173話 キルケの警戒と油断
目の前で天使長キルケに、あっさりと切り札を潰されてしまった俺。
天使の真力の武器は、『竜』ですら防げなかった力を、いとも簡単に防いでしまった。
……ん? 本当に簡単なのか?
キルケは、俺の力は排除すべきと言った。
そこまで言わせるほどのものなのに、簡単に対応可能?
そんなものが、天使たちの脅威になりうるのか?
ひょっとしてあの盾は何度も形成できなかったり、光線を防ぐには多大なコストがかかるとか。
ならば連発して撃てば、あるいはもしかしたら効き始めたりするかもしれない。
でももし、そうではなかったら?
おにゃのこ化光線を使う時、大きな魔素の減少を感じた。
間違いなく、何か俺がコストを支払っている。
多大なコストをかけて尽きるのは、俺の方が速いかもしれない。
するとどうなるのか。
アイたちを回収して、ここからハイエースで逃げ出すことが出来なくなる。
それは最悪の事態なので何とか避けたい。
と迷っていると、キルケが一歩こちらに踏み出してきた。
危ない、考えこんでいるうちに、斬られていたかもしれない。
「これで終わりか? 出し惜しみしている余裕があるのか?」
油断なく警戒してくれていたことに感謝する。
「余裕? 今のは最後の最後までとっといた切り札なんだ。惜しんで出さないものなんてないよ」
キルケの足が止まった。
油断などしない、とそう言いたげに。
素直に現状を伝えたのだが、はったりかもしれないと思ってくれるのは、本当にありがたい。
今まで、警戒しないと反撃をくらうような相手とやりあってきたからだろう。
マジ、過去の強敵たちに感謝。
「ならばここで終わりだ」
キルケがさらに一歩出ようとしたところで、止まる。
剣を抜いたカウフタンと、クナイを手にした教皇ツァルク14世と名乗っているトカクが前に出てきたからだ。
「裏切るのか」
キルケのひと言に、彼女たちは無言で応える。
「いいの? 天使に逆らって」
俺が言ったら、油断なく構えるふたりから、無言が返ってきた。
お前が言うな、という怒りを感じる。
「ここでお前がやられたら、元に戻れない」
「天使様方に対抗できる唯一の『力』。殺させるわけには」
「不敬とかじゃないの?」
「「お前が言うな」」
ついに思っていることを言われた。
「余裕だな、お前たち」
キルケもついにキレ気味な怒声を発した。
ついにくる。やばい。
いくら腕のたつふたりでも、キルケを前にしたら霞む。
人として腕が立つのと、化け物として強いとの差を、俺はこの世界に来てからものすっごく実感している。
俺のチート能力は、あくまで人として強いレベルだ。
『竜』や天使と比べたら雲泥の差だ。
あの亜人たちの王である鬼王ソロンですら、真力で武装した天使相手では分が悪いだろう。
そんなの相手に、ふたりは命がけで立ち向かおうとしている。
なんとかしなければ。
鬼たちで、隙を作って、そのうちにハイエースに乗り込んで……体当たり?
いけるか?
「終わりだ」
キルケが踏み込もうとした途端、ふいに違和感を感じた。
俺の五感以外の第六感的なもの。
シックスセンスと呼ばれるような、超能力ともいうべき代物。
突然目覚めたわけじゃないこの感覚。
それは、魔素の流れ。
キルケも感じとったようで、俺が感じると同時にビクッとして立ち止まる。
直後に俺はわかった。
この魔素の流れは……
「天使様……天使様だ……」
「天使様……我々をお導きください……」
「迷いし私達に、尊い天使様の祝福を……」
口々に天使を崇める言葉をしながら、周囲にいた信者たちが戻ってきた。
彼らが見つめているのは、まっすぐに天使長キルケの元。
逃げ出していた信者たちの突然の心変わり。
見覚えがある。
魔素を操り、人々の精神を操る技。
魔法体系を失っても魔法を行使できる唯一の人。
「アイ!」
俺が呼びかけ、大聖堂の方を見ると、彼女たちがいた。
『神器』アイと、その護衛ウルシャだ。
アイの唱えた呪文によって魔素は動き、魔法が発動された。
どのような効果なのかは知らないが、信者たちがキルケを目指して寄ってきている。
「キルケ! イセに手を出すのは許さんぞ!!」
アイの声に、キルケが振り返る。
「何の真似だ」
キルケの苛立ちは、アイに向けられる。
本来、向けられるべきは俺の方だろう。
キルケの目的は俺を殺すこと。
それが何度もアクシデントによって防がれている。
そしてこのタイミングで防ごうとするアイの出現。
キルケが溜めに溜めた苛立ちは、アイに注がれている。
「このような魔法で、私が止まるとでも? 慈悲深い天使が、信者たちに手をくださぬとでも? くだらんな。退かないならば、私の視界に入るお前以外の全ての人間を斬り伏せるだけだ」
キルケの容赦ない言葉に、その声が届く人たちは全員息を呑む。
「アイ。人々を斬られたくなければ下がらせろ。お前の魔法が、多くの信者を殺すぞ」
「…………」
アイが魔法の集中を止めたのか、魔素の流れは止まる。
キルケを求めて進んでいた人たちは、その場で立ち尽くし、それから剣呑な雰囲気を即感じたのか、じわじわと下がり、ひとりが走り始めたのを皮切りに走り出す者もいた。
この人混みの中で逃げることはできるだろう。
だが、キルケのあの宣言を聞いた後では……
「……ふっ。黙って見てろ」
キルケはそう言い、勝利宣言。
だが……アイもまたフッと笑った。
「む」
キルケの笑みが消えて警戒しようとした途端だった。
近づいていた人々の間を縫うように走る影。
その影はキルケのそばまで駆け寄った。
彼の死角から近づいたのか、キルケはそこでようやく気づいた。
「っ!?」
「遅いっす!!」
影はクオン。
クオンは手にしたクナイを振るう。
おそらく、キルケは油断した。
近づいてきた者が、人間だったこと。
人間の力では、真力の武装には効果がないことはわかっている。
だから反応する必要なし、と判断したのだろう。
キルケはクオンから目をそらす。
そしてクオン以外からの攻撃を警戒した。
つまり、キルケは人間の攻撃はブラフと判断したのだ。
それも織り込み済みだったのかもしれない。
クオンが振るったクナイ。
クナイは、真力の武器だった。
ケアニスから借りた真力を、クオンはまだ残していたのだ。
鬼王の追撃を防ぐのに真力を使ったのはカウフタンだった。
クオンは、あの時の真力をここで使った。
真力のクナイは、キルケの防御を抜けて腕を切った。
傷は深くはない。
だが、斬られたことが不可解だったのかキルケは驚愕した。
その隙を突いて、切り裂いた返しのクナイの柄で、盾を弾いた。
「何っ!?」
その盾は、鈍い灰色の大盾。
俺のおにゃのこ化光線を防いだものだ。
「今っす! イセ殿!!」
「再びくらえーっ!!」
俺はもう一度、さっきの攻撃を繰り出した。
おにゃのこ化光線と、鬼たちだ!!