかも使い手が極みに達している者だ。
ウルシャの剣技は通じない、のだろう。
「鬼王様」
「ん?」
ウルシャが声をかけ、鬼王が反応する。
「行きます」
つぶやくように発せられた声と共に、ウルシャの体が跳ねる。
人とは思えない速さで近づき、剣を振るう。
相手が人であるならば、あるいは剛術の極みに達していない亜人であるならば、剣は通っていたかもしれない。
そのどちらでもない亜人の王は、ウルシャの剣技にあっさり対応した。
最小限の動きで回避したのだ。
一瞬当たったようにしか見えなかった。
「まずひとり」
剣の斬りつけの動きを利用して、鬼王がカウンターを入れた。
そのカウンターは、ウルシャの体から反れた。
「おっ」
反れたのは、鬼王の鎖骨のあたりにクナイが当たったからだ。
ウルシャの捨て身の動きに合わせて、クオンが投擲していたクナイだ。
ウルシャとクオンの連携か、クオンがウルシャを囮に使ったのか。
おそらく両方だろう。
攻撃が当たったこと、そして攻撃を仕掛けてきた人間の容赦の無さに、鬼王はほんの少し驚いた。
まさにほんの少しだが、その隙を見逃すウルシャではなかった。
致命傷になりうる剣撃を、ウルシャは鬼王の顔面に叩きこむ。
ガツンッ! という鉄と鉄がぶつかりあう音が響いた。
鬼王は叩かれた顔の一部を硬化させ、致命傷を防ぐ。
それでも一流の剣戟を受けて無事で済むはずがない、と思った。
確かに無事じゃなかったのだろう。
魔力の流れで見えた。
剛術による治癒を、鬼王は瞬時に行っていた。
鬼王は術の発動をほとんど意識していない。
無意識に発動できるくらいの反射行動。
人では敵わないことが、はっきりとわかった。
わかっていたが、ここでダメ押しで深く理解した。
そのことを、ウルシャもクオンもわかっていたのだろう。
クオンは、アイを俺の車に素早く放り込む。
まるで、ウルシャがこのために時間を稼ぐということを理解していたかのように。
「イセ殿、お願いするっす」
「アイ様をお守りしてくれ」
クオンとウルシャが決死の覚悟を決めているひと言だった。
ふたりの動きにタイミングをあわせるように、カウフタンたちが武器を構えて俺の前へ出る。
「イセ、我らに構うな。逃げろ」
カウフタンの言う我らとは、彼女たちだけではない。
このエジン公爵領のことも含めて、だろう。
「やる気か。面白い」
ここまでの覚悟を見ても、鬼王だけはいつもどおりだった。




