170話 人は皆平等
教皇庁の大聖堂前へやってきた俺たち。
アイたちの隠れた祭壇付近へ行くことはできなかったが、祭室にいたであろう司教たちの一部を外に出し、クオンを送り出すことには成功。
だが、ほぼ同時に、天使長キルケがやってきてしまった。
「教皇ツァルク14世よ、どういうことだ?」
殺気むき出しの態度は、教皇に向けられている。
怒気と共にあたりの雰囲気を一変させた天使に向かって、司祭や騎士、そして教皇ツァルクはひざまずく。
周囲の信者や衛兵たちも、慌てて同じように倣う。
俺は、タツコの手をひっぱり、ひざまずくようにしゃがんだ。
『おい。逃げないのか』
一瞬だけ、逃げるという選択に惹かれた。
だが、もう遅い。
本当は、アイと合流してから、キルケと対峙するつもりだった。
だがこうして、かなりの近さにある状況は、利用してしかるべきだろうと判断した。
「逃げない。ここだ。ここでヤる」
つぶやくよりも小さく、口元をもごもごと動かしているだけで、意を伝える。
触れているから、タツコならわかる。
『……わかった』
タツコの返事を感じた直後、トカクが動く。
「キルケ様、ご足労おかけいたしまして申し訳ございません。お耳にお入れしておきたいことがございました」
「…………」
キルケは無言で睨み続ける。
次の言葉を待っている。
だが、ただ待っているのではない。
うかつなことを言えば、すぐにその手にした真力の剣で命を断つほどの迫力のある待ち構え、という風に俺の目には映った。
「執務室に入ってきていた者たちについての情報です」
「……待て」
立ち上がり、近付こうとしたトカクを、キルケは制した。
「私が聞いたのは、その後ろのふたりのことだ。ツァルク、どういうことだ?」
立ち止まったトカクは、その場から動かない。
「微かだが分かるぞ。気配が他の者たちと違う。そこのふたり」
指をさされたのは、俺とタツコだ。
「異世界の戦士イセと、『竜』だな」
指摘した言葉を受けて、俺はおもわずビクッと体が震えた。
そして、キルケの指摘に対して、司教と騎士たちも反応してこちらを見る。
そんな中、トカクは微動だにせず正面を向いていた。
彼女の背中からは、微かな動揺の気配すらなかった。
「応えろ、ツァルク」
「相変わらず、あなた様は唐突で、驚愕続きです」
彼女の声のトーンの変化は、周りの緊張感を解き、同時に「なんてことを言いだしてるんだ!?」という焦りを生んでいた。
「天使様たちから見て、人は皆平等……誰もが同等で無価値な存在……そう思っておりましたが、キルケ様は違うのですね」
「ツァルク……」
「人の違いを分かっていただけるのですね」
キルケの厳しい表情は変わらない。
でも、彼の驚愕は伝わった。
教皇ツァルク14世を、見る目が明らかに変わった。
「……教皇が、裏切るのか」
「まさか。裏切ったことなど、一度もありません」
言いながら、法衣の懐から取り出したのは一枚の羽根。
ただの鳥の羽根ではない。
天使の羽根だ。
「証拠をお見せします」
羽根を軽く前へと掲げたトカクは、俺の虚を突くように振り返る。
振り返った瞬間が見えないので、避けようもない。
俺は、彼女の羽根から放たれた派手に輝く光を、受けた。
「っ!?」
俺に当たった光は、光というより粘性のある水のように体にまとわりつく。
そして……俺の身体に触れているタツコと、背負われているカウフタンにも浸食していく。
『なっ!?』
タツコは、不快そうに顔を歪ませた。
始めて見たかも知れない驚きの顔。
俺はタツコに心の声で伝える。
『聞いてなかったのか? トカクさんの作戦を』と。
そして少し遅れて、キルケが気付いた。
「ツァルク……おぬし……」
「裏切りはしていない、という証明をしています」
「『真力』を使って何をしている!?」
手にした剣を振りかぶり、そして振り下ろす。
トカクは、『真力』を使うのを止め、紙一重でそれを回避した。
例え紙一重であったとしても、大きく傷つく。
「ぐっ!?」
だが、距離をとりつつ、あの『真力』の光を操る。
すると、傷は治り、俊敏な動きを見せ、何かを投擲した。
投擲されたものはクナイ。
まるでクオンでも見ているかのような、動き。
そして、そのクナイを苦もなく弾く、キルケの鎧。
「ツァルク……ではないのか……」
「いえ。私がツァルク14世ですよ、キルケ様」
トカクは、少しバカにしたような笑みを見せた。
「人知を越えた力を持つ者と、そうでない者との違いは分かっても、人がひとりひとり違うことは、やはりあまり分からないようですね」
それを聞きながら、キルケが一歩前に出る。
殺意を載せた一歩を見たものは、人であるならば誰もが怖じ気づくほどのものに見えた。
「だから人がわからない。私は最初から裏切ってなどいません。私は最初から……人のために動いていますから」
前に出たキルケに対し、トカクは背中を見せて後ろに走り出す。
完全に逃げの姿勢。
「逃げられると思うのか、人が」
「それこそまさか、ですよ。キルケ様」
トカクが一歩踏み出したところで、キルケは一瞬で距離を詰め、剣を振り下ろそうとした。
何故、トカクが余裕を持って近付いたキルケを見て笑っていられるのか。
それは、同じく一瞬で距離を詰めた者に殴られても、分からなかった。
「ぐはっ!? だ、誰だっ!? イセかっ!?」
驚くキルケが見た者は、殴った手をぶらぶらと振って、感触を確かめているタツコだった。
「ふむ。これくらいなら体を壊さなぬ加減ができそうだ」
タツコは、話しながら余裕そうに頷いた。




